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  • 「まちこの香箱(かおりばこ)」
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樋口一葉「大つごもり」 2

   

石之助という山村の総領息子は、妹たちとは母が違ううえに父親の愛も薄く、これを養子に出して家督は妹に婿をとって継がせようという相談を、十年前から耳に挟んで面白くない。

今の時代に江戸時代のような勘当ができないのは幸いだ、思い切り遊んで継母が泣くのを見てやろうと、父親のことは忘れ、十五の春から悪行を始めた。

男ぶりに渋みがあって、利発そうなまなざし、色は黒いけれど、いい感じだと、近隣の娘たちの噂も聞こえるが、ただ乱暴なばかりで、品川の遊郭に足は向けても、騒ぎはその場限りである。

夜中に人力車を飛ばして、車町のごろつきたちを叩き起こし、「それ、酒を買え、肴を買え」と財布の底をはたいて、無理を通すのが道楽だった。

「しょせん石之助に相続させるのは、石油蔵へ火を入れるようなものですよ。身代は煙になって、消え残った私たちはどうしようもありません。あとの娘たちも不憫です」

と、継母は父に絶え間なく訴える。

「そうかといって、この放蕩息子を養子にと申し受ける人もないだろう。とにかく有り金のいくらかを分けて、若隠居の別戸籍に」

と、内々の相談は決まっていたが、本人はうわの空に聞き流して、その手には乗らない。

「分配金は一万円、隠居手当を月々寄越して遊興の邪魔をせず、父上が亡くなったら親代わりの俺を兄上と奉じて、かまどの神に供える松の木一本についても俺のご意向を聞くつもりなら、いかにも別戸籍のご主人になって、この家のためには働かなくても自由。それでよろしければ、仰せのとおりになりましょう」

と、どうでも嫌がらせを言って困らせている。

昨年に比べて長屋も増えた、所得は倍になったと、世間の口から我が家の様子を知って、

「笑わせる。そんなに増やして誰のものにする気だ。火事は灯明の皿からも出るものだ。総領と名乗る火の玉が転がっているとは知らないのか。今に巻き上げて、お前たちにいい正月を迎えさせるぞ」

と、伊皿子あたりの貧乏人を喜ばせ、大晦日に大酒を飲む場所も決めた。

「ほら、兄様が帰ってきた」

と言うと、妹たちは怖がって腫れ物のように触る者もなく、何でも言うことが通るので、一段とわがままを募らせ、こたつに両足を突っ込んで、

「酔いざましの水だ、水」

と、狼藉もこれで頂点を迎えた。

憎いと思っても、さすがに義理の仲は難しいものか、継母は陰での毒舌を隠し、風邪をひかないように抱巻(かいまき)や枕まであてがい、明日の支度のむしり田作(ごまめ)も

「人にさせると粗末にする」

と聞えよがしに言い、倹約ぶりを枕元に聞かせていた。

正午も近づいたので、お峯は伯父への約束が心配になり、奥様のご機嫌を見はからう暇もないので、わずかに手が空いた隙に頭の手拭いを丸め、

「この間からお願いしておりましたこと、お忙しい折から申し訳ございませんが、今日の昼過ぎにと先方へ約束した期限のあるお金だそうで。お助けいただけますなら、伯父も幸い、私もうれしく、いつまでもご恩に着ます」

と手をすって頼んだ。

最初に申し出たとき、あやふやながら、結局は承知したという言葉を頼みに、次のご機嫌が難しかったので、うるさく言ってはかえってどうかと今日まで我慢していたが、約束は今日という大晦日の昼前、忘れたのか何とも仰せのない心もとなさである。

自分には身に迫った大問題と、言いにくいのを我慢して再度こう申し出ると、奥様は驚いたようなあきれ顔をして、

「それはまあ、何のことやら。なるほどお前の伯父さんの病気、続いて借金の話も聞きましたが、今すぐに私の家から立て替えようとは言わなかったはず。それはお前の何かの聞き違い。私は少しも覚えていませんよ」

と、これがこの人の十八番とは、なんとまあ情けない。

花紅葉の模様を美しく仕立てた娘たちの晴着を、襟を揃え、裾を重ねて、眺めたり眺めさせたりして楽しみたいのに、邪魔者の総領息子の目がうるさい。

早く出ていけ、さっさといなくなれという思いは、口にこそ出さないが、持ち前の癇癪は心中に隠しておくことができず、徳の高いお坊様がご覧になれば、憎悪の炎に包まれて体は黒く煙り、心は狂乱しているときに、よりよって金の話とは、毒になるばかりである。

今も承知した覚えはあるが、何のかまっていられようかと、

「おおかた、お前の聞き違い」

と言い切り、煙草の煙を輪に吹いて、

「私は知らない」

と済ましている。

ええ、大金でもあるものか。金は二円。しかも、自らの口で承知しておきながら、十日と経たないうちに耄碌はなさるまい。ああ、あの懸け硯の引き出しにも、「これは手つかずの分」と一束、十枚か二十枚か入れていた。全部とは言わない。たった二枚で伯父は喜び、伯母は笑顔になる。三之助に雑煮の箸も取らせられると言われたのを思っても、どうしても欲しいのはあの金だ。恨めしいのは奥様だ、

と思っても、お峯は口惜しさにものも言えず、普段からおとなしくては、理屈詰めでやり込める術もなく、すごすごと台所に立つと、正午の号砲の音も高らかに、このようなときは殊更胸に響くものである。

「お母様にすぐにお出でくださるよう。今朝からのお苦しみで、ご予定は午後です。初産なので旦那様もおろおろとお騒ぎになって、お年寄りのいらっしゃらない家ですから混乱ぶりはお話になりません。今すぐお出でを」

と、生死の分け目という初産に、西応寺の娘の元から迎えの車が来た。

こればかりは、大晦日でも遠慮ができないものである。

家の中には金があり、放蕩息子が寝てもいる。

心は二つ、体は分けられないので、娘への愛情の重さに引かれて車には乗ったが、このようなときに気楽な夫の心根が憎らしく、

「なにも今日、沖釣りなどに行かなくても」

と、頼りにならない太公望をつくづく恨んで、奥様は出ていった。

行き違いに、三之助が、ここと聞いた白金台町を間違いなく訪ねてきた。

自分のみすぼらしい身なりに姉の肩身を思いやり、勝手口からこわごわ覗くと、かまどの前で泣いていたお峯が、誰か来たかと涙を隠し、三之助がいることに気づいた。

ああ、よく来たね、とも言えない事態をどうすればよいだろう。

「姉さん、入っても叱られませんか。約束のものは貰っていけますか。旦那様や奥様によくお礼を申して来いと父さんが言っていました」

と、事情を知らずに喜んでいる顔を見るのもつらい。

「まあまあ、待ってちょうだい。少し用もあるから」

と走っていって内外を見回すと、お嬢様方は庭に出て羽つき遊びに余念がなく、小僧さんはまだお使いから帰らず、針仕事の女は二階にいて、しかも耳が聞こえないから問題はない。

若旦那は、と見ると居間のこたつで、今まさに夢の真っ最中だ。

拝みます、神さま仏さま。私は悪人になります。なりたくはないけれど、ならねばなりません。罰をお当てになるなら、私一人。使っても、伯父や伯母は知らないことなので、お許しください。恐れ多いことですが、このお金、盗ませてください。

と、かねて知った硯の引き出しから、束のうち二枚だけをつかんだ後は無我夢中で、三之助に渡して帰した一部始終を見た人がないと思ったのは愚かだったか。

その日も暮れ近く、旦那様が釣りから恵比寿様のような笑顔でお帰りになると、奥様も続いて帰宅し、安産の喜びから送りの車夫にまで愛想よく、

「今夜の仕事を済ませたら、また見舞いに行きます。明日は早くに妹たちの誰かを一人は必ず手伝いに行かせると言ってください。さてさて、ご苦労さま」

と、ろうそく代などをやっている。

「やれ、忙しい。誰か暇な体を半分でも借りたいものだ。お峯、小松菜は茹でておいたかい。数の子は洗ったかい。大旦那はお帰りになったかい。若旦那は」

と、最後は小声に、「まだ」と聞いて額にしわを寄せた。

石之助はその夜はおとなしく、

「新年は、明日からの三が日でも、我が家で祝うべきだが、ご存じのていたらくです。堅苦しい袴連中に挨拶するのも面倒だし、お説教も実は聞き飽きました。親類に美人もいないので見たい気にならず、裏長屋の友達のところで今夜約束もあるので、ひとまずお暇するとして、またの機会に頂戴ものの数々はお願いします。折からおめでたい矢先、お歳暮にはいくらくださいますか」

と、朝から寝込んで父の帰りを待っていたのは、このためである。

子は三界の首かせというが、まことに放蕩息子を持つ親ほど不幸な者はない。

切ることができない血縁というと、できる限りの悪戯を尽くし、身を持ち崩して落ち込むのはこの淵で、知ったことではないと言っても、世間は許さないので、家名惜しさと自らの体面のために、開きたくない蔵も開くのである。

それを見越して石之助が、

「今夜が期限の借金があります。人の保証人になって判を押したものもあれば、花札の場が荒れて、ごろつき仲間にやるものをやらないと納まりがつかないものもあり、私は仕方ないが、父上のお名前に傷が付くと、申し訳が立ちません」

などと、つまりは金が欲しいと聞こえる。

継母は、大方こんなことだろうと今朝から懸念したことが現実になり、いくらねだるか、甘い旦那様の対応を歯がゆく思ったが、自分も口では勝ち目のない石之助の弁舌に、お峯を泣かせた今朝とは変わって、夫の顔色はどうかとばかり、たびたび目だけで後ろを窺っているのが恐ろしい。

父は静かに金庫の間へ立ったが、やがて五十円の束を一つ持ってきて、

「これは貴様にやるのではない。まだ縁づかない妹たちが不憫で、姉の夫の顔にもかかるからだ。この山村は、代々堅気一方に正直律儀を奉じて、悪い噂を立てられたこともないが、悪魔の生まれ変わりか、貴様という悪者ができた。金に困って無分別に人の懐でも狙うようになれば、恥は私一代にとどまらない。重いといっても、身代は二の次、親きょうだいに恥をかかせるな。貴様に言っても甲斐はないが、普通ならば山村の若旦那として、世間で要らぬ悪評も受けず、私の代わりに年始の挨拶もして、少しは役に立っているはず。それを、六十近い親を泣かせるとは罰当たりではないか。子どもの頃には少しは本も読んだ奴が、なぜこんなことがわからない。さあ、行け、帰れ。どこへでも帰れ、この家に恥をかかせるな」

と言って、父は奥に引っ込み、金は石之助の懐に入った。

「お母様、御機嫌よう。よいお年をお迎えくださいませ。それでは、参ります」

と、わざとうやうやしく暇乞いし、

「お峯、下駄を出せ。お玄関からお帰りではない、お出かけだぞ」

と図々しく大手を振って、行く先はどこか、父の涙も石之助の一夜の騒ぎで夢と消えるであろう。

持つべきでないのは放蕩息子、持つべきでないのは放蕩を仕立てる継母である。

塩こそまかないものの、跡をひとまず掃き出して、若旦那の退散を喜び、金は惜しいが見るだけでも腹が立つので、家にいないのは上々である。

「どうすればあのように図太くなれるのか。あの子を産んだ母親の顔が見たい」

と、奥様は例によって毒舌を磨いた。

お峯には、こうした出来事も耳に入るどころではない。

犯した罪の恐ろしさで、さっきの仕業は本当に自分がしたのかと、いまさら夢を思い出すようである。

思えば、このことがばれずに済むだろうか。多くの中の一枚とはいえ、数えればすぐにわかるものを、お願いしたのと同じ額が手近な場所でなくなれば、私だって疑いは私に向けるだろう。調べられたら、どうしよう、何と言おう。言い逃れるのは罪深い。白状すれば伯父の上にも疑いがかかる。自分の罪は覚悟の上だが、真面目な伯父様にまで濡れ衣を着せれば、晴らせないのが貧乏人のならい。貧乏だから盗みもすると人が言いはしないか。ああ、どうしたらいいだろう。伯父様に傷がつかないよう、私が突然死ぬ方法はないだろうか。

と目は奥様の挙動を追い、心は懸け硯のもとをさまよった。

大勘定といって、今夜はあるだけの金をまとめ、封じ目に印を押す。奥様が「そう、そう」と思い出し、

「懸け硯に、先ほど屋根屋の太郎に貸し付けた戻り、あれが二十円ありました。お峯、お峯、懸け硯をここへ」

と奥の間から呼ばれたときは、もはや自分の命はないものと覚悟した。

大旦那の目の前で、初めからの事情を申しあげ、奥様の無情をそのまま言ってのけ、何の細工もせずに、正直であることこそ私の守るべきことだ。逃げも隠れもせず、欲しくはありませんが、盗みましたと白状はしましょう。伯父様が共犯でないことだけは、どこまでも主張して、聞き入れてもらえなければ仕方がない。その場で舌を噛み切って死ねば、命に代えて嘘だとは思われないだろう。

そうと度胸は座ったが、奥の間へ行く気持ちは屠殺場へ引かれていく羊のようである。

お峯が引き抜いたのは二枚のみ、残りは十八枚あるはずだが、どうしたのか、束ごと見つからないといって底を返して振ってみたが、ないものはない。

怪しいことに、ひらりと落ちた紙切れは、いつの間に書かれたのか受け取り状である。

  引き出しの分も拝借いたしました 石之助

さては、放蕩息子かと一同顔を見合わせて、お峯への取り調べはなかった。

お峯の孝行心があり余って、知らないうちに石之助の罪になったのか、いやいや、お峯の罪を知ってついでにかぶった罪かもしれない。

ならば、石之助はお峯を守ってくれた仏だろう。

後のことが知りたいものである。

(おわり)

樋口一葉「大つごもり」 1

樋口一葉「大つごもり」(初出:『文学界』明治27年12月)の現代語訳です。

   

井戸は滑車つきで、綱の長さは約二十二メートル、台所は北向きで師走の空のからっ風がひゅうひゅうと吹き抜ける寒さである。

「ああ、我慢できない」

と、かまどの前で火加減を見る一分も一時間のように言われ、些細なことも大げさに叱り飛ばされる下女の身は辛いものだ。

はじめ、周旋屋のお婆さんの言葉では、

「お子様方は男女六人。けれども、いつも家にいらっしゃるのは総領息子と末のお二人。奥様は少し気まぐれだが、目の色、顔の色をのみ込んでしまえば大したこともなく、結局はおだてに乗るたちだから、お前の出かた一つで半襟、半がけ、前垂の紐にも事欠くことはないだろう。ご身代は町内一で、その代りケチなことも一番だが、さいわい大旦那が甘いほうだから、少しは小遣いももらえるだろう。嫌になったら、私のところまで葉書一枚お出し。細かいことは要らない。よその口を探せというなら、手間は惜しまない。結局、奉公のこつは裏表の使い分けだよ」

と言って聞かされ、なんとも恐ろしいことを言う人だと思ったが、何であれ自分の心がけ一つだから、またこの人のお世話にはならないようにしよう、仕事大事に骨さえ折れば、気に入られないこともないはずと覚悟して、このような鬼の主人を持ったのである。

挨拶が済んで三日後、七歳になるお嬢様が踊りの発表会に午後から行くという。

その支度には、朝風呂を沸かし、磨きあげておくようにと言われ、霜が凍る早朝、暖かい寝床の中から奥様が煙草盆の灰落としを叩き、

「これ、これ」

と、この声が目覚まし時計より胸に響いて、三言目が呼ばれる前に、帯より先にたすきを掛ける甲斐甲斐しさで、井戸端に出ると月の光が流しに残り、肌を刺すような風の冷たさに夢も吹き飛んだ。

風呂は据え付けで大きくはないが、二つの手桶に溢れるほど水を汲み、十三回は入れなければならない。

汗だくになって運んでいるうち、歯が歪んだ水仕事用の下駄の竹皮を巻いた鼻緒がゆるゆるになって、指を浮かさないと脱げそうになった。

その下駄で重い物を持っているので、足元がおぼつかず、流し元の氷で滑り、あっと言う間もなく横転したので、井戸の側面でむこう脛を強く打って、かわいそうに、雪も恥じらう白い肌に紫のあざが生々しくできた。

手桶もそこに投げ出して、一つは無事だったが、もう一つは底が抜けた。

この桶の値段がいかほどかは知らないが、これで身代が潰れるかのように、奥様の額際に立った青筋が恐ろしく、朝食のお給仕から睨まれ、その日一日ものもおっしゃらない。

翌日からは、箸の上げ下ろしに、

「この家の物は、ただでは出来ない。主人の物だと思って粗末に扱ったら、罰が当たるよ」

と小言を繰り返し、来る人ごとに話されては若い者には恥ずかしく、その後は何をするにも念を入れ、ついに粗相をしないようになった。

「世間に下女を使う人も多いけれど、山村ほど下女が替わる家もないだろう。月に二人は常のこと。三、四日で帰った者もいれば、一夜で逃げ出した者もいるだろう。使い始めからを尋ねたら、あのおかみさんの指を折る袖口が案じられる。思えば、お峯は辛抱者だ。あの娘に酷く当たったら、たちどころに天罰が下って、今後は東京広しといえども、山村の下女になる者はないだろう。感心なものだ。見事な心がけだ」

と誉める者もいれば、

「第一、器量が申し分なしだ」

と、男はじきにこれを言った。

たった一人の伯父が秋から病気になり、商売の八百屋もいつしか閉めて、同じ町内でも裏長屋に住むことになったと聞いたが、気難しい主人を持つ身で給金を先に貰えば、この身は売ったも同然である。

見舞いに、と言うこともできないので気が気でないが、お使いに出るわずかの間でも、時計を見当に調べられる厳しさである。

走って抜け出しても、とは思うが、悪事千里というので、せっかくの辛抱が無駄になり、くびにでもなれば、病人の伯父にますます心配をかけ、貧乏な伯父一家に一日でも厄介になるのは気の毒で、そのうちには、と手紙だけをやり、自分は行けないまま、不本意ながら日々を送った。

師走の月は世間一般に気忙しいなか、入念に衣装を選んで着飾り、一昨日出揃ったと聞く団十郎と菊五郎の芝居の、狂言もちょうど面白い新作を、

「これを見逃しては」

と娘たちが騒ぐので、十五日、珍しく家中で見物に行くことになった。

このお伴を嬉しがるのは平常のことで、父母を亡くした後はただ一人の大切な人の病床を見舞いもせず、物見遊山に歩ける身ではない。

ご機嫌を損ねたらそれまで、と遊びの代わりにお暇を願ったところ、さすがは日頃の勤めぶりもあり、翌日になって、

「早く行って早く帰れ」

という気ままな仰せに、

「ありがとうございます」

と言ったか言わないかのうちに、すぐに人力車に乗り、小石川はまだかまだかと、もどかしがった。

初音町といえば名は上品だが、世を嘆く鶯の貧乏町である。

伯父は正直安兵衛といって、「正直の頭(こうべ)に神宿る」という諺どおり、神が宿っていらっしゃるに違いない大ヤカンのような額際をぴかぴかとさせ、これを目印に田町から菊坂あたりにかけて、茄子や大根の御用も勤めていた。

乏しい元手で仕入れて売るので、値が安くて量のあるもの以外、舟形の器に盛った胡瓜や藁で包んだ松茸の初物などは持たず、

「八百安のものは、いつも帳面につけたように同じだ」

と笑われていたが、お得意さまとはありがたいものだ。

まがりなりにも親子三人が暮らせ、三之助という八歳になる息子を一日五厘の小学校に通わせるほどの義務も果たしていたが、世につらさが身に染みるという秋の九月末、急に風が冷たくなった朝に、神田で仕入れた荷を我が家まで担ぎ入れたとたん、発熱に続いて神経痛が出たという。

三ヵ月経った今日まで、商売はいうまでもなく、だんだんと食い減らして天秤棒まで売ることになったので、表通りの店の暮らしも立てがたく、月五十銭の裏長屋で人目を恥じてもいられない。

またの時節を期した引っ越しも、車に乗せるのは病人ばかりという悲惨さで、片手に足りない荷物を提げて、同じ町の隅へと引っ込んだ。

お峯は車から下りて、あちこちと尋ねるうち、凧や風船などを軒に吊るして子どもを集めている駄菓子屋の角で、もしかして三之助が交じっているかと覗いたが、影も見えないのにがっかりして思わず通りを見ると、自分のいる向かい側を痩せぎすの子どもが薬瓶を持って歩く後ろ姿がある。

三之助よりは背も高く、あまりに痩せた子と思ったが、様子が似ているので、つかつかと駆け寄って顔を覗くと、

「やあ、姉さん」

と言う。

「あら、三ちゃんだったの。ちょうどいいところで」

と伴われて行くことになったが、酒屋と焼き芋屋の間の奥深く、溝板のがたがたと鳴る薄暗い裏に入ると、三之助は先に駆け出して、

「父さん、母さん。姉さんを連れて帰った」

と門口から呼び立てた。

「何、お峯が来たか」

と安兵衛が起き上がると、伯母は内職の仕立物に余念のなかった手を止めて、

「まあまあ、これは珍しい」

と手を取らんばかりに喜び、見ると六畳一間に一間の戸棚が一つしかない。

箪笥や長持は以前からあるような家ではないが、見慣れた長火鉢の影もなく、四角い今戸焼を同じ形の箱に入れて、これがそもそも家財道具らしいもので、聞けば米櫃もないという。

なんと悲しいなりゆきだろう、同じ師走の空に芝居を見る人もいるのに、とお峯は早くも涙ぐまれ、

「まあまあ、風が冷たいので、寝ていらっしゃいませ」

と、堅焼煎餅のような布団を伯父の肩にかけた。

「さぞさぞご苦労が多かったでしょう。伯母様もどことなくお痩せになったようですよ。心配のあまり、お体をこわさないでください。それでも、日増しに快方へ向かっていますか。手紙で様子は聞いていても、見ないことには気がかりで、今日のお暇を待ちに待ってやっと出てくることができました。なに、家などはどうでもいいんです。伯父様がご全快なされば、表の店に出るのもわけないことですから、一日も早くよくなってください。伯父様に何かと思いましたが、道は遠いし、気持ちは急くし、車屋の足がいつもより遅いように思われて、ご好物の飴屋の軒も見逃しました。これは少ないけれど、私の小遣いの残りです。麹町のご親類からお客があったとき、そのご隠居様が腹痛を起こして苦しまれ、徹夜で腰をお揉みしたので、前垂でも買えと言ってくださいました。いろいろあちらは堅い家ですが、よそからのお客様が可愛がってくださって、伯父様、喜んでください。勤めにくくもございません。この巾着も半襟も、みんないただきもの。襟は私には地味ですから、伯母様がかけてください。巾着は少し形を変えて、三之助のお弁当の袋にちょうどよいかしら。けれども、学校へは行っていますか。お清書があるなら、姉さんにも見せて」

と、次から次に言葉が続いた。

お峯が七歳のとき、父親が得意先の蔵の工事で足場に上り、壁の中塗りのこてを持ちながら、下にいる人夫に指示をしようと振り向いたとたん、暦に黒星の仏滅という日でもあったのか、長年慣れている足場を誤り、転落した下は敷石の模様替えで、掘り起こして積み上げていた角に頭を強く打ち付けたのでどうしようもない。

「気の毒に、四十二歳の前厄だ」

と人々は後に恐ろしがった。

母が安兵衛の妹なのでここに引き取られ、その母も二年後に流行性感冒で急逝したので、その後は安兵衛夫婦を親として、十八歳の今日までの恩は言うに及ばない。

「姉さん」

と呼ばれると、三之助は弟のように可愛く、

「ここへ来て」

と呼び、背中をなでて顔を覗き、

「さぞ父さんが病気でさびしく、つらいでしょう。お正月もじきだから、姉さんが何か買ってあげるわね。母さんに無理をいって困らせてはだめですよ」

と諭すと、

「困らせるどころか、お峯、聞いてくれ。歳は八つだが、体は大きいし、力もある。わしが寝込んでからは、稼ぎ手はなし、出費は重なる。四苦八苦を見かねたやら、表の塩干物屋の野郎と一緒に、しじみを買い出しては、歩けるかぎり担ぎ売りして、野郎が八銭売れば、十銭の稼ぎは必ずある。一つはお天道様が奴の孝行を見通してか、ともかく薬代は三の働きだ。お峯、ほめてやってくれ」

と、伯父は布団をかぶって涙声になった。

「学校は好きで好きで、今まで世話を焼かしたことはなく、朝ご飯を食べると駆け出して、三時の下校でも寄り道したことはないんですよ。自慢ではないけれど、先生様にもほめられる子を、貧乏だからこそ、しじみを担がせて。この寒空に小さな足に草鞋を履かせる親心、察しておくれ」

と伯母も涙を流した。

お峯は三之助を抱きしめ、

「なんてまあ、どこの誰より親孝行ね。大柄といっても八つは八つ。天秤を担いで痛くない? 足に草鞋で擦り傷はできないの? 堪忍してちょうだい。今日からは私も家に帰って、伯父様を介抱も暮らしの手助けもします。知らなかったとはいえ、今朝まで釣瓶の縄の氷をつらいと思っていたのがもったいない。学校へ行く年頃の子にしじみを担がせて、姉さんが長い着物を着てはいられない。伯父様、お暇(いとま)を取ってください。私はもう奉公は辞めます」

と取り乱して泣いた。

三之助はおとなしく、ぽろぽろと涙がこぼれるのを見せまいとして、うつむいている肩の部分の縫い目はほつれ、布は破れて、この肩に担ぐかと見るのもつらい。

安兵衛はお峯が奉公を辞めると言うと、

「それはもってのほか。気持ちは嬉しいが、帰ったところで、女の働きでは稼ぎも知れよう。そればかりか、ご主人には給金の前借もあり、それ、と言って帰られるものではない。初奉公が肝心だ。辛抱ができずに戻ったと思われてもならないから、ご主人を大事に勤めてくれ。わしの病も長引きはしまい。少しよくなれば、気にも張りが出る、続いて商売もできるわけだ。ああ、あと半月の今年が過ぎれば、新年はよいこともあるはずだ。何事も辛抱辛抱。三之助も辛抱してくれ、お峯も辛抱してくれ」

と涙をぬぐった。

「珍しいお客にご馳走はできないが、好物の今川焼、里芋の煮ころがしなど、たくさん食べろよ」

という言葉が嬉しい。

「苦労はかけまいと思うが、みすみす大晦日に迫っている家の難儀に、胸につかえる病は癪ではない借金だ。そもそも床についたとき、田町の高利貸しから三ヵ月の期限で十円借りた。一円五十銭は天引きの利子だといって、手にしたのは八円五十銭。九月末からだから、今月はどうでも約束の期限だが、この有様ではどうにもならない。額をつき合わせて相談する女房は、賃仕事に指先から血を出して、日に十銭の稼ぎにもならない。三之助に聞かせたところで甲斐はない。お峯の主人は白金台町に貸長屋を百軒も持って、そのあがりだけで普段から立派な服を着て、わしも一度お峯に用事があって門まで行ったが、千円では建たない土蔵に、羨ましい富貴とお見受けした。その主人に一年の奉公。お気に入りの奉公人の少々の頼みごとを、聞かぬとはおっしゃるまい。この月末に借用証書の書き換えを泣きついて、もう一度利息の一円五十銭を払えば、また三ヵ月の延期にはなる。こう言うと欲を張るようだが、大道商人の餅を買ってでも、三が日の雑煮に箸を持たせねば、出世前の三之助に親がいる甲斐もない。晦日までに二円、言いにくかろうが、何とか工面を頼めまいか」

という伯父の頼みに、お峯はしばらく思案して、

「よろしゅうございます。たしかにお引き受けしました。難しければ、お給金の前借にしてでもお願いしましょう。外見と内とは違って、どこでもお金の問題は厳しいけれど、大金ではなし、それだけでこちらの始末がつくのなら、理由を聞いて嫌とはおっしゃらないでしょう。それにつけても、ご機嫌を損ねてはなりませんから、今日は帰ります。次の宿下がりは、正月十六日の薮入り。その頃には、みんなで笑い合いたいものです」

と、この借金を引き受けた。

「金はどうやって寄越す。三之助を貰いにやろうか」

と言うので、

「本当にそうですね。日頃でさえこうなのに、大晦日といったら暇はないでしょう。遠くてかわいそうですが、三ちゃんを頼みます。昼前のうちに必ず必ず支度はしておきます」

と首尾よく引き受け、お峯は帰った。

(つづく)