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樋口一葉「わかれ道」 2

以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。

   

今は亡くなった傘屋の先代に、太っ腹のお松という一代で財をなした女相撲のような老婆がいた。

寺参りの帰りに角兵衛の子どもを拾ってきたのは、六年前の冬のことだ。

「いいよ、親方がやかましく言ってきたら、そのときのこと。可哀想に足が痛くて歩けないと言うと、仲間の意地悪が置き去りにして捨てていったという。そんなところへ帰るに当たるものか。少しもおっかないことはないから、私の家にいなさい。皆も心配することはない。なんの、この子ぐらいの者の二人や三人、台所へ飯台を並べておまんまを食べさせるのに文句がいるものか。年季奉公の証文を取った奴でも、行方をくらます者もいれば、持ち逃げするケチな奴もいる。心がけ次第のものだわな。いわば、馬には乗ってみよ、さ。役に立つか立たないか、置いてみなけりゃ知れはせん。お前、新網へ帰るのが嫌なら、この家を死に場と決めて、勉強をしなけりゃあならないよ。しっかりやっておくれ」

そう言い含められた日から、吉や、吉やと慈しまれて、一心に励んできた。

今では油引きで大人三人分を一手に引き受け、鼻歌まじりにやってのける腕を見る者は、さすが先代は見る目があったと亡き老婆をほめている。

恩人は二年目に亡くなって、今の主人もお内儀さんも息子の半次も気に食わない者ばかりだが、ここを死に場と決めた以上は、嫌だといっても今さらどこに行けるだろう。

体は癇癪で筋や骨が縮まったのか、人から一寸法師、一寸法師と悪く言われるのも口惜しいのに、

「吉や、てめえは親の命日になまぐさ物を食ったろう。ざまあみろ。回りの回りの小仏」

と子どもの遊び歌を持ち出して、仲間の洟垂れ小僧に仕事の上の仇を返される。

握り拳で撲り倒す勇気はあるが、本当に父母がいつ亡くなって、いつが精進日ともわからない身の上を心細く思っては、干場の傘の陰に隠れ、大地を枕に仰向きに寝て、こぼれる涙を飲み込むのは悲しいことだ。

年中着通しの油光りする紺木綿の筒袖を振って、気性の激しい子だと町内で怖がられる乱暴ぶりも、慰める人のない胸苦しさのあまりのことで、少しでも優しい言葉をかけてくれる人がいれば、しがみついて取り付いて離れがたい思いがする。

仕立屋のお京は、今年の春からこの裏長屋へ越してきたが、物事に機転が利いて、長屋中への付き合いもよく、大家である傘屋の者にはことさら愛想を見せた。

「小僧さんたち、着物にほころびでもできたら、私の家へ持っておいで。傘屋さんは多人数で、お内儀さんが針を持っていらっしゃる暇はないだろう。私はいつでも仕事だし、畳紙(たとう)と首っ引きだから、ほんの一針くらい造作はない。一人住まいの相手なしで、毎日毎夜さびしく暮らしているから、手の空いたときには遊びにも来てください」

「私はこんなあけっぴろげな気性だから、吉ちゃんのような暴れん坊さんが大好き。癇癪が起こったときには、表の米屋の白犬を撲ると思って、私の家の洗い返しの着物をつや出しの小槌で打ちにでも来てください。それなら、お前さんも人に憎まれず、私のほうでも大助かり。本当に両方のためになることだから」

そう冗談まじりに言い、吉三がいつの間にか心安く、お京さん、お京さんと入り浸っているのを、職人たちがからかっては、歳の離れた帯屋長右衛門とお半をもじって、

「帯屋の大将とあべこべだ。桂川の道行の場面では、『お半の背中(せな)に長右衛門』と床浄瑠璃に歌わせて、あの帯の上にちょこなんと乗って出るか。こいつはいい茶番だ」

と笑っている。

「男なら真似てみろ。仕立屋の家へ行って、茶棚の奥の菓子鉢の中に、今日は何がいくつあるかまで知っているのは、たぶん俺しかいないはずだ。質屋の禿げ頭め、お京さんに首ったけで、仕事を頼むの何がどうしたのと小うるさく入り込んでは、前掛けだの半襟だの帯の表の布地だのと贈り物をして、ご機嫌を取ってはいるけれど、ついぞ喜んだ挨拶をされたことはない。まして夜でも夜中でも、傘屋の吉が来たとさえ言えば、寝間着のままで格子戸を開けて、今日は一日遊びに来なかったね、どうかおしか、心配していたんだからと、手を取って引き入れられる者がほかにいようか。お気の毒様なこったが、うどの大木は役に立たない。山椒は小粒で珍重される」

そう見下して言うと、

「この野郎め」

と背中をひどく撲られ、

「ありがとうございます」

と済ました顔をしている。

背丈さえあれば冗談といっても許されないだろうが、一寸法師の生意気とつまはじきにしては、いいなぶりものにし、煙草休みの話の種にしていた。

(つづく)

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