樋口一葉「軒もる月」
樋口一葉「軒もる月」(初出:『毎日新聞』1895年4月3日、5日)の現代語訳です。
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わが夫は今夜も帰りが遅くていらっしゃるよ。
子どもは早く眠ったので、帰っていらっしゃると、おもしろくなく思われようか。
大通りの霜に月も凍って、道を踏む足がどれほど冷たかろう。
炬燵の火もほどよく、お酒も温めるだけであるのに。
いま何時になったか、あれ、空に聞えるのは上野の鐘であろう。
二つ三つ四つ、八時か、いや、九時になった。
本当にまあ、遅くていらっしゃること。
いつも九時の鐘は膳の上でお聞きになるのに。
そうそう、今夜からは一時間ずつ残業して、この子のために収入を増やそうとおっしゃったのであった。
火気の満ちた部屋で頸が痛かろう。
振り上げる鎚で手首が痛かろう。
破れ窓の障子を開いて外を見渡せば、向かいの軒端に月が上り、こちらに差し込む光は白く、霜が降ってきたのか体も震えて、寒気は肌を刺すようであるのに、女はしばらく何事も忘れたように眺め入り、ほっと長くつく息が月の光に煙を描いた。
桜町の殿は、もう寝所にお入りになった頃か。
でなければ、灯火の下で書物を開いていらっしゃるか。
でなければ、机の上に紙を広げて静かに筆を動かしていらっしゃるか。
お書きになっているのは何だろう。
何かのお打ち合わせをご友人のもとへか。
でなければ、お母上にご機嫌伺いのお手紙か。
でなければ、お胸に浮かぶ妄想の捨てどころ、詩か歌か。
でなければ、でなければ、私に下さっても甲斐のないお手紙に、もったいない筆を染めていらっしゃるか。
何度も何通も下さったお手紙を拝見さえしない私を、どれほど憎く思っていらっしゃるだろう。
拝見すれば、この胸が切り裂かれ、日頃の決心が消え失せそうな心もとなさ。
お許しください。
私をどれほど憎いものとお思いになり、物を知らない女とお蔑みになっても構わない。
私はこういう儚い運を持って、この世に生まれたのだから。
殿の憎しみに逢うほどの儚い運を持って、この世に生まれたのだから。
お許しください。
不貞な女におさせにならないでください、殿。
卑賤に育った私だから、初めからこの上を見も知らず、世間は裏屋に限ったものと決め、わが家のほかに天地はないと思えば、はかない思いに胸も燃えないだろうに。
短い間でも交じった上流社会は、夢で天上に遊んだようで、いま思ってもかけ離れている。
私は桜町家で一年数度の出替り奉公。
小間使といえば人間らしいが、ご寵愛では犬猫でもお膝をけがすものだ。
言ってみれば夫を辱めるようだが、そもそもおいとまをいただいて家に帰ったとき、聟に決まったのは職工で工場通いをする人と聞いて、もったいない比較ながら、私は殿のご地位を思い合わせ、天女が羽衣を失った心地もしていた。
たとえこの縁談を嫌っても、野末の草花が書院の花瓶に挿されるものか。
慈しみ深い親に苦労を増やし、同じ地上にさまようべき身で、間違っても天上の夢は叶いがたい。
もし叶ったとしても、それは邪道で、正当な人の目からは、どれほど汚らわしく浅ましい身と貶められただろう。
私は措いても、殿を世間に誹らせることは口惜しい。
ご覧なさい、奥方のお目には、私を憎み、殿を嘲る色が浮かんでいらっしゃったのを。
女は吐息で胸中の雲を消して、月の光が洩れる窓を閉め、音で目覚めて泣き出した幼子に、
「ああ、かわいい。どんな夢を見たの。お乳をあげようね」
と胸元を開けると、笑って乳房を探る様子も愛らしい。
もったいないことだ、この子という可愛い者もいる。
この子のため、私のため、不自由をさせまい、心配事のないよう、少しは余裕もあるようにと、朝は人より早く起き、夜はこのとおり夜更けの霜に寒さを堪えて、
「袖よ、今の苦労はつらくても、ちょっとの辛抱だ。我慢してくれよ。やがて伍長の肩書も持ったら、鍛工場の取り締りとも言われたら、家はもう少し広くして、小女の使い走りを置いて、そのか弱い身に水は汲ませない。俺を腑甲斐ないと思うな。腕に職はあり、体は健康だから、いつまでもこうしてはいないからな」
と口癖におっしゃるのは、どこか私の心が顔に出て、卑しむ様子が見えたからか。
恐ろしいことだ、この深い恩ある夫にそんな気持ちを持って、仮にもその様子が現れでもしたら。
父が一昨年亡くなったときも、母が去年亡くなったときも、心からの介抱で夜も帯をお解きにならず、咳き込むといっては背中を撫で、寝返るといっては抱き起こしながら、三月以上の看病を人手にかけまいというお気持ちの嬉しかったこと。
それだけでも生涯大事にしなければならない人に、私は不足らしい素振りをしたか。
自分では気づかず、そうなっていたらどうしよう。
はかない楼閣を思い描くとき、うるさく私の名を呼ぶ声がして、「袖、あれをしろ、これをしろ」という言いつけで消され、思いが中断すると、恨みをあたりに向けもしたか。
もったいない罪は、私の心から出たことだが、桜町の殿という面影がなければ、胸の鏡に映るものもあるまい。
罪は私か、殿か。
殿さえなければ、私の心は静かだろうか。
いや、こんなことは思うまい、呪咀の言葉となって忌むべきものなのに。
母の心がどこに走ったとも知らず、お乳に飽きれば乳房に顔を寄せたまま、思うことなく寝入った幼子の頬は、薄絹の紅をさしたようで、何を語ろうとするのか、ときどき曲げる口元、肥った顎が二重になっているのも愛らしい。
こういう子まである身で、私が二心を持って済むだろうか。
決して二心は持たないにしても、夫を不足に思って済むだろうか。
はかない、はかない、桜町の名を忘れない限り、私は二心の不貞の女だ。
幼子を静かに寝床に移して、女はおもむろに立ち上がった。
眼差しが決まって口元を固く結んだまま、畳の破れに足も取られず、目指すのは何か。
つづらの底に納めていた一、二枚の着物をひっくり返し、浅黄縮緬の帯揚の中から、五通六通、数えれば十二通の手紙を出して元の場所に戻ると、少し暗いランプの火を捻り出す手元に見えるのは殿の名で、たとえ名を変えていても、この眼に感じは変るまい。
今日まで封を解かなかったのは、我ながら心強いと誇っていたとは浅はかなことだ。
胸の悩みを射る矢が恐ろしく、思えば卑怯な振る舞いだった。
身の行いは清くても、心の腐れを捨てられなければ、不貞も同然の身だったのに、よし、それなら、心試しに拝見しよう。
殿も私の心をご覧ください、わが夫もご覧なさい。
神もいらっしゃるなら、わが家の軒に止まってご覧なさい。
仏もいらっしゃるなら、この手元に近寄ってご覧なさい。
私の心は清いか、濁っているか。
封じ目を解いて取り出すと、一尋(約1.8メートル)あまりの紙に筆の技巧もなく、ありがたいことの数々、かたじけないことの山々、思う、慕う、忘れがたい、血の涙、胸の炎、これらの文字を縦横に散らし、文字はやがて耳の脇で恐ろしい声で囁くのだ。
一通は震える手元で巻き納めた。
二通目も同じく、三通四通、五、六通目から少し顔色が変わって見えたが、八、九、十通、十二通と開いては読み、読んでは開く。
文字は目に入らないのか、入っても読めないのか。
長い髪を後ろで結び、古びた着物になえた帯の、やつれたとはいえ美貌とは誰の目にも認められよう。
ああ、はかない塵塚の中に運命を持っていても、穢ない汚れは被るまいと思った体の、まだどこに悪魔が潜んで甲斐もないことを思わせるのか。
さあ、雪が降るなら降れ、風が吹くなら吹け。
胸中の海に波が騒いで、沖の釣舟が思い乱れるか。
凪いだ空に鴎が鳴く春の日のようにのどかになった胸か。
桜町の殿の面影も、今は飽きるまで胸に浮かべよう。
夫のふるまいの幼さも、強いて隠すまい。
百八つの煩悩が自ずと消えたならば、ことさらに消す必要もない。
血も沸くなら沸け、炎も燃えるなら燃えろ、と微笑を浮かべて読んでいく気持ちは、大滝に当たって濁世の垢を流そうとした某上人の例と同じく、恋人の涙の文字は幾筋もの滝のほとばしりにも似て、心弱い女ならば、気を失うだろう。
傍には可愛い幼子の寝姿が見える。
膝の上には、殿のお声が「無情の君よ、私を打ち捨てるのか」とありありと聞え、外では夫が戻る夜更けの月に霜が寒い。
仮に今ここにわが夫がお戻りになっても、私は恥かしさに赤面して、膝の上の手紙を隠すことができるか。
恥じるのは心がやましいからだ、どうして隠すだろう。
殿が今もしここにいらっしゃって、例のかたじけないお言葉の数々を、恨みに憎しみを添えてお声を荒げ、もったいないお命を今が限りとおっしゃっても、この眼が動こうものか、この胸が騒ごうものか。
動くのは抱かれたい欲からだ、騒ぐのはひそかに恋しいからだ。
女はしばらく恍惚として、その煤けた天井を見上げたが、ランプの火が薄い光を遠く投げて、ぼんやりとした胸に照り返すようなのも寂しく、あたりに物音が絶えたところに霜夜の犬の遠吠えが恐ろしく、すきま風が音もなく、身に迫ってくる寒さもぞっとする。
過去と未来を忘れて夢路をたどるようであったが、何かが急にその空虚な胸に響いたように、女はあたりを見回して高く笑った。
自分の影を顧みて高く笑った。
「殿、夫、子、これが何者」と高く笑った。
目の前に散り乱れた手紙を取り上げ、
「さあ、殿、今こそお別れいたします」
と目元に浮かぶ涙もなく、思い切った決心の色もなく、微笑んだ顔で手も震えずに、一通二通、八、九通と残らず寸断し終え、盛んに燃え立つ炭火の中へ投げ込み、投げ込んでは、灰に跡も留めず、煙は空にたな引いてて消えるのを、うれしい、私の執着も消えた、と眺めると、月の光が洩れてくる軒端に風の音が澄んでいる。
(おわり)
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