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年末に近所のショッピングセンターで買い込んだ食料品が意外と減らず、年明け初の買い出しは今日でした。
仕事が始まると閉店時間を過ぎてしまったり、疲れて寄れなかったりするし・・・と、あれこれ買ってカートを押しながら出口に向かっていたら、前方から歩いてきた乳腺外科のO先生と目が合いました。
お互いに「あっ」と言ったあと、「あけましておめでとうございます」
昨年11月に読み返していたアーサー・W・フランク『傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理』(ゆみる出版)では、何らかのがんを患った人や慢性疾患患者などで、「実質的にはほぼよくなっているけれども、決して完治したとは見なされない人々」を総称して、「寛解者の社会」と呼んでいます。
近代的な考え方の中では、人々は健康であるか、さもなければ病気である。病気と健康は、ある時点でどちらが前景にありどちらが背景に退くのかに応じて、決定的な形で移行する。寛解者の社会においては、病気と健康との前景・背景の関係は、相互浸透しながら徐々に移行していく。(27頁)
パーソンズの「病人役割」やソンタグの「健康の王国と病気の王国」に対して、フランクがいう「寛解者の社会」は、20代以降の私の実感に合うものですが、病院で白衣の先生と会うとき(病気が前景化している)とショッピングセンターで普段着の先生と会ったとき(病気はほぼ背景のまま)の違いをおもしろく感じました。
年末年始は、たまった仕事を片付けながら、心身休養を第一にしていました。
明日から通常勤務ですが、年末に起こった問題の対応の続きや来年度事業計画・予算申請など、疲れないことを第一にしていきたいと思っています。
昨日、仕事帰りに福井市内で見た雲。
地面から上に向かってほぼまっすぐ伸びていて、何かイベントでもあったのかな・・・と思ったけれど、ネット、新聞等のニュースを見ても、それらしいものは見当たらず。
何だったのかな?
先日、就職のため転居した青年。
fromさいたま
という写真がメールで来たので、
無事到着の報せですね。
一部しか写ってないけど、きれいなお部屋じゃないの。
と返信したら、開栓作業時にガス漏れが発覚、給湯器ごと交換することになったらしく、以後やりとりが続きました。
昨日入居したんですが、2日連続風呂に入れません
というか、お湯すら出ません
調理もできません /(^o^)\ナンテコッタ
*
お風呂は銭湯? ごはんは外食?
生活整えるのに数日かかりますね。
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銭湯しかないですね。
飯はひたすら外食してます
さらにテレビのリモコン忘れて地域選択ができず
テレビが見れません・・・
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スマホにリモコンアプリ入れてみたら?
環境の変化で体調崩さないように。
その後、しばらくして、
なんかすごいところに来てしまいました
と銭湯らしき写真が来たので、
千と千尋の、みたい。
*
入り浸るかもしれませんw
それと先程のアプリですが、スマホをwifiにつないでいる必要があるらしく
まだルーター買ってないので 起動すらできずorz
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ぼちぼち整えていってください。
とりあえず、よい銭湯もあったことだし。
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管理会社の説明が二転三転して
インターネットが使えるのかもわからず
あの風呂屋さん、車で10分なんですよね
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困ったことも含めて、いろいろ新鮮(?)ですね。
余裕ないかもしれないけど、楽しんで。
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入社式前日まで風呂入れないことが確定しました(^O^)/
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入社式は2日? その後はしばらく研修かと思います。へこたれませんように。
*
いえ、1日ですね。
そして、1ヵ月ほどホテルに軟禁されます。
現時点でもう嫌気がさしてます(笑)
年度末最後の休日は、このやりとりから自分が転居したときを思い出し、部屋の模様替え・・・は無理なので、家中のレースのカーテンを洗濯しました。
ご無沙汰している間に、クロエとクレアは3歳5ヵ月になりました。
クレア「今日は写真、載せるの?」
クレア「じゃあ、クロちゃんと仲良くしてるところ」
クロエ「それはいいけど」
クロエ「顔の大きさ、比べないでください」
*
クロエは4.7kg、クレアは4.1kg。
外は雪で寒くても、クロエたちは暖房の入った部屋で、よく食べ、よく遊び、元気です。
「ごはん」という言葉がわかるので、ドライフードの残り具合を見て「ごはん、まだあるね」などとうっかり言うと、「オアン?」(ごはん?)、「オアーン」(ごはーん)とキッチンに走るので、もう少しあとでと思っていたウェットフードを早めに出すはめに
昨日の夕方、マンション前から8号線までの道路にようやく除雪車が来ましたが、なぜかあちこち中途半端にやり残した状態で、駐車場前の道路は放置。
今日は昼過ぎから夕方まで、二つ隣の駐車スペースの人と女性二人力で雪かきし、私たちの車の前からマンション前の道路に出る角まで、1車線分の路面をきれいにしました
また雪が降り出したので止めましたが、明日も疲れない程度に雪かきの予定です。
甲状腺のクリニックに行くのは、昨日に続き、今日も諦めました。
・昨日
車は駐車場から出せるようになったものの、朝5時に通行止めが解除された国道8号線は、雪のために片側1車線となり、圧雪で路面がボコボコなのもあって、大渋滞(というメールが入ってきた)。
その8号線に出るまでの道は、さらに除雪不十分で、駐車場で雪かきをする間も徒歩で買い物に出たときも、何台もスタックしている車を見ました。
試しに走ってみたところ、冬はもともと痛い術側の左腕が雪かきでさらに痛いこともあって、ガタガタと左右に車体を振られる道をこのまま8km走っていけるかな・・・と。
結局、近所をガタガタと周回して帰ってきてしまいました
・今日
昨日で甲状腺の薬がなくなり、日・祝日は休診なので、今日行かないと困るな・・・と雨のなか出かけましたが、マンション周辺の道路状況が昨日より悪く、8号線に出る交差点も除雪不十分なため、信号をいくつ待ってもなかなか前に進まず。
8号線自体もほとんど進んでおらず、やっと交差点に来たとき、このまま右折して渋滞中の1台になる気が失せて、左折して車販売店の角を曲がって戻ろうとしましたが、昨日、何台も見ていたのに、私の車もスタック。
アクセルを踏み過ぎないように、バックして前進、バックして前進していたら、車販売店の方が来てくれて助かりました
帰宅後にクリニックに電話すると、
「薬はいつまでありました?」
「昨日までです」
「カルテ確認して、かけ直しますね」
折り返しの電話では、
「できるだけ火曜に来るようにしてください。リスクがあるので、来れない場合は方法を考えますから、必ず電話してください」
体調を崩さないように、明日以降の雪かきはほどほどで済めばいいな・・・と思っています。
ご無沙汰したうえに、大雪のことですが・・・。
1981年の「五六豪雪」以来、37年ぶりの大雪ということで、車が出せません
6日(火)は、6時半から8時まで車まわりの除雪に励んでみましたが、除雪車が来ないとどうにもならず、マンションの他の皆さんも「今日は仕事に行くの無理やねー」と、いったん部屋に引き上げました。
私も出勤できないと連絡しましたが、同様の連絡が多かったよう。
その後、この日10:40から行うことになっていた会議を翌日11:30からに変更すると連絡がありましたが、私は乳腺外科の通院日のため、それも欠席することに。
除雪車が来ない駐車場前の道路は、こんな有様(6日の14時過ぎ)。
部屋の窓から見える国道8号線の北行きの車列は、お昼前からずっと動かず、もし除雪車が来て出勤していたら、私も帰りに巻き込まれただろうな・・・と、ドライバーの皆さんが気の毒になりました
7日も、6時半から8時まで雪かきしましたが、車が出せない状況は変わらず。
病院の受付に電話にすると、「今日はこの天候なので、何時に来られてもよいですよ」と言われましたが、バスも運休しているし、「今日は無理だと思うので」と予約変更を依頼。
職場のほうは、こちらより40cmほど積雪は少ないようでしたが、8日・9日は全員休みとなりました。
その後、窓から見える8号線で立ち往生していた車がいつのまにかなくなり、渋滞どころか、車が通ってない・・・と思ったら、通行止め区間が石川県境から福井市足羽川北まで延びていました。
朝・昼・夕の雪かきは相変わらず。
そろそろ私と猫たちの食糧補充を・・・と思い、昼の雪かきの際に近くのショッピングセンターのことを尋ねると、
「昨日が特招会になってたでしょう。だから、大雪前に大量に入荷してたみたいで、生鮮品はさすがに少なくなってたけど、他はあったよ」
ということで、夕方、歩いて買い物に。
休業しているテナントも多く、営業していたスーパーやペットショップでも、店員さんは通勤できた人のみの様子。
営業時間もいつもより短くなっていましたが、レジで「通勤だけでも大変ですね。帰りも気をつけてくださいね」と言ったら、笑顔で「お客様もお気をつけて」と言われました。
クロエとクレアは、私が日に何度も部屋を出ては1時間~1時間半ほどで戻ってくるので、初めは「なにごと?」という顔をしていました。
換気のために窓を開けると、まずクロエがベランダに積もった雪に恐る恐る足を踏み出し、梅鉢模様の足跡を数個つけて、すぐに部屋へ。
次に窓を開けたときには、クレアがもう少し多い梅鉢模様を残して戻ってきました。
甲状腺の薬が切れるので、9日・10日のうちにクリニックに行きたいと思っていますが、それも駐車場前の除雪と国道8号線の通行止め次第・・・。
2月10日の夜、小学5・6年のときの同級生、TとF(当時のニックネーム)から電話がありました。
私は5~18歳まで過ごした場所を進学で離れ、その後も実家の転居、私の就職・転居があり、中学・高校を卒業して以来、小学校の同級生とは数名しか会ったことがありません。
10年ほど前にクラス会の電話をもらったとき、「お店継いで頑張ってるよー」と言っていたTは、数年前に内閣府の某賞を受賞。
それをネットのニュースで知って検索してみたら、地域活性化に積極的に取り組んでいる女性経営者として、取材や講演の様子も多くアップされていて、高校を中退した10代後半、やんちゃで××のお世話になったことまで語っているのも、Tらしいなあ・・・と思いました。
小学5年で同じクラスになったTとは、中学3年でも同じクラスに。
「Tですー。憶えてるー?」
「わあ、久しぶり」
「久しぶりやなあ。Fもいま横にいるよ」
「へえー」
「あのね、小学校のときに転校していったTHくん、憶えてる?」
「うん、憶えてる」
「Tくん、今度こっちに帰ってきたん。それで、久しぶりに同窓会しよかーって、みんなに電話かけてるんやけど、18日、空いてる?」
「うーん、18日は職場で行事があって、私は無理」
「残念やなあ。いま福井で何してるん? 私、あわら温泉とかよく行くよ。加賀とか山中温泉も」
「へえ、ほんと? 私、○○に勤めてる」
「○○の○○?」
「うん」
「えらいなあ」
「ううん、Tちゃんこそ。数年前の受賞のニュース見たよ。着物で出てたの」
「おばばみたいやった?」
「いやいや、相変わらず。美しかった」
「あはは、今度福井に行くわ。そのとき会おう。会える? 結婚したり子どもとかいてるん?」
「してないし、いないよ」
「一緒やなあ。ともに語ろう。Fに替わるわ」
見るからに真面目な優等生タイプだったFは、別の中学に行き、高校でまた一緒に。
「久しぶりー。いま○○の○○してるん?」
「うん」
「大学は○○やったよね?」
「よく憶えてるねー。そのあとまた進学して、就職でこっちに来たの。Fはどうしてるの?」
「私、ずっと郵便局に勤めてて、この前、○年の永年勤続表彰されたよ」
「へえ。すごい」
「だって、○年勤めてるもん」
「もうそんなになる?」
「なる、なる。18日は来られへんの? 残念やなあ」
「うん、ごめんね。皆さんによろしく」
その後、16日にお通夜から帰宅したとき、マナーモードにしていたスマホにTからメールが来ていたのに気づきました。
4月の土曜にFとあわら温泉に行こうかと思ってるけど、会えそう? という内容で、数回返信しあい、翌日には続きのメールと宿泊先を訂正する電話も。
会食する料亭まで「青年会議所の友達のとこだから」と決めていて、迎える側はまったくの手間要らず。
「そこからも近いやろ? そのあとFとあわらに行くわ」
「遠いのにありがとう。TとFは普段からよく会ってるの?」
「ううん、お茶したこともなかったよ」
「へえ」
「こないだ電話したあと、Fが行きたいって言うから、じゃあ行こかって」
「行動力あるねえ」
「それが取りえや」
小学校の卒業アルバムは、それぞれ自分が描いた水彩画(校舎の絵)を使って装丁され、中の写真は白黒、文集も一色刷り。
担任の先生がアルバム用に撮り、焼き増ししてくれた数枚は、途中入園した幼稚園~中学の写真が順不同で入っている箱の中で、白黒なのでかえって目立ち、探しやすいという利点もありました。
そのうちの1枚(スキャン後、解像度低めに)、私は前列の上から4人目
2月に入ってまだ一度も更新していませんでした。
所属部署の60代男性が職場で突然意識を失くし、救急搬送されたのは今月初め。
そのとき、私は離れた部屋で会議中で、サイレンを止めて到着・出発した救急車にも気づかず。
その後、搬送された方は意識が戻り、翌日ご本人が職場にかけてこられた電話では、「このあと受ける検査が終わったら退院できそうだから、週明けには出勤する」と話されていたそうですが、休日だった(土)の午後、その検査待ちの間に急逝されたと連絡がありました。
毎年1月下旬~2月中旬は、ルーティンの仕事の終盤に複数の行事と関連会議が重なる多忙な時期。
ルーティンの仕事は各人で内容が異なるので、週明けには年度内の代行や来年度の担当について会議が行われ、なかでも分野が近く親しかった数名は、突然の悲報に急な代行も重なり、分野の異なる私にできるのは、少しの息抜きのために話を聞くことくらいでした。
今週(火)には、その分担体制で朝から行事がありましたが、開始前にやはり所属部署の60代男性が意識を失くし、救急搬送されました。
私はそのとき職場まであと数百メートルのところを走っていて、こちらに向かってくる救急車に気づいて車を路肩に寄せましたが、運転席の救急隊員の方が片手を挙げたのを見ながら、頭をよぎったのは「まさかまた・・・」ということでした。
駐車場に着いて玄関に走ると、「いま電話しようと思ってたとこ。代わりに入って!」と言われ、搬送された方が担当予定だった会場へ。
昨年、がんの治療を受けていたその方は、先月下旬にも一度救急搬送されましたが、入院はせずに済み、月末には復帰されていました。
それ以前に食堂で一緒になった際、私も初期のがんの経験者なので、
「あれ(その方が受けた治療)、ラクでええですわ」
「そうですか。私は何度も切りましたけど、やっぱり切るのは嫌ですよね」
と話したことがあり、先月末には、
「この前は、体力低下が原因って言われたけど、今まで大病したことがなかったから、自分でもどのくらい体力が落ちてるか分かってなかった」
「病気慣れって言うと変ですけど、病後の体力の使い方にも慣れが必要なのかもしれませんね。無理はしないでください」
と話していました。
二度目の搬送当日の夕方には、その方もご自身で職場に電話され、分野の近い方に不在中の対応を話されていましたが、翌日、私ががん医療センターの受診を終えて職場に着いてまもなく、逝去の報せを受けました。
逝去されたお二人は、私には1998年に前の職場に就職したときから部署は違っても顔見知りで、今の職場ができたときにお二人は開設メンバーとして移り、私が2009年に移ってからは同じ部署に。
それぞれ責任のある立場にあったお二人の抜けた穴は大きく、年度内の対応はほぼ決まりましたが、新年度の対応はまだこれからの部分が多く、部署だけでなく、職場全体の人事にも大きく影響しそう。
今日は春一番が吹きましたが、また別の行事がある明日は冷え込みが厳しいよう。
先日の除雪の塊がまだ残る地上にも、人の心にも、雪どけの季節が待たれるこの頃です。
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