読書

2018年3月 5日 (月)

講演会「文章を書くということ」

昨日、福井県立図書館で作家・大岡玲さんの講演会「文章を書くということ」を聴講しました。

ふくい風花随筆文学賞授賞式の記念講演会ということで、タイトルだけではどんな内容か想像がつかなかったけれど、昨年4月に逝去された大岡信先生の息子さんのお話ということで。

学生の頃、私は別のゼミでしたが、そのゼミの先輩たちと大岡先生のゼミにも参加し、ご自宅に招かれたことも、近くの深大寺に行ったことも、おそばをごちそうになったこともありました。

講演は、朝日新聞に長年「折々のうた」を連載していた詩人・評論家の父親のこと、編集者がつねに出入りし、本が多くある環境で育ち、小学校の夏休みの課題では“文章を書いてごまかそう”と、「銀河鉄道の夜」をパクった物語を書いて提出したこと、デビュー作「緑なす眠りの丘で」は編集者にダメ出しされなから3年半かけて直したことなどに始まり、日本語で文章を書くということが“ままならない”のはなぜか、という本題に。

昭和20年の敗戦後、“小説の神様”志賀直哉がフランス語の国語化を提唱から、明治5年に森有礼が英語の国語化を提唱したことにさかのぼり、さらにずっとさかのぼって、文字のなかった日本が「外国語」であった漢字・漢文を公式言語(上位言語)として導入して以来の歴史をたどり直し・・・。

幕末には、列強の脅威に対して日本が中国のようにならないよう、中国の影響から脱すること(漢字を廃すること)が前島密によって提唱されるいっぽう、漢文訓読の歴史が日本語とは文法体系の異なる英語の和訳にも役立ち、日本語になかった語彙がどんどん訳されるなか、漢字はかえって欠くことができないものに・・・。

それまで公式言語とされてきた漢文訓読体は、言文一致体の登場と確立(文学では明治20~30年代。法律では、現憲法以降)で首座を譲ったものの、現在はふたたび英語を公式言語(上位言語)としようとする流れがあり、英語を漢語に訳す手続きを簡略化し、外来語がどんどん増えている・・・。

外来語をそのまま取り入れ、意味がわからなくてもよいとする流れは、語彙の減少につながらないか? 英語も世界共通語となるなかで簡単になりつつある。けれども、漢字と葛藤するなかで成熟してきた日本語は、難しくてもよいのではないか?

・・・といったお話でした。

ほかに、ネットで気軽に自分の文章を発表できる時代となり、パターンの修得は上手でも内容は軽い小説の書き手が増えているのは、自分で考え抜き、工夫して文章を生まなくなったから、またかつての編集者のように厳しく批評してくれる人もいなくなったからではないか、という指摘も。

講演会のあと、併設の福井ふるさと文学館で冬季企画展「明治維新150年 近代文学の夜明け」も見学しました。

眺めるだけで美しい装丁の本、一葉「にごりえ」「たけくらべ」の自筆草稿、漱石「道草」の自筆原稿、「三四郎」の校正原稿などは撮影禁止でしたが、撮影可だったのはこの方々の等身大パネル。

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間に入って撮影可能とのことでしたが、やっぱり遠慮しておきました

2016年3月 7日 (月)

阿刀田高講演会「今こそ読書を」

昨日、福井県立図書館で行われた朗読会・講演会を聞いてきました。

■朗読会 「新緑の門出」(津村節子『光の海』より) 朗読:阿刀田慶子

津村節子の小説は、越前和紙、越前焼、羽二重など伝統産業に生きる女性を描いた長編、小浜出身の歌人 山川登美子を描いた長編、高村光太郎と智恵子を描いた『智恵子飛ぶ』などを読んでいますが、短編「新緑の門出」は未読。

短編とはいえ、通しで朗読するのは、なかなか大変な長さ。

朗読会の開始前、斜め前の席に座っていた慶子さんが振り向いて目が合いましたが、そのときのふんわりとした笑顔とは打って変わった、力強い朗読でした。

■講演会 「今こそ読書を」 講師:阿刀田高

「『新緑の門出』、どうでしたか? 怖いでしょう? 津村さんと吉村昭さんはお互いが書くものは読まなかったようで、私は『新緑の門出』を読んだとき、吉村さんに読むように勧めたんですがね、読まなかったようですね」

という話に始まり、日本ペンクラブ会長を務めた4年間に、サウジアラビアなど諸外国に行った経験から、

  • サウジアラビアの資源といえば、今は原油安になっている油で、あの地域はアラブ世界というよりアブラ世界だが、日本が誇れる資源は何かといえば、識字率の高さと千年以上前から書かれ、読まれている日本語だ。
  • ヨーロッパの英語、フランス語、ドイツ語等の文学にも、これだけの歴史はない。自分は、日本文学を世界一だと思っている。
  • 日本の外国文学研究者は、原文で小説を読んでいる。各国のペンクラブ会長はノーベル文学賞の1票を持っているが、日本文学を読むという人も、翻訳されていない作家は知らない。村上春樹は英語に翻訳されているから、ノーベル文学賞候補と言われる。

このあたりは、少し前に読み直した水村美苗『増補 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を思い出しながら聞いていました。

←この本(ちくま文庫)です。

続いて、だから読まないと「もったいない」という流れで、

  • 日本文化といえば、昔から簡素、シンプル・イズ・ベストを旨とする。華美に見える着物も簡素な長方形からなり、傷めば解いて他のものに直すので無駄がない。
  • 茶道も能も、その神髄は非常に簡素。
  • 俳句も簡素。できはともかく、紙と筆記具があれば一生楽しめる。吟行すれば健康にもよい。
  • 自分は短編小説を書いているが、短編小説とは礼儀正しい文学である。なぜかといえば、そんなに長くお邪魔はしない。おもしろくないときは、おもしろいものを探してどんどん読めばよい。

着物等の話を「うん、うん」と頷きながら聞いていたご年配の方々にも、短編小説が「礼儀正しい」理由はウケていました

終盤は、現在~今後の出版と読書について、

  • 450円の文庫本が1冊売れると、自分には45円の印税が入る。買ったのか借りたのか、小学生がハガキで感想をくれたので、ハガキで返事を出したが、ハガキ1枚の値段はそれ以上。
  • 数年前、縁もゆかりもなかった山梨県立図書館長になったが、全国の書店数は年々減っており、今は全国の書籍販売部数より図書館貸出冊数のほうが上回っている。
  • 今後、IT機器で読む人が増えていくだろうが、エドガー・アラン・ポーの『マージナリア』のように、余白に意見を書きたい人もいて、紙の本も一定程度は残るだろう。
  • 読書とは、そんな書き手と読み手の対話であり、たいへんよい老後の保険である。早ければ読んだその日に、入ってよかったと感じられる。老後の保険として「読書保険」を皆さんにお勧めする。

帰宅後に検索したら、よその講演会でもほぼ同様のお話をされているようで、その意味でも、シンプルで無駄のないお話でしたが、学生対象のセミナー等では、資源としての日本語と日本文学の今後について、やはり危機感を持って話されているようです。

ところで、聞きながら思い出した『日本語が亡びるとき』で水村美苗が述べていたのは、

  • いまや英語が〈普遍語〉として独り勝ちし、学問も文学も英語でなければ流通せず、評価が得にくい「英語の世紀」が到来している。
  • 近代日本は、〈西洋の衝撃〉を真正面から受け止め、試行錯誤しながら、学問や文学に使用できる思考する言葉として、〈国語〉という日本語を整備してきた。
  • アメリカが衰えても続くであろう「英語の世紀」のなかで、意識的に〈国語〉としての日本語を護らなければ、日本語は思考する言葉でなくなり、人口減少とともに亡びかねない。

ということ・・・だったかな?

それを思うと、阿刀田高が勧めていた「読書保険」も、読む本人の老後の楽しみだけでなく、次の世代に残す日本語を考えた養老保険になっちゃうな・・・と思ったりしました。

2013年9月15日 (日)

谷村志穂『余命』

 谷村志穂『余命 新潮文庫 2008年

これも〈乳がん〉が登場する長編ですが、2009年に松雪泰子主演で映画化されたので、読まれた方も多いかも・・・。

再読のきっかけは、下の記事を目にしたこと。

「妊娠継続しつつ積極的治療という選択肢も:がんナビ」http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/200806/100162.html

とりあえず、主人公の百田滴の足跡を年譜ふうに挙げてみると・・・。

          *

1989年(24歳)
医師国家試験に合格。恋人の良介は不合格、趣味の写真で新人賞をとる。
大学病院で研修医として働き始める。
若年性乳がん(腫瘍径3センチ超、リンパ節転移有、遠隔転移無)で、胸筋温存右乳房全摘手術、抗がん剤、放射線などの治療を受ける。

1993年(28歳)
フリーカメラマンとなった良介と結婚。

1994年(29歳)
右乳房をインプラント再建。

1996年(31歳)
大島総合病院外科に転職。

2003年(38歳)
冬、妊娠を知り、良介、同僚の医師・保井きり子、家主兼行きつけの喫茶店店主・吉野夫妻に告げる。
直後に触診とエコーで右乳がんの再発を知るが、出産するため誰にも告げず、治療しないことを決める。
2月、母の故郷・奄美に良介と旅行。
春、決意が揺らぐのを恐れる滴に遠ざけられ、良介、鳥島のアホウドリの撮影を受注し、以後返信を絶つ。
6月、臨月で病院を退職後、聖母子病院で男児を飛び込み出産。りょうと呼ぶことにする。
退院後、自宅にりょうとひきこもるが、2週間で「がんの花」が咲く。吉野夫妻から連絡を受けて訪ねてきたきり子から、「早くて一年、長くて二年。何の治療もしない今のあなたに、余命を訊かれるなら、そう答えます」、「妊娠中に使える抗がん剤だってあったんです。今は昔と違うんです。あなたも医師なんでしょう?」と言われる。腰痛がひどくなり、母乳を止めて鎮痛剤を飲むため、りょうを抱いて粉ミルクを買いに出た路上で倒れ、聖母子病院に運ばれる。
吉野夫妻が鳥島にヘリを飛ばして知らせ、4ヵ月ぶりに良介が戻る。りょうに瞬太と命名。大島総合病院でのセカンドオピニオンののち、聖母子病院で抗がん剤治療を開始。

2004年(39歳)
肺転移を起こす。転移巣を取る手術を2度受ける。

2005年(40歳)
ハーセプチンが効果を表し、腫瘍マーカーの値も安定する。闘病記録をネット上で発表し始める。乳がんのサポート団体との連係が始まる。

2006年(41歳)
入浴中に首の骨を折り、ギプスをつけたままの生活が始まる。

2007年(42歳)
胸水がたまり、入退院を繰り返す。きり子が転職した国立病院で、様々な抗がん剤治療を受ける。乳がんの記念シンポジウムで講演をする。

2008年(43歳)
一家で奄美大島に移住。良介は漁協を手伝い、瞬太は幼稚園に通う。きり子の尽力で、東京の国立病院と奄美の病院の間に医療チームができる。

2009年(44歳)
夏、吉野夫妻とともに皆既日食を一家で見る。滴、息を引き取る。瞬太、6歳。

2011年
良介、医師国家試験に合格。瞬太、8歳。

2021年
瞬太、まもなく高校を卒業し、島の診療所で内科医をしている父のもとを離れ、東京の大学に通う予定。

          *

単行本の刊行は2006年ですが、なんと2021年の未来まで。

手元にあるのは帯つきの文庫本で、表には「がんと闘いつつ、新たな生命を育む。女性医師の愛と覚悟」というコピー、裏には「壮絶な運命、でも幸せな、ひとりの女性の物語です。 松雪泰子」と刷られています。

初読の際も、帯の表のコピー(「女性医師の」という部分)には違和感がありましたが、再読してもそれは同じ。

2003年の出産後にきり子が訪ねてきた部分で、妊娠してからの滴が自身の病に対しては外科医の眼を曇らせていたことが、わかるように書かれているから。

妊娠後、自身の病に対して冷静さを欠きながら、他の患者に対しては冷静さを保っていた滴に焦点化した語りを、すべて「現役外科医」の認識として括ってしまうと、巻末の解説のように、

現役外科医というヒロインの設定が、ここでひときわ効いてくる。自分の陥った苦境をクリアに見通せてしまうせいで、彼女は気の毒にも、ひときわ救いのない状況に追い詰められる。

という読みになるのでしょうけど、違うよね・・・と思いました。

言ってしまえば、この小説の〈乳がん〉は、女性が生命を生み出すことの壮絶さを強調するための道具立て。

滴が外科医としての眼を持ち続けていたら、また別の物語になったのでしょうけど、谷村志穂は、妊娠後の滴を「ひとりの女性」として描いた・・・。

そういう意味で、松雪泰子のコピーのほうが当たってるよね・・・と思いました。

2013年9月 4日 (水)

三島英子『雪形』

 三島英子『雪形』 小学館 1999年

1995年に第2回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『乳房再建』の著者による、乳腺外科医を主人公にした小説です。

          *

N大学医学部講師の縣信彦は、乳房切除術の執刀中、結婚して9年の妻と4歳の娘が、自宅のある松本から離れた中央自動車道の富士見高原付近で事故に遭い、死亡したという電話を受けます。

妻のりえは、右乳がんで乳房切除術を受けて半年余り。

信彦は、搬送先の病院へ車を飛ばしながら、術後初めてりえの傷跡を見た先週、萎えて抱けなくなったことを思い出し、「死にたかったのか。まさか・・・」という疑念を抱きます。

          *

事故後まもなく関連病院に移って5年、信彦は42歳。

乳房温存を望む患者は少しずつ増え、その日、検査結果を伝えたファッションコーディネーター兼モデルの永田蓉子も乳房切除を拒否します。

信彦は、美容上満足する形で残せないときは乳房切除をすること、術後の病理結果によっても乳房切除となり得ることを説明し、3週間後に温存術を行うことで同意。

その間、信彦は国際学会に参加するため渡米しますが、緊急連絡先として職場に届けたのは、同期の内科医・浅川の医院開業パーティーで知り合って3年のピアノ講師・蜂谷奏子。

信彦の留守中、奏子は右乳房のしこりに気づきますが、りえの死因に対するこだわりからか、自分を抱いても乳房に触れない信彦には相談せず、実家に近い南甲府病院を受診します。

検査の結果、左右の乳房にまだがんではないしこりがあった奏子は、祖母と伯母が乳がんで亡くなっていることから、遺伝子診断を受けるよう勧められ、3ヵ月後に返答することに。

帰国した信彦は、病院に直行して蓉子を手術し、浅川から再発転移の疑いで依頼された大森冬美を診察し、奏子の部屋へ行きます。

4年前、結婚直前の本人の強い希望で、タモキシフェンの服用と3ヵ月ごとの受診を約束して温存術を受けた冬美は、病院からの連絡も無視し、乳房切除となるのを恐れてこれまで来院せず。

命より乳房が大切なのかと内心腹立たしく思う信彦に、冬美は、

「先生、私、温存してよかったと思っています。あの時乳房切除していたら、結婚式もしなかったでしょうし、新婚旅行もいかなかったと思います。きっと、一生結婚できなかったと思います」

と言い、浅川の医院でターミナルケアを受けることに。

その日、奏子の部屋で夕食をとり、横になった信彦は、アメリカの乳がん事情を報じるテレビの音声で目を覚まし、

「半分は乳房を全部取ってしまう手術じゃないんだ」

と言う奏子と、

「日本では、乳房温存はまだ二十二パーセントぐらいだろう」
「温存できるしこりの大きさはどのぐらいまでなの?」
「まだ、こうだという数字がなくてね。病院によっても、外科医によっても違うのが現状なんだ」

と話しています。

作中の現在時は、翌年1月に奏子が遺伝子診断を受けた日が彼女の35歳の誕生日で、受診カードの生年月日が「1961.01.16」なので、上の会話の時点では1995年10月。

「乳房温存術:がんナビ」http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/breast/treatment/201112/522619.html

の手術方法別・構成比の年次推移グラフを見ると、1995年の乳房温存術の割合はやはり22%くらいで、妻のりえや冬美が手術を受けた4~5年前の乳房温存術は10%前後。

『乳房温存療法ガイドライン』もまだ発表されていない90年代半ばが舞台の小説なのに、今年、アンジェリーナ・ジョリーの手記で話題になったがん抑制遺伝子BRCA1、2の診断や予防切除の話も出てくる、温故知新(?)な小説でした。

          *

奏子は、遺伝子診断の結果がどうあれ、「乳房がなくても、人間の価値はかわらないよ」(「女性としての価値」ではない)と言っていた信彦のもとを去ることを決め、母の心臓が悪化したと嘘をつき、翌年2月に帰郷します。

当然、奏子からは連絡がなく、3月になって信彦が奏子の実家に電話を入れると、母親は元気で、「マンションにはおりませんでしたか?」

PCの故障で消えたと嘘をつき、マンションの電話番号を聞いた信彦は、留守電に「会いたいんだが、会えないかな・・・」と入れますが、折り返しはなく、常念岳に白い雪形を認める5月になっても、好きな男でもできたのか・・・と引きずっています。

そんななか、7ヵ月前に手術した永田蓉子の遠隔転移がわかり、病院や信彦の自宅、N大学の医局や教授にまで、彼女の夫が恨みや怒りの電話をかけるように。

同じ頃、浅川から奏子が松本に来る日を聞かれ、もう逢っていないと答えた信彦は、奏子のコンサートのチケットを渡され、「彼女は乳がんらしい」と知らされます。

蓉子が亡くなった日、無性に奏子に逢いたくなった信彦は、甲府のコンサート会場へ向かう途中で事故を起こし、搬送中の救急隊員たちの会話から、現場が事故の多い直線で、りえの事故現場と2キロ違いだったことを知ります。

同じ頃、会場に来ていた浅川から事故のことを聞いた奏子は、終了後すぐ、浅川の車に同乗。

脳外のない救急病院では助からないと主張して、管轄を超えてN大学病院に運ばれた信彦は、同期の脳神経外科医・小野塚が押すストレッチャーで廊下を移動中、通りがかった医師に顔面を診てもらいます。

「南甲府病院の形成外科医だ。俺たちより三年上だ。口唇口蓋裂と乳房再建では日本一だね。おまえ、知らないか? 上根康博って」

と小野塚に言われ、

「ジョウネ先生って名前の先生がいらっしゃるのよ」

と、りえが言っていたのを思い出した信彦は、あの日、りえは上根の診察を受けに行ったのではないかと思い、あとでそのことを確かめます。

「とても悩んでおられました。乳房がなくても人間の価値が下がるわけじゃないのに、乳房が欲しい、人間として最低ではないかと」
「乳房がなくても人間の価値が下がるわけじゃないとは、きっと、僕が言ったんです」

なのに、あのとき萎えたのは、りえの乳房が好きだったからだ、乳房がないのがショックだったのだ、人間の価値など関係ない、りえは生きようとしていたのだ・・・と信彦はようやく理解。

信彦には、右肩甲骨の複雑骨折と頬骨の陥没変形のほか、MRアンギオで1.6センチの脳動脈瘤が見つかり、事故の36時間後に開頭手術することに。

朝少し顔を出したあと、ずっと廊下のベンチにいた奏子とは、手術の前夜、病室で二人きりになり、遺伝子診断の結果、予防切除を勧められていることを聞き、信彦はまず乳腺外科医として、ついで恋人として、初めて奏子の乳房に触れます。

          *

4ヵ月後、車で甲府に向かっている信彦と奏子。

二人は先月入籍し、奏子は、妊娠中の子どもが生まれて授乳が終わったら、乳房の予防切除とインプラント再建を受ける予定。

すでに職場復帰している信彦は、頬骨の陥没変形で、患者が自分の顔を見ないようにしていることがわかり、上根の診察を受けることに。

長野自動車道から中央自動車道に入り、原PAで奏子と運転を代わった信彦は、りえたちが事故死した157キロポストを過ぎ、自分が事故に遭った155キロポストを過ぎ・・・。

          *

すでに絶版のようですが、古本で入手可能。

乳房温存術も、皮下乳腺全摘術も、インプラント再建術も受けた私としては、手術方法の変遷に伴う医師と患者のドラマとして興味深かったのですが、乳房喪失をテーマとしながら、交通事故や恋愛もからめ、ストーリーで読ませるので、乳がん体験のない方にもおもしろいと思います。

「朝日新聞デジタル:乳房温存、減る傾向に 乳がん手術、再建の技術向上で」 2013年8月10日
http://www.asahi.com/national/update/0809/TKY201308080465.html

によれば、2004年に乳房切除術を抜き、08年には約60%まで増えた乳房温存術も、ついに減少に転じた・・・ということで、また読まれてもいいと思った14年前の小説でした。

2013年8月28日 (水)

『シフォン・リボン・シフォン』

<乳がん>が登場するので読んだ小説です。


近藤史恵『シフォン・リボン・シフォン』 朝日新聞出版 2012年

タイトルの「シフォン・リボン・シフォン」は、隣町に大型ショッピングセンターができ、空き店舗が目立つ商店街にオープンしたランジェリーショップの名前。

4話構成になっています。

          *

第1話の主人公は、大学3年のときに母が階段から転落して寝たきりになり、卒業後も母の介護のため、兄や妹と違って家を出ることも就職もできず、商店街のスーパーでパートをしている32歳の佐菜子。

大きな胸がコンプレックスで服装は地味、自己評価も低い佐菜子は、パート帰りに立ち寄っていた書店跡にランジェリーショップができたのを知り、自分の人生とは何の関係もないと思いつつ、足を踏み入れます。

初めて自分の体にフィットする下着と出合ったことで、自分を大切に扱うことを知り、自分をコントロールしていた父母との関係を変えていこうとする話。

ランジェリーショップの店主については、外見や服装がマニッシュな40代の女性で、しょっちゅう喧嘩もする親を介護していることがわかります。

          *

第2話は、同じ商店街の米穀店の店主で、書店の奥さんから店を閉めて貸店舗にする話を聞いていた均が主人公。

結婚後30年で、若い頃とは別人のように太った妻、彼女を持たず、見合い話も断っている29歳の息子と暮らす彼は、商店街の自治会長から預かった入会届を手にランジェリーショップへ。

「こんな田舎で、こんな洒落た店をやって大丈夫かい」

と聞く均に対して、店主のかなえは、もともと東京で店をやっていて、ネット販売の固定客もついたので町に戻ってきたと答え、店頭販売も頑張りたいと付け加えます。

自分の人生とは何の関係もない店だと思った均は、その後、自宅のゴミの中にかなえの店の紙袋を見つけ、店の近くのコインパーキングで息子の車を見かけ、息子がかなえの店から出てきたという話を聞き、ついに自分でも目撃することに・・・。

かなえとの仲を疑って問い詰めた均でしたが、息子のタンスの最下段を盗み見て、ようやく息子のセクシュアリティに気づき、妻はとうに気づいていたことを知り、商店街にかなえの店があることも、息子の人生も、受け容れるしかないと思う話。

          *

第3話の主人公は、かなえ自身。

教員一家に生まれたかなえは、地元の国立大学に落ちて東京の大学に行き、父の口利きを拒んで教員にならず、教育関連の出版社に勤めたのち、自分のランジェリーショップを持つ夢を実現します。

東京郊外のファッションビルに小さな店を開き、一歩間違えば借金の山を抱えるところを駆け抜け、オリジナルのナイティも売れるようになった37歳のとき、乳がんで左乳房と腋下リンパ節を切除し、化学療法を受け、インプラントで二期再建しているかなえ。

彼女が町に戻ってきたのは、乳がん後の生活を考えていたとき、母がくも膜下出血で倒れて左半身に麻痺が残り、これまでも母と同居し、母のわがままに付き合ってきた弟の妻にばかり、負担をかけられないと思ったから。

子どもの頃から衝突が絶えず、抗がん剤の副作用に苦しむかなえの病室に来て、

「罰が当たったのよ。あんたが自分勝手なことばかりしているから」

と言った母の言葉はまだ許していないけれど、麻痺があっても着やすいように新しく作り、母に着せた前開きのナイティは、かなえが店を持ったとき「なんで、下着屋なの!」と悲鳴に似た声を上げた母への答えにもなっています。

ちなみに、かなえの店には乳がん術後のブラジャーやパットもあり、部分切除で変形が著しい女性も来ていて、第1話の佐菜子と同じく、かなえがフィッティングした下着で、店を出るときには明るい表情に。

          *

第4話には、「郷森の市原」と名乗る年配の女性が登場します。

ある日、かなえの店に来た彼女は、自分の家は「郷森の市原」という旧家で、若い頃にパリ留学したと自慢し、選んだ商品をラッピングさせたあと、クレジットカードを忘れたと言い、取り置きにしてもそれきり。

1ヵ月後、悪びれずまた来店した彼女は、自慢話を繰り返し、カタログをめくって取り寄せを依頼しながら、一方的にキャンセル。

商店街の呉服屋や宝石店でも、同じことをしていると知った1ヵ月後、またまた来店した彼女は、白いレースのキャミソールを選び、今度は「イチハラミホコ」名義のカードで買って帰ります。

その半月後、「義母は無理に押しつけられて断れなかったと言っているわ」と紙袋を持って現れた女性は、長く会っていなかった高校の同級生・美保子。

かつての旧家の長男と結婚してパート勤め、高校生の娘がいる美保子と、独身で自分の店を持ち、子どものいないかなえの共通点は、やっかいな義母や実母の世話をしていること。

かなえは、夫と相談して義母を介護施設に入所させることにしたという美保子を慰め、来店した義母に対しても、彼女の幻想にあわせて接客しますが、アルバイトの短大生からパリ留学の話を感心され、誇らしげで幸せそうだった美保子の義母を見た次の休日、朝から実家に向かいます。

          *

それぞれの人生や家族関係のもつれを解く、魔法のようなランジェリーをモチーフとした小説で、自称<乳がん>小説コレクターとしては、サバイバー小説に分類しようと思った1冊でした。

2013年3月 2日 (土)

最近読んだもの

近頃、さっぱり読書ネタを書いていないのは自覚してましたが、前に書いたのいつだっけ?・・・と「読書」のカテゴリーをクリックしたら、昨年3月18日の記事が最終。

しかも、正確には読書ネタじゃなく、津村節子さんの対談を聞いて『遍路みち』を読もうと思ったというものでした

で、その後のほぼ1年分を思い出すのは無理なので、最近読んだものを挙げてみると・・・。

外村繁『澪標・落日の光景』(講談社文芸文庫)

小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫)

この2冊を読んだきっかけは、鳥取大学の山崎賢二氏の事例報告「闘病を描いた小説詩歌」(『医学図書館』2004;Vol.51 No.2)と「ケアのナラティブ:ケアを描いた手記小説詩歌と感情表現のデータベース化」(『医学図書館』2006;Vol.53 No.2)を目にしたこと。

こういう取り組みをしている方がいらっしゃるのね・・・と思いながら、データベースの病気別分類を見て、前者は初めて、後者は久しぶりに読みました。

どちらも主人公の妻が乳がんですが、後者はいわゆる闘病小説じゃなく、データベースを見て、ああ、そういえば・・・と。

「澪標」「落日の光景」(1960年)の主人公が上顎がん、妻が乳がんなのは、外村繁と妻がそうだったから。

「抱擁家族」(1965年)の主人公の妻が乳がんなのは、敗戦から20年経ち、変容する日本の家庭の悲喜劇を描くのに、若い米兵と妻の浮気や不具合だらけの新築の家と並んで、表象として必要だったから。

小島信夫の妻も乳がんでしたが、作中の中年夫婦のジェンダー・トラブルの表象としては、男女ともに多い胃がんや大腸がんでは具合が悪かっただろうし・・・と思いました。

それで、次に読んだのが、

山崎明子ほか『ひとはなぜ乳房を求めるのか-危機の時代のジェンダー表象』(青弓社)

視覚文化史、美術史、ジェンダー史などが専門の、著者5人の論文が収録されています。

その乳房表象の分析対象は、西欧の古典的医学言説、現代日本のピンクリボンキャンペーン、戦時下の日本映画、近世イタリアの視覚表象、戦後日本のポルノ映画と、各人各様。

山崎明子「美の威嚇装置」は、東京のピンクリボンフェスティバルが2005年に始めたデザイン大賞のポスターの分析を通して、既存の意味に回収されない新たな乳房イメージの創出の困難さを論じていて興味深かったです。

学生の頃から定期的に通院している私は、病気=悪、醜、他者 / 健康=善、美、自己という二項対立の価値観になじめず、乳がんになったときも「まさか自分が・・・」とは思わなかったぶん、精神的に救われた気がします。

その種の価値観は巷にあふれているし、乳がんになる可能性は誰にでもあることを訴えるピンクリボンキャンペーンも、まだ乳がんになっていない人を啓発対象とすることで、すでに乳がんになった人を他者化していて、上の二項対立を変えにくいことを改めて考えました。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(光文社新書)

同じ著者の『母という病』を検索したとき、こちらのレビューも気もなったのがきっかけ。

子ども時代に母親(やその代わりとなる特別な一人)と愛着関係を築けず、「安全地帯」を持たないまま大人になって、生きづらさを抱えている/いた人々の話で、オバマ大統領やクリントン元大統領、S・ジョブズ、A・ヘミングウェイ、M・エンデ、夏目漱石、谷崎潤一郎、太宰治、種田山頭火など、有名人がズラリと登場。

父母や自分の親との関係を考え合わせ、なるほどという部分も多くありましたが、小説や詩歌を患者のナラティブのように読むのはどうなんだろ・・・と思うところも。

 

西成彦『世界文学のなかの「舞姫」』(みすず書房)

森鴎外「舞姫」は、妊娠し、精神を患ったエリスをベルリンに残し、再びエリートとして日本へ帰ることになった太田豊太郎が、サイゴンに停泊中の船で書いた「手記」という形をとった小説。

帰国した鴎外のイメージもあって、豊太郎も帰国したという前提で読みがちだけど・・・という内容で、です・ます体で書かれている「理想の教室」シリーズの1冊。

昔、「舞姫」を習った人には面白いかも。

夢野久作『少女地獄』(Kindle版)

少し前に購入したKindle Fire HD 16GBで、無料本をダウンロードして読んだうちの1冊。

青空文庫の本文はPCでも読めますが、Kindleだと机を離れて読めるのが便利です。

長くなったので、とりあえずこのへんで

2012年3月18日 (日)

声の感触

昨日、第15回「ふくい風花随筆文学賞」の授賞式と第17回「平成独楽吟」の表彰式が市内でありました。

それぞれ記念イベントもあって、前者は朗読会&特別講演会(津村節子さん)、後者は橘曙覧生誕200年記念講演会(新井満さん)という内容。

で、後者も面白そう・・・でしたが、時間の関係で前者へ。

朗読会は、今回の一般の部・高校生の部の最優秀賞作品に過去の最優秀賞作品から津村さんが1編選んだものの計3編を、女性フリーアナウンサーが朗読。

この朗読が心地よくて(合間に入ったヴァイオリンとピアノの演奏もですが)、いまさらながら、目から入る表現と耳から入る表現って、こんなに感じ方や伝わり方が違うのね・・・と思いました。

昨年3月以来、乳がんの局所再発、2度の入院・手術、休んだ仕事の消化など、ストレッサーには事欠かず。

ひととおり終えた今になって、目前の治療や仕事をこなしていたときとは違う疲れを感じることがありますが、あの声に触れただけでも行ってよかったです

その後の講演会は、対談形式。

Ca3a3380印象に残ったのは、夫の吉村昭さんを亡くし、もう書かない、東京を離れたいと熱海のホテルで過ごされていたとき、かかってきた1本の電話が別の世界からのものに感じられ、電話の向こうがそうなのか、今いるこちらがそうなのかわからなくなった・・・という話。

その電話の声の感触はどんなだったのか、『遍路みち』所収の短編の題材になったそうなので、読んでみようかな・・・と思いました。

2011年11月25日 (金)

『雪花と秘文字の扇』

IP友達のうこさんが共訳に参加しているリサ・シー『雪花と秘文字の扇』(バベルプレス、2008年)を読みました

著者は、中国系アメリカ人5世の女性作家。

物語の舞台は、清朝中国の都から遠く離れた湖南省の村。

村人から「死にそびれ」と呼ばれる80歳の寡婦・白蓮(リリー)が綴る、「公の自伝」とは異なる「私」の物語という設定で、この時代、この地方の女たちの生を背景に、ラオトン(老同)の契りを結んだ雪花(スノーフラワー)との愛を描いた長編です。

普段の私の守備範囲でいえば、森鴎外『舞姫』(1890年)、清水紫琴『こわれ指環』(1891年)など日本の近代小説も、ある後悔を抱いている時点からの「私語り」の形で書かれてますが、白蓮の場合は、ある誤解から愛する雪花を他ならぬ自分が不幸にしてしまったという後悔。

タイトルにある「秘文字」とは、湖南省南部の村々で、男文字(漢字)を学ぶことができなかった女たちが、女だけで使うために創り、伝承してきたニュシュウ(女書)という表音文字のこと。

この地方の女たちには、実の姉妹より親密な義姉妹の関係を何人かのグループで結び、女の仕事とされる織物、縫物、刺繍、靴作りや廟参りを一緒に行い、新旧の物語や自分の思いを歌いあい、ニュシュウを使う習慣があったそう。

同じ日に生まれ、7歳の同じ日に纏足を始めた白蓮と雪花が結ぶラオトンの関係は、結婚すれば終わる娘時代の義姉妹、婚家がつり合う妻たちで新たに結ぶ義姉妹とは違い、生涯にわたって続くもの。

ラオトンを持つと、他の娘や妻のような義姉妹は持てないという特別なもので、作中、ふたりの縁組みをする王夫人は、こう説明しています。

「男女の結婚と同じように、優しい娘は優しい娘と、美しい娘は美しい娘と、賢い娘は賢い娘と結ばれます。でも結婚とちがう点は、これは最後までふたりきりの関係だということ。つまり、絶対に」

「妾をもってはいけません。ふたりともわたくしの言っている意味がわかるわね? これはふたつの魂がかたく結ばれることなのですよ。たとえ遠く離れても、意見が食いちがっても、寂しくても、嫁ぎ先の地位に差があっても、ふたりの関係にひびが入るようなことがあってはなりません。またほかの娘たちに―のちには大人の女たちに―ふたりの仲を邪魔されるようなことがあってもなりませんよ」

その特別な関係を育むのに、ニュシュウで書かれた扇の手紙の交換が重要な役割を果たすのだけど・・・。

腸チフスの蔓延と太平天国の乱を生き延び、33歳を迎える年、「意見が食い違っても、寂しくても、嫁ぎ先の地位に差があっても」、ふたりを結ぶはずの扇のニュシュウを白蓮が誤読して・・・という内容で、女性の文学・文化に関心のある方におすすめです

日本の読者にとっては、「三従の教え」の本家本元で、義姉妹やラオトンというシスターフッドが花開いていたこと、日本にはない纏足を母が娘に施しつづけたことへの著者の見解(年長の女たちの会話から、家父長制下で纏足が持った価値を女性も内面化し、自らの美意識としていたと読める)も興味深いと思います。

白蓮は1823年生まれで、80歳という年齢が数え年なら、彼女がこの物語を綴っているのは20世紀に入った1901年か02年(満年齢なら1903年か04年)。

清朝が滅ぶのは1911年だから、その後の中国は知らずに亡くなる設定なのだろうと思いましたが、遠藤織枝・黄雪貞編著の『消えゆく文字 中国女文字の世界』(三元社、2009年)によれば、女たちが歌を作ってうたい、ニュシュウで書く文化があった地方には、官製のものとは違う独自の抗日歌も残っているそう。

それはともかく、雪花が泊まりに来るたび、一つの寝台で寝てきたふたりが、結婚前の夏、暑いので裸になり、指で体にニュシュウを書きあうシーンは、作中、もっとも美しいシーン

鳥の図案が好きな雪花がリードしているのは、彼女のほうが性的にも開かれていることを窺わせますが、それが各自の夫との関係の持ち方、捉え方の違いにつながり、のちの誤解を生む土台にもなったのだろう・・・と思ったりもしました。

それでも白蓮は雪花を愛し、雪花は白蓮を愛し、だから最後は悲しいお話ですが、女性グループによる翻訳も読みやすくて、おもしろかったです

2011年9月17日 (土)

「ブランケット・キャッツ」

重松清『ブランケット・キャッツ』(朝日文庫)

子猫の頃からなじんだ毛布付きで、2泊3日で貸し出されるレンタル猫の話。

というと、「動物を貸し出すなんて・・・」と読む前から不快になる方もいらっしゃるかと思います

全7話の構成ですが、どんな人がどんな猫を借りているかというと、

  1. 共働きで子どもがなく、二人で住むには少し広い郊外の分譲マンションで、小ぎれいに暮らす40代夫婦/1歳の三毛猫
  2. 離婚歴3回で末期がんを患い、長年勤めた小さな会社の運転資金を横領して、旅行に出る50代女性/いったんレンタル猫を引退していた12歳の黒のメインクーン
  3. 息子がいじめられていないか気にする父親、のんきな母親のもとで、いじめの主犯格になってしまった中学1年生/尻尾のないマンクス
  4. 家に来たあと施設に入る祖母のために、3ヵ月前に12歳で亡くなった飼い猫の代役を探す四人家族/6歳のブラウンクラシック・タビーのアメリカン・ショートヘア
  5. レンタル猫を使ってペット禁止の規則を破る入居者を探す賃貸マンションで、子猫を拾った派遣社員の彼女と同居するため、その子猫と大家が借りる猫を馴れさせておこうとする25歳フリーター/6歳の雑種
  6. 香水ぷんぷんの女性の借主のもとから逃亡し、離婚・再婚した父のもとから家出した兄妹に同行/6歳のブラウンクラシック・タビーのアメリカン・ショートヘア
  7. リストラでローン残金が払えなくなった築10年の一戸建てを手放す前に、娘や息子に思い出をつくってやろうとする求職中の40代の父/ロシアン・ブルー

という具合。

「文庫版のためのあとがき」で、作者自ら、「『桃太郎』や『かぐや姫』と似た設定」、「日常生活の中に、突然『異物』が入ってきてドラマが生まれる」と述べているように、それぞれの登場人物たちに、何かを感じさせ、残していくレンタル猫たち。

動物と暮らしたことのある人なら、その5年、10年、15年、20年で多くの思い出があっても、やっぱり短く、貴重な時間だったと感じるのでは・・・と思うし、その圧縮した感じが「2泊3日」だと思えば、動物愛護家の皆さんにも受け入れ可能な設定かと思います。

だいたい、桃太郎もかぐや姫もあっという間に成長してるし、人間以外のものから生まれた異類なのに、家族の一員として暮らすところは、現在の犬や猫と同じ

でも、ここは猫じゃないとお話にならないし、「桃太郎」や「かぐや姫」やその他のおとぎ話より、健全で明るいお話を読んじゃった・・・という印象でした。

2011年9月16日 (金)

「愛と婚姻」

アクセス解析の検索フレーズに、「愛と婚姻 泉鏡花 現代語訳」とあったので、一昨日、昨日でやってみました。

明治28年(1895)に「夜行巡査」「外科室」を発表した泉鏡花(1873-1939)が、その2編の間に発表した評論。

読んでみてもいいよという方は、右サイドの「まちこの文机」のリンク、またはこちらからどうぞ

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