清水紫琴「一青年異様の述懐」 1
清水紫琴(つゆ子)の「一青年異様の述懐」(初出:『女学雑誌』第330号、明治25年10月22日)の現代語訳です。
*
恋愛を知らずに恋愛を描くのは、ほとんど素人が水先案内をするようなものである。
まして、異性の人の恋愛についてはなおさらだ。
しかし、恋愛は、間違えば人命を損なう恐れがあるが、小説は、間違ったからといって人の笑いを招くにとどまると思い、厚かましく描いてしまった。
私はあえて恋愛を説くと言うつもりはない。
ただ、その一端はこうであろうかと、世間に疑問を呈するのみである。
つゆ子記す
僕はどうして彼女のことが、これほどまでに心にかかるのか。
彼女に初めて逢ったのは、たしか数日前のことであった。
その後、僕は彼女のことについて思うほかは何も思わない。
また、彼女に再び逢おうとして、一、二度友人の家へ行ったほかは、何をしてきたかを覚えていないのである。
ただ、ある一人の友人は、僕が二、三日前、学校の窓にもたれて、いつになく沈んだ調子で、何か考えていたのを見たと言った。
また一人は、昨日、途中で僕に出会ったが、僕はただその顔を見ただけで、彼が何かを言ったことに答えずに行き過ぎたと言っていた。
だから、僕はいつものように学校にも行ったものとみえる。
けれども、僕は記憶せず、ただ彼女のことだけを思っている。
僕は実に不思議な人となったものだ。
僕はもともと、父母から受け継いだ資質に加え、自らの修錬によって、物に動じない特性は、確かに備えていた。
この点は、人からも称えられ、また自負もしていたのである。
だから、今日まで、どのような場合、どのような人物に接しても、怖れる、慌てる、驚くなどといったことはなかったのに、彼女に対しては、僕はまったく目が眩み、口は利けず、耳は聞こえず、恍惚として、自他の境界もわからないものとなったのである。
これまで強情な男と言われた僕が、彼女の前では、一人の処女のようになってしまうのである。
彼女の前にいるときは、僕に何かを命じてくれないだろうかと願うだけ。
僕の全身は彼女の前で捧げ物となる。
僕の特性、僕の自負は、ここに至ってまったく雲散霧消する。
これは、そもそもどういう理由なのか。
僕はその原因を知らないのである。
昔のヨーロッパの学者の間で論じられた説に、知識の石(ストーン・オブ・ウィスドム)、または聖哲の石(フィロソファーズ・ストーン)という宝石があって、この宝石は鉛を銀にし、銅を金にし、またよく不老不死の仙薬を作ることができる不思議な力があるといって、ついにその石の探求に生涯をなげうった学者もあったと聞いたことがある。
もしかすると、彼女はこれらの宝石の類ではないか。
僕は深くこれを疑う。
けれども、あの宝石の説は、ただ学説上の妄想や迷信から出たもので、一人もこれを発見した者はなかったというから、今日このようなものがあろうはずはない。
それならば、いよいよ彼女の不思議な力は不可思議だ。
彼女が僕の特性を奪い、僕の本質を変えた事実は、ここ数日、明らかに僕の目に映じている。
僕は実にその原因を説き明かさなければならないのである。
よって、僕はまず彼女と初めて知り合ったときに遡って、それから順を追って考えよう。
(つづく)
« 中島湘煙「同胞姉妹に告ぐ」 10 | トップページ | 清水紫琴「一青年異様の述懐」 2 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント