樋口一葉「にごりえ」 6
以下の文中には、原文の表現にもとづき、今日では不適切と受け取られる表現が一部含まれていることをおことわりいたします。
六
「十六日は必ずお待ちしています。来てください」と言ったのも何も忘れ、今まで思い出しもしなかった結城朝之助にふと出会って、
「あれ」
と驚いた顔つきの、いつにない慌て方がおかしいと男が笑うので、少し恥ずかしく、
「考えごとをして歩いていたので、不意のように慌ててしまいました。今夜はよく来てくださいました」
と言う。
「あれほど約束をして、待っていてくれないのは誠意がない」
と責められるので、
「何とでもおっしゃい。言い訳は後でいたします」
と手を取って引くと、
「野次馬がうるさい」
と注意する。
「どうでも勝手に言わせましょう。こちらはこちら」
と人中を分けて伴った。
下座敷ではまだ客が激しく騒ぎ、お力が中座したのに機嫌を悪くしてやかましかったおりから、店口で「おや、お帰りか」の声を聞くなり、
「客を置き去りにして中座するという法があるか。帰ったならここへ来い。顔を見せないと承知しないぞ」
と威張りたてるのを聞き流して、二階の座敷へ結城を連れ上げ、
「今夜も頭痛がするので、お酒の相手はできません。大勢の中にいると、お酒の香に酔って夢中になるかもしれませんから、少し休んでその後はわかりません。今はごめんなさいませ」
と下座敷の客に断りを言ってやると、
「それでいいのか。怒りはしないか。やかましくなれば面倒だろう」
と結城が心配する。
「なに、商家の奉公人の白瓜がどんなことをしでかしましょう。怒るなら怒れでございます」
と小女にお銚子の支度を言いつけ、来るのを待ちかねて、
「結城さん、今夜は少し面白くないことがあって、普段と気持ちが違っていますから、その気で付き合ってください。お酒を思い切って飲みますから、止めてくださいますな。酔ったら介抱してください」
と言うと、
「君が酔ったのをいまだに見たことがない。気が晴れるほど飲むのはいいが、また頭痛が始まりはしないか。何がそんなに逆鱗に触れた。僕などに言っては悪いことか」
と聞かれので、
「いえ、あなたには聞いていただきたいのでございます。酔うと申しますから、驚いてはいけません」
とにっこりとして、大湯呑みを取り寄せて、二、三杯は息もつかなかった。
いつもはそれほど心も留まらなかった結城の風采が、今夜はなんとなく立派に思われて、肩幅があって背がいかにも高い点をはじめとして、落ち着いてものを言う重々しい口ぶり、目つきが鋭くて人を射るような点も、威厳が備わっているかと嬉しく、濃い髪の毛を短く刈り上げて、えりあしがくっきりとした点など、今更のように素晴らしく眺められ、
「何をうっとりしている」
と聞かれて、
「あなたのお顔を見ていますのさ」
と言うと、
「こいつめ」
と睨みつけられて、
「おお、怖いお方」
と笑っているので、
「冗談はおいて、今夜は様子がただごとではない。聞いたら怒るかしれないが、何か事件があったのか」
と聞く。
「何といって降って湧いたこともなければ、人とのいざこざなどは、もしあったにしろ、それはいつものこと。気にもかかりませんから、どうして物思いなどいたしましょう。私がときおり気まぐれを起こすのは、人が何かするのではなくて、みな自分の心からくる浅ましいわけがございます。私はこんな卑しい身の上、あなたは立派なお方様。思うことは裏腹で、お聞きになっても汲んでくださるか下さらないか、そこのところはわかりませんが、もし笑いものになっても私はあなたに笑っていただきたく、今夜は残らず申します。まあ、何から申しましょう。気が揉めて口がきけない」
と、またもや大湯呑みで盛んに飲む。
「何より先に私の身の自堕落を承知していてください。もとより箱入りの生娘ではありませんから、少しは察してもいてくださるでしょうが、口では綺麗なことを言いましても、このあたりの人に泥の中の蓮とやら悪行に染まらない女がいたら、繁盛どころか見にくる人もないでしょう。あなたは別物。私のところへ来る人も、たいていはそうだとお思いください。これでも、ときおりは世間様並みのことを思って、恥ずかしいこと、つらいこと、情けないこととも思われもし、いっそ九尺二間の貧乏長屋暮らしでも、決まった夫というものに添って身を固めようと考えることもございますが、それが私にはできません。そうかといって、私を目当てに来るお客に無愛想にもなりがたく、可愛いの、愛しいの、見初めましたのと、でたらめのお世辞も言わねばならず、多い中には真に受けて、こんなろくでなしを女房にと言ってくださる方もある。妻に持たれたら嬉しいか、添ったら本望か、それが私にはわかりません。そもそもの初めから私はあなたが好きで好きで、一日お目にかからなければ恋しいほどですが、奥様にと言って下さったらどうでございましょうか。妻に持たれるのは嫌で、よそながらには慕わしく、ひと口に言われれば浮気者でございましょう。ああ、こんな浮気者に誰がしたとお思いか。三代伝わっての出来損ない、父親の一生も悲しいことでございました」
とほろりとすると、
「その親父さんは」
と問いかけられる。
「父親は職人、祖父は漢籍を読んだ人でございます。つまりは私のような気違いで、世の役に立たない反古紙をこしらえたのを、お上から出版を止められたとか、許されないとかで、断食して死んだそうでございます。十六歳のときから思うことがあって、生まれも卑しい身でしたが、一心に修行をして六十歳を過ぎるまで成し遂げたこともなく、終いには人の物笑いで、今では名を知る人もないといって、父が常日頃嘆いていたのを子どもの頃より聞き知っておりました。私の父というのは、三歳のときに縁から落ちて片足が不自由になったので、人中に立ち交じるのも嫌だといって、家で金物細工の装飾品をこしらえていましたが、気位が高くて愛想がないので、ひいきにしてくれる人もなく、ああ、覚えていますが、私が七歳の冬でございました。寒いなか親子三人とも古浴衣で、父は寒さもわからないのか、柱に寄って細工物に工夫を凝らしているとき、母は炊き口の一つしかない欠けたかまどに割れ鍋をかけて、私に米を買いにいけという。味噌漉しを下げて、はした金を手に握って、米屋の入り口までは嬉しく駆けつけたけれども、帰りには寒さが身にしみて手も足もかじかんだので、五、六軒隔てた溝板の上の氷ですべり、足を留めるものもなく転んだはずみに手にした物を落として、一枚外れた溝板の隙間からざらざらとこぼれ落ちると、下は流れも汚い溝泥です。何度も覗いてはみましたが、これをどうして拾えましょう。そのとき、私は七歳でしたが、家の中の様子、父母の心もわかっているので、お米は途中で落としました、と空の味噌漉しを下げて家には帰れず、立ってしばらく泣いていましたが、どうしたと聞いてくれる人もなく、聞いたからといって買ってやろうという人はなおさらない。あのとき、近所に川か池でもあれば、私はきっと身を投げてしまいましたろう。話は真実の百分の一。私はその頃から気が狂ったのでございます。帰りの遅いのを母親が心配して、探しに来てくれたのをしおに家には戻りましたが、母もものを言わず、父親も無言で、誰一人私を叱る者もなく、家の中はしんとして、ときおり溜息の声が洩れるので、私は身を切られるより情けなく、今日は一日断食にしよう、と父が一言いい出すまでは、息もつけないようでございました」
話を中断して、お力はあふれ出る涙が止まらないので、紅色のハンカチを顔に押し当て、その端を噛み締めながら、三十分も黙っていた。
座には物音もなく、酒の香を慕って寄ってくる蚊のうなり声だけが高く聞こえた。
顔を上げた時は、頬に涙の跡は見えるものの、淋しげな微笑さえ浮かべて、
「私はそのような貧乏人の娘、気違いは親ゆずりで、ときおり起こるのでございます。今夜もこんなわからないことを言い出して、さぞあなた、ご迷惑でございましてでしょう。もう話はやめにいたします。ご機嫌に障りましたら許してください。誰か呼んで陽気にしましょうか」
と聞くので、
「いや、遠慮はいらない。その父親は早くに亡くなったのか」
「はあ、母さんが肺結核というのを患って亡くなりましてから、一周忌の来ないうちにあとを追いました。今おりましてもまだ五十歳、親なので褒めるわけではないけれど、細工は本当に名人といってもよい人でございました。けれども、名人でも上手でも、私どもの家のように生まれついては、どうにもなることはできないのでございましょう。私の身の上でも知られます」
と、物思わしい風情である。
「お前は出世を望んでいるのだな」
と突然朝之助に言われて、
「えっ」
と驚いた様子に見えたが、
「私どもの身で望んだところで、味噌漉しを下げた女房になるくらいが落ち。なに、玉の輿までは思いもかけません」
と言う。
「嘘をいうのは人に依る。初めから何でも見知っているのに、隠すのは野暮の沙汰ではないか。思い切ってやれ、やれ」
と言うので、
「あれ、そのようなけしかけの言葉は止してください。どうせこんな身でございますのに」
としおれて、またものを言わない。
今夜もたいそう更けた。
下座敷の客はいつか帰り、表の雨戸を閉めるというので、朝之助が驚いて帰り支度をするのを、お力は、
「どうでも泊まらせる」
という。
いつの間にか下駄も隠させたので、下駄を取られて足のない幽霊ならぬ身では、戸の隙間から出ることもできまいと、今夜はここに泊まることになった。
雨戸を閉ざす音がしばらく賑やかで、後には戸の隙間から洩れる灯火の明かりも消えて、ただ軒下を行き通う夜回りの巡査の靴音だけが高く聞こえた。
(つづく)
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
「お前は出世を望んでいるのだな」
ではありません.
『お前は出世を望むな』です.
これを間違えると、この作品は全く理解できなくなります.
投稿: ルミちゃん | 2013年11月 5日 (火) 01時43分
ルミちゃんさん
コメントありがとうございます。
「お前は出世を望むな」の「な」については、禁止ととるか、感嘆ととるか、二説ありますね。
ネットで読めるところでは、
宮崎隆広氏「一葉『にごりえ』論-ひとすじの白い道-」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007058079
CiNii PDF
の9~11頁にも、先行論を踏まえての考察があります(この論文は感嘆説)。
お力が朝之助の言葉に「ゑツ」と驚き、「何の玉の輿までは思ひがけませぬ」と受けているにもかかわらず、朝之助が「思ひ切つてやれやれ」とけしかけていることから、私も、「お前は出世を望むな」の「な」を感嘆と解しました。
何を「思ひ切つてやれやれ」かというと、出世=玉の輿であって、先に禁止したものを「思い切つてやれやれ」では、朝之助がお力の言葉を受けて前言を翻したことになりますが、二人のやりとりの間にそのような契機はないと考えたのが、その理由です。
投稿: まちこ | 2013年11月 5日 (火) 04時53分
簡単に書きますね.
『そもそもの初めから私はあなたが好きで好きで、一日お目にかからなければ恋しいほどですが、奥様にと言って下さったらどうでございましょうか。妻に持たれるのは嫌で、よそながらには慕わしく、ひと口に言われれば浮気者でございましょう。』
「私は妻になって出世しようとは思わない(望まない)、妾にして欲しい」
お力の身の上話を聞いた後に、
「お前は出世を望むな」と、結城は言いました.
遊女にとっての出世とは、玉の輿に乗ることなのですが、もう少し正確に言えば、
『玉の輿に乗って、良い妻になること』、なのです.
ですから、結城の言葉は、『良い妻になろうと思うな』と言っているのです.
こんな風に考えて、もう一度、6章を読んでみてください.
投稿: ルミちゃん | 2013年11月10日 (日) 18時12分
もう少し書いておきましょう.
『玉の輿に乗って、良い妻になること』をさらに考えて、
『良い妻』には、二つの意味がある.
一つは、『あなだだけを愛している』、浮気者と反対の良い妻.
もう一つは、『私は料理が得意、裁縫も上手』、この作品では『行儀作法が良い妻』.
(お味噌汁のお椀をひっくり返すのは、悪い妻)
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『そもそもの初めから私はあなたが好きで好きで、一日お目にかからなければ恋しいほどですが、奥様にと言って下さったらどうでございましょうか。妻に持たれるのは嫌で、よそながらには慕わしく、ひと口に言われれば浮気者でございましょう。』
私は、あなたをどうしようもないほど好きだけど、でも源七も好きだから、妻になれと言われても、あなただけのものになることは出来ない.むしろ、妾になれと言われた方が、よっぽどか嬉しい.妾なら、あなたも浮気、私に浮気心があっても許されるでしょうから.
投稿: ルミちゃん | 2013年11月10日 (日) 20時04分
まとめてお返事いたします。
「妻にもたれるのは嫌で~浮気者でございましょう」という言葉から、「妻になって出世しようとは思わない、妾にしてほしい」とお力が望んでいるとは、私は解しません。
同じ一葉の「わかれ道」に登場するお京は、親兄弟もなく、貧しいため、昼夜となく針仕事をしていますが、「妾」になるために長屋を去ります。
これも、女なればこその「出世」ですね。
堅気の仕事屋にとって、妾になることが「出世」であるなら、曖昧屋の酌婦にとってはなおさらで、「出世=玉の輿」を身分や経済力のある男の妻になることだけに限定することはできません。
「八」には、「何しろ菊の井は大損であらう、かの子には結構な旦那がついた筈、取にがしては残念であらう」という町の声も取り上げられています。
朝之助が、「妾」も含んで「出世」といったかどうかはともかく、世間的に見れば、曖昧屋の酌婦にとっての「出世」には、「妾」になることも含まれます。
また、当時の「妾」は、旦那となった男から生活の保障を得る代わり、専属的に奉仕するものですから、ルミちゃんさんのおっしゃる意味での「浮気者」にはふさわしくないと思います。
(私は、お力の「浮気者」には、心が人並みに落ち着かない者という意味も含まれていると考えていますが。)
お力は「ああこんな浮気者には誰れがしたと思召、三代伝はつての出来そこね」と、祖父・父の話をしています。
変わり者であったために世に受け入れられず、かなしい一生を送った祖父・父と同じく、自分も変わった女なので、「持たれるは嫌なり他処ながらは慕はし」で、他の酌婦なら「出世」になること(妻や妾に持たれること。好きな男ならなおよい)も、自分には望ましいと思えない、というのがお力だと思っています。
お力の身の上話の最後は、「名人だとて上手だとて私等が家のやうに生れついたは何にもなる事は出来ないので御座んせう、我身の上にも知られまする」です。
お力について「何も見知つてゐる」と自認する朝之助が、そこまで聞いたうえで、「(だが、本心では)お前は出世を望んでいるのだな」と言ったため、お力は驚き、うちしおれたあと、「どうでも泊まらせる」と言ったと私は解しています。
ルミちゃんさんが「遊女にとっての出世とは、~もう少し正確に言えば、『玉の輿に乗って、良い妻になること』、なのです」とおっしゃった「良い妻」については、重ねてのコメントで補足してくださっていますが、これは、お力の「私等が身にて望んだ処が味噌漉しが落」を論拠にされているのですね。
私は、「味噌漉しが落」について、「味噌漉しを下げた女房になるくらいが落ち」と訳しました。
ここは、お力の7歳の冬の回想にある味噌漉しを読者に想起させる部分で、もし望んだとしても貧乏人の女房になるのがせいぜいといった意味にとっています。
ですので、ここを「お味噌汁のお椀をひっくり返すような行儀の悪い妻」ととり、翻って先の朝之助の言葉を「良い妻になろうと思うな」と解することは、私にはできません。
お力が朝之助の妾となることを望んでいたと読む方がいらっしゃることを知り、驚いたというのが素直な感想です。
原文の「お前は出世を望むな」については、たとえば、新日本古典文学大系 明治編24『樋口一葉集』でも、「出世を望んでいるんだな。「な」を否定・禁止の終助詞とする説もあるが、感嘆の終助詞ととらえるのが一般である」と注釈されています。
もちろん、「一般」以外の説もあってよく、どの作品でも「一般」とされる説が変わることはあるだろうと思います。
ですから、私は、ルミちゃんさんの最初のコメントにあるように「これを間違えると、この作品は全く理解できなくなります」などとは申しませんが、現在の私の読みは以上のようなものです。
コメントをいただけば、こちらもお返事を書くのに、それなりの時間を割くこととなります。
「にごりえ」の記事をエントリーしたのは2009年2月で、現在の関心は「にごりえ」を離れていますし、お返事するには再度見直す必要もありますが、仕事も生活も持病もある体です。
今回、ご自分の解釈を主張されるコメントを立て続けにいただきましたが、妥結点を見出すのは難しい・・・という気がしています。
睡眠時間を削ることにもなりますし、今後はお返事できかねるかもしれません。
ご自分の解釈の主張が趣旨でしたら、ご自分のブログ等でなさってはいかがでしょうか。
そのほうが、いま「にごりえ」に関心のある方と、ルミちゃんさんの読みをもとに、いろいろと意見が交換できる可能性も広がるのではないでしょうか。
投稿: まちこ | 2013年11月11日 (月) 02時58分