中島湘煙「同胞姉妹に告ぐ」 10
以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。
その十
世には愚かな論者がいて言う。
男女同権ということは、文明開化と称せられている西洋でさえ行われていない。
その理由は、西洋では男子には参政権があって国会の議員ともなり、その議員を選ぶ選挙権があるが、女子にはこの権利がない。
これは男女同権でない証拠である。
英国の離婚法がいうには、およそ夫たる者はその妻と結婚式を行ったのち、他人と姦通することがあれば、これによってその妻を離縁する願書を裁判所に提出することができる。
妻たる者は、ただその夫が他の女と姦通しただけでは、これによって離縁の願書を裁判所に提出することができない。
しかし、もしその夫が、法律上の婚姻を禁じる近親者と姦通したり、姦通した女を本妻と並べて養ったり、他の女を強姦したり、獣畜と交わることがあるときは、離縁の願書を提出することができるなどとあって、男女同権でない証拠は数多くあるので、わが国のようにまだ文明でない国柄では行われがたく、また行っては害があるものであるなど云々のあげつらいである。
これは大いに僻んだ説で、西洋は文明だとは他の未開の国と比べていうことで、これを最上の文明ということはできない。
ゆえに、西洋文明諸国でも、道理のないこと、醜悪なことは数多く行われ、あの道徳ということなどに至っては、ほとんどわが国にも劣る行いが多いほどなので、西洋で行われている事物はことごとくよいとして用いることはできない。
また、ことごとく害があるとして捨てることはできない。
いわば、他人の長所を採り入れ、自分の短所を補って、わが国の文明を進めることこそ、愛国志士の国を思う務めだろう。
ゆえに、この同権ということも、文明があのような英仏諸国でもまだまったく行われないことで、フォーセット夫人などという女の学者が世に現れて、いたくその誤りを正そうと努めているのだろう。
また、近頃は女の学識ある人々が会合して、婦人参政権の獲得を議院に建言するほどの勢いとなっているのである。
だから、西洋諸国でも遠からず、この真の道理が勝利して同権の地位に至ることは、今から鏡に映して見るように明らかだ。
思うに、西洋の国々でも昔から強い者が弱い者を従え、自分の支配下に抑え付ける風俗は今でもなお存在し、富んだ者は貧しい者を苦しめ、貴い者は卑しい者を虐げ、強い国は弱い国々を攻め滅ぼすなど、道理に悖った行いが数多くあるので、男が腕力の強さに任せて弱い女を虐げ、苦しめてきた遺風は今でもなお存在し、同権の道理がまだまったく行われないのかもしれない。
これは文明の欠点で、西洋がまだ文明の最上に達しない証拠ともいえる。
ところが、わが国の改新を期し、文明を望む人が、その欠点を証拠として、わが国でも同権を行うことの不利を説こうとするのは、またどういう意図であろうか。
たいそう拙く愚かな限りというばかりだ。
試しに論者の言葉に従って、何事も西洋の人がすることは疑わずに、これを行うことと定めようか。
論者はこの点については異論もあるまい。
西洋では、一夫一婦である。
論者はこれを守りなさるのだろう。
西洋では、女は男に助けられて乗車の昇降をしている。
論者はこれも学びなさるのだろう。
西洋では、女は男に先立って家や部屋を出入りする。
論者はこれにも異論をなさるまい。
西洋では、女が男に門や戸を開閉させ、あるいは饗宴に同席して飲食を先にするなどということがある。
論者はこれにも異議を唱えなさるまい。
西洋では、室内や汽車の中に人が数多くいて、男は着席することができなくても、女はその席を占めて座ることができ、また煙草を吸うのに女の許可を得なければ吸うことができないなど、いろいろな特権がある。
論者はこれも謹んで守りなさるだろう。
今わが国の男で、女に対して上のような礼儀を尽くす者がいるなら、人はこれを指してどれほど笑い評するだろうか。
それでも、論者が西洋でしているだけのことは何事でもするほうがよいという志で、これを甘んじて行いなさるということなら、私も喜んでその説に従い、参政権もしくは法律のことだけは他日に譲って、しばらく不同権の位置に甘んじつつも、この西洋と同様の男の優待を受けるばかりだ。
わが親愛なる姉妹はどのように考え思いなさるか。
(おわり)
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