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樋口一葉「わかれ道」 3

以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。

   

十二月三十日の夜、吉は坂上の得意先へ注文品の納期が遅れたのを詫びに行った。

帰りは、懐手の早足で、裏に板を打ち付けた草履下駄の先にある物を面白そうに蹴り返し、ころころと転げると右に左に追いかけては大溝の中に蹴落として、一人で高笑いしている。

それを聞く者はなく、天上の月はいかにも白々と明るく照らしているが、寒さを知らない体なので、ただ心地よく爽やかだ。

帰りには例の窓を叩こうと思いながら横町を曲がると、いきなり誰かが後ろから追いすがり、両手で吉に目隠しをして忍び笑いをするので、

「誰だ、誰だ」

と指をなでて、

「なんだ、お京さんか。小指の曲がり方でわかる。おどかしても駄目だよ」

と顔を振りのけると、

「憎らしい。当てられてしまった」

と笑い出す。

お京は防寒のお高祖頭巾を目深にかぶり、表裏の模様が異なる風通織の羽織を着て、いつになく贅沢な身なりをしている。

吉三は見上げ見下ろして、

「お前、どこへ行きなすったの。今日明日は忙しくて、おまんまを食べる間もないだろうと言ったではないか。どこへお客様に歩いていたの」

と疑いの目を向けた。

「繰り上げのご年始さ」

と素知らぬ顔をすると、

「嘘を言ってるぜ。三十日の年始を受ける家はないやな。親類へでも行きなすったか」

と聞くので、

「とんでもない親類へ行くような身になったのさ。私は明日あの裏長屋を引っ越すよ。あんまり出し抜けだから、さぞお前、驚くだろうね。私も少し不意なので、まだ本当とも思われない。ともかく喜んでおくれ。悪いことではないから」

と言う。

「本当か、本当か」

と吉はあきれて、

「嘘ではないか、冗談ではないか。そんなことを言っておどかしてくれなくてもいい。俺はお前がいなくなったら、少しも面白いことはなくなってしまうんだから、そんな嫌な冗談はよしておくれ。ええ、つまらないことを言う人だ」

と頭を振る。

「嘘ではないよ。いつかお前が言ったとおり、上等の運が馬車に乗って迎えに来たという騒ぎだから、あそこの裏長屋にはいられない。吉ちゃん、そのうちに絹の揃えを拵えてあげるよ」

「嫌だ。俺はそんなものは貰いたくない。お前、そのいい運というのは、つまらないところへ行こうというのではないか。一昨日、うちの半次さんがそう言っていた。仕立屋のお京さんは八百屋横町で按摩をしている伯父さんの口入れで、どこかのお屋敷へご奉公に出るのだそうだ、なに、小間使いという歳ではなし、奥様付きの女中やお抱えの縫物師のわけはない、三つ輪髷に結って房の下がった被布を着るお妾さんに違いない、どうしてあの顔で仕立屋が通せるものかと、こんなことを言っていた。俺はそんなことはないと思うから、聞き違いだろうと言って大喧嘩をやったんだが、お前、もしやそこへ行くのではないか。そのお屋敷へ行くんだろう」

「なにも私だって行きたいことはないけれど、行かなければならないのさ。吉ちゃん、お前にも、もう会えなくなるねえ」

と淡々と言うが、しおれて聞こえるので、

「どんな出世になるのか知らないが、そこへ行くのは止したらいいだろう。なにもお前、女ひとりの暮らしが針仕事で通せないこともなかろう。あれほどの腕前を持っていながら、なぜそんなつまらないことを考え始めたのか。あんまり情けないではないか」

と、吉は自らの清廉と比べて、

「お止しよ、お止しよ。断っておしまいな」

と言う。

「困ったね」

とお京は立ち止まって、

「それでも、吉ちゃん、私は洗い張りに飽きがきて、もうお妾でも何でもいい、どうせこんなつまらないづくめだから、いっそ、腐れ縮緬を着て生きていこうと思うのさ」

思い切ったことを思わず言って、

「ほほ」

と笑ったが、

「ともかく家へ行こうよ。吉ちゃん、少しお急ぎ」

と言われ、

「なんだか俺は少しも面白いとは思えない。お前、まあ先にお行きよ」

と後について、地上に長く延びた影法師を心細げに踏んでいく。

いつしか傘屋の路地を入って、例の窓の下に立つと、

「ここを毎夜訪れてくれたけれど、明日の晩はもう、お前の声も聞けない。世の中って嫌なものだね」

とため息をつくので、

「それはお前の自業自得だ」

と不満らしく吉三が言った。

お京は家に入るとすぐランプに火を点して、火鉢を掻き起こし、

「吉ちゃんや、おあたりよ」

と声をかけたが、

「俺は嫌だ」

と柱際に立っている。

「それでも、お前、寒いだろう。風邪を引くといけない」

と注意すると、

「引いてもいいやね。構わずにおいておくれ」

と下を向いている。

「お前はどうかおしか、なんだかおかしな様子だね。私の言うことが何か癇にでも障ったの。それならそうと言ってくれたらいい。黙ってそんな顔をしていられると、気になって仕方がない」

と言うと、

「気になんぞかけなくてもいいよ。俺も傘屋の吉三だ、女のお世話にはならない」

と、寄りかかった柱に背をこすっている。

「ああ、つまらない、面白くない。俺は本当に何というのだろう。いろいろな人がちょっといい顔を見せて、すぐにつまらないことになってしまうんだ。傘屋の先代のお婆さんもいい人だったし、紺屋のお絹さんという縮れっ毛の人も可愛がってくれたんだけれど、お婆さんは中風で死ぬし、お絹さんはお嫁に行くのを嫌がって、裏の井戸へ飛び込んでしまった。お前は人情なしで俺を捨てていくし、もう何もかもつまらない。なんだ、傘屋の油引きになんぞ、百人前の仕事をしたからって褒美の一つも出るではなし、朝から晩まで一寸法師の言われ続けで、それだからといって、一生たってもこの背が伸びようかい。待てば甘露というけれど、俺なんぞには毎日嫌なことばかり降ってきやがる。一昨日、半次の奴と大喧嘩をやって、お京さんだけは人の妾に出るような、はらわたの腐ったのではないと威張ったのに、五日と経たずに兜を脱がなければならないんだろう。そんな嘘っつきの、ごまかしの、欲の深いお前さんを姉さん同様に思っていたのが口惜しい。もう、お京さん、お前には会わないよ。どうしてもお前には会わないよ。長々お世話さま。ここからお礼を申します。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。もう誰のことも当てにするものか。さようなら」

そう言って立ち上がり、沓脱の草履下駄に足を引っ掛けると、

「ああ、吉ちゃん。それはお前、勘違いだ。なにも私がここを離れるからって、お前を見捨てたりしない。私は本当に姉弟のように思っているんだもの。そんな愛想づかしはひどいだろう」

と、後ろから羽交い絞めに抱き止めて、

「気の早い子だね」

とお京が諭す。

「そんなら、お妾に行くのを止めにしなさるか」

と振り返られて、

「誰も願って行くところではないけれど、私はどうしてもこうと決心しているんだから、それはせっかくだけれど、聞かれないよ」

と言う。

吉は涙目で見つめて言った。

「お京さん、お願いだから、肩の手を離しておくんなさい」

(おわり)

樋口一葉「わかれ道」 2

以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。

   

今は亡くなった傘屋の先代に、太っ腹のお松という一代で財をなした女相撲のような老婆がいた。

寺参りの帰りに角兵衛の子どもを拾ってきたのは、六年前の冬のことだ。

「いいよ、親方がやかましく言ってきたら、そのときのこと。可哀想に足が痛くて歩けないと言うと、仲間の意地悪が置き去りにして捨てていったという。そんなところへ帰るに当たるものか。少しもおっかないことはないから、私の家にいなさい。皆も心配することはない。なんの、この子ぐらいの者の二人や三人、台所へ飯台を並べておまんまを食べさせるのに文句がいるものか。年季奉公の証文を取った奴でも、行方をくらます者もいれば、持ち逃げするケチな奴もいる。心がけ次第のものだわな。いわば、馬には乗ってみよ、さ。役に立つか立たないか、置いてみなけりゃ知れはせん。お前、新網へ帰るのが嫌なら、この家を死に場と決めて、勉強をしなけりゃあならないよ。しっかりやっておくれ」

そう言い含められた日から、吉や、吉やと慈しまれて、一心に励んできた。

今では油引きで大人三人分を一手に引き受け、鼻歌まじりにやってのける腕を見る者は、さすが先代は見る目があったと亡き老婆をほめている。

恩人は二年目に亡くなって、今の主人もお内儀さんも息子の半次も気に食わない者ばかりだが、ここを死に場と決めた以上は、嫌だといっても今さらどこに行けるだろう。

体は癇癪で筋や骨が縮まったのか、人から一寸法師、一寸法師と悪く言われるのも口惜しいのに、

「吉や、てめえは親の命日になまぐさ物を食ったろう。ざまあみろ。回りの回りの小仏」

と子どもの遊び歌を持ち出して、仲間の洟垂れ小僧に仕事の上の仇を返される。

握り拳で撲り倒す勇気はあるが、本当に父母がいつ亡くなって、いつが精進日ともわからない身の上を心細く思っては、干場の傘の陰に隠れ、大地を枕に仰向きに寝て、こぼれる涙を飲み込むのは悲しいことだ。

年中着通しの油光りする紺木綿の筒袖を振って、気性の激しい子だと町内で怖がられる乱暴ぶりも、慰める人のない胸苦しさのあまりのことで、少しでも優しい言葉をかけてくれる人がいれば、しがみついて取り付いて離れがたい思いがする。

仕立屋のお京は、今年の春からこの裏長屋へ越してきたが、物事に機転が利いて、長屋中への付き合いもよく、大家である傘屋の者にはことさら愛想を見せた。

「小僧さんたち、着物にほころびでもできたら、私の家へ持っておいで。傘屋さんは多人数で、お内儀さんが針を持っていらっしゃる暇はないだろう。私はいつでも仕事だし、畳紙(たとう)と首っ引きだから、ほんの一針くらい造作はない。一人住まいの相手なしで、毎日毎夜さびしく暮らしているから、手の空いたときには遊びにも来てください」

「私はこんなあけっぴろげな気性だから、吉ちゃんのような暴れん坊さんが大好き。癇癪が起こったときには、表の米屋の白犬を撲ると思って、私の家の洗い返しの着物をつや出しの小槌で打ちにでも来てください。それなら、お前さんも人に憎まれず、私のほうでも大助かり。本当に両方のためになることだから」

そう冗談まじりに言い、吉三がいつの間にか心安く、お京さん、お京さんと入り浸っているのを、職人たちがからかっては、歳の離れた帯屋長右衛門とお半をもじって、

「帯屋の大将とあべこべだ。桂川の道行の場面では、『お半の背中(せな)に長右衛門』と床浄瑠璃に歌わせて、あの帯の上にちょこなんと乗って出るか。こいつはいい茶番だ」

と笑っている。

「男なら真似てみろ。仕立屋の家へ行って、茶棚の奥の菓子鉢の中に、今日は何がいくつあるかまで知っているのは、たぶん俺しかいないはずだ。質屋の禿げ頭め、お京さんに首ったけで、仕事を頼むの何がどうしたのと小うるさく入り込んでは、前掛けだの半襟だの帯の表の布地だのと贈り物をして、ご機嫌を取ってはいるけれど、ついぞ喜んだ挨拶をされたことはない。まして夜でも夜中でも、傘屋の吉が来たとさえ言えば、寝間着のままで格子戸を開けて、今日は一日遊びに来なかったね、どうかおしか、心配していたんだからと、手を取って引き入れられる者がほかにいようか。お気の毒様なこったが、うどの大木は役に立たない。山椒は小粒で珍重される」

そう見下して言うと、

「この野郎め」

と背中をひどく撲られ、

「ありがとうございます」

と済ました顔をしている。

背丈さえあれば冗談といっても許されないだろうが、一寸法師の生意気とつまはじきにしては、いいなぶりものにし、煙草休みの話の種にしていた。

(つづく)

樋口一葉「わかれ道」 1

樋口一葉「わかれ道」(初出:『国民之友』明治29年1月付録「藻塩草」)の現代語訳です。

以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。

   

「お京さん、いますか」

と窓の外に来て、とんとんと羽目板を叩く音がする。

「誰だい。もう寝てしまったから、明日来ておくれ」

と嘘を言うと、

「寝たっていいやね。起きて開けておくんなさい。傘屋の吉だよ、俺だよ」

と少し声を大きくして言う。

「嫌な子だね。こんな遅くに何を言いに来たのか、またお餅のおねだりか」

と笑って、

「いま開けるよ。ちょっと辛抱おし」

と言いながら、仕立てかけの縫物に針止めをして立つのは、二十歳過ぎの意気な女だ。

多い髪を忙しい折だからと頭に巻き付けただけで、少し長めの八丈紬の前掛けに、ひどく着古したお召縮緬の半纏を着ている。

急ぎ足で沓脱(くつぬぎ)へ下りて格子戸に添った雨戸を開けると、

「お気の毒さま」

と言いながらすっと入るのは、一寸法師とあだ名のある町内の暴れ者で、傘屋の吉という持てあましの小僧だ。

歳は十六だが、ちょっと見たところは十一歳か十二歳のようだ。肩幅が狭く、顔は小さく、目鼻立ちはきりっとして利口そうだが、いかにも背が低いので、人が嘲ってあだ名を付けている。

「ごめんなさい」

と火鉢の傍へづかづかと上がるので、

「お餅を焼くには火が足りないよ。台所の火消壷から消し炭を持ってきて、お前が勝手に焼いてお食べ。私は今夜中にこれを一枚仕上げなければならない。角の質屋の旦那さんの御年始着だから」

と針を手に取った。

吉が

「ふふん。あの禿げ頭には惜しいものだ。仕立て下ろしを俺でも着てやろうか」

と言うので、

「馬鹿をお言いでない。他人の仕立て下ろしを着ると、出世ができないと言うじゃないか。今から伸びることができなくちゃ仕方がない。そんなことはよその家でもしてはいけないよ」

と注意する。

「俺なんぞご出世は願わないんだから、他人の物だろうが何だろうが、着てやるだけ得さ。お前さん、いつかこう言ったね。運が向いてきたら、俺に絹の着物を拵えてくれるって。本当に拵えてくれるかい」

真面目な顔になって聞くと、

「それは拵えてあげられるようなら、おめでたいんだもの、喜んで拵えるがね。私のなりを見ておくれ、こんなありさまで人様の縫物をしている境遇じゃないか。まあ、夢のような約束さ」

と言って笑っている。

「いいよ、それは。できないときに拵えてくれとは言わない。お前さんに運が向いてきたときのことさ。まあ、そんな約束でもして喜ばしておいておくれ。こんな野郎が羽織も着物も絹の揃えを着たところで、面白くもないけれども」

淋しそうな笑顔を見せるので、

「そんなら、吉ちゃん。お前が出世するときには私にもしておくれか。その約束も決めておきたいね」

と微笑んで言う。

「そいつはいけない。俺はどうしても出世なんぞはしないんだから」

「なぜ」

「なぜでもしない。誰かが来て、無理矢理に手を取って引き上げても、俺はここにこうしているのがいいんだ。傘屋の油引きが一番いいんだ。どうせ紺の木綿の筒袖に三尺帯を背負って産まれてきたんだろうから、柿渋を買いに行くとき、代金をちょっとごまかして、吹き矢の一本でも当たりを取るのがいい運さ。お前さんなんぞは元が立派な人だというから、今に上等の運が馬車に乗って迎えに来るのさ。だけれども、お妾になるって意味じゃないぜ。悪く取って怒らないでおくれよ」

と、炭火をいじりながら身の上を嘆くので、

「そうさ。馬車の代わりに火の車でも来るんだろう。胸が怒りで燃えることがずいぶんあるからね」

と、お京は物差しを杖に振り返って、吉三の顔をじっと見た。

いつものように台所から炭を持ち出して、

「お前は食いなさらないか」

と聞くと、

「いいえ」

とお京は首を振る。

「じゃあ、俺だけご馳走になろうかな。本当にうちのケチな奴らめ、やかましい小言ばかり言いやがって、人を使う方法も知りやがらない。死んだお婆さんはあんなではなかったけれど、今の奴らときたら一人として話せるのはいない。お京さん、お前はうちの半次さんを好きか。ずいぶん嫌味で、思い上がった奴じゃないか。親方の息子だけれど、俺はあいつだけはどうしても主人とは思えない。機会があるたび、喧嘩をしてやり込めてやるんだが、ずいぶん面白いよ」

と話しながら、金網の上に餅をのせて、

「おお、熱っ」

と指先を吹いた。

「俺はどうも、お前さんのことが他人のように思えないのは、どうしてだろう。お京さん、お前は弟を持ったことはないのか」と聞かれて、「私は一人っ子で兄弟はいないから、弟も妹も持ったことは一度もない」

と言う。

「そうかなあ。それじゃあ、やっぱり何でもないんだろう。どこからか、こう、お前のような人が俺の血のつながった姉さんだとか言って出てきたら、どんなに嬉しいか。首っ玉にかじり付いて俺はそれきり往生しても喜ぶんだが、本当に俺は木の股からでも出てきたのか、ついぞ親類らしい者に会ったこともない。それだから、何度も何度も考えては、俺はもう一生誰にも会うことができないくらいなら、今のうちに死んでしまったほうが気楽だと考えるがね。それでも欲があるから可笑しい、ひょっくり変てこな夢なんかを見てね。普段優しいことの一言でも言ってくれる人が、お袋や親父や姉さんや兄さんのように思われて、もう少し生きていようかしら、もう一年も生きていたら、誰か本当のことを話してくれるかと楽しんでね。面白くもない油引きをやっているが、俺みたいな変な者が世間にいるだろうかねえ。お京さん、お袋も親父も、からっきし当てがないんだよ。親なしで産まれてくる子がいようか、俺はどうしても不思議でならない」

焼きあがった餅を両手で叩きつつ、いつも言うところの心細さを繰り返すので、

「それでも、お前、笹の蔓模様の錦のお守り袋というような証拠はないのかい。何か手掛かりはありそうなものだね」

とお京が言う。

それを打ち消して、

「なに、そんな気の利いたものはありそうにもない。生まれるとすぐに橋のたもとに貸赤子に出されたんだなどと、作業場の奴らが悪口を言うが、もしかするとそうかもしれない。それなら俺は乞食の子だ。お袋も親父も乞食かもしれない。表を通る襤褸(ぼろ)を下げた奴がやっぱり俺の親類一族で、毎朝決まって貰いにくる足と目が悪いあの婆あなんかが、俺にとって何に当たるか知れはしない。話さなくてもお前はたいてい知っているだろうけれど、今の傘屋に奉公する前は、やっぱり俺は角兵衛の獅子をかぶって芸をして歩いていたんだから」

としおれている。

「お京さん、俺が本当に乞食の子なら、お前は今までのように可愛がってはくれないだろうか。振り向いて見てはくれまいね」

と言うので、

「冗談をお言いでない。お前がどんな人の子でどんな身の上か、それは知らないが、どんな境遇だからって嫌がるとか嫌がらないとかいうことはない。いつものお前らしくない情けないことをお言いだけれど、私がお前なら、非人でも乞食でも少しも構いはしない。親がなかろうが兄弟がどうだろうが、自分ひとり出世をしたらよかろう。なぜそんな意気地のないことをお言いだい」

と励ますと、

「俺はどうしても駄目だよ。何にもしようとも思わない」

と下を向いて顔を見せなかった。

(つづく)

樋口一葉「大つごもり」 2

   

石之助という山村の総領息子は、妹たちとは母が違ううえに父親の愛も薄く、これを養子に出して家督は妹に婿をとって継がせようという相談を、十年前から耳に挟んで面白くない。

今の時代に江戸時代のような勘当ができないのは幸いだ、思い切り遊んで継母が泣くのを見てやろうと、父親のことは忘れ、十五の春から悪行を始めた。

男ぶりに渋みがあって、利発そうなまなざし、色は黒いけれど、いい感じだと、近隣の娘たちの噂も聞こえるが、ただ乱暴なばかりで、品川の遊郭に足は向けても、騒ぎはその場限りである。

夜中に人力車を飛ばして、車町のごろつきたちを叩き起こし、「それ、酒を買え、肴を買え」と財布の底をはたいて、無理を通すのが道楽だった。

「しょせん石之助に相続させるのは、石油蔵へ火を入れるようなものですよ。身代は煙になって、消え残った私たちはどうしようもありません。あとの娘たちも不憫です」

と、継母は父に絶え間なく訴える。

「そうかといって、この放蕩息子を養子にと申し受ける人もないだろう。とにかく有り金のいくらかを分けて、若隠居の別戸籍に」

と、内々の相談は決まっていたが、本人はうわの空に聞き流して、その手には乗らない。

「分配金は一万円、隠居手当を月々寄越して遊興の邪魔をせず、父上が亡くなったら親代わりの俺を兄上と奉じて、かまどの神に供える松の木一本についても俺のご意向を聞くつもりなら、いかにも別戸籍のご主人になって、この家のためには働かなくても自由。それでよろしければ、仰せのとおりになりましょう」

と、どうでも嫌がらせを言って困らせている。

昨年に比べて長屋も増えた、所得は倍になったと、世間の口から我が家の様子を知って、

「笑わせる。そんなに増やして誰のものにする気だ。火事は灯明の皿からも出るものだ。総領と名乗る火の玉が転がっているとは知らないのか。今に巻き上げて、お前たちにいい正月を迎えさせるぞ」

と、伊皿子あたりの貧乏人を喜ばせ、大晦日に大酒を飲む場所も決めた。

「ほら、兄様が帰ってきた」

と言うと、妹たちは怖がって腫れ物のように触る者もなく、何でも言うことが通るので、一段とわがままを募らせ、こたつに両足を突っ込んで、

「酔いざましの水だ、水」

と、狼藉もこれで頂点を迎えた。

憎いと思っても、さすがに義理の仲は難しいものか、継母は陰での毒舌を隠し、風邪をひかないように抱巻(かいまき)や枕まであてがい、明日の支度のむしり田作(ごまめ)も

「人にさせると粗末にする」

と聞えよがしに言い、倹約ぶりを枕元に聞かせていた。

正午も近づいたので、お峯は伯父への約束が心配になり、奥様のご機嫌を見はからう暇もないので、わずかに手が空いた隙に頭の手拭いを丸め、

「この間からお願いしておりましたこと、お忙しい折から申し訳ございませんが、今日の昼過ぎにと先方へ約束した期限のあるお金だそうで。お助けいただけますなら、伯父も幸い、私もうれしく、いつまでもご恩に着ます」

と手をすって頼んだ。

最初に申し出たとき、あやふやながら、結局は承知したという言葉を頼みに、次のご機嫌が難しかったので、うるさく言ってはかえってどうかと今日まで我慢していたが、約束は今日という大晦日の昼前、忘れたのか何とも仰せのない心もとなさである。

自分には身に迫った大問題と、言いにくいのを我慢して再度こう申し出ると、奥様は驚いたようなあきれ顔をして、

「それはまあ、何のことやら。なるほどお前の伯父さんの病気、続いて借金の話も聞きましたが、今すぐに私の家から立て替えようとは言わなかったはず。それはお前の何かの聞き違い。私は少しも覚えていませんよ」

と、これがこの人の十八番とは、なんとまあ情けない。

花紅葉の模様を美しく仕立てた娘たちの晴着を、襟を揃え、裾を重ねて、眺めたり眺めさせたりして楽しみたいのに、邪魔者の総領息子の目がうるさい。

早く出ていけ、さっさといなくなれという思いは、口にこそ出さないが、持ち前の癇癪は心中に隠しておくことができず、徳の高いお坊様がご覧になれば、憎悪の炎に包まれて体は黒く煙り、心は狂乱しているときに、よりよって金の話とは、毒になるばかりである。

今も承知した覚えはあるが、何のかまっていられようかと、

「おおかた、お前の聞き違い」

と言い切り、煙草の煙を輪に吹いて、

「私は知らない」

と済ましている。

ええ、大金でもあるものか。金は二円。しかも、自らの口で承知しておきながら、十日と経たないうちに耄碌はなさるまい。ああ、あの懸け硯の引き出しにも、「これは手つかずの分」と一束、十枚か二十枚か入れていた。全部とは言わない。たった二枚で伯父は喜び、伯母は笑顔になる。三之助に雑煮の箸も取らせられると言われたのを思っても、どうしても欲しいのはあの金だ。恨めしいのは奥様だ、

と思っても、お峯は口惜しさにものも言えず、普段からおとなしくては、理屈詰めでやり込める術もなく、すごすごと台所に立つと、正午の号砲の音も高らかに、このようなときは殊更胸に響くものである。

「お母様にすぐにお出でくださるよう。今朝からのお苦しみで、ご予定は午後です。初産なので旦那様もおろおろとお騒ぎになって、お年寄りのいらっしゃらない家ですから混乱ぶりはお話になりません。今すぐお出でを」

と、生死の分け目という初産に、西応寺の娘の元から迎えの車が来た。

こればかりは、大晦日でも遠慮ができないものである。

家の中には金があり、放蕩息子が寝てもいる。

心は二つ、体は分けられないので、娘への愛情の重さに引かれて車には乗ったが、このようなときに気楽な夫の心根が憎らしく、

「なにも今日、沖釣りなどに行かなくても」

と、頼りにならない太公望をつくづく恨んで、奥様は出ていった。

行き違いに、三之助が、ここと聞いた白金台町を間違いなく訪ねてきた。

自分のみすぼらしい身なりに姉の肩身を思いやり、勝手口からこわごわ覗くと、かまどの前で泣いていたお峯が、誰か来たかと涙を隠し、三之助がいることに気づいた。

ああ、よく来たね、とも言えない事態をどうすればよいだろう。

「姉さん、入っても叱られませんか。約束のものは貰っていけますか。旦那様や奥様によくお礼を申して来いと父さんが言っていました」

と、事情を知らずに喜んでいる顔を見るのもつらい。

「まあまあ、待ってちょうだい。少し用もあるから」

と走っていって内外を見回すと、お嬢様方は庭に出て羽つき遊びに余念がなく、小僧さんはまだお使いから帰らず、針仕事の女は二階にいて、しかも耳が聞こえないから問題はない。

若旦那は、と見ると居間のこたつで、今まさに夢の真っ最中だ。

拝みます、神さま仏さま。私は悪人になります。なりたくはないけれど、ならねばなりません。罰をお当てになるなら、私一人。使っても、伯父や伯母は知らないことなので、お許しください。恐れ多いことですが、このお金、盗ませてください。

と、かねて知った硯の引き出しから、束のうち二枚だけをつかんだ後は無我夢中で、三之助に渡して帰した一部始終を見た人がないと思ったのは愚かだったか。

その日も暮れ近く、旦那様が釣りから恵比寿様のような笑顔でお帰りになると、奥様も続いて帰宅し、安産の喜びから送りの車夫にまで愛想よく、

「今夜の仕事を済ませたら、また見舞いに行きます。明日は早くに妹たちの誰かを一人は必ず手伝いに行かせると言ってください。さてさて、ご苦労さま」

と、ろうそく代などをやっている。

「やれ、忙しい。誰か暇な体を半分でも借りたいものだ。お峯、小松菜は茹でておいたかい。数の子は洗ったかい。大旦那はお帰りになったかい。若旦那は」

と、最後は小声に、「まだ」と聞いて額にしわを寄せた。

石之助はその夜はおとなしく、

「新年は、明日からの三が日でも、我が家で祝うべきだが、ご存じのていたらくです。堅苦しい袴連中に挨拶するのも面倒だし、お説教も実は聞き飽きました。親類に美人もいないので見たい気にならず、裏長屋の友達のところで今夜約束もあるので、ひとまずお暇するとして、またの機会に頂戴ものの数々はお願いします。折からおめでたい矢先、お歳暮にはいくらくださいますか」

と、朝から寝込んで父の帰りを待っていたのは、このためである。

子は三界の首かせというが、まことに放蕩息子を持つ親ほど不幸な者はない。

切ることができない血縁というと、できる限りの悪戯を尽くし、身を持ち崩して落ち込むのはこの淵で、知ったことではないと言っても、世間は許さないので、家名惜しさと自らの体面のために、開きたくない蔵も開くのである。

それを見越して石之助が、

「今夜が期限の借金があります。人の保証人になって判を押したものもあれば、花札の場が荒れて、ごろつき仲間にやるものをやらないと納まりがつかないものもあり、私は仕方ないが、父上のお名前に傷が付くと、申し訳が立ちません」

などと、つまりは金が欲しいと聞こえる。

継母は、大方こんなことだろうと今朝から懸念したことが現実になり、いくらねだるか、甘い旦那様の対応を歯がゆく思ったが、自分も口では勝ち目のない石之助の弁舌に、お峯を泣かせた今朝とは変わって、夫の顔色はどうかとばかり、たびたび目だけで後ろを窺っているのが恐ろしい。

父は静かに金庫の間へ立ったが、やがて五十円の束を一つ持ってきて、

「これは貴様にやるのではない。まだ縁づかない妹たちが不憫で、姉の夫の顔にもかかるからだ。この山村は、代々堅気一方に正直律儀を奉じて、悪い噂を立てられたこともないが、悪魔の生まれ変わりか、貴様という悪者ができた。金に困って無分別に人の懐でも狙うようになれば、恥は私一代にとどまらない。重いといっても、身代は二の次、親きょうだいに恥をかかせるな。貴様に言っても甲斐はないが、普通ならば山村の若旦那として、世間で要らぬ悪評も受けず、私の代わりに年始の挨拶もして、少しは役に立っているはず。それを、六十近い親を泣かせるとは罰当たりではないか。子どもの頃には少しは本も読んだ奴が、なぜこんなことがわからない。さあ、行け、帰れ。どこへでも帰れ、この家に恥をかかせるな」

と言って、父は奥に引っ込み、金は石之助の懐に入った。

「お母様、御機嫌よう。よいお年をお迎えくださいませ。それでは、参ります」

と、わざとうやうやしく暇乞いし、

「お峯、下駄を出せ。お玄関からお帰りではない、お出かけだぞ」

と図々しく大手を振って、行く先はどこか、父の涙も石之助の一夜の騒ぎで夢と消えるであろう。

持つべきでないのは放蕩息子、持つべきでないのは放蕩を仕立てる継母である。

塩こそまかないものの、跡をひとまず掃き出して、若旦那の退散を喜び、金は惜しいが見るだけでも腹が立つので、家にいないのは上々である。

「どうすればあのように図太くなれるのか。あの子を産んだ母親の顔が見たい」

と、奥様は例によって毒舌を磨いた。

お峯には、こうした出来事も耳に入るどころではない。

犯した罪の恐ろしさで、さっきの仕業は本当に自分がしたのかと、いまさら夢を思い出すようである。

思えば、このことがばれずに済むだろうか。多くの中の一枚とはいえ、数えればすぐにわかるものを、お願いしたのと同じ額が手近な場所でなくなれば、私だって疑いは私に向けるだろう。調べられたら、どうしよう、何と言おう。言い逃れるのは罪深い。白状すれば伯父の上にも疑いがかかる。自分の罪は覚悟の上だが、真面目な伯父様にまで濡れ衣を着せれば、晴らせないのが貧乏人のならい。貧乏だから盗みもすると人が言いはしないか。ああ、どうしたらいいだろう。伯父様に傷がつかないよう、私が突然死ぬ方法はないだろうか。

と目は奥様の挙動を追い、心は懸け硯のもとをさまよった。

大勘定といって、今夜はあるだけの金をまとめ、封じ目に印を押す。奥様が「そう、そう」と思い出し、

「懸け硯に、先ほど屋根屋の太郎に貸し付けた戻り、あれが二十円ありました。お峯、お峯、懸け硯をここへ」

と奥の間から呼ばれたときは、もはや自分の命はないものと覚悟した。

大旦那の目の前で、初めからの事情を申しあげ、奥様の無情をそのまま言ってのけ、何の細工もせずに、正直であることこそ私の守るべきことだ。逃げも隠れもせず、欲しくはありませんが、盗みましたと白状はしましょう。伯父様が共犯でないことだけは、どこまでも主張して、聞き入れてもらえなければ仕方がない。その場で舌を噛み切って死ねば、命に代えて嘘だとは思われないだろう。

そうと度胸は座ったが、奥の間へ行く気持ちは屠殺場へ引かれていく羊のようである。

お峯が引き抜いたのは二枚のみ、残りは十八枚あるはずだが、どうしたのか、束ごと見つからないといって底を返して振ってみたが、ないものはない。

怪しいことに、ひらりと落ちた紙切れは、いつの間に書かれたのか受け取り状である。

  引き出しの分も拝借いたしました 石之助

さては、放蕩息子かと一同顔を見合わせて、お峯への取り調べはなかった。

お峯の孝行心があり余って、知らないうちに石之助の罪になったのか、いやいや、お峯の罪を知ってついでにかぶった罪かもしれない。

ならば、石之助はお峯を守ってくれた仏だろう。

後のことが知りたいものである。

(おわり)

樋口一葉「大つごもり」 1

樋口一葉「大つごもり」(初出:『文学界』明治27年12月)の現代語訳です。

   

井戸は滑車つきで、綱の長さは約二十二メートル、台所は北向きで師走の空のからっ風がひゅうひゅうと吹き抜ける寒さである。

「ああ、我慢できない」

と、かまどの前で火加減を見る一分も一時間のように言われ、些細なことも大げさに叱り飛ばされる下女の身は辛いものだ。

はじめ、周旋屋のお婆さんの言葉では、

「お子様方は男女六人。けれども、いつも家にいらっしゃるのは総領息子と末のお二人。奥様は少し気まぐれだが、目の色、顔の色をのみ込んでしまえば大したこともなく、結局はおだてに乗るたちだから、お前の出かた一つで半襟、半がけ、前垂の紐にも事欠くことはないだろう。ご身代は町内一で、その代りケチなことも一番だが、さいわい大旦那が甘いほうだから、少しは小遣いももらえるだろう。嫌になったら、私のところまで葉書一枚お出し。細かいことは要らない。よその口を探せというなら、手間は惜しまない。結局、奉公のこつは裏表の使い分けだよ」

と言って聞かされ、なんとも恐ろしいことを言う人だと思ったが、何であれ自分の心がけ一つだから、またこの人のお世話にはならないようにしよう、仕事大事に骨さえ折れば、気に入られないこともないはずと覚悟して、このような鬼の主人を持ったのである。

挨拶が済んで三日後、七歳になるお嬢様が踊りの発表会に午後から行くという。

その支度には、朝風呂を沸かし、磨きあげておくようにと言われ、霜が凍る早朝、暖かい寝床の中から奥様が煙草盆の灰落としを叩き、

「これ、これ」

と、この声が目覚まし時計より胸に響いて、三言目が呼ばれる前に、帯より先にたすきを掛ける甲斐甲斐しさで、井戸端に出ると月の光が流しに残り、肌を刺すような風の冷たさに夢も吹き飛んだ。

風呂は据え付けで大きくはないが、二つの手桶に溢れるほど水を汲み、十三回は入れなければならない。

汗だくになって運んでいるうち、歯が歪んだ水仕事用の下駄の竹皮を巻いた鼻緒がゆるゆるになって、指を浮かさないと脱げそうになった。

その下駄で重い物を持っているので、足元がおぼつかず、流し元の氷で滑り、あっと言う間もなく横転したので、井戸の側面でむこう脛を強く打って、かわいそうに、雪も恥じらう白い肌に紫のあざが生々しくできた。

手桶もそこに投げ出して、一つは無事だったが、もう一つは底が抜けた。

この桶の値段がいかほどかは知らないが、これで身代が潰れるかのように、奥様の額際に立った青筋が恐ろしく、朝食のお給仕から睨まれ、その日一日ものもおっしゃらない。

翌日からは、箸の上げ下ろしに、

「この家の物は、ただでは出来ない。主人の物だと思って粗末に扱ったら、罰が当たるよ」

と小言を繰り返し、来る人ごとに話されては若い者には恥ずかしく、その後は何をするにも念を入れ、ついに粗相をしないようになった。

「世間に下女を使う人も多いけれど、山村ほど下女が替わる家もないだろう。月に二人は常のこと。三、四日で帰った者もいれば、一夜で逃げ出した者もいるだろう。使い始めからを尋ねたら、あのおかみさんの指を折る袖口が案じられる。思えば、お峯は辛抱者だ。あの娘に酷く当たったら、たちどころに天罰が下って、今後は東京広しといえども、山村の下女になる者はないだろう。感心なものだ。見事な心がけだ」

と誉める者もいれば、

「第一、器量が申し分なしだ」

と、男はじきにこれを言った。

たった一人の伯父が秋から病気になり、商売の八百屋もいつしか閉めて、同じ町内でも裏長屋に住むことになったと聞いたが、気難しい主人を持つ身で給金を先に貰えば、この身は売ったも同然である。

見舞いに、と言うこともできないので気が気でないが、お使いに出るわずかの間でも、時計を見当に調べられる厳しさである。

走って抜け出しても、とは思うが、悪事千里というので、せっかくの辛抱が無駄になり、くびにでもなれば、病人の伯父にますます心配をかけ、貧乏な伯父一家に一日でも厄介になるのは気の毒で、そのうちには、と手紙だけをやり、自分は行けないまま、不本意ながら日々を送った。

師走の月は世間一般に気忙しいなか、入念に衣装を選んで着飾り、一昨日出揃ったと聞く団十郎と菊五郎の芝居の、狂言もちょうど面白い新作を、

「これを見逃しては」

と娘たちが騒ぐので、十五日、珍しく家中で見物に行くことになった。

このお伴を嬉しがるのは平常のことで、父母を亡くした後はただ一人の大切な人の病床を見舞いもせず、物見遊山に歩ける身ではない。

ご機嫌を損ねたらそれまで、と遊びの代わりにお暇を願ったところ、さすがは日頃の勤めぶりもあり、翌日になって、

「早く行って早く帰れ」

という気ままな仰せに、

「ありがとうございます」

と言ったか言わないかのうちに、すぐに人力車に乗り、小石川はまだかまだかと、もどかしがった。

初音町といえば名は上品だが、世を嘆く鶯の貧乏町である。

伯父は正直安兵衛といって、「正直の頭(こうべ)に神宿る」という諺どおり、神が宿っていらっしゃるに違いない大ヤカンのような額際をぴかぴかとさせ、これを目印に田町から菊坂あたりにかけて、茄子や大根の御用も勤めていた。

乏しい元手で仕入れて売るので、値が安くて量のあるもの以外、舟形の器に盛った胡瓜や藁で包んだ松茸の初物などは持たず、

「八百安のものは、いつも帳面につけたように同じだ」

と笑われていたが、お得意さまとはありがたいものだ。

まがりなりにも親子三人が暮らせ、三之助という八歳になる息子を一日五厘の小学校に通わせるほどの義務も果たしていたが、世につらさが身に染みるという秋の九月末、急に風が冷たくなった朝に、神田で仕入れた荷を我が家まで担ぎ入れたとたん、発熱に続いて神経痛が出たという。

三ヵ月経った今日まで、商売はいうまでもなく、だんだんと食い減らして天秤棒まで売ることになったので、表通りの店の暮らしも立てがたく、月五十銭の裏長屋で人目を恥じてもいられない。

またの時節を期した引っ越しも、車に乗せるのは病人ばかりという悲惨さで、片手に足りない荷物を提げて、同じ町の隅へと引っ込んだ。

お峯は車から下りて、あちこちと尋ねるうち、凧や風船などを軒に吊るして子どもを集めている駄菓子屋の角で、もしかして三之助が交じっているかと覗いたが、影も見えないのにがっかりして思わず通りを見ると、自分のいる向かい側を痩せぎすの子どもが薬瓶を持って歩く後ろ姿がある。

三之助よりは背も高く、あまりに痩せた子と思ったが、様子が似ているので、つかつかと駆け寄って顔を覗くと、

「やあ、姉さん」

と言う。

「あら、三ちゃんだったの。ちょうどいいところで」

と伴われて行くことになったが、酒屋と焼き芋屋の間の奥深く、溝板のがたがたと鳴る薄暗い裏に入ると、三之助は先に駆け出して、

「父さん、母さん。姉さんを連れて帰った」

と門口から呼び立てた。

「何、お峯が来たか」

と安兵衛が起き上がると、伯母は内職の仕立物に余念のなかった手を止めて、

「まあまあ、これは珍しい」

と手を取らんばかりに喜び、見ると六畳一間に一間の戸棚が一つしかない。

箪笥や長持は以前からあるような家ではないが、見慣れた長火鉢の影もなく、四角い今戸焼を同じ形の箱に入れて、これがそもそも家財道具らしいもので、聞けば米櫃もないという。

なんと悲しいなりゆきだろう、同じ師走の空に芝居を見る人もいるのに、とお峯は早くも涙ぐまれ、

「まあまあ、風が冷たいので、寝ていらっしゃいませ」

と、堅焼煎餅のような布団を伯父の肩にかけた。

「さぞさぞご苦労が多かったでしょう。伯母様もどことなくお痩せになったようですよ。心配のあまり、お体をこわさないでください。それでも、日増しに快方へ向かっていますか。手紙で様子は聞いていても、見ないことには気がかりで、今日のお暇を待ちに待ってやっと出てくることができました。なに、家などはどうでもいいんです。伯父様がご全快なされば、表の店に出るのもわけないことですから、一日も早くよくなってください。伯父様に何かと思いましたが、道は遠いし、気持ちは急くし、車屋の足がいつもより遅いように思われて、ご好物の飴屋の軒も見逃しました。これは少ないけれど、私の小遣いの残りです。麹町のご親類からお客があったとき、そのご隠居様が腹痛を起こして苦しまれ、徹夜で腰をお揉みしたので、前垂でも買えと言ってくださいました。いろいろあちらは堅い家ですが、よそからのお客様が可愛がってくださって、伯父様、喜んでください。勤めにくくもございません。この巾着も半襟も、みんないただきもの。襟は私には地味ですから、伯母様がかけてください。巾着は少し形を変えて、三之助のお弁当の袋にちょうどよいかしら。けれども、学校へは行っていますか。お清書があるなら、姉さんにも見せて」

と、次から次に言葉が続いた。

お峯が七歳のとき、父親が得意先の蔵の工事で足場に上り、壁の中塗りのこてを持ちながら、下にいる人夫に指示をしようと振り向いたとたん、暦に黒星の仏滅という日でもあったのか、長年慣れている足場を誤り、転落した下は敷石の模様替えで、掘り起こして積み上げていた角に頭を強く打ち付けたのでどうしようもない。

「気の毒に、四十二歳の前厄だ」

と人々は後に恐ろしがった。

母が安兵衛の妹なのでここに引き取られ、その母も二年後に流行性感冒で急逝したので、その後は安兵衛夫婦を親として、十八歳の今日までの恩は言うに及ばない。

「姉さん」

と呼ばれると、三之助は弟のように可愛く、

「ここへ来て」

と呼び、背中をなでて顔を覗き、

「さぞ父さんが病気でさびしく、つらいでしょう。お正月もじきだから、姉さんが何か買ってあげるわね。母さんに無理をいって困らせてはだめですよ」

と諭すと、

「困らせるどころか、お峯、聞いてくれ。歳は八つだが、体は大きいし、力もある。わしが寝込んでからは、稼ぎ手はなし、出費は重なる。四苦八苦を見かねたやら、表の塩干物屋の野郎と一緒に、しじみを買い出しては、歩けるかぎり担ぎ売りして、野郎が八銭売れば、十銭の稼ぎは必ずある。一つはお天道様が奴の孝行を見通してか、ともかく薬代は三の働きだ。お峯、ほめてやってくれ」

と、伯父は布団をかぶって涙声になった。

「学校は好きで好きで、今まで世話を焼かしたことはなく、朝ご飯を食べると駆け出して、三時の下校でも寄り道したことはないんですよ。自慢ではないけれど、先生様にもほめられる子を、貧乏だからこそ、しじみを担がせて。この寒空に小さな足に草鞋を履かせる親心、察しておくれ」

と伯母も涙を流した。

お峯は三之助を抱きしめ、

「なんてまあ、どこの誰より親孝行ね。大柄といっても八つは八つ。天秤を担いで痛くない? 足に草鞋で擦り傷はできないの? 堪忍してちょうだい。今日からは私も家に帰って、伯父様を介抱も暮らしの手助けもします。知らなかったとはいえ、今朝まで釣瓶の縄の氷をつらいと思っていたのがもったいない。学校へ行く年頃の子にしじみを担がせて、姉さんが長い着物を着てはいられない。伯父様、お暇(いとま)を取ってください。私はもう奉公は辞めます」

と取り乱して泣いた。

三之助はおとなしく、ぽろぽろと涙がこぼれるのを見せまいとして、うつむいている肩の部分の縫い目はほつれ、布は破れて、この肩に担ぐかと見るのもつらい。

安兵衛はお峯が奉公を辞めると言うと、

「それはもってのほか。気持ちは嬉しいが、帰ったところで、女の働きでは稼ぎも知れよう。そればかりか、ご主人には給金の前借もあり、それ、と言って帰られるものではない。初奉公が肝心だ。辛抱ができずに戻ったと思われてもならないから、ご主人を大事に勤めてくれ。わしの病も長引きはしまい。少しよくなれば、気にも張りが出る、続いて商売もできるわけだ。ああ、あと半月の今年が過ぎれば、新年はよいこともあるはずだ。何事も辛抱辛抱。三之助も辛抱してくれ、お峯も辛抱してくれ」

と涙をぬぐった。

「珍しいお客にご馳走はできないが、好物の今川焼、里芋の煮ころがしなど、たくさん食べろよ」

という言葉が嬉しい。

「苦労はかけまいと思うが、みすみす大晦日に迫っている家の難儀に、胸につかえる病は癪ではない借金だ。そもそも床についたとき、田町の高利貸しから三ヵ月の期限で十円借りた。一円五十銭は天引きの利子だといって、手にしたのは八円五十銭。九月末からだから、今月はどうでも約束の期限だが、この有様ではどうにもならない。額をつき合わせて相談する女房は、賃仕事に指先から血を出して、日に十銭の稼ぎにもならない。三之助に聞かせたところで甲斐はない。お峯の主人は白金台町に貸長屋を百軒も持って、そのあがりだけで普段から立派な服を着て、わしも一度お峯に用事があって門まで行ったが、千円では建たない土蔵に、羨ましい富貴とお見受けした。その主人に一年の奉公。お気に入りの奉公人の少々の頼みごとを、聞かぬとはおっしゃるまい。この月末に借用証書の書き換えを泣きついて、もう一度利息の一円五十銭を払えば、また三ヵ月の延期にはなる。こう言うと欲を張るようだが、大道商人の餅を買ってでも、三が日の雑煮に箸を持たせねば、出世前の三之助に親がいる甲斐もない。晦日までに二円、言いにくかろうが、何とか工面を頼めまいか」

という伯父の頼みに、お峯はしばらく思案して、

「よろしゅうございます。たしかにお引き受けしました。難しければ、お給金の前借にしてでもお願いしましょう。外見と内とは違って、どこでもお金の問題は厳しいけれど、大金ではなし、それだけでこちらの始末がつくのなら、理由を聞いて嫌とはおっしゃらないでしょう。それにつけても、ご機嫌を損ねてはなりませんから、今日は帰ります。次の宿下がりは、正月十六日の薮入り。その頃には、みんなで笑い合いたいものです」

と、この借金を引き受けた。

「金はどうやって寄越す。三之助を貰いにやろうか」

と言うので、

「本当にそうですね。日頃でさえこうなのに、大晦日といったら暇はないでしょう。遠くてかわいそうですが、三ちゃんを頼みます。昼前のうちに必ず必ず支度はしておきます」

と首尾よく引き受け、お峯は帰った。

(つづく)

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