中島湘煙「同胞姉妹に告ぐ」 9
その九
世の中のことには反動という力があり、あまりに人を強く圧しつければ、人もまた強く自分をはね上げるものである。
また、人を無下(むげ)に言いののしると、人もまた自分に向かってひどく言いののしるものと知っているだろう。
だから、わが国で女が口はしたなく言いののしり、あるいは男に向かって優しくないふるまいをするというのも、おおかたはその性質がそうさせるのではない。
その無知がするわけでもない。
まったく男が無理やりに抑えつけた反動によって、このような性質に逆らった挙動をするに至ったものである。
なかには、女で生まれつき気が荒く、言葉が巧みで、夫が温順なのに乗じて、尻の下に敷くという悪いふるまいの人もなくはないが、それは百人中の一、二人で、その少ない者をもって議論の根拠とすることはできないだろう。
とにかく、世の中のすべての女の情を考えると、初めから夫をののしり辱しめ、尻の下に敷いて嬶(かかあ)天下の権威を振り回そうと欲している者はない。
男の言行が道理に背き、道を誤って、我儘勝手に権柄を振り回したために、激昂させられて、あの反動の力を出したものなのである。
これをものに譬えれば、男は風で、女は水である。
風が和やかなら、水もまた穏やかである。
波が荒れて舟を覆すのは、風の罪といえよう。
そうはいっても、女は水だから風の吹くままに従うのが本来の性質だというのではない。
ただ、この段の根拠としただけだ。
ゆえに、前段でも述べたように、男が女を圧しつけることの道理のなさを知って、やさしく情のある世となったなら、風は和らぎ、波は穏やかで、謡曲「高砂」にいう四海波静かで枝も鳴らさず、尉と姥の年齢まで睦まじく世を送る者ばかりになるだろう。
世の男という人々は戒めあって、あの反動の力を恐れなさい。
前述のような道理によって、男は従来手に握っている権柄を打ち捨て、女に対して同等の礼をもってし、そのすべての権利を返し与えるに至るなら、女はあの反動や激昂の不徳を離れ、男や夫を敬愛し、男女が互いにその権利を保護し、男は女の権利を重んじ、女は男の権利を重んじて、互いに侵しあって侮り、狎れあって犯すこともない。
心は余裕があり、言葉は和らぎ、命令は改まって相談となり、相談は熟して一家の和睦となり、論争や言い争いは後を絶って、台所のすりこ木、すり鉢は依然としてその場所にあり、ランプ、コップも普通の粗相のほかは壊れることがなくなるだろう。
このようになると、一家の内は常に喜ばしく楽しみあい、人間の最上の幸福を得ることは疑いようがない。
実に喜ばしく、めでたい限りではないか。
ところが、今の世の男たちは世の風俗や習慣に蔽われて、このような楽しい境遇が世にあることに気もつかず、ただ自分の権力を押し広めて、その道理がなく、情がない場合において快楽を求め、幸福を得ようと欲しているのは、大きな誤りではないだろうか。
そのうえ、自分は頑なに昔からの風俗や今の習慣に馴染んだままで、深くも考え定めずに、世に少し同権、同等の交際をしている男女がいるのを見ては、これを悪しざまに評し、そしり、辱しめる者があることなどは、ことに嘆くべきことではないだろうか。
ああ、世の男たちよ、あなたたちは口を開けば、改新と言い、改革と言うではないか。
どうしてこの同権の一点においては、旧習を慕っているのか。
低俗な考えかたの連中の言うままに従っているのか。
わが親愛なる姉よ、妹よ、旧弊を改め、習慣を破って、あの心ない男たちの迷いの夢を打ち破りなさい。
(つづく)
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