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樋口一葉「にごりえ」 8

   

お盆を過ぎて数日、まだ盆提灯の光が淋しげな頃、新開の町を出た棺が二つある。

一つは駕籠に乗せられ、一つは棺にかけた縄に棒を通して担がれ、駕籠は菊の井の別宅から忍びやかに出た。

大通りで見ている人が囁き合うのを聞くと、

「あの娘も本当に運の悪い。つまらない奴に見込まれて可哀相なことをした」

と言えば、

「いや、あれは納得ずくだといいます。あの日の夕暮れ、お寺の山で二人立ち話をしていたという確かな証人もございます。女ものぼせていた男のことだから、嫌といえない義理に迫られてやったのでございましょう」

と言う者もいる。

「何の、あのアマが義理はりを知ろうか。銭湯の帰りに男に会ったので、さすがに振り放して逃げることもできず、一緒に歩いて話はしてもいたろうが、切られたのは背後から。頬先のかすり傷、首筋の突き傷などいろいろあるが、たしかに逃げるところをやられたに違いない。それに引き換え、男は見事な切腹。布団屋の時代から、それほどの男と思わなかったが、あれこそは死に花。偉そうに見えた」

と言う。

「何しろ菊の井は大損だろう。あの娘には結構な旦那がついたはず。取り逃しては残念だろう」

と他人の災いを冗談に思う者もいる。

諸説が入り乱れて確かなことはわからないが、恨みは長く尽きないのか、人魂か何か知らない筋を引く光り物が、お寺の山という小高いところから、ときおり飛んでいるのを見た者があると伝えられた。

(おわり)

樋口一葉「にごりえ」 7

   

思い出したところで今更どうなるものか、忘れてしまえ、諦めてしまえ、と思案は決めながら、去年の盆には揃いの浴衣を拵え、二人一緒に蔵前の閻魔堂へ参詣したことなどが思うともなく胸に浮かび、盆に入っては仕事に出る気力もなく、

「お前さん、それではなりません」

としきりに忠告する女房の言葉も耳にうるさく、

「ええ、何も言うな。黙っていろ」

と言って横になるのを、

「黙っていては暮らしがたちません。体が悪いなら薬を飲めばよし、お医者にかかるのも仕方がないけれど、お前さんの病はそれではなしに、気さえ持ち直せばどこに悪いところがありましょう。少しは正気になって励んでください」

と言う。

「いつでも同じ事では耳にたこができて、気の薬にはならん。酒でも買ってきてくれ。気紛らしに飲んでみよう」

と言うと、

「お前さん、そのお酒が買えるほどなら、嫌とお言いなさるのを無理に仕事に出てくださいとは頼みません。私の内職だって、朝から夜にかけて十五銭が関の山。親子三人、重湯も満足には飲めないなかで、酒を買えとは、よくよくお前さん、無茶を言う人になりなさった。お盆だというのに、昨日だって太吉には白玉一つこしらえもせず、お精霊様のお棚飾りもこしらえないから、お灯明一つでご先祖様へお詫びを申しているのも、誰の仕業だとお思いなさる。お前さんが道楽を尽くして、お力のような奴めに釣られたから起こったこと。言っては悪いけれど、お前さんは親不孝、子不孝。少しはあの子の将来も思って真人間になってください。お酒を飲んで気を晴らすのは一時、真から改心してくださらなければ心もとなく思われます」

と女房が嘆いても返事はなく、ときおり大きな吐息をつき、身動きもせずに仰向いて寝ている心根が情けない。

こんなに落ちぶれても、お力のことが忘れられないか。

十年連れ添って子までもうけた私にぎりぎりの苦労をさせて、子にはぼろを着させ、家は六畳一間のこんな犬小屋。

世間一帯から馬鹿にされて除け者にされて、春秋の彼岸が来れば、隣近所にぼた餅、団子と配り歩くなかを、「源七の家へはやらないほうがよい。お返しが気の毒だ」といって、親切かしらないが、十軒長屋の一軒は除け者。

男は外出がちだから、少しも気がかりではなかろうが、女心にはやるせないほど切なく悲しく、自然と肩身が狭まって、朝夕の挨拶も人の目の色を窺うような情けない思いもする。

それを思わずに自分の情婦のことばかりを想いつづけ、つれない女の心の底がそれほどまでに恋しいか。

昼も夢に見て独り言をいうのが情けない。女房も子も忘れ果てて、お力一人に命もやる気か。

浅ましい、口惜しい、情けない人と思うが、やはり言葉には出せずに、恨みの涙を目に浮かべている。

ものを言わなければ、狭い家の中もなんとなく寂しげで、暮れゆく空がぼんやりと薄暗くなっていくのに、裏長屋はまして薄暗く、明かりをつけて蚊遣りをいぶし、お初が心細く戸の外を眺めると、いそいそと帰ってくる太吉郎の姿が見える。

何やら大袋を両手に抱えて、

「母さん、母さん、これ貰ってきた」

と、にっこりとして駆け込むので、見ると新開の日の出屋のカステラである。

「おや、こんないいお菓子を誰に貰ってきた。よくお礼を言ったか」

と聞くと、

「ああ、よくお辞儀をしてもらってきた。これは菊の井の鬼姉さんがくれたの」

と言う。

お初は顔色を変えて、

「図太い奴めが。これほど惨めな境遇に投げ込んで、まだいじめ方が足りないと思うのか。この子を遣いに父さんの心を動かしに寄越す。何と言って寄越した」

と言う。

「表通りの賑やかなところで遊んでいたら、どこかのおじさんと一緒に来て、菓子を買ってやるから一緒においでといって、おいらは要らないと言ったけれど、抱いていって買ってくれた。食べては悪いかい」

と、さすがに母の気持ちをはかりかね、顔を覗き込んでためっているので、

「ああ、年がいかないからって、何というわけのわからない子だ。あの姉さんは鬼ではないか。父さんを怠け者にした鬼ではないか。お前の着物がなくなったのも、お前の家がなくなったのも、みんなあの鬼めがしたこと。食らいついても飽き足りない悪魔に、お菓子をもらった、食べてもいいかと聞くだけでも情けない。汚いむさいこんな菓子、家へ置くのも腹が立つ。捨ててしまいな、捨てておしまい。お前は惜しくて捨てられないか、馬鹿野郎め」

と罵りながら、袋をつかんで裏の空き地へ放り投げると、紙が破れて転がり出た菓子は、竹の荒垣を越えて溝の中にも落ち込んだらしい。

源七がむくりと起きて、

「お初」

と一声大きく言うと、

「何かご用かよ」

と目だけを動かし、振り向こうともしない横顔を睨んで、

「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。黙っていればいいことにして、悪口雑言とは何だ。知った人なら菓子くらい子どもにくれるのに不思議もなく、貰ったところで何が悪い。馬鹿野郎呼ばわりは太吉にかこつけて俺への当てこすり。子に向かって父親を讒訴(ざんそ)する女房かたぎを誰が教えた。お力が鬼なら、お前は魔王。商売人が客をだますのは知れたことだが、妻たる身がふて腐れをいって済むと思うか。土方をしようが荷車を引こうが、亭主には亭主の権限がある。気に入らん奴を家には置かん。どこへでも出ていけ、出ていけ、面白くもない女郎(めろう)め」

と叱りつけられて、

「それはお前さん無理だ、邪推が過ぎます。どうしてお前さんに当てつけよう。この子があんまり聞き分けがないのと、お力のやり方の憎らしさに思いあまって言ったことを口実にして、出ていけとまでは惨うございます。家のためを思えばこそ、気に入らないことを言いもする。家を出るくらいなら、こんな貧乏所帯の苦労を辛抱してはおりません」

と泣くと、

「貧乏所帯に飽きがきたなら、勝手にどこへでも行ってもらおう。お前がいなくても乞食にもなるまいし、太吉が育てられないことはない。明けても暮れても俺の悪口かお力への妬み、つくづく聞き飽きてもう嫌になった。きさまが出ないなら、どっちみち同じこと。惜しくもない九尺二間、俺が太吉を連れて出よう。そうなれば十分にがなり立てるのに都合もよかろう。さあ、きさまが行くか、俺が出ようか」

と烈しく言われて、

「お前さんは、そんなら本当に私を離縁する気かい」

「知れたことよ」

といつもの源七ではなかった。

お初は口惜しく悲しく情けなく、口も利けないほど込み上げる涙を飲み込んで、

「これは私が悪うございました。堪忍をしてください。お力が親切で太吉を思ってくれたものを捨ててしまったのは重々悪うございました。堪忍をしてください。なるほど、お力を鬼と言ったからは私は魔王でございましょう。もう言いません、もう言いません。決してお力のことについて、今後とやかく言いませんし、陰で噂もしませんから、離縁だけは堪忍してください。改めて言うまでもないけれど、私には親もなく、兄弟もなく、借家の管理人のおじさんを仲人なり里親なりに立てて嫁に来たのだから、離縁された後の行き場所だってありません。どうぞ堪忍して置いてください。私は憎かろうと、この子に免じて置いてください。謝ります」

と手をついて泣いたが、

「いや、どうしても置かれん」

と言った後は無言で壁に向かって、お初の言葉は耳に入らないようで、これほど邪険な人ではなかったものを、と女房はあきれて、女に魂を奪われるとこれほどまでも浅ましくなるものか、女房を嘆かせたうえ、ついには可愛い子まで飢え死にさせるかも知れない人、今詫びたからといって甲斐はない、と覚悟した。

「太吉、太吉」

と傍へ呼んで、

「お前は父さんの傍と母さんとどちらがいい。言ってみろ」

と聞かれ、

「おいらはお父さんは嫌い。何にも買ってくれないもの」

と正直に答えると、

「そんなら、母さんの行くところへどこへでも一緒に行く気かい」

「ああ、行くとも」

と何とも思わない様子に、

「お前さん、お聞きか。太吉は私につくと言っております。男の子だからお前さんも欲しかろけれど、この子はお前さんの元には置けません。どこまでも私が貰って連れていきます。ようございますか、貰います」

と言うと、

「勝手にしろ。子も何も要らん。連れて行きたければ、どこへでも連れて行け。家も道具も何も要らん。どうとでもしろ」

と寝転んだまま、振り向こうともしないので、

「なに、家も道具もないくせに勝手にしろもないもの。これから身一つになって、したいままの道楽なり何なりお尽くしなさい。もういくらこの子を欲しいと言っても、返すことはございません。返しません」

と念を押して、押入れを探って何やら小さな風呂敷包みを取り出した。

「これはこの子の寝間着の袷、腹がけと三尺帯だけ貰っていきます。お酒のうえでの言葉でもないから、醒めて考え直すこともありますまいが、よく考えてみてください。たとえどのような貧苦のなかでも、二人揃って育てる子は長者の暮らしと申します。別れれば片親、何につけても不憫なのはこの子とお思いになりませんか。ああ、根性の腐った人には子の可愛さもわかりますまい。もうお別れ申します」

風呂敷包みを下げて表へ出ると、

「早くいけ、行け」

と言って、呼び戻してはくれなかった。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 6

以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。

   

「十六日は必ずお待ちしています。来てください」と言ったのも何も忘れ、今まで思い出しもしなかった結城朝之助にふと出会って、

「あれ」

と驚いた顔つきの、いつにない慌て方がおかしいと男が笑うので、少し恥ずかしく、

「考えごとをして歩いていたので、不意のように慌ててしまいました。今夜はよく来てくださいました」

と言う。

「あれほど約束をして、待っていてくれないのは誠意がない」

と責められるので、

「何とでもおっしゃい。言い訳は後でいたします」

と手を取って引くと、

「野次馬がうるさい」

と注意する。

「どうでも勝手に言わせましょう。こちらはこちら」

と人中を分けて伴った。

下座敷ではまだ客が激しく騒ぎ、お力が中座したのに機嫌を悪くしてやかましかったおりから、店口で「おや、お帰りか」の声を聞くなり、

「客を置き去りにして中座するという法があるか。帰ったならここへ来い。顔を見せないと承知しないぞ」

と威張りたてるのを聞き流して、二階の座敷へ結城を連れ上げ、

「今夜も頭痛がするので、お酒の相手はできません。大勢の中にいると、お酒の香に酔って夢中になるかもしれませんから、少し休んでその後はわかりません。今はごめんなさいませ」

と下座敷の客に断りを言ってやると、

「それでいいのか。怒りはしないか。やかましくなれば面倒だろう」

と結城が心配する。

「なに、商家の奉公人の白瓜がどんなことをしでかしましょう。怒るなら怒れでございます」

と小女にお銚子の支度を言いつけ、来るのを待ちかねて、

「結城さん、今夜は少し面白くないことがあって、普段と気持ちが違っていますから、その気で付き合ってください。お酒を思い切って飲みますから、止めてくださいますな。酔ったら介抱してください」

と言うと、

「君が酔ったのをいまだに見たことがない。気が晴れるほど飲むのはいいが、また頭痛が始まりはしないか。何がそんなに逆鱗に触れた。僕などに言っては悪いことか」

と聞かれので、

「いえ、あなたには聞いていただきたいのでございます。酔うと申しますから、驚いてはいけません」

とにっこりとして、大湯呑みを取り寄せて、二、三杯は息もつかなかった。

いつもはそれほど心も留まらなかった結城の風采が、今夜はなんとなく立派に思われて、肩幅があって背がいかにも高い点をはじめとして、落ち着いてものを言う重々しい口ぶり、目つきが鋭くて人を射るような点も、威厳が備わっているかと嬉しく、濃い髪の毛を短く刈り上げて、えりあしがくっきりとした点など、今更のように素晴らしく眺められ、

「何をうっとりしている」

と聞かれて、

「あなたのお顔を見ていますのさ」

と言うと、

「こいつめ」

と睨みつけられて、

「おお、怖いお方」

と笑っているので、

「冗談はおいて、今夜は様子がただごとではない。聞いたら怒るかしれないが、何か事件があったのか」

と聞く。

「何といって降って湧いたこともなければ、人とのいざこざなどは、もしあったにしろ、それはいつものこと。気にもかかりませんから、どうして物思いなどいたしましょう。私がときおり気まぐれを起こすのは、人が何かするのではなくて、みな自分の心からくる浅ましいわけがございます。私はこんな卑しい身の上、あなたは立派なお方様。思うことは裏腹で、お聞きになっても汲んでくださるか下さらないか、そこのところはわかりませんが、もし笑いものになっても私はあなたに笑っていただきたく、今夜は残らず申します。まあ、何から申しましょう。気が揉めて口がきけない」

と、またもや大湯呑みで盛んに飲む。

「何より先に私の身の自堕落を承知していてください。もとより箱入りの生娘ではありませんから、少しは察してもいてくださるでしょうが、口では綺麗なことを言いましても、このあたりの人に泥の中の蓮とやら悪行に染まらない女がいたら、繁盛どころか見にくる人もないでしょう。あなたは別物。私のところへ来る人も、たいていはそうだとお思いください。これでも、ときおりは世間様並みのことを思って、恥ずかしいこと、つらいこと、情けないこととも思われもし、いっそ九尺二間の貧乏長屋暮らしでも、決まった夫というものに添って身を固めようと考えることもございますが、それが私にはできません。そうかといって、私を目当てに来るお客に無愛想にもなりがたく、可愛いの、愛しいの、見初めましたのと、でたらめのお世辞も言わねばならず、多い中には真に受けて、こんなろくでなしを女房にと言ってくださる方もある。妻に持たれたら嬉しいか、添ったら本望か、それが私にはわかりません。そもそもの初めから私はあなたが好きで好きで、一日お目にかからなければ恋しいほどですが、奥様にと言って下さったらどうでございましょうか。妻に持たれるのは嫌で、よそながらには慕わしく、ひと口に言われれば浮気者でございましょう。ああ、こんな浮気者に誰がしたとお思いか。三代伝わっての出来損ない、父親の一生も悲しいことでございました」

とほろりとすると、

「その親父さんは」

と問いかけられる。

「父親は職人、祖父は漢籍を読んだ人でございます。つまりは私のような気違いで、世の役に立たない反古紙をこしらえたのを、お上から出版を止められたとか、許されないとかで、断食して死んだそうでございます。十六歳のときから思うことがあって、生まれも卑しい身でしたが、一心に修行をして六十歳を過ぎるまで成し遂げたこともなく、終いには人の物笑いで、今では名を知る人もないといって、父が常日頃嘆いていたのを子どもの頃より聞き知っておりました。私の父というのは、三歳のときに縁から落ちて片足が不自由になったので、人中に立ち交じるのも嫌だといって、家で金物細工の装飾品をこしらえていましたが、気位が高くて愛想がないので、ひいきにしてくれる人もなく、ああ、覚えていますが、私が七歳の冬でございました。寒いなか親子三人とも古浴衣で、父は寒さもわからないのか、柱に寄って細工物に工夫を凝らしているとき、母は炊き口の一つしかない欠けたかまどに割れ鍋をかけて、私に米を買いにいけという。味噌漉しを下げて、はした金を手に握って、米屋の入り口までは嬉しく駆けつけたけれども、帰りには寒さが身にしみて手も足もかじかんだので、五、六軒隔てた溝板の上の氷ですべり、足を留めるものもなく転んだはずみに手にした物を落として、一枚外れた溝板の隙間からざらざらとこぼれ落ちると、下は流れも汚い溝泥です。何度も覗いてはみましたが、これをどうして拾えましょう。そのとき、私は七歳でしたが、家の中の様子、父母の心もわかっているので、お米は途中で落としました、と空の味噌漉しを下げて家には帰れず、立ってしばらく泣いていましたが、どうしたと聞いてくれる人もなく、聞いたからといって買ってやろうという人はなおさらない。あのとき、近所に川か池でもあれば、私はきっと身を投げてしまいましたろう。話は真実の百分の一。私はその頃から気が狂ったのでございます。帰りの遅いのを母親が心配して、探しに来てくれたのをしおに家には戻りましたが、母もものを言わず、父親も無言で、誰一人私を叱る者もなく、家の中はしんとして、ときおり溜息の声が洩れるので、私は身を切られるより情けなく、今日は一日断食にしよう、と父が一言いい出すまでは、息もつけないようでございました」

話を中断して、お力はあふれ出る涙が止まらないので、紅色のハンカチを顔に押し当て、その端を噛み締めながら、三十分も黙っていた。

座には物音もなく、酒の香を慕って寄ってくる蚊のうなり声だけが高く聞こえた。

顔を上げた時は、頬に涙の跡は見えるものの、淋しげな微笑さえ浮かべて、

「私はそのような貧乏人の娘、気違いは親ゆずりで、ときおり起こるのでございます。今夜もこんなわからないことを言い出して、さぞあなた、ご迷惑でございましてでしょう。もう話はやめにいたします。ご機嫌に障りましたら許してください。誰か呼んで陽気にしましょうか」

と聞くので、

「いや、遠慮はいらない。その父親は早くに亡くなったのか」

「はあ、母さんが肺結核というのを患って亡くなりましてから、一周忌の来ないうちにあとを追いました。今おりましてもまだ五十歳、親なので褒めるわけではないけれど、細工は本当に名人といってもよい人でございました。けれども、名人でも上手でも、私どもの家のように生まれついては、どうにもなることはできないのでございましょう。私の身の上でも知られます」

と、物思わしい風情である。

「お前は出世を望んでいるのだな」

と突然朝之助に言われて、

「えっ」

と驚いた様子に見えたが、

「私どもの身で望んだところで、味噌漉しを下げた女房になるくらいが落ち。なに、玉の輿までは思いもかけません」

と言う。

「嘘をいうのは人に依る。初めから何でも見知っているのに、隠すのは野暮の沙汰ではないか。思い切ってやれ、やれ」

と言うので、

「あれ、そのようなけしかけの言葉は止してください。どうせこんな身でございますのに」

としおれて、またものを言わない。

今夜もたいそう更けた。

下座敷の客はいつか帰り、表の雨戸を閉めるというので、朝之助が驚いて帰り支度をするのを、お力は、

「どうでも泊まらせる」

という。

いつの間にか下駄も隠させたので、下駄を取られて足のない幽霊ならぬ身では、戸の隙間から出ることもできまいと、今夜はここに泊まることになった。

雨戸を閉ざす音がしばらく賑やかで、後には戸の隙間から洩れる灯火の明かりも消えて、ただ軒下を行き通う夜回りの巡査の靴音だけが高く聞こえた。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 5

   

誰が白鬼と名をつけたのか、銘酒屋という無間地獄はどことなく風情を装い、どこにからくりがあるとも見えないが、逆さ落としの血の池、借金の針の山に追い上げるのもお手のものと聞くと、「寄っておいでよ」と甘える声も、蛇を食う雉と恐ろしくなる。

とはいえ、十月(とつき)の胎内から同じく生まれ、母の乳房にすがった頃は、「ちょうち、ちょうち、あわわ」とあやされる可愛らしさで、紙幣と菓子の二者択一には、「おこしをおくれ」と手を出したものなので、今の稼業に誠意はなくても、百人のうちの一人には心から涙をこぼし、

「聞いておくれ、染物屋の辰さんのことを。昨日も川田屋の店でおちゃっぴいのお六めとふざけまわして、見たくもない往来にまで担ぎ出して、叩いたり叩かれたり、あんな浮いた了見で末が遂げられようか。まあ、いくつだと思う。三十は一昨年、いい加減に所帯でも持つ心積もりをしておくれと会うたびに意見をしても、そのときばかり、おう、おうと空返事して、根っから気にも留めてくれない。父さんは歳をとって、母さんというのは目の悪い人だから、心配をさせないように早く身持ちをよくしてくれればいいが、私はこれでもあの人の半纏を洗濯して、股引のほころびも縫ってみたいと思っているのに、あんな浮いた気持ちでは、いつ引き取って妻にしてくれるだろう。考えるとつくづく奉公が嫌になって、お客を呼ぶにも張り合いもない。ああ、くさくさする」

と、いつもは人を騙す口で相手の薄情を恨み、頭痛を押さえて思案に暮れる者もある。

「ああ、今日は盆の十六日だ。お閻魔様へのお参りに連れ立って通る子どもたちが、綺麗な着物をきて、小遣いをもらって嬉しそうな顔をして行くのは、きっときっと、二人揃って甲斐性のある親を持っているのだろう。私の息子の与太郎は、今日の休みにご主人から暇が出て、どこへ行ってどんなことして遊ぼうと、きっと他人が羨ましかろう。父さんは大酒飲みで、いまだに住む家も決まるまいし、母はこんな身になって恥ずかしい紅おしろい。もし居所がわかったって、あの子は会いにきてもくれまい。去年、向島の花見のとき、女房づくりをして丸髷に結って、同僚と遊び歩いて、土手の茶屋であの子に会って、これ、これ、と声をかけたのでさえ、私の姿が若くなったのにあきれて、お母さんでございますか、と驚いた様子。まして、この大島田にときおりは流行のかんざしも挿しひらめかせて、お客をつかまえて冗談を言うところを聞いたら、子ども心に悲しくも思うだろう。去年会ったとき、今は駒形の蝋燭屋に奉公しています、私はどんな辛いことがあっても必ず辛抱しとげて一人前の男になり、父さんも母さんも今にお楽にしてさしあげます、どうぞそれまで何なりと堅気の仕事をして、一人で暮らしていてください、他人の女房にだけはならずにいてください、と意見を言われたが、悲しいのは女の身で、マッチの箱貼りをしても独りで食べてはいけない。かといって、他人の家の台所を這うのも、弱い体では勤めづらくて、同じ辛さでも体が楽だから、こんなことをして日を送る。少しも浮いた気持ちではないが、言い甲斐のないおふくろと、あの子はきっと非難するだろう。いつもは何とも思わない島田が、今日だけは恥ずかしい」

と、夕暮れの鏡の前で涙ぐむ者もあろう。

菊の井のお力にしても、悪魔の生まれ変わりではあるまい。

何か事情があるからこそ、ここの流れに落ち込み、嘘のありったけや冗談でその日を送って、人情は吉野紙のように薄く、蛍の光のように点るだけで、人としての涙は百年も我慢して、自分のために死ぬ人があろうとご愁傷様と脇を向く辛さに、他人事として見る態度も身につけたのであろう。

そうはいっても、ときには悲しいこと、恐ろしいことが胸に積もって、泣くにも人目を恥じるので、二階の座敷の床の間に身を投げ伏して忍び泣きをする。

これを同僚にも洩らすまいと隠すので、根性のしっかりした気の強い娘という者はいるが、触れば切れる蜘蛛の糸の弱いところを知る人はなかった。

七月十六日の夜は、どこの店でも客が混み、都都逸、端唄が景気よく、菊の井の下座敷には商家の奉公人が五、六人集まって、調子の外れた「紀伊の国」の端唄や自慢するのも恐ろしい濁った下品な声で「霞の衣、衣紋坂」と清元を気どる者もいる。

「力ちゃんはどうした。いつものいい喉を聞かせないか。やった、やった」

と責められるので、

「お名は指さねど、この座の中に」

とお決まりの嬉しがらせを言い、やんややんやと喜ばれるなか、

「我が恋は細谷川の丸木橋、渡るにゃ怖し、渡らねば」

と唄いかけたが、何かを思い出したように、

「ああ、私はちょっと失礼します。ごめんなさいよ」

と三味線を置いて立つと、

「どこへ行く、どこへ行く。逃げてはならない」

と座中が騒ぐので、

「照ちゃん、高さん、少し頼むよ。じき帰るから」

と、すっと廊下へ急ぎ足で出たが、何も振り返らずに店口から下駄を履き、筋向こうの横町の闇に姿を隠した。

お力は一散に家を出て、

行けるものなら、このまま地の果てまでも行ってしまいたい。ああ、嫌だ嫌だ。どうしたら人の声も聞こえない、物音もしない、静かな静かな、自分の心もぼうっとして、物思いのないところへ行けるだろう。つまらない、くだらない、面白くもない、情けない悲しい心細いなかに、いつまで私は止められているのかしら。これが一生か、一生がこれか。ああ、嫌だ嫌だ。

と道端の立ち木に夢中で寄りかかり、しばらくそこに立ち止まっていると、「渡るにゃ怖し、渡らねば」と自分の歌った声が、そのままどこからともなく響いてくるので、

仕方がない。やっぱり私も丸木橋を渡らねばなるまい。父さんも足を踏み外して落ちておしまいになり、お祖父さんも同じことだったという。どうせ何代もの恨みを背負って生まれた私だから、するだけのことはしなければ、死んでも死ねないのだろう。情けないといってみても、誰も哀れに思ってくれる人はあるはずもなく、悲しいと言えば商売柄を嫌うのかと一口に言われてしまう。ええ、どうだろうと勝手になれ、勝手になれ。私にはこれ以上考えても、私の行き方はわからないのだから、わからないなりに菊の井のお力を通していこう。人情知らず、義理知らずか。そんなことも思うまい。思ってもどうなるものか。こんな身で、こんな商売柄で、こんな運命で、どうしたからって人並みではないのに違いないのだから、人並みのことを考えて苦労するだけ間違いだろう。ああ、陰気らしい。どうしてこんなところに立っているのか。何をしにこんなところに出てきたのか。馬鹿らしい、気違いじみた、自分ながらわからない。もうもう帰りましょう。

と横町の闇を離れ、夜店の並ぶ賑やかな小路を気を紛らわしにぶらぶら歩くと、行きかう人の顔が小さく小さくなり、すれ違う人の顔さえもはるか遠くに見るように思われ、自分の踏む土だけが十尺も盛り上がっているようで、がやがやと言う声は聞こえるが、井戸の底に物を落としたような響きに聞こえ、人の声は人の声、自分の考えは考えとばらばらになり、今では何も気の紛れるものがなく、人だかりがおびただしい夫婦喧嘩の軒先などを通っても、自分だけは冬枯れの広野を行くように心に留まるものもなく、気にかかる景色にも見覚えがないのは、我ながらひどくのぼせて、正気でないのだろうと心細く、気が狂いはしないかと立ち止まった途端、

「お力、どこへ行く」

と肩をたたく人がいる。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 4

    

同じ新開の町外れに、八百屋と髪結床のひさしが重なり合っているような細い路地がある。

雨が降る日は傘もさせない窮屈さで、足元にはところどころに危なげな溝板の落とし穴があるのを挟み、両側に棟割長屋が建っている。

突き当たりのごみ溜めの脇では、九尺二間の六畳の上がり框(がまち)が腐って、雨戸はいつも不用心な建てつけの悪さであるが、さすがに出入り口が一つではない山手の幸いとして、三尺ほどの縁の先に草ぼうぼうの空き地がある。

その端を少し囲って、青じそ、えぞ菊、いんげん豆の蔓などを粗い竹垣に絡ませているのが、お力に所縁の源七の家である。

女房はお初といって、二十八か九歳にもなるだろう。

貧乏にやつれているので、七つも歳が多く見え、お歯黒はまだらで、生え放題の眉毛は見るかげもなく、洗いざらしの鳴海の浴衣は擦り切れた前と後ろを切り替え、膝のあたりには目立たないように小針のつぎを当て、狭い帯をきりりと締めて、駒下駄に籐の表を張る内職をしている。

盆前からの暑い時分を、今が好期とばかりに大汗をかいて励み、揃えた籐を天井から釣り下げ、少しの手数も省こうとして、数が上がるのを楽しみに脇目も振らない様子が哀れである。

「もう日が暮れたのに、太吉はなぜ帰ってこない。源さんもまた、どこを歩いているのかしらん」

と仕事を片づけて一服吸いつけ、疲れた様子で目をぱちつかせて、さらに土瓶の下をほじくり、蚊いぶし火鉢に火を取り分けて三尺の縁に持ち出し、拾い集めの杉の葉をかぶせてふうふうと吹きたてると、ふすふすと煙が立ち上って軒端に逃げる蚊の音がすさまじい。

太吉がガタガタと溝板の音をさせて、

「母さん、今戻った。お父さんも連れてきたよ」

と門口から呼び立てるので、

「たいそう遅いじゃないか。お寺の山へでも行きはしないかとどのくらい心配したろう。早くお入り」

と言うと、太吉を先に立てて、源七は元気なくぬっと上がる。

「おや、お前さん、お帰りか。今日はどんなに暑かったでしょう。きっと帰りが早いだろうと思って、行水の湯を沸かしておきました。ざっと汗を流したらどうでございます。太吉もお湯に入りな」

と言うと、

「あい」

と言って帯を解く。

「お待ち、お待ち。今、湯加減をみてやる」

と言って、流し元に盥を据えて釜の湯を汲み出し、かき回して手拭いを入れ、

「さあ、お前さん、この子も入れてやってください。何をぐったりとしておいでなさる。暑さにでも障りはしませんか。そうでなければ一風呂浴びて、さっぱりとなってご飯を上がれ。太吉が待っていますから」

と言う。

「おお、そうだ」

と思い出したように帯を解いて流しに下りると、わけもなく布団屋の主人だった頃が思い出され、九尺二間の台所で行水をつかうとは夢にも思わなかった、ましてや土方の手伝いをして荷車の後押しにとは親は生んでもくださるまい、ああ、つまらない夢を見たばかりに、とつくづく身にしみて、湯もつかわないので、

「父ちゃん、背中洗っておくれ」

と太吉は無心に催促する。

「お前さん、蚊が食いますから、さっさとお上がりなさい」

と妻も注意すると、

「おう、おう」

と返事をしながら、太吉にもお湯をつかわせ、自分も浴びて上に上がれば、洗いざらしてさっぱりとした浴衣を出して、

「お着替えなさいませ」

と言う。

帯を巻きつけて風の通るところに行くと、妻が能代塗の剥げかかって脚がぐらつく古い膳で、

「お前さんの好きな冷奴にしました」

と小丼に豆腐を浮かせ、青じその香りも高く運び出せば、太吉はいつの間にか台から飯櫃を下ろし、よっちよいよっちよいと担ぎ出す。

「ぼうずは俺の傍に来い」

と言って頭をなでながら箸を取ると、何を思うわけでもないのに舌に覚えがなく、喉の穴が腫れたように食欲がない。

「もう止めにする」

と茶碗を置くと、

「そんなことがありますものか。力仕事をする人が三膳のご飯が食べられないということはない。気分でも悪うございますか。それとも、ひどく疲れましたか」

と聞く。

「いや、どこも何ともないようだが、ただ食べる気にならない」

と言うので、妻は悲しそうな目をして、

「お前さん、また例の病気が起こりましたろう。それは、菊の井の料理は美味くもありましたろうけれど、今の身分で思い出したところでどうなります。先は商売人、お金さえできたら昔のように可愛がってもくれましょう。表を通って見てもわかります。白粉つけていい着物きて、迷ってくる人を誰彼となく丸めるのがあの人たちの商売。ああ、俺が貧乏になったから構ってくれなくなったなと思えば、何のこともなく済みましょう。恨みにでも思うだけ、お前さんの未練でございます。裏町の酒屋の若い者、知っておいででしょう。双葉屋のお角に心から入れ込んで、得意先のつけの集金を残らず使い込み、それを埋めようとして、博打場に足を踏み入れたのが身を持ち崩すことになり、だんだん悪事に染まって、終いには土蔵破りまでしたそうな。いま、男は監獄に入って物相飯を食べているようだけれど、相手のお角は平気なもの。おもしろ可笑しく世を渡っているが、咎める人もなく見事繁盛しております。あれを思うと、商売人の一徳。騙されたのはこちらの罪で、考えても始まることではございません。それよりは気を取り直して、稼業に精を出して、少しの元手もこしらえるように心がけてください。お前さんに弱られては、私もこの子もどうすることもできず、それこそ路頭に迷わねばなりません。男らしく思い切るときは諦めて、お金さえできたなら、お力はおろか小紫でも揚巻でも、妾宅をこしらえて囲ったらようございましょう。もうそんな考えごとは止めにして、機嫌よくご飯を上がってください。太吉までが陰気らしく沈んでしまいました」

というので見ると、茶碗と箸を膳に置いて父母の顔を見比べ、何とも知らずに気になる様子である。

こんな可愛い者さえいるのに、あのような狸が忘れられないのは何の因果か、と胸の中をかき回されるようであるが、我ながら未練者め、と叱りつけて、

「いや、俺だって、そのようにいつまでも馬鹿ではいない。お力などと名前だけでも言ってくれるな。言われると元の失敗を思い出して、いよいよ顔が上げられない。なに、この身になって今さら何を思うものか。飯が食えないといっても、それは体の加減だろう。何もそんなに心配してくれるには及ばないから、小僧も十分に食べてくれ」

と、ごろりと横になって胸のあたりをパタパタと扇ぐ。

蚊遣りの煙にむせばないにしても、胸中の思いに燃えて体が暑そうである。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 3

   

客は結城朝之助(ゆうき とものすけ)といって、自ら道楽者とは名乗っているが、誠実なところがおりおり見え、無職の身で、妻子はない。

遊ぶのに適した年頃だからか、これを初めとして週二、三度の通い路に、お力もどことなく慕わしく思うのか、三日来なければ手紙を出すほどの様子を、同僚の女たちが焼き餅ではあるが、からかって、

「力ちゃん、お楽しみだろうね。男振りはよし、気前もよし、今にあの方は出世をなさるに違いない。そのときはお前のことを奥様とでも言うのだろうに、今から少し気をつけて、足を出したり、湯呑みで酒をあおるのだけは止めにおし。柄が悪いやね」

と言う者もあり、

「源さんが聞いたらどうだろう。気違いになるかもしれない」

と冷やかす者もある。

「ああ、出世して馬車に乗ってくるときに都合が悪いから、道普請からしてもらいたいね。こんな溝板のがたつくような店先へ、それこそ柄が悪くて、横づけにもされないじゃないか。お前さんがたも、もう少しお行儀を直して、お給仕に出られるように心がけておくれ」

とずけずけ言うので、

「ええ、憎らしい。そのもの言いを少し直さないと、奥様らしく聞こえないだろう。結城さんが来たら思いきり言って、小言をいわせてみせよう」

と朝之助の顔を見るなり、

「こんなことを申しています。どうしても私どもの手に負えないやんちゃですから、あなたから叱ってください。第一、湯呑みで飲むのは毒でございましょう」

と告げ口すると、結城は真面目になって、

「お力、酒だけは少し控えろ」

と厳命したが、

「ああ、あなたらしくもない。お力が無理にも商売していられるのは、酒の力とお思いになりませんか。私から酒気が離れたら、座敷は念仏堂のようになりましょう。ちょっとは察してください」

と言うと、

「なるほど、なるほど」

と結城は二度とは言わなかった。

ある月の夜、下座敷にはどこかの工場の職工たちが入り、丼を叩いて甚句やかっぽれの大騒ぎで、おおかたの女はそちらへ集まり、例の二階の小座敷には結城とお力の二人きりである。

朝之助が寝転んで愉快そうに話しかけるのを、お力はうるさそうに生返事をして、何やら考えている様子で、

「どうかしたか。また頭痛でも始まったか」

と聞かれ、

「なに、頭痛も何もしませんけれど、急に持病が起こったのです」

と言う。

「お前の持病は癇癪か」

「いいえ」

「婦人病か」

「いいえ」

「それでは何だ」

と聞かれて、

「どうにも言うことはできません」

「でも、他の人ではない、僕ではないか。どんなことでも言ってよさそうなもの。まあ、何の病気だ」

と言うと、

「病気ではございません。ただ、こんなふうになって、こんなことを思うんです」

と言う。

「困った人だな。いろいろ秘密があると見える。お父さんは」

と聞くと、

「言えません」

と言う。

「お母(っか)さんは」

と聞けば、

「それも同じく」

「これまでの履歴は」

と言うと、

「あなたには言えない」

と言う。

「まあ、嘘でもいいさ。かりに作り話にしろ、こういう身の不幸だとか、たいていの女は言わねばならない。しかも、一度や二度会うのではなし、そのくらいのことを明かしても差し支えはなかろう。たとえ口に出して言わなくても、お前に思うことがあるくらい、わかりきったこと。聞かなくとも知れているが、それを聞くのだ。どっちみち同じことだから、持病というのを先に聞きたい」

と言う。

「およしなさいませ。お聞きになってもつまらないことでございます」

と、お力は少しも取り合わない。

そのとき、下座敷から食器を運んできた女が、何やらお力に耳打ちして、

「ともかく下までおいでよ」

と言う。

「いや、行きたくないからよしておくれ。今夜はお客が大変に酔いましたから、お目にかかったってお話もできませんと断っておくれ。ああ、困った人だね」

と顔をしかめる。

「お前、それでもいいのかい」

と聞くと、

「はあ、いいのさ」

と膝の上で三味線の撥をもてあそぶので、女が不思議そうに立っていくのを、客は黙って聞いていて、笑いながら、

「ご遠慮には及ばない、会ってきたらよかろう。何もそんなに体裁をつくろう必要はないではないか。可愛い人をそのまま帰すのもひどかろう。追いかけて会うがいい。なんならここへでも呼びたまえ。片隅に寄って話の邪魔はしないから」

と言う。

「冗談は抜きにして、結城さん、あなたに隠したって仕方がないから申しますが、町内で少しは羽振りもよかった布団屋の源七という人、長く馴染みでございましたが、今は見るかげもなく貧乏して、八百屋の裏の小さな家でかたつむりのようになっております。女房も子どももあり、私のような者に会いにくる歳ではないけれど、縁があるのか、いまだにときおり何のかのといって、今も下座敷へ来たのでございましょう。何も今さら追い出すというわけではないけれど、会ってはいろいろ面倒なこともあり、当たらずさわらず帰した方がよいのでございます。恨まれるのは覚悟のうえ、鬼とでも蛇とでも思えばようございます」

と撥を畳に置き、少し伸び上がって表を見下ろすと、

「なんと、姿が見えるか」

と冷やかす。

「ああ、もう帰ったようです」

とぼんやりしていると、

「持病というのはそれか」

と切り込まれ、

「まあ、そんなところでございましょう。お医者様でも草津の湯でも」

と淋しそうに笑っているので、

「ご本尊を拝みたいな。役者でいったら、誰に似ている」

と言うと、

「見たら吃驚でございましょう。色の黒い、背の高い不動明王の名代」

と言う。

「では、心意気か」

と聞かれ、

「こんな店で身上はたくほどの人、人がいいばかりで、取り得なんて皆無でございます。面白くも可笑しくも何ともない人」

と言うので、

「それにお前はどうしてのぼせた。これは聞きどころ」

と客は体を起こす。

「おおかた、のぼせ性なのでございましょう。あなたのことも、この頃は夢に見ない夜はございません。奥様がおできになったところを見たり、ぴたりとお出でが止まったところを見たり、まだまだもっと悲しい夢を見て、枕紙が涙でびっしょりになったこともございます。高ちゃんなどは夜寝るとすぐ、頭に枕をつけるより早く高いびきで、いい心持ちらしいのが、どんなに羨ましゅうございましょう。私はどんなに疲れたときでも、床に入ると目が冴えて、それはそれはいろいろなことを思います。あなたは私に思うことがあるだろうと、察していてくださるから嬉しいけれど、まさか私が何を思うかは、おわかりになりますまい。考えても仕方がないので、人前ばかりの大陽気。菊の井のお力はでたらめの締りなしだ、苦労ということは知るまいというお客様もございます。本当に運命とでもいうものか、私ほど悲しい者はないだろうと思います」

としみじみと言う。

「珍しいな、陰気な話を聞かせられる。慰めたくても、原因を知らないから、慰めようがない。夢に見てくれるほどの誠意があるなら、奥様にしてくれとぐらい言いそうなものだが、根っからお声がかりもないのはどういうものだ。古風に出るが、袖振り合うもさ。こんな商売を嫌だと思うなら、遠慮なく打ち明け話をするがいい。僕はまた、お前のような気性では、いっそ気楽だとかいう考えで、浮かれて世の中を渡ることかと思ったが、それでは何か理由があってやむを得ずというわけか。差し支えがなければ承りたいものだ」

と言う。

「あなたには聞いていただこうと、この間から思っていました。けれども、今夜はいけません」

「なぜ、なぜ」

「なぜでもいけません。私は我がままですから、申すまいと思うときは、どうしても嫌でございます」

と、ついっと立って縁側に出ると、雲のない空では月の光が涼しく、見下ろす町にはからころと駒下駄の音をさせて、行きかう人の姿がはっきりと見える。

「結城さん」

と呼ぶので、

「何だ」

と傍に行くと、

「まあ、ここへお座りなさい」

と手を取り、

「あの果物屋で桃を買う子がございましょう。可愛らしい四つほどの、あれがさっきの人の子でございます。あの小さな子ども心にも、よくよく憎いと思うらしく、私のことを鬼、鬼と言います。まあ、そんな悪者に見えますか」

と空を見上げ、ほうっと息をつく。

堪えかねた様子は、声の調子に表れていた。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 2

   

ある雨の日のつれづれに、表を通る山高帽子の三十男に、

「あれでもつかまえないと、この降りに客足が止まらない」

とお力が駆け出して袂にすがり、

「どうしても行かせません」

と駄々をこねると、器量のよさが功を奏し、いつにない紳士風のお客を呼び入れて、二階の六畳で三味線なしのしめやかな会話となった。

年を聞かれ、名を聞かれ、その次は親元の調査で、

「士族か」

と聞けば、

「それは言えません」

と言う。

「平民か」

と聞けば、

「どうでございましょうか」

と答える。

「それなら、華族」

と笑いながら聞くと、

「まあ、そう思っていてください。お華族の姫様が自らのお酌、かたじけなくお受けください」

となみなみと注ぐので、

「これは無作法な。置いたまま注ぐという法があるものか。それは小笠原か、何流だ」

と言うと、

「お力流といって菊の井一家の作法。畳に酒を飲ませる流儀もあれば、大きな椀の蓋で一気に飲ませる流儀もあり、嫌なお人にはお酌をしないというのが、最後のきまりでございます」

と臆した様子もないので、客はいよいよ面白がる。

「履歴を話して聞かせろ。さぞすさまじい物語があるに違いない。ただの娘上がりとは思われない、どうだ」

と言うので、

「ご覧なさいませ。まだ左右の髪の間に角も生えませんし、そのように年功は積んでおりません」

ところころと笑うのを、

「そうとぼけてはいけない。本当のところを話して聞かせろ。素性が言えないなら、目的でも言え」

と責める。

「難しゅうございますね。言ったら、あなた、吃驚なさいましょう。天下を望む大伴の黒主とは、私のこと」

と常磐津のせりふで返してますます笑うと、

「これはどうにもならない。そのように冗談ばかり言わず、少しは真実のところを聞かせてくれ。いくら朝夕を嘘の中に送るからといって、ちょっとは誠意も交じるはず。夫はいたか。それとも親のためか」

と真面目に聞かれるので、お力は悲しくなって、

「私だって人間でございますから、少しは心に沁みることもあります。親は早くに亡くなって今は私ひとり。こんな者でも、女房に持とうと言ってくださる方もないではないけれど、まだ夫は持ちません。どうせ下品に育った身ですから、こんなことをして終わるのでございましょう」

と投げ出したような言葉に無量の感が溢れ、なまめかしく、浮わついた姿に似合わず、どこか優れた様子が見えるので、

「なにも下品に育ったからといって、夫の持てないことはないだろう。ことにお前のような別嬪さんではあり、一足飛びに玉の輿にも乗れそうなものだ。それとも、そのような奥様扱いは虫が好かず、やはり伝法肌の職人が気に入るかな」

と聞くと、

「どうせそこらが落ちでございましょ。こちらが思うような方は先様が嫌で、来いと言ってくださるお人に気に入る人もない。浮気のようにお思いでしょうが、その日暮らしでございます」

と言う。

「いや、そうは言わせない。相手のないことはあるまい。今、店先で誰やらがよろしく言ったと他の女が伝言したではないか。いずれにせよ面白いことがあるだろう、どうだ」

と言うと、

「ああ、あなたもしつこく詮索なさいます。馴染みは数え切れず、手紙のやりとりは反古紙の取りかえっこも同じ。書けとおっしゃれば、神仏への証文でもお好み次第に差し上げましょう。夫婦約束などといっても、こちらで破るよりは先様の性根なし。奉公人なら主人が怖く、親持ちなら親の言いなり。振り向いて見てくれないなら、こちらも追いかけて袖をつかまえるほどではなく、それならよそうと、それきりになります。相手はいくらもあっても、一生を頼む人がないのでございます」

と寄る辺がないような風情だ。

「もうこんな話は止めにして、陽気にお遊びなさいませ。私は何でも沈んだことは大嫌い。騒いで騒いで騒ぎ抜こうと思います」

と手を叩いて同僚を呼べば、

「力ちゃん、だいぶおしめやかだね」

と三十女の厚化粧が来て、

「おい、この娘の可愛い人は何という名だ」

と出し抜けに聞かれ、

「はあ、私はまだお名前を承りませんでした」

と言う。

「嘘をいうと、盆が来たとき閻魔様へお参りができないぞ」

と笑うと、

「そうはいっても、あなた、今日お目にかかったばかりではございませんか。今改めて伺おうとしていました」

と言う。

「それは何のことだ」

「あなたのお名前をさ」

と返されて、

「馬鹿、馬鹿。お力が怒るぞ」

と景気づき、無駄話のやり取りに調子づいて、

「旦那のお商売を当ててみましょうか」

とお高が言う。

「なにぶんよろしく願います」

と手のひらを差し出すと、

「いえ、それには及びません。人相で見ます」

といかにも落ち着いた顔で、

「よせよせ、じっと眺められて棚おろしでも始まってはたまらない。こう見えても僕は官員だ」

と言う。

「嘘をおっしゃい。日曜以外に遊んで歩く官員様がありますものか。力ちゃん、まあ、何の職業でいらっしゃるだろう」

「化け物ではいらっしゃらないよ」

と鼻の先で言って、

「わかった人にご褒美だ」

と懐から財布を出すと、お力が笑いながら、

「高ちゃん、失礼を言ってはいけない。このお方はご身分の高いご華族様、お忍び歩きのご遊興さ。どうして商売などがおありでいらっしゃるだろう、そんなのではない」

と言いながら、座布団の上に載せておいた財布を取り上げる。

「お相方の高尾にこれをお預けなさいませ。皆の者に祝儀でも遣わしましょう」

と江戸吉原の名妓に自分を見立て、返事も聞かず、どんどん紙幣を引き出すのを、客は柱に寄りかかって眺めながら小言も言わない。

「諸事お任せ申す」

と大名のように寛大な人である。

お高はあきれて、

「力ちゃん、たいていにおしよ」

と言うが、

「なに、いいのさ。これはお前に、これは姉さんに。大きいので帳場の払いを取って、残りは皆にやってもいいとおっしゃる。お礼を申していただいておいで」

と撒き散らすと、これがこの娘の十八番と慣れているので、それほど遠慮も言ってはいない。

「旦那、よろしいのでございますか」

と念を押し、

「ありがとうございます」

とお札を掻きさらっていく後ろ姿に、

「十九にしては老けてるね」

と旦那殿が笑い出すので、

「人の悪いことをおっしゃる」

とお力が立って障子を開け、手すりに寄って頭痛を叩くと、

「お前はどうする、金は欲しくないか」

と聞かれて、

「私は別に欲しいものがございました。これさえいただけば何より」

と帯の間から客の名刺を取り出し、いただく真似をするので、

「いつの間に引き出した。引き換えに写真をくれ」

とねだる。

「この次の土曜に来てくだされば、ご一緒に写しましょう」

と、帰りかける客をそれほど止めもせず、後ろに回って羽織を着せながら、

「今日は失礼をいたしました。またのお出でをお待ちしております」

と言う。

「おい、調子のいいことを言うなよ。空誓文はごめんだ」

と笑いながら、さっさと立って階段を下りると、お力は帽子を手にして後ろから追いすがり、

「嘘かまことか、小野小町の元に通った深草少将のように、九十九夜の辛抱をなさいませ。菊の井のお力は鋳型に入った女ではございません。また形の変わることもあります」

と言う。

旦那のお帰りと聞いて、同僚の女や帳場の女主人も駆け出して、

「ただ今はありがとうございました」

と一斉にお礼を言う。

頼んでおいた車が来たと店の前から乗り込むので、家中表へ送りに出る。

「お出でをお待ちしております」

の愛想は、ご祝儀のお蔭と知られ、後には力ちゃん大明神様にも、

「ありがとう」

のお礼が山のように浴びせられた。

(つづく)

樋口一葉「にごりえ」 1

樋口一葉「にごりえ」(初出:『文芸倶楽部』明治28年9月)の現代語訳です。

   

「おい、木村さん、信さん、寄っておいでよ。お寄りといったら、寄ってもいいじゃないか。また素通りで二葉屋へ行く気だろう。押しかけて行って引きずってくるから、そう思いな。ほんとにお風呂なら、帰りにきっと寄っておくれよ。嘘っつきだから、何を言うか知れやしない」

と、店先に立って馴染みらしい突っかけ下駄の男をつかまえ、小言をいうような物の言い振りに、腹も立たないのか言い訳しながら、

「後で来る。後で」

と通り過ぎるのを、ちょっと舌打ちしながら見送って、

「後でもないもんだ、来る気もないくせに。本当に女房持ちになっては仕方がないね」

と、店に向かって敷居を跨ぎながら独り言をいえば、

「高ちゃん、だいぶご述懐だね。何もそんなに案じなくていいだろう。焼けぼっくいと何とやら、またよりが戻ることもあるよ。心配しないで、まじないでもして待つがいいさ」

と慰めるような同僚の口ぶりに、

「力ちゃんと違って、私には技量(うで)がないからね。一人でも逃がしては残念さ。私のような運の悪い者には、まじないも何も効きはしない。今夜もまた木戸番か。何てことだ。面白くもない」

と癇癪まぎれに店先へ腰をかけて、駒下駄の後ろでトントンと土間を蹴るのは、二十歳を越して七年か十年か、眉を長く描いて額際に墨を塗り、白粉をべったりと付け、唇は人を喰う犬のようで、これでは口紅もいやらしいものである。

お力と呼ばれたのは、中肉で背格好がすらりとして、洗い髪の大島田に新藁の髪飾りという爽やかさに、頸元だけの白粉も映えて見えない天然の色白をこれ見よがしに胸元まで広げて、煙草スパスパ、長煙管に立て膝の無作法も、咎める人がないのでよいが、思いきった大柄の模様の浴衣に、端を垂らした帯は黒繻子と何かの紛い物、緋色の平ぐけが背に見え、いわずと知れたこのあたりの姉さま風である。

お高といったのは、洋銀のかんざしで天神返しの髷の下を掻きながら、思い出したように、

「力ちゃん、さっきの手紙、お出しか」

と言う。

「はあ」

と気のない返事をして、

「どうせ来やしないけれど、あれもお愛想さ」

と笑っていると、

「たいていにおしよ。巻紙二尋(十二尺)も長い手紙を書いて、二枚切手の分厚い封書がお愛想でできるものか。それに、あの人は赤坂からの馴染みじゃないか。ちっとやそっとのいざこざがあろうと、縁切れになってたまるもんか。お前の出かた一つでどうにでもなるのに、ちっとは精を出して引き止めるように心がけたらよかろう。あんまり冥利が悪いだろう」

と言う。

「ご親切にありがとう。ご意見は承りおきまして、私はどうもあんな奴は虫が好かないから、ない縁と諦めてください」

と他人事のように言うので、

「あきれたものだね」

と笑って、

「お前などはその我がままが通るから豪勢さ。私のようになっては仕方がない」

と団扇を取って足元を扇ぎながら、昔は花よというように言うのが可笑しく、表を通る男を見かけて、

「寄っておいで」

と夕暮れの店先が賑わった。

店は二間間口の二階作りで、軒にはご神灯を下げて景気よく塩を盛り、空き瓶か何か知らない銘酒を多く棚の上に並べて、帳場めいたところも見える。

勝手元には七輪を扇ぐ音がおりおり騒がしく、女主人が寄せ鍋、茶碗蒸しくらいは作れるのも当然で、表に掲げた看板を見ると、もったいぶって御料理としたためてある。

とはいっても、仕出しを頼みに行けば何と言うであろう。

急に「本日品切れ」もおかしいし、「男のお客様は、手前どもの店へお出かけを願います」とも言いにくかろう。

しかし、世の中は方便か、商売柄を心得て、口取り、焼き魚と注文に来る田舎者もいなかった。

お力というのは、この店の一枚看板で、年は一番若いが、客を呼ぶのが巧妙で、それほどご愛想の嬉しがらせを言うようでもなく、我がまま放題のふるまいに、

「少し器量を鼻にかけるかと思うと、顔を見るだけでも憎らしい」

と陰口を言う同僚もいたが、

「付き合うと思いのほか優しいところがあって、女同士でも離れたくない心持ちがする。ああ、心というものは表れるもの。顔つきがどことなく優れて見えるのは、あの娘の本性が現れるのだろう。誰でもこの新開の銘酒屋街へ入るほどの者で、菊の井のお力を知らない者はあるまい。菊の井のお力か、お力の菊の井か。それにしても、近頃まれな拾いもの。あの娘のお蔭で新開に光がそなわった。抱え主は神棚へ捧げておいてもいい」

と軒を並べる店の羨望の種になっている。

お高が往来の人がないのを見て、

「力ちゃん、お前のことだから、何があったからって気にしてもいまいが、私は身につまされて源さんのことが思われる。それは今の身分に落ちぶれては、まるきりいいお客ではないけれども、想い合ったからには仕方がない。年は違おうが子があろうがさ。ねえ、そうではないか。お内儀さんがあるといって別れられるものかね。構うことはない、呼び出しておやり。私のなぞといったら、野郎が根っから心変わりして、顔を見てさえ逃げ出すのだから仕方がない。どうせ諦めて別の相手を探すんだが、お前のはそれとは違う。了見一つでは、今のお内儀さんに三行半もやられるのだけど、お前は気位が高いから、源さんと一緒になろうとは思うまい。それだもの、なおのこと、呼ぶのに支障があるものか。手紙をお書き。今に三河屋のご用聞きが来るだろうから、あの小僧にお遣いをさせるがいい。なに、お嬢様ではあるまいし、ご遠慮ばかり申してなるものか。お前は思い切りがよすぎるからいけない。ともかくも手紙をやってごらん。源さんも可哀想だわな」

と言いながらお力を見ると、煙管掃除に余念がなく、うつむいたまま黙っている。

やがて雁首を綺麗に拭いて、一服吸ってポンとはたき、また吸いつけてお高に渡しながら、

「気をつけておくれ、店先で言われると人聞きが悪いじゃないか。菊の井のお力は土方の手伝いを情夫(まぶ)に持つなどと考え違いをされてもいけない。それは昔の夢語りさ。なに、今は忘れてしまって、源とも七とも思い出さない。もう、その話は止め、止め」

と言いながら立ち上がると、表を兵児帯の書生たちが通る。

「これ、石川さん、村岡さん、お力の店をお忘れになりましたか」

と呼びかけると、

「いや、相変わらず豪傑のお声がかり。素通りもなるまい」

とすっと入るので、たちまち廊下にバタバタという足音がして、

「姉さん、お銚子」

と声をかければ、

「お肴は何を」

と答える。

三味線の音が景気よく聞こえ、それからは踊り乱れる足音が聞こえ始めた。

(つづく)

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