2009年11月 4日 (水)

大阪人は「たら」が好き?

『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』という、長いタイトルの本を見ていたら、条件を表す「~と」「~ば」「~たら」の使い分けに、方言差が大きく影響している・・・というコラムが載ってました。

その中に、東京・大阪・福岡で、その地域の出身者が下の4つの文の{  }内から自然だと判断したものを選んだ調査結果があって、「へえ、こんなに違うのね」。

  1. もっと早く{ 起きると/起きれば/起きたら }よかった。
  2. 右に{ 行くと/行けば/行ったら }、ポストが見えます。
  3. もし火事に{ なると/なれば/なったら }どうしよう。
  4. あの人が{ 書くと/書けば/書いたら }、私も書く。

東京出身者の多数派は、

  1. もっと早く起きればよかった。(94%)
  2. 右に行くと、ポストが見えます。(75%)
  3. もし火事になったらどうしよう。(100%)
  4. あの人が書いたら、私も書く。(26%)

で、私も同じ。4.は、「なら」の回答が68%あったそうで、選択肢になくていいのなら、私も「書くなら」。

大阪出身者の多数派は、

  1. もっと早く起きたらよかった。(78%)
  2. 右に行ったら、ポストが見えます。(83%)
  3. もし火事になったらどうしよう。(100%)
  4. あの人が書いたら、私も書く。(91%)

で、4つとも「たら」がトップ。これから大阪の人と話すときは、本当にそうなのか、聞き耳ear立てちゃうかもしれません。

 スリーエーネットワーク、2000年

数年前に買ったこの本、母語話者として普段あまり意識してないことが満載なので、たまに頁をめくってますeye

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2009年10月18日 (日)

中野重治生家跡

雨が降ったり止んだりだった昨日、中野重治の生家跡とお墓を訪ねて、坂井市丸岡町一本田に行ってきましたcar

Ca3a1113001生家跡はこんな感じ。

10年ほど前、今の勤務先がある市の生涯学習センターのバスで来たとき、同行のおじいさん・おばあさんが「栗、落ちてるわ」と拾っていたのを覚えてますが、今回は見当たらずcoldsweats01

Ca3a1096右は、「この施設は、文学者故中野重治が生前執筆活動をされていた書斎であり、東京都世田谷区より生家跡地へ移築したものです」という建物。普段は雨戸が閉まってるので、今回も外観だけでした。

Ca3a1102_2石碑は3つあって、1つは書斎と向き合うように立っている「梨の花の故地」。

生家をモデルにした小説は他にもあり、跡地に残る家の基礎からは、「村の家」の父・孫蔵が転向した勉次に文筆を捨てるべきだと言う囲炉裏端を思い出します。

「梨の花」の故地としては、裏に広がる田んぼのほうが想像しやすいかなあ・・・。

Ca3a11042つめはその後ろの、上から見ると井桁のような形の石に刻まれた「中野重治 ここにうまれ ここにそだつ」。

「ここにうまれ ここにそだつ」の部分は薄れていて、よーく見ないとわかりませんeyeglass

Ca3a10993つめは、妹で詩人の中野鈴子の碑で、跡地の入口から見て右奥にあります。

これは、彼女の代表作で、生前刊行された唯一の詩集のタイトルでもある「花もわたしを知らない」を刻んだもの。

Ca3a1110兄・重治のように全国的に名をなした人ではありませんが、また読んでみたくなりましたbook

跡地の背後は、今は舗装された道路で、その向こうの田んぼの中に見えるのが、「太閤ざんまい」こと、「中野累代墓」のある場所。

Ca3a110710年前のバスツアーでは、参加者の平均年齢が高く、田んぼの畦を歩くのが危ないということで、道路から眺めただけでしたが、今回は行ってみました。

これが、重治の妻で女優だった原泉の字を彫ったという、「家」という字が入ってない墓碑。

先月は山川登美子のお墓に行ったし、なんか墓マイラーみたいですが、昨日は私の誕生日ということで、出直しの文学散歩でしたhappy01

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2009年9月 7日 (月)

『熱い風』

 小池真理子『熱い風』(2009年8月、集英社)

先日のサイン会で買った人から借りた本。帯にはこんなコピーがあります。

幸福な日々の中に突然訪れた
婚約者の死の知らせ。

一年後、死にいたる彼の足跡を追って、
女はヨーロッパへ向かう。
パリ、ブリュッセル、
そしてアムステルダムへ。
風の中に消えた彼と再び
出会うための旅の記録。

女は、東京の新聞社で文化部に所属する35歳の美樹。

彼は、アムステルダムでデルフト焼きの陶器店を経営し、日本とオランダを往復する41歳の遼平。

新聞のオランダ特集のため、デルフト焼きのエッセイを依頼し、執筆したことで出会い、寸暇を惜しんで会うようになった2年後、彼はアムステルダムのアパートで突然亡くなってしまいます。

小学6年で母親が情死し、通夜で親戚の話を立ち聞きして知っていたけれど、父親から改めて聞かされた高校の頃から不眠になり、大学の頃からは酒と睡眠薬なしで眠れなくなったという彼。

モロッコで体験した「熱い風」の、「びゅうびゅうと吹いてくる風に全身をさらして、そのうち、肉が全部こそげ落とされて、骨になってしまえばいい」という感覚が、今も残っていると話していた彼。

それでも、美樹とは申し分ない関係で、アムステルダム郊外の小さな村に家を買って、一緒に暮らしたいと話していた彼。

彼の死から1年後、美樹は不安と猜疑を抱きながら、彼が最後にアムステルダムに戻ったルートをたどります。

帰国前日にたどり着くのは、かつて美樹が彼に話した「そこがオランダであることは確かなの。でも、遼平はそばにいなくて、私だけで、二人で住む家はこれなんだ、って思って感動してるわけ」という夢の中の家。

彼の友人ヤンから、その夢と酷似した家をすでに遼平が見つけ、買うつもりでいたことを聞いた美樹は、その家での自分たちの生活や、いつか彼の中の「熱い風」が凪いでいくさまを思い描きますが、「連れて行って」とは言いません。

美樹の中にありつづけるその家は、長く「熱い風」に吹かれて死んだ遼平の鎮魂のイメージであり、残された者が生きていくのに必要なイメージ・・・。

ちなみに、美樹が見た夢の家には、猫が登場していました。

「人間は夢には全然出てこなかったんだけど、猫が一匹出てきた」
「猫?」
「うん、猫。フェンスのまわりをうろうろ歩いてるの。白黒のふさふさの毛をした大きな猫で、私が呼びかけると、振り向いて、にゃあ、って可愛い声で鳴いたわ」

生者と生者でいる間に足りなかった時間は、生者と死者になってからも互いの間を流れている・・・と思える本でしたbook

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2009年8月29日 (土)

トークショー

Ca3a0971_3

昨日の午後、藤田宜永氏&小池真理子氏のトークショーに行ってきました。

福井新聞創刊110周年記念の企画として、藤田氏&小池氏を審査委員長に「夫婦の絆エッセー大賞」というコンクールが行なわれ、午前中はその授賞式、午後がこのトークショー。

開始10分前くらいに入ったので、写真のように後ろの席で、お二人のお顔はあまり見えませんでしたが、前日のサイン会で拝見してるし、まあ、いいや・・・という感じでした。

トークショーは、女性司会者の質問に応える形で進行し、藤田氏の出身地である福井の印象、東京から軽井沢に転居した理由をはじめ、生活に関する質問が中心で、作品についての質問はほとんどなし。

「夫婦の絆スペシャルトークショー」だから仕方ないか・・・と思いながら、会場で笑いが起こったときも笑わなかった私は、帰りぎわ、一緒に行った人から「あまり面白くなかったみたいだね」と言われました。

「だって、婚外の恋愛ばっかし書いてる一般的でない夫婦が、一般的な夫婦にあわせて話してたのが・・・」と応えましたが、思い返してみると、一つ屋根の下で暮らす同業者で、子のない男女の同志的な関係を彷彿させる部分は面白かったかなあ。

一昨日買った藤田宜永『燃ゆる樹影』も、さっそく読みましたが、その感想は改めて。

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2009年8月27日 (木)

サイン会

Ca3a0966

市内の書店で行なわれた藤田宜永氏&小池真理子氏のサイン会に出かけました。

「宛名書きが必要な方は、整理券などにお名前を書いておいてください」とスタッフの方が言うと、サイン待ちの行列の中でボールペンの貸し借りが始まりましたが、私は予め職場の名札を持参coldsweats01

順番が来て、買ったばかりの新刊と名札を出し、「お願いします」と言うと、「××××の近くに×××××ってありましたね。今もありますか」と声をかけていただき、某女性作家のお名前が出て、「○○さんとは親交があるんですよ」なんてお話も聞けましたheart01

一緒に行った人は、小池真理子氏に握手してもらった・・・といって喜んでました。

というわけで、なんだか追っかけみたいですが、明日は藤田宜永氏&小池真理子氏のトークショーに行く予定ですhappy01

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2009年8月21日 (金)

いろいろ

10日に始めた作業がやっと終了。途中、暇をみて現代語訳でも・・・と思ってましたが、「読んだからあげる」ともらった本を中心に読んでましたcoldsweats01

 小池真理子『玉虫と十一の掌編小説』(新潮文庫)

 小池真理子『夏の吐息』(講談社文庫)

 小池真理子『青山娼館』(角川文庫)

掌編11編、短編6編、長編1編。掌編・短編に不足の感なく、長編に冗漫の感なく・・・という感じで、入浴中や就寝前に。

藤田宜永・小池真理子夫妻の小説には、ときどきネコが登場しますが、ネコが登場しない『青山娼館』にも、「子供を持ったこともなく、それに匹敵する生き物を飼ったこともなく、まして、自分より先に死なれた経験もない女に、興味本位の同情をされることほど腹の立つことはない」という一節がありました。

主人公の奈月は、青山の裏通りにある会員制の高級娼館“マダム・アナイス”の面接で、「お子さんをもうけたことは?」と聞かれ、「子供を持ったことはあります」「死んだんです。一年前。娘でした」と答えます。

「マダムは心底気の毒そうな顔をしたが、それ以上、何も聞いてこなかった。その瞬間、わたしはどういうわけか、この人はいい人だ、と思った」という、その理由にあたる部分。「それに匹敵する生き物」って絶対ネコだ・・・と思いましたweep

 林真理子『本朝金瓶梅』(文春文庫)

本家の『金瓶梅』は読んだことありませんが、こちらは11代将軍徳川家斉の時代の商家が舞台。くれた人は「期待外れだった」と言い、私は林真理子の作品には好き嫌いがありますが、それは措いても、解説の人、ちょっと持ち上げすぎup・・・という気がしました。

 藤田宜永『さかしま』(角川文庫)

夜の銀座の路地でホステスが殺され、第一発見者で作家志望のボーイが犯人探しに挑みます。最後までわからない犯人は、題名どおり、息子ではなく、男ではなく・・・でしたbar

 ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社)

この本が2000年に刊行されたときに買ってました。小池真理子や藤田宜永の本をくれる人が、映画が封切りになった頃、「『愛を読むひと』の原作が読みたいのに売ってない」と言うので、「それなら持ってるよ」と貸し、しばらく前に返ってきたので再読。

以下は、その後日譚。

「これ、もう借りてもいい?」
「・・・もう読んだんじゃない?」
「え?」
「戦前のドイツで、15歳の少年が道端で吐いたときに36歳の女性に助けられて、それからつきあって、本も読んであげてたの。そのあと彼女が姿を消して、戦後に法学部の学生になった彼が裁判を傍聴したとき、彼女は強制収容所の女看守として被告になってて・・・」
「・・・読んだ気がする」

私も再読するまですっかり忘れてましたが、2人が法廷で再会する部分で、泉鏡花の『義血侠血』を思い浮かべたのは、前に読んだときと同じでした。

 藤田宜永『恋愛事情』(文春文庫)

短編6編。50代男性の恋の話。

岩井志麻子『自由戀愛』(中公文庫)

明治末期に東京の女学校を出た2人の女性。恋愛結婚した明子は、5年後の大正初期も新婚さながらの毎日を送り、見合い結婚した清子は、離婚されて実家に。

明子は夫の会社の事務員に清子を紹介しますが、やがて清子は明子の夫の妾となり、妊娠して、子のない明子は姑に追い出され、妻と妾が入れ替わって・・・という話。

う~ん・・・。当時の女学校の位置や『青鞜』の平塚らいてうに触れながら解説してる斎藤美奈子さん、えらいと思いました。

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2009年7月17日 (金)

「にごりえ」再読

今月に入ってから、今年2月に書いた「まちこ訳『にごりえ 一』」へのアクセスが増えてます。昼間は ac.jp のリモートホストが多いから、レポートを書く学生さんみたいcoldsweats01

で、「誤訳御免の・・・」とは言うものの、修正すべきところはしないとなあ・・・と思ってましたが、この週末に今井正監督、水木洋子・井手俊郎脚本の「にごりえ」(「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」のオムニバス)を見る予習も兼ねて、今日しました。

原文を横にざっと読み返して、自分で「ここ、ちょっと変」と思った部分に手を入れただけですが、興味がおありの方は、左サイドのカテゴリー「現代語訳のこと」からご確認ください。

ところで・・・。

一葉が最後に住んだ本郷区丸山福山町の借家の隣が銘酒屋だったことは、明治28年1月執筆の「しのふくさ」(筑摩書房『樋口一葉全集』第3巻下では「感想・聞書」に分類)に、次のように出てきます。

となりに酒うる家あり 女子あまた居て客のとき(ぎ)をする事うたひめのこ(ご)とく遊びめに似たり つねに文かきて給はれとてわか(が)もとにもて来る ぬしハいつもかはりてそのかす(ず)はかりか(が)たし

少し前に古書サイトで買った映画「にごりえ」のシナリオ(『キネマ旬報』増刊、昭和28年8月)を見ると、語り手・一葉の声として、上の「しのふくさ」の「となりに」を「七月二日。新開の町、通りに」と替えて使用。

その後が、「おい木村さん信さん、寄っておいでよ」という原作冒頭の場面で、お高とお照以外の朋輩に名前がない原作と違って、女主人(お八重)や他の朋輩(お秋、たね、きよ)にも名前とせりふがあり、原作にはない店の主人の藤兵衛も登場します。

※ お照は、「照ちゃん高さん少し頼むよ」というお力のせりふのみ。

そうしなければ映画にならないという面もありそうですが、お高以外の朋輩は後景化され、声の主も区別されない原作に対して、シナリオでは「女子あまた居て」という中のお力の印象が強く、それをねらってもいるよう。

それに、帳場に座って金を勘定し、上客の朝之助にはわざわざ出てきて挨拶する藤兵衛がいることで、この手の商売は、男が女を働かせて他の男から金を取るもの、という視点も加えられているよう(バックにいる入墨の親方や子分も登場するし)。

違う部分はいろいろあって、大きいところでは、原作の「五」の後半、お力が座敷から抜け出した後の場面がカット・変更され、「六」の朝之助と二人の場面では、「三代続いた出来損ない」というお力のせりふはあるのに、祖父の話は出てきませんcoldsweats02

原作には、横町の闇の中で「仕方がないやつぱり私も丸木橋をば渡らずはなるまい」と決意するお力の長い内言語があって、祖父・父・自分と続く「人並みでは無い」生き方を選ぶお力の、人の顔が小さく遠く見え、自分の踏む土だけが3mも盛り上がっている気がするという孤絶感の表現が圧巻。

シナリオでは、座敷を抜け出したお力が、盆の晴れ着の子どもたちに「あ、鬼」「鬼姉さん」と言われ、縁日の雑踏の中で仲良く金魚すくいをする若夫婦を離れたところからぼんやり眺め、ふと我に返ったところで朝之助に出くわします。

お力の子ども時代とは違う恵まれた子どもたちと、酌婦で独り身のお力とは違う幸せそうな若夫婦は、お力が生きることができなかった/できない「人並み」の生き方を体現したもの。

なので、お力が「丸木橋」を渡ることはどういうことか、こういう形で解釈してみせたともいえそうですが、このあたりもDVDで見てみたいところです。

「明治は遠くなりにけり」の戦後映画を「昭和は遠くなりにけり」のいま見ると、どう遠くて近いのか。早く見たいけど、その前に片づけないといけない仕事が山積みなので、まずはそっちから。

 独立プロ名画特選「にごりえ」/1953年公開

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2009年7月 6日 (月)

『アメリカン・スクール』

仕事だけでなく、ブログも追いついていないので、先週、読んだものですが・・・。

 小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)

戦後3年の冬、県庁学務部指導課の役人と約30人の日本人英語教師が、占領軍のジープが頻繁に行き交う片道6キロの道程を歩いて、アメリカン・スクールの見学に出かける話。

戦勝国/敗戦国、占領/被占領という関係をベースに、豊かさ/貧しさ、英語/日本語、話せる/話せない、自尊心/劣等感、所有/被所有、男/女という要素の組み合わせ(と相対的なズレ)からなる人物の描き方がおもしろく、パズルが好きな人は楽しめるかも・・・と思いました。

例えば・・・。

つねに他の教師を指揮したがる山田。3年前まで軍隊の中隊長で、服装も血色も最もよい彼は、敗戦国民の劣位を挽回しようと自分の英語力をアメリカ人に誇示したがり、自分が優位に立ちたいときは、他の日本人教師にも英語を使用。

中心人物の伊佐は、英語教師なのに英会話を嫌がり、国防色の服と兵隊カバンに不調和な黒い革靴。兵隊靴では目につくと考え、同僚から借りた靴は、ひどい靴ずれの元になります。

伊佐にとっての英会話は、「日本人が外人みたいに英語を話すなんて、バカな」「おれが別のにんげんになってしまう。おれはそれだけはいやだ!」とあるように、彼の「にんげん」を損ねるもので、足を痛める借り物の靴のよう。

でも、ハダシで歩いたためにジープに乗せられ、先に到着したアメリカン・スクールの建物のかげでは、聞こえてくる英語を「小川の囁きのような清潔な美しい言葉の流れ」と感じ、「自分たちはここへ来る資格のないあわれな民族」だと思っていて、「男」である以外は、上に挙げた要素の右側ばかり占めてます。

そして、見学団で唯一の「女」であるミチ子は、仕立てたばかりのスーツに帽子とハイ・ヒール。その気張った姿が「かえって卑しいあわれなかんじ」だったのに、風呂敷から運動靴を出して履きかえ、歩き始めると、ジープで通る占領軍の目を惹き、達者な英語で応えて缶詰やチョコレートをゲット。

けれど、路上でのミチ子の優位も、アメリカン・スクールに着くと、エミリー嬢の美しさと「私たちの中のいちばん若い女の先生のそれ(給料)も、皆さんがたの多い人の約十倍のようです」というウィリアム校長の発言で失墜。

ジープに乗るまでミチ子の傍を離れようとしなかった伊佐まで、「エミリー所有」と書いた運動靴を履いているのを見て、つい意地悪く「あの人、ほんとに英語が嫌いらしいですわよ」と英語で山田に陰口を言ってしまいます。

で、その後のミチ子と伊佐の会話ですが・・・。

「英語を話すのがお嫌いなら、わたしなんか、おきらいですわね」
 そう言ってミチ子は自分の言葉におどろいた。
「女は別です」
「女は真似るのが上手って意味?」
 伊佐は、ミチ子のいう通りかも知れないと思った。

エミリー嬢に対して「これがおんなじにんげんであり、教師であろうか」と思った伊佐は、「女は別です」とミチ子に言ったとき、彼女を「おんなじにんげん」に含めてるのかどうか。

伊佐の借り物の靴が、彼の「にんげん」と切り離せない日本語以外の言語(英語)を指すなら、ミチ子の運動靴/ハイ・ヒールもやっぱり言語。

運動靴shoeは、男の教師たちと一緒に歩くためのもので、ハイ・ヒールboutiqueは、アメリカン・スクールで履くためのもの。

どちらも彼女の持ち物だけど、男を「真似る」ものとアメリカ人を「真似る」ものと考えれば、「女は真似るのが上手って意味?」の「真似」と、「日本人」で「女」であるミチ子と「男」である伊佐の違いも了解。

という感じで、おもしろく読みましたbook

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2009年7月 2日 (木)

四字熟語遊び

これから明日の仕事の準備ですが、その前に気分転換。

 『ことば遊びの日本語表現』(おうふう、2008年)

前に「アクロスティック」と「アナグラム」をしてみましたが、今回は「四字熟語遊び」を。

【例題】 昔話や社会問題について、四字熟語を四つつなげ、そのストーリーや解説を作ってみなさい。各語とも読み方は問わないが、意味が理解あるいは推測できるようにすること。

まずは、昔話から。

 浦島太郎

 浦島助亀
 同伴龍宮
 乙姫歓待
 帰還急老

 鶴の恩返し

 老爺助鶴
 娘来爺宅
 機織評判
 元姿帰空

 こぶとりじいさん

 善爺会鬼
 鬼喜切瘤
 悪爺模倣
 鬼怒増瘤

 わらしべ長者

 貧者旅立
 藁換蜜柑
 途中省略
 結末富裕

社会問題のほう。

 マイケル急逝

 恐怖成功
 月面歩行
 一世風靡
 衝撃悲報

 振り込め詐欺

 突然電話
 老親吃驚
 直行振込
 手口多様

 麻生総理

 漢字誤読
 更迭失敗
 自民迷走
 何時解散

 ETC割引

 盆休割引
 走行車増
 渋滞長蛇
 炭素割増

きりがないのでこのへんで。おそまつさまでしたcoldsweats01

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2009年6月25日 (木)

『あの戦争から遠く離れて』

悪夢の元にもなった本、今週やっと読み終わりました。

「第1部 家族への道 [父の時代]」、「第2部 戦後の果て [私の時代]」の構成で、「中国残留孤児」という言葉も使われていない頃に帰国した父、中国に留学した著者、満州国軍人だった祖父のことが書かれてます。

 城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』

子どもの頃、同級生に「久枝ちゃんのお父さんは中国人?」と言われたという著者。でも、両親とも日本人で、日本で生まれた著者は、中国残留孤児2世の中では、ごく稀な存在だそう。

第1部を読んでいたときは、1941年生まれの父が、家族とはぐれて中国人の養子になり、文革の時代を生き抜いて、国交正常化前の1970年に帰国を果たすまでの困難を想像し、帰国後の部分では、中国帰国孤児定着促進センターもないし・・・と思ってました。

※ 1984年開設。現・中国帰国者定着促進センター。

というのは、学生時代、専門外の日本語教育をかじり、日本語教育能力検定試験を受けたりして、のちに国費で帰国する人はセンターに入り、日本語と日本の生活習慣について教育支援を受けるのは知っていたから。

でも、第2部の中ばに書かれていたのは、著者も中国残留日本人訴訟にかかわるなかで知ったという、40~50代で帰国した人の大半が日本語を十分に習得できず、職に就けず、生活保護を受けているという状況。学習者のレディネスと就学経験、年齢などの関係は想像以上でした。

第2部の前半は、著者の中国留学の体験。「反日」のスイッチが入ったときの周囲の学生の反応は、私のゼミでも韓国人留学生との間で似たようなことがあったのを思い出しました。

そして、著者がゼミの教授に自分の父が残留孤児だと話し、「日本の開拓移民も中国に残された子供たちも日本の侵略戦争の被害者だ」と言われて、「私の祖父は、軍人だったそうです」と告げたとたん、教授の目の色が変わったという部分。

それまで、祖父がどんな軍隊のどんな立場かを知らなかったという著者は、第2部の後半で、日本軍から満州軍に移り、シベリア抑留を経験した祖父を取り上げることになります。

当時若かった祖父はなぜ満州に渡ったか。帰国後、戦争のことはほとんど語らなかったという祖父は何を考えていたか。この部分は、元満州軍の人の回想文、生存している関係者の話によるため、父の部分と比べると読み足りない気も・・・。

目の色を変えた中国人の教授ではない、日本人の孫として、その時代のその場所を生きた日本人をどう捉えるか。これは著者に限った課題ではないし、著者がまた取り組んだときには読みたいと思いました。

という意味で、サブタイトル「私につながる歴史をたどる旅」の「私」は、「日本生まれの中国残留孤児2世」という著者だけではないよね・・・と思って読み終えた本でした。

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2009年6月15日 (月)

怖かった~

明日やあさっての仕事の段取りをしたあと、入浴中や就寝前に本を読むのが、ONとOFFの切り替え&ささやかな楽しみなんだけど・・・。

4月末に出た田中芳樹『銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮』(創元SF文庫)を週末にやっと読み、5月末に届いた城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局、2007年)を読みはじめたら、今朝、国共内戦~文化大革命の頃の中国にいる夢を見てしまいましたwobbly

 NHK土曜ドラマ「遥かなる絆」の原作本

先月、旧・満州国の日本人副県長と満州人通訳を描いた牛島春子「祝といふ男」も読んでるし、文化大革命については、学生の頃、年上の中国人留学生に話を聞いたこともあるので、ドラマは見てなかったけど、それなりにリアルな夢。

2日続けてうなされることもないと思うので、今夜も続きを読みたいと思いますcoldsweats02

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2009年6月 9日 (火)

「火垂るの墓」など

1週間以上、空いてしまいましたcoldsweats01

 先週読んだのは、野坂昭如「火垂るの墓」。

高畑勲監督のアニメは、昭和20年9月21日、三宮駅構内で死んだ清太の霊が、6月5日の神戸大空襲から8月22日の妹・節子の死、翌日の荼毘までを回想し、現代の(1988年公開なので、震災前の)神戸を節子の霊と一緒に見ている・・・という構成。

アニメもよいけど、原作のどこか対象(清太の行為)を突き放した饒舌な語りが、個人的には好きかなあ。

アニメのほうは、子どもを使った反戦映画・・・と思って、実は今まで見てませんでしたが、高畑勲が「じつは私は反戦のメッセージを伝えようということでこの映画を作ったわけではないのです」(『映画を作りながら考えたこと』)と述べていたことも、遅ればせながら知りました。

それから、やはり野坂の『赫奕(かくやく)たる逆光 』(文春文庫)を読んで、「ぼくは、空襲で、家族すべてを、一時に失った如く、これまで書いてきたが、実は、養母とこと(養父の養母の名)は、しばらく生きていた」ことや、「二十一日の夕刻、ぼくの二番目の妹、恵子が疎開というより、生命からがら落ちのびた福井県の、戦争のほとんどかげのささぬ、静かな村で餓死した」ことも。

「火垂るの墓」の清太と節子は、空襲で大火傷を負った母の死後、西宮の「父の従弟の嫁の実家」という「遠い親戚」に身を寄せ、1ヵ月後に満池谷の横穴の壕に移りますが、野坂がともに養子である妹・恵子と避難したのは、現在の福井県坂井市春江町。

7月31日の夜、野荒しの途中で警報が鳴って傍の壕に待避した農夫に捕まり、清太が交番へ連れて行かれる場面で、いきり立つ農夫をなだめるおまわりさんが「今夜の空襲福井らしいなあ」と言ってますが、福井の空襲は7月19日で、「らしい」がみそ。

・・・と書いて、春江町を舞台にした津村節子の『絹扇』、3月に読んだのにいろいろ取り紛れて、ブログに書きそびれたのを思い出しました。

 私のは著者サイン入りhappy01

近代日本の絹織物業を背景にした作品ですが、女工哀史ではなく、有職女性のたくましさが描かれていて、しょっちゅう仕事(というより職場)が嫌になる私など、主人公の爪の垢を煎じて飲むべきかも・・・という内容でした。

話を戻して、神戸大空襲については、神戸市の「神戸の戦災」というサイトや神戸市文書館の「米軍資料にみる神戸大空襲」というサイトも見ましたが、ちょうど電話で話した遠くの親友に「URL、教えてよ」と言われたので、リンクを貼っておきます。

先々週からの多形日光疹は、手の甲はほとんど治りましたが、額(髪の生え際とか眉の上)がなかなかしつこいので、新しい薬を買ってきました。「火垂るの墓」に、「湿疹」「疥癬」「虱」と出てくるたび、痒くなって困りました・・・。

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2009年5月31日 (日)

かゆいけど、読む。

5日ほど前から多形日光疹が出ていて、まだ少しかゆいです。こちらに転居した11年前から、通常の生活ではあまり出なくなってたのに、通勤時間carが延びたせい?

「なに、それ?」という方は、「あなたの健康百科 多形日光疹」というページに、発症部位も発疹もそっくりな写真(あんなに毛深くないけど・・・)がありますのでご覧ください。

あわせて微熱と頭痛もあったので、だるくてかゆ~い1週間でしたが、週末は『文学で考える〈日本〉とは何か』(双文社出版、2007年)所収の金鍾漢(キム・ジョンハン)の詩4篇と、別の本で中野鈴子の詩1篇を読んでました。

続きを読む "かゆいけど、読む。"

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2009年5月26日 (火)

乗りかかった船

今月上旬に読んだのは、太宰治「十二月八日」(『婦人公論』1941年2月)を起点に、太平洋戦争と戦時下のラジオに関する資料を数点。

中旬は、中島敦「環礁-ミクロネシヤ巡島記抄-」(『南島譚』、今日の問題社、1942年)の中の「マリヤン」と他の短編。それから、学生時代の恩師の本を含め、関係資料を数点(パラオの南洋庁勤務時代や『南島譚』に関する部分)。

下旬は、第12回芥川賞候補になった牛島春子「祝といふ男」(『満州新聞』1940年9月27日~10月8日)のあと、川村湊『異郷の昭和文学-「満州」と近代日本-』(岩波新書、1990年)、尾崎秀樹『近代文学の傷痕-旧植民地文学論-』(同時代ライブラリー、1991年)の「満州国」の部分など。

起点になった短編は、どれも下の本で読んでます。

『文学で考える〈日本〉とは何か』(双文社出版、2007年)

この画像、Amazonの商品リンクが不鮮明・・・じゃなく、実際のカバーも遠目に見るとこんな感じ。でも、中身は未読だったものが多くて、いろいろ勉強になってます。

読む場所のせいで、濡れた手で触ったり、私やパセリcatの下敷きになったりして、ふやけたり、折り目がついたりしてますが、乗りかかった船なので、ぼちぼち進めようと思います。

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2009年5月10日 (日)

1941年

この10連休は、出勤日にはできない仕事の準備や読書をしながら、パセリcatや来客shadowと部屋でのんびりしてました。

読んだ本は、太宰治「十二月八日」の流れで、

  • 櫻本富雄『戦争はラジオにのって』(マルジュ社、1985年)
  • 竹山昭子『戦争と放送』(社会思想社、1994年)
  • 山田風太郎『同日同刻』(ちくま文庫、2006年)

など、1941年12月8日に関するもの。

この日のラジオ放送について、ネットでいろいろ検索してたら、「ラジオ温故知新」というサイトで「全国放送番組-昭和16年12月8日(月曜日)」というPDFを見つけましたが、末尾の出典を見て、「これ、持ってたよ・・・」と気づく始末。

その本、『現代史資料41-マス・メディア統制2』(みすず書房、1975年)は、数年前に古書で買って雑誌統制の部分を読んで以来、ずっと本棚に収まっていたので、該当ページを読んだあと、ちょっと風を通しときましたcoldsweats01

そして、今日は、城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局、2007年)をamazonで注文。

一緒にドラマを見ると、目に涙を浮かべることもある来客が、

「昨日のNHKのドラマ、見た?」
「鈴木杏が出てる? ううん」
「大泣きした」

と言うので、「原作、読みたい?」「じゃあ、買おうか」となりました。

著者は1976年生まれで、私よりずっと年下ですが、彼女の父で中国残留孤児だった幹さんは、私の父と同じ1941年生まれ。

私の父は、「芋ばっかり食べた」ほかは「戦争中の記憶はない」と言い、まだ小さかったから・・・と私も思ってましたが、それはやっぱり、外地ではない内地、沖縄ではない本土で育ち、直接被災もしてないから。

2009年の日常生活に明日から戻っても、時間があったら、1941~1945年の小説を読もうかなあ・・・と思ってます。

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2009年5月 3日 (日)

連休3日目

今年の私のGWは、職場が替わったためもあって、5月1日(金)~5月10日(日)まで10連休。

昨年のGWは、4月24日~28日と5月8日~11日の入院に挟まれた飛び石連休で、静養不十分なまま中途半端に出勤し、ふらふらしたのを思い出してますcoldsweats01

さて、そのGWですが、外に出るとくしゃみ、鼻水が出るので、自宅にこもってもう3日。

していることは、パセリcatと一緒によく寝て、掃除、洗濯、ベランダの手入れ。ニュースや海外ドラマを見て、本を読んだり、DVDを見たり、仕事をしたり。

一昨日は太宰治の「十二月八日」(『婦人公論』1942年2月)を読み、昨日は櫻本富雄さんの『戦争はラジオにのって』(マルジュ社、1985年)を読みはじめました。

その他、来客とご飯やお菓子を食べたり、録画した番組を見たりしてますが、今日一緒に見たのは、5年前からNHK-BS2でGWの定番になっている「アニメ主題歌大全集tv

ささきいさお、堀江美都子、水木一郎、前川陽子の歌を聴き、ご健勝とご活躍を喜ぶのは毎年のことですが、今年の個人的な見どころは、森本英世(新田洋)とムッシュ吉崎(クリスタルキングの低音ボーカル)でした。

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2009年4月 5日 (日)

通勤4日

異動第1週の仕事は4日(土)まで。

この間、通勤に高速道を利用したのは往路2回、復路2回。さすがに毎回は使えませんが、4日続けて出勤したら、あの「距離」にも少し慣れてきましたcar

今年度は異動者が多く、私以外は、当面(2~3年)の間、元の職場にも週1~2日出勤する人ばかり。

元の職場では元の仕事をするわけなので、いいなあ・・・と思う反面、私の場合、週1日でも元の職場に行くと、そのたびに今の職場の「距離」を痛感しそうで、かえってよかったのかなあ・・・とも思うようになりました。

ところで、4日(土)は一般道での行き帰りに、宇野重吉が朗読した中野重治の短編「村の家」のカセットテープを聴いてました。

異動前に職場を整理していたら出てきたもので、ずっと前にいらっしゃった方が録音されたもののよう。で、今は役得で私のもとにcoldsweats01

宇野重吉は1988年に亡くなっているし、それ以前のいつ、どこで朗読されたのか、記載がなくて不明ですが、中野と同じ福井県出身で、旧制福井中学の後輩でもある宇野重吉が朗読する主人公の父・孫蔵のセリフ、すごく渋くて素敵でしたnote

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2008年12月28日 (日)

巣ごもり日記

Ca3a0370昨日(土)は、前日の雪が融けたところへ未明からまた雪。ベランダから外を見ると、向こうの山が見えなくなってました。

日中も断続的に降ってましたが、夕方から雨に変わって融けたので、一安心。

また録画した「SATC」のシーズン6を見たり、人と会ったり、網野善彦『「日本」とは何か』(講談社学術文庫)を読んだりしてました。

 「日本の歴史」シリーズの「00」巻。

それぞれ著者が違う全26巻のコンセプトのような巻で、網野先生の本は好きなのに、ハードカバーで出たときは読んでなかったので。

第1章に出てくる、「日本」という国号はいつ決まったのか?・・・この質問を会った人にしたりして、「習ったことないの変だよねえ」とか言ってました。

そして、今日(日)は雨が降ったり止んだりするなか、近くの書店とスーパーに行き、3時間ほど人と会って、夜はテレビと読書の続き。

買った本は以下の3冊。

 『國文學』2009年1月号

「再読プロレタリア文学」という特集なので購入。

 和田芳恵 編注『一葉恋愛日記』(角川文庫)

新刊ではないけど、「今月の角川文庫編集長フェア」という帯付きで平積みされてました。

「恋愛日記」と題されたこの本が、編集長おすすめの6冊に入ってるのは、上の『國文學』で現在の「蟹工船」ブームが取り上げられているのと同じく、「生活することは、いつの世でも、たいへん苦労なことだと知らせてくれる」(解説)から?

 田中芳樹『銀河英雄伝説外伝2』(創元SF文庫)

こちらは、「ユリアンのイゼルローン日記」というタイトル。雪の日の「巣ごもり」の楽しみにしたいと思いますhappy01

ところで、今日はお昼過ぎに消防車と救急車のサイレンが聞こえ、窓から外を見たら、たまに私も通る農道の信号のない交差点で、乗用車2台が衝突し、1台が田んぼに落ちてました。

一時は消防のレスキュー2台、救急車2台、パトカー、レッカー車2台が狭い農道に集合し、国道への抜け道にしようと走ってきた車が、後続車も来るので戻るに戻れず・・・という状態。

この年末年始は、このまま「巣ごもり」中心で過ごすつもりですが、年末の事故、近場でも気をつけないと・・・と思いました。

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2008年12月17日 (水)

飴チョコの天使

 小川未明『小川未明童話集』(新潮文庫)

この中の「飴チョコの天使」を読んで、中野重治の『梨の花』を思い出しました。飴チョコ=キャラメルで、『梨の花』にも森永ミルクキャラメルが出てくるから。

「飴チョコの天使」の主人公は、人間ではなく、飴チョコの箱に描かれた天使。

都会の工場で製造されて、汽車に揺られ、卸しの箱車でガタガタと躍りながら、遠くの村に着いた天使は、駄菓子屋の前の小川や子どもたちを眺め、あの子どもたちが飴チョコを買って、自分を小川に流してくれたら・・・と空想しています。

でも、子どもたちには1箱10銭の飴チョコは買えず、店に来てから1年経ったある日、「なにか、孫に送ってやりたいのだが、いいお菓子はありませんか」というおばあさんがやってきます。

「東京の孫に、もちを送ってやるついでに、なにかお菓子を入れてやろうと思ってな」
「しかし、ご隠居さん、この飴チョコは、東京からきたのです」
「なんだっていい、こちらの志だからな。その飴チョコをおくれ」

おばあさんと菓子屋の会話を聞き、東京に帰れることを喜んだ天使は、他の2人とともにまた汽車に揺られ、その家に配達されて、3人の孫に分けられます。

飴チョコを持って外に出た孫たちは、箱が空になると、1人は溝に捨て、1人は破き、1人は犬に投げてしまい、天使は青い空に上っていきますが、遠く都会の彼方の空を眺める天使の行く手には、美しい星が光っていたshine・・・という話。

森永ミルクキャラメルの公式サイトによれば、明治32年の森永創業と同時に製造が開始されたキャラメルは、大正2年に「ミルクキャラメル」の商品名になり、大正3年から天使のマークが付いた黄色い箱(当初は20粒入/10銭)で販売されています。

そのミルクキャラメルが気になって仕方のない少年が、『梨の花』の主人公の良平。

 中野重治『梨の花』(岩波文庫)

『梨の花』(『新潮』昭和32年1月~33年12月)は、福井県の田舎で育った中野自身の少年時代をモデルにした長編小説。大正3年、6年生の良平は、兄が送ってくれる少年雑誌のミルクキャラメルの広告にひきつけられます。

それは、「ミンツ」というお菓子に引きつづいて売り出されたお菓子だったが、「ミンツ」というのは、田中屋にも西瓜屋の新屋敷屋(しがしきや)という新しいお菓子屋にもあって良平は知っていた。(略)「ミルクキヤラメル」はというと、それは第一子供のからだの養いになるらしかった。上等の砂糖、上等の牛乳、それから蜂蜜、それから「バター」、こういうものでこさえてあって、子供の成長に非常に工合がいいと書いてある。(略)何とかして、血色がよくなって、肥えて、力が強くなりたい。それには、「ミルクキヤラメル」がよさそうに思う。お菓子としても食てみたい。全国のお菓子屋で売りだしたという。わけても蜂蜜とバターというのが良平をひきつける。

痩せて、女生徒から囃されて青くなっている良平は、唇が割れたときにおじいさんが塗ってくれた甘くて匂いがよかった蜂蜜と、言葉でしか知らない「バター」の入ったキャラメルが食べたくて、他の生徒に見つからないかびくびくしながら、何度も店を覗きます。

田中屋にも新屋敷屋にも森永のミルクキヤラメルはまだきていなかった。肩から羽根を生やしたさかしまになった子供の絵、それがミルクキヤラメルの絵だったがそれがまだ見えない。

9月に入り、新屋敷屋に森永ミルクキャラメルが来ると、良平は「日曜で昼めしのすんだ時分」を選んで、誰にも囃されずに店内へ。

「何あげますかいの。」と出てきたおんさんがいう。このおんさんは前歯が抜けていて、ふがふが声を出す。
「森永のミ・ル・ク・キャ・ラ・メ・ル、くんないま……」
何でそんなことになったのか自分でもわからなかった。この一と言が、良平の口からどうしても声になって出ないのだった。何でだか。誰も口でいったことのない新しいお菓子の名を、いいにくいのでもあるが、いうのが恥ずかしい。ただはずかしい。「ミルク……」と考えただけで、動悸が打ってくる。「ミルク……」とまで出かかったのがそこで止まってしまって、おんさんが良平の口もとをみているのがわかると良平はますますあわててきた。
「ミンツ……」と良平はいってしまった。

「おんさん」は「おじさん」。「くんないま」は「くださいな」。なんとも新鮮な「森永のミルクキヤラメル」体験ですが、こんな少年に買われたら、結局は同じ空に上るとしても、飴チョコの天使も幸せなのに・・・と思ってました。

ちなみに、上越市の小川未明文学館の「童話体験の広場」には、「からくり飴チョコ箱」(森永ミルクキャラメルの巨大オブジェ)とキャラメル型スツールがあるそうで、いつか行ってみたいと思っていますhappy01

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2008年12月11日 (木)

青とか赤とか

先週末、長谷川集平の『青いドッグフーズ』と文・小川未明、絵・酒井駒子の『赤い蝋燭と人魚』という絵本を借りました。

で、9日(火)の仕事の後、その貸主の20代後半の2人と長話。火曜特売のスーパーには行きそびれたけど、おもしろかったです。

おもな話題は、以下の2点。

  1. 『青いドッグフーズ』の「犬」は何を表しているか?
  2. 『赤い蝋燭と人魚』の人魚は死んだのか?

1.については、親世代とは違う70年代の青春かなあ?・・・という話から、冒頭や末尾に出てくる「島」と「海」、それと関連する「ぼく」の父の友人の話について。

2.については、人魚が死んだとは明言されてないけど、そうでないなら、香具師に人魚を売った蝋燭屋の老夫婦が廃業するだけでなく、町まで滅ぶという懲罰的な結末になる?・・・というところから。

町が滅んだのは、「誰か」がたびたび赤い蝋燭をお宮に上げ、大嵐や事故が起きたためで、波の上から来るのを見た者があるとぼかされてるけど、これはやっぱり人魚の母。

この母は自らの境遇や生を嫌悪し、娘の幸福を願って人間の町に子捨てをし、娘のほうは母が嫌悪したものを知らずに海を恋しがり、蝋燭に「赤」で魚や貝などを描いていて、「血は水よりも濃い」という感じ。

そして、売られる直前に娘が残した真っ赤な蝋燭は、自分が人魚であることで、養い親の老夫婦から「血も涙もない」仕打ちを受けることになった悲しい思い出(メッセージ)のこもったもの。

赤い蝋燭を買った人魚の母は、そのメッセージを受け取ったうえでお宮に上げていると思うし、船が沈んで娘が死んだとすれば、売られることは阻止され、母の行為(子捨て)は娘を失うという形で、老夫婦の行為(人間なら人身売買)は町が滅びるという形で断罪されたことになるから、やっぱり死んだのでは?・・・なんて話でした。

ただ、酒井駒子の絵には、体のラインが人魚と類似しているアシカが数ヵ所に登場します。

  1. 身重らしい人魚に寄り添っている複数のアシカ。
  2. 檻の前で、首にネッカチーフを巻かれているアシカ。
  3. 帽子や靴、鍵などが漂う海中を泳いでいるアシカ。

どれも文にはないもので、1.は人魚の母がアシカたちにいくらかは慰められていたかもしれないこと、2.は売られた娘が見世物にされることを示していて、3.は人間の持ち物が漂うところにアシカと鍵が描かれ、この鍵で人魚の娘の檻が開いた?・・・とも思わせます。

 『赤い蝋燭と人魚』(偕成社、2002年)

檻が開いてたらいいけど・・・と思わせるこの本、私も買っちゃおうかと思いましたが、青とか赤とか世代がらみの色なんだなあ・・・と改めて思ったことでした。

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2008年12月 7日 (日)

70年代的青春の絵本

Ca3a03455日(金)の夜から6日(土)の夜まで雪でしたsnow

タイヤ交換もまだだし、天気予報をチェックして、雪が融けるまでは・・・と閉じこもってましたが、今日は晴れて、明日も冷え込むそうだけど、晴れの予報。

マンションの屋上と駐車場が乾いたら、物置から冬タイヤを出して交換してこないとなあ・・・と思ってますcar

          *          *          *

Image00ところで、閉じこもってる間に、長谷川集平の絵本『青いドッグフーズ』(北宋社、1980年)を読みました。

絵本といっても、「神田川」の歌に出てくるような同棲生活を描いた大人向けのもの(作者は1955年生まれで、70年代後半に20代前半)。

貸主が「中に出てくる犬は、主人公の欲望の象徴?」と言うので、その点に着目しました。Image05

初めて犬が登場するのは、島が見える海を前にした「ぼく」の背後に裸の女が現れた絵の次の絵。女だけが背後の犬を振り返っています。

で、その次の絵では犬と女が交わっているので、「ぼく」の欲望と捉えたくもなるけど、その後の描かれ方を見ていくと、70年代の若者(学生)の意識や日常の表象かなあ・・・と。

  • 銭湯の行き帰りに「ぼく」と女の後ろをついてくる犬。
  • 畳や布団の上でセックスするところを見ている犬。
  • 男の子(「ぼく」の中の子ども)に誘われ、「ぼく」と女が雪遊びするのを見てる犬。
  • 「こいつ、あったかいよ」とじゃれついた男の子に噛みつき、追い払われる犬。
  • 就職して疲れたスーツ姿の「ぼく」の後ろをついてくる犬。
  • ままごとをする男の子と女の子(「ぼく」と女の生活)の傍にいる犬。
  • 裸でご飯を食べる女とちゃぶ台をはさみ、新聞を広げている犬(「ぼく」と犬の同化)。
  • 遅刻が多くてクビになり、「泳ぎに行こう」と海に誘いながら、女が泳ぐのを見ているだけの「ぼく」の隣にいる犬。
  • 泳ぐ女に「遠くにいかないでくれよ」と叫んだあと、「ぼく」と目を合わせ、肩に手を置かれる犬。

というように、いつも身近にいる犬ですが、本当の犬ではありません。

これが70年代の若者の意識と日常の表象なら、「ぼく」にとっては、女との出会いと同棲を通して体験したもので、女が「遠くに行く」ことは、セックスと怠惰と大人になりきれない(なりたくない)日々との別れを意味するから、行ってほしくない。Image39

でも、「ぼく」は「彼女はクロールがうまい」ことを知っているから、女がその気になれば、遠くに行けることも知っている。

終わりがあることを意識したとき、初めて犬と目を合わせ、そういう時代だったんだな・・・というように犬の肩に手を置き、一緒に女を見ている「ぼく」と、沖を泳ぐ女。

歌の「神田川」の物寂しくもめめしい懐古調とは、似て非なる批評性があって、80年代の男女を予測した本としてもおもしろく読めました。

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2008年12月 3日 (水)

昨日買った雑誌など

昨日、近くの書店で買いました。

まずは、付録のカレンダーがほしくて、毎年この時期に買うインテリア雑誌とガーデニング雑誌。

 『PLUS1 LIVING』2008年12月号

 『ガーデン&ガーデン』2008年冬号

もちろん本誌も1頁1頁眺めますが、それは年末の楽しみ。こたつで何か飲みながら、「こんなふうにしたいなあ」とか「こんなの植えたいなあ」とか。

それから、特集のタイトルや目次を見て買う雑誌。

 『ユリイカ』2008年12月号

特集は「母と娘の物語-母/娘という呪い」。萩尾望都×斎藤環の対話「少女マンガと『母殺し』の問題」、信田さよ子×上野千鶴子の対話「スライム母と墓守娘-道なき道ゆく女たち」をはじめとして、マンガや小説、社会の中の母と娘を扱ってます。

で、ちょうど『小川未明童話集』(新潮文庫)で「赤いろうそくと人魚」を読んだばかりですが、これも「母と娘の物語」として読んだらおもしろいというか、怖いのはお金より母かも・・・と。

はじめは信心深く優しかったのに、大金と引き換えに人魚の娘を香具師に売るろうそく屋の老夫婦より、さびしく暗い北の海で生きる自分の境遇を呪い、娘の幸福を願って陸の上に生み落とした人魚の母。

彼女は娘が売られたと知ると、娘が最後に絵を描くことができずに真っ赤に塗ったろうそくを買い、嵐を起こして船を難破させ、その後もたびたび赤いろうそくをお宮にともして、ついに町まで滅ぼしてしまいます。

檻に入れられ、船で南の国へ行く途中だった人魚の娘は、最初の嵐で死んだという読みが一般的なようですが、娘が残した赤いろうそくは2、3本。

たびたびともされたという赤いろうそくは、人魚の母が人間を呪って自分で塗ったのか、もしかしたら嵐で海に帰った娘が、今度は養父母のもとではなく、母のもとで塗ったのか。

いずれにしても、主観的には娘の幸福を願っていた母に滅ぼされた娘の話だなあ・・・と改めて思いました。

 『國文學』2008年12月号

特集は「映画文学」。小特集は「作家と映画」。文学を原作とする映画で見てみたいものがちらほらと。でも、いま使ってる職場のお古PCではDVDは見れないし、ボーナスが出たら、PCかDVD(ブルーレイ?)を買うほうが先決問題でした。

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2008年10月21日 (火)

のんびり

18日(土)が出勤で、休みのはずの昨日も出勤したので、今日は自宅でのんびり。

今週は、長い会議がまだ2つあって、土曜も出勤、先日「諾」の返事をした件の調整もしないといけないけど、今日はなんにもしない~!ということで、本を読んだり、昼寝したりしてました。

梨木香歩『沼地のある森を抜けて』(2005年8月)

しばらく前に『家守綺譚』を読んで、次に読みたかった本は、呻くぬか床から人が生じるという不思議な出だしの、人も酵母も含めた「生命」の始原と連鎖を描いた物語。

『家守綺譚』は、人と動植物、異界との交感の物語でしたが、梨木果歩が描く世界は、「現実的」であることや「我」や「個」に縛られてしまいそうなとき、内へ外へと感覚を拡げてくれます。

でも、次は思いっきり「現実的」な(?)本、伊藤比呂美の『女の絶望』を読む予定。買っちゃったし、これはこれで興味があるので・・・。

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2008年8月30日 (土)

火と血の色

先月読んだ『左腕の猫』(2004年)、『愛の領分』(2001年、直木賞受賞作)に続いて、3冊目の藤田宜永氏の本です。

藤田宜永『艶紅(ひかりべに)』(文春文庫、2003年)

初刊は2000年9月。カバーに「直木賞受賞作の原点とも言うべき」とありますが、影のある男女が出会い、急速に惹かれ合っていくところは同じ。恵一郎・久乃と『愛の領分』の淳蔵・佳世は、人物のアウトラインも似ています。

恵一郎(49歳・装蹄師)と淳蔵(53歳・テーラー)は、父の事業の失敗がもとで出郷し、天職といえる仕事の師匠とたまたま出会い、実力と見識を養ってきた人物。

久乃(37歳・染織作家)と佳世(39歳・植物画家)は、母に反発して東京に出郷しますが、男性の影を引きずって帰郷し、自ら選んだ仕事に没頭しようとしている人物。

また、恵一郎は新橋の元芸妓の、久乃は祇園のお茶屋の女将の婚外子として育ち、生育環境に共通点があるところも、淳蔵・佳世と同じです。

違うのは、恵一郎は妻と娘(中学生)と別居中で、淳蔵が妻を亡くして独身なのと、久乃の母が生きていること。

その違いが招く結末の違いが、『艶紅』と『愛の領分』の違い・・・といえるほど似ていて、『愛の領分』よりもシンプルな展開の作品ですが、紅花で作った艶紅(染料)の赤のイメージが面白い作品でした。

どんなふうにかというと・・・。

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2008年8月16日 (土)

鼓舞と定着

2005年3月に乳がんで死去した歌人・宮田美乃里(享年34歳)を描いた小説を読みました。

 森村誠一『魂の切影』(光文社文庫、2008年7月)

70歳の小説家・山吉雅樹は、友人の写真家・荒木経彦(荒木経惟がモデル)から贈られた写真歌集『乳房、花なり。』を開き、左乳房がなく、余命短い宮田美乃里の写真と歌に衝撃を受けます。

それを契機に、病床の彼女を取材して書く・・・というだけのものなら、森村氏ではない山吉という作中人物の設定は不要で、通常のノンフィクションになる作品。

では、山吉を設定した意味は?

山吉が「美乃里の最後の存在証明と称して組み立てた虚構の作品世界のヒロイン」として彼女を描くのは、忠臣蔵の吉良家の付け人を遠祖とする彼の家に、「散る花の行方を追うて迷へども めぐりぞ逢はむ運命(さだめ)の枝に」という歌が伝えられているから。

引き裂かれた恋人たちが後の世での再会を誓ったその歌は、10代の頃から山吉の「運命の恋人」探しの原動力になっています。

そして、作品進行上も、山吉が美乃里を取材する〈現在〉と、彼がこれまでに「運命の恋人」かと思った数人の女性、亡くなった妻との〈過去〉が交互に出てきますが、それは結局、「運命の恋人」たちに通底する「永遠の恋人」像として美乃里を描くため。

〈事実〉に関心のある読者には、作中人物の山吉の家に伝わる歌や彼の過去は余計な部分のようですが、ある〈事実〉をどのように語ろうと〈事実〉そのものではない以上、男性作家の森村氏が女性歌人の生と性を鼓舞し、彼女(あるいは森村氏)の死後もその姿を作品に定着させるために、山吉を設定し、「運命の恋人」の帰着点である「永遠の恋人」像を用いたのだろう・・・と思いました。

ところで、私が宮田美乃里を知ったのは、彼女が左乳房にしこりを発見した02年5月から6年後の今年5月。

彼女とは病期が違う病理結果を聞いた後、あれこれ読んだサイトのひとつが「花と悲しみ~魂の軌跡 宮田美乃里 特別室」(毎日新聞の「女の気持ち」への本人の投稿とその反響のまとめ)でした。

治療をしないと公言した彼女は、がんが皮膚に浸潤して膿みはじめ、翌03年10月に左乳房を切除しましたが、周囲の理解を拒むような彼女の文面と盛り上がった賛否両論とのズレが痛々しく、彼女がすでに故人であることもあって、やりきれない印象が残りました。

その後、彼女の歌をネットで読める範囲で読みましたが、内容・表現のあまさが目について(中城ふみ子の歌と比べてしまうから?)、その意味でのナルシシズムが好きになれませんでした。

だから、森村氏の『魂の切影』は、ジャンルやキャリアは違っても、同じ表現者として彼女が表現できなかった部分を表現した作品だとも思いましたが、そんな「永遠の恋人」を得た彼女の最期は、「女の気持ち」に投稿した頃とはどう変わっていただろう・・・と想像していました。

※森村誠一公式サイトに、「宮田美乃里特集」のページがあります。

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2008年7月18日 (金)

影の領分

第125回直木賞受賞作ですが、初めて読みました。

 藤田宜永『愛の領分』(文藝春秋、2001年)

信州の旅館の息子だった主人公・淳蔵(53歳)は、18歳で父を亡くし、人手に渡った旅館と故郷を離れて、今は東京でテーラーを営む男性。妻の佐智子は7年前に亡くなり、大学生の息子・信也(21歳)とふたり暮らし。

その淳蔵をめぐって、さまざまな二者がからんで織り成される陰影が、年齢設定の妙もあって面白い作品でした。

  • 28年ぶりに再会した昌平(59歳)・美保子(53歳)夫妻とは、昌平に隠れて美保子と付き合っていた過去がある。そのとき淳蔵を選ばなかった美保子は、今は難病を患い、また淳蔵を引き寄せようとする。
  • 35年ぶりに再会した太一(69歳)・佳世(39歳)父娘とは、少年の日、太一の妻・千代子を憧れをもって眺めたことがあり、今は娘の佳世に惹かれ、付き合いはじめる。
  • 佳世は、東京での教師時代に不倫相手に自殺され、郷里に戻ってからは、一時昌平の愛人として美保子と三角関係にあり、美保子が病気になった後は、淳蔵をはさんで三角関係にある。
  • 佐智子は死の直前、当時中学生の信也に、家族を脅かすものとして淳蔵の中の美保子の幻影を語っていた。大学3年になった信也は、賃金労働を嫌い、好きな女性をストーカーし、父と佳世を邪魔する。

など、2+1=3 や 1+2=3 の関係に生じる影(や幻影)が交錯するなか、もう若くない淳蔵(太一や昌平よりは若いけど)が、やはり影を支えにして立ってる佳世と「影の領分を分かち合って生きていく」ことに、ある確かさを見出すまでの話。

なんかベン図の重なった部分を思い出しますが、すべてを分かち合うことはできないにせよ、分かち合える部分を持ち、その影が相手だけの影にもそっと寄り添ってるイメージですshadowshadow

タイトルの「愛の領分」という言葉は、昌平が淳蔵にいう「お前と佳世は、愛の領分を分け合えるってことだ」というセリフにしか出てきませんが、淳蔵にとってのそれは↑や↓のような「影の領分」。

強烈な「光と影のコントラスト」は目を眩ませるけど、「影と影の関係」は「或るときは一方が濃い影を伸ばし、もう一方が薄い影となる。そこには微妙な風合いが生まれでる」というもので、最近の暑さsunと湿度sweat02もあって、より優しいものに思えますcoldsweats01

先に「年齢設定の妙」と書きましたが、淳蔵に老眼鏡が欠かせなくなったとか、佳世が四十路目前とかだけでなく、昌平が淳蔵と美保子を引き合わせた日が「東大安田講堂の封鎖が解除された翌日」で、「大塚にある女子大の国文学科をその年に卒業」という美保子の歳もそう。

昌平は6歳上の会社員だし、淳蔵は美保子と同じ歳でも、高校卒業後、旅館、キャバレーを経てテーラーの修行中だったから、学生運動とは無縁。

美保子だけが全共闘世代の学生で、川端康成が好きで、「敗者のほうが美しく見えてしまう」なんて言ってますが、その美保子に「光」を感じさせたのが、当時の淳蔵の年齢と生活なら、今も川端が好きで、過去と現在の幻影を淳蔵に求めようとした53歳の美保子が、淳蔵の目に「暗い空間」としか映らないのは、その間に淳蔵が重ねた年齢と生活のため。

生まれた時代は違うけど、美保子さんみたいにはなりたくないなぁ・・・と思いましたwobbly

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2008年7月11日 (金)

助演賞をあげたい猫

  藤田宜永『左腕の猫』(文藝春秋、2004年)

「老猫の冬」「永遠の猫」「蛮勇の猫」「葬式の猫」「猫の幕引き」と、表題作「左腕の猫」の6編からなる1冊。表紙カバーの太っちょの猫が、しっぽが長いのを除いて、亡きミントにそっくりですweep

いずれも中年男性が主人公の恋愛小説で、管理職だったり、リストラされ/脱サラしてたり、妻が病気だったり/亡くなってたり・・・という設定のもと、ある女性との関係/への想いが描かれ、男と女っていろいろあって健気で可愛い・・・という作品群。

各話に登場する個性的な猫たちも、いい味を出してます。セリフもないのに存在感があって、助演男優・女優賞をあげたいくらいpresent

藤田宜永の小説は今まで読んだことがなくて、最近、私が「ステキなおじさん」と呼んでる人に教えてもらいました。別の作品も、またそのうち・・・。

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2008年7月 1日 (火)

天秤座の彼女

プルさんのブログに取り上げられてたのを見て読んでみました。

 村上春樹『東京奇譚集』(新潮社、2005年)

先日読んだ山本文緒『プラナリア』は、私には後味の悪い1冊(特に表題作「プラナリア」が)でしたが、こちらは不思議な明るさがあって、心地よく読めました。

                    *

収録作5つのうち、1つめは「偶然の旅人」。

「僕=村上」が滞米中に体験した2つの偶然を前置きとして、多摩川の近くに住む知人から聞いた「偶然に導かれた体験」が語られます。

そこに登場する女性は、1人は乳がんの再検査を、もう1人は右乳房切除手術を前にしていて、どちらも右の耳たぶにほくろが・・・。

話は、同じカフェで同じ本を読む女性との出会いが、自分がゲイであることを明らかにして以来、長く疎遠になっていた姉に電話をかけるきっかけとなり、姉の入院前日の和解へと繋がった・・・というもの。

偶然といえば、私も、甲状腺がんで入院した病院(東京)で、父が若い頃に住んだというアパート(近畿の某市)の、大家さんの娘さんという人と同室になりました。

彼女から「たぶんそうよ。お父さんに聞いてみて」と言われ、本当だったので驚きましたが、今年2月に「これは?」と思ったとき、やはり2度目のがんが乳がんだったその人を、また思い出しました。

                    *

4つめは「日々移動する腎臓のかたちをした石」。

上の入院前からIgA腎症の私には、「腎臓」は馴染み深い臓器。少し遊走腎なので「日々移動」もしてるはずですが、それとは関係なく、とても上質な別れとその受容の物語・・・だと思いました。

主人公の淳平は、16歳のときに父から聞いた「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない」という説に呪縛され、「本当に意味を持つ」1人が親友と結婚した後、「多くの女性たちと付かず離れずの淡い関係」を結んできた31歳の小説家。

彼の書きかけの短編は、30代前半で独身の内科医(40代後半で妻帯者の外科医と関係を持っている)が、休暇をとって一人旅をし、腎臓のかたちをした石を拾ってオフィスに持ち帰り、奇妙な事実に気づくという物語で・・・。

そこで止まっていた物語は、淳平がキリエという女性と出会ったことで動き出しますが、それは、女医が不在の夜間にオフィスの中で石が移動しているというもの。

淳平は、キリエ(の中の何か)が自分の物語を先に推し進めていると感じつつ、女医の中の何かが石を活性化し、石が彼女に何らかの行動をとることを求めていると考え、続きを書きます。

書き終えた物語は、女医が生活の大部分を石に支配された後、外科医と別れて石を海に捨て、人生をやり直す決心をした翌朝、捨てた石がまたオフィスの机に・・・というもの。

なぜまた石が?・・・といえば、「その石は外部からやってきた物体ではないだろう」という淳平の考えに錯誤があって、「その腎臓石は自分の意思を持っているのよ」というキリエの言葉どおり、女医の外部の存在だから(あるいは、女医ではなく、淳平の期待)。

でも、淳平がそれに気づくのは、キリエが姿を消した後。

石が女医を揺さぶったように、キリエの不在に揺さぶられた淳平は、やがてキリエを「本当に意味を持つ」2人目にしようと決心し、同時に「大事なのは誰か一人をそっくり受容しようという気持ちなんだ」と理解し、「三人の女」説から脱却します。

淳平が、彼の内部のキリエではなく、彼の外部で「自分の意思を持っている」キリエをそっくり受容したとき、すでに文芸誌に掲載された彼の短編「日々移動する腎臓のかたちをした石」は、その外部で本当の結末を得ています。

だから、淳平ではない村上の「日々移動する腎臓のかたちをした石」の末尾は、

同じころ、女医の机の上からは、腎臓のかたちをした黒い石が姿を消している。彼女はある朝、その石がもうそこに存在していないことに気づく。それは二度と戻ってはこないはずだ。彼女にはそれがわかる。

石の不在を受け入れた女医に重なる、キリエの不在を受け入れた淳平と、今もどこかの高層ビルの間にロープを張り、その上を歩きながら、「意思を持つ」風とともにあるキリエ。

天秤座(風の星座の1つ)で、何よりも「バランス」を大事にするキリエには、1つの腎臓石が海に沈んでいくイメージより、机の上にぴたりと収まっているイメージより、風と、2つの腎臓(バランスがとれている)のイメージが似つかわしいのだから・・・と思いました。

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2008年6月28日 (土)

気持ち悪かった~

読もうか読むまいか・・・と思って、やっぱり読んじゃいましたcoldsweats01

 山本文緒『プラナリア』(文春文庫)

表題作の主人公が乳がんでなければ、普段は読まない作家ですが、収録作5篇のうち、いちばん気持ち悪かったのが表題作。

なので、その気持ち悪さを考えてたんだけど・・・。

主人公の春香は、24歳になる直前に「がんの進行がステージ4だかになっていて、一日も早く切除するしかない」と言われ、右乳房を切除。翌年、背中の肉を使って再建手術をした(乳首の再建はまだ)という25歳、無職。

「ステージ4」といえば、遠隔転移していて・・・と思って読み進むと、

  • 「直径5センチにも育ったがん」は、術後の病理検査では「ステージ1」で、抗がん剤もせずに済み?
  • 「生理が来なくなる」としか聞かされなかった「ホルモン注射」で、めまいや吐き気を訴えると、「そういうこともあるかもね」、「この薬は乳がんはおさえられるけど、子宮がんになりやすい」と初めて言われ?
  • 婦人科に行けば行ったで、「普通半年しか打たない薬なのに、一年半も打ってるなんておかしい」と言われ?

と、真面目なドクターがお読みになったら、困った顔wobblyになりそうな部分があって、これも春香のディスコミュニケーションを強調するため(?)とは思うけど・・・。

春香のディスコミュニケーションは、「あんたが私に食うだけ食わせて肥満にしたから、がんにもなったんだ」という母親への八つ当たりのほか、他の入院患者や看護師、彼氏の豹介、入院中に知り合った永瀬さんとの間にも出てきます。

酒の席で、「私、乳がんでしょ」と言っては皆をうつむかせ、「もう終わったことだろう。治ったんだからもうルンちゃんはがん患者じゃないんだよ」と豹介から言われると、内心とは裏腹に「ごめんね。もう言わない」と媚びた声で謝る春香。

表題の「プラナリア」は、「次に生まれてくる時はプラナリアに」という、春香が乳がんを語るときのネタであり、現実とは違う夢に由来するもの。

豹介たちとの酒の席では、「そういうもんに生まれてたら、取った乳も勝手に盛り上がってきて、再建手術の手間とお金が省けたなーと思ってさ」と言い、永瀬さんにも↓のように言ってます。

「きれいな小川の石の下にいて、別に可愛くないから注目もされないで、何にも考えずに生きていられるんですよ。しかも切られても再生しちゃうなんて、死ぬ恐怖がないってことですよね。セックスなんかしなくても、放っておくと育って二匹に分かれるっていうのも簡単でいいし」

デパ地下で、「出口はどこかしら」とおばあさんに腕をつかまれ、吐き気とめまいに襲われていたのを助けた永瀬さんは、春香をバイトに雇い、↑の話を聞いた後、春香が見たくなかった乳がんの専門書6冊とプラナリアの資料を宅配便で送ってきます。

その後、バイトを無断欠席し、豹介たちと飲んでるところへかかってきた永瀬さんからの電話を放棄して席に戻ると、「春香さんは何でプーなんすか?」と聞かれ、また「私、乳がんだから」と言って豹介から睨まれ・・・。

最後は、一度下した腰を上げ、デパ地下のおばあさんのように、「出口はどっちですか?」と通りかかった店員の腕をつかみ、「遥か遠くの方を指差」されて終わる一篇。

自分自身と折り合いがつかず、周囲とも通じ合わず、現在(それに連なる過去や未来)をどう捉えればいいのかわからない不安な状態。

これは、乳がんの場合に限らないし、他の収録作の主人公や登場人物もそうなんだけど、「出口」が見えない気持ち悪さで、一番なのが「プラナリア」crown

乳がんとプラナリアは、テーマを支える題材と表象として選択されてるようですが、「自分も乳がんになったら・・・」なんてレビューを読むと、ある病気をそういうふうに使うことは、自由でもあるし、難しくもあるなあ・・・と思いました。

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2008年6月24日 (火)

生きもののうた

ちょっと借りたい本があって、図書館に寄ったついでに借りました。

 室生犀星『動物詩集』(挿画:恩地孝四郎)

初刊は昭和18年9月。借りたのは、上の画像リンクの本(日本図書センター『わくわく!名作童話館 8』)ではなく、ほるぷ出版『名著復刻 日本児童文学館 2』。

「いろいろな動物の生活を見てゐると、どういふ生きものにも私たち自身の生きてゐる有様が、ところどころに見られる」という序文、目次、序詩に続き、春夏秋冬の4部にわたって1、2ページに1篇ずつ、身近な動物のうたが収められています。

「猫のうた」は冬の部。

  猫のうた

猫は時計のかはりになりますか。
それだのに
どこの家にも猫がゐて
ぶらぶらあしをよごしてあそんでゐる。
猫の性質は
人間の性質をみることがうまくて
やさしい人についてまはる、
きびしい人にはつかない、
いつもねむつてゐながら
はんぶん眼をひらいて人を見てゐる。
どこの家にも一ぴきゐるが、
猫は時計のかはりになりますか。

うちのパセリは「時計のかはり」じゃないけど、私が遅刻しないように起こしてくれるし、長風呂してると溺れてないかと見にきますcoldsweats01

同じく冬の部の、一つ前は「犬のうた」。

  犬のうた

あんまり犬は人になれてしまつて、
もうだらしのないどうぶつになつてしまつた。
いつも
のらのらと用もないのに
道ばたでおしつこばかりしてあるく、
おしつこがきつと東西南北を
知らせてくれるのでせう。
けれども
月夜のばんに白い犬を見るのは
美しいものですね、
月からころがりおちたうさぎのやうだ。

室生犀星、猫派かなあ?

ちなみに、序詩(生きものの/いのちをとらば/生きものはかなしかるらん。/生きものをかなしがらすな。/生きもののいのちをとるな。)を読むと、ひろく動物好きだったのかと思いますが、昭和18年という刊行年を考えると意味シンです。

序文には「私がもつと少年のやうに若かつたら、面白い詩が書けたであらうと、さう思つたほどです」とありますが、昆虫の詩も多くて、私の虫めづる少女の頃も思い出させてもらいました。

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2008年5月27日 (火)

48字のアナグラム

先日、『ことば遊びの日本語表現』(おうふう)の「ユニット1-1」をやってみましたが、ざっとみたところ、一番難しそうなのは「ユニット8-2」の例題2。

いきなりですが、挑戦してみました。

現代のかな46字(あ~ん)を1度ずつ、すべて用いて新いろは歌を作成しなさい。ただし、次のルールをふまえること。

  1. よく知られた固有名詞や商品名、古語や外来語を用いてもよい。
  2. 「は」→「ば(ぱ)」など、濁音(半濁音)にして用いてもよい。
  3. 「テーゼ」→「てえせ」のように、長音は直前の文字の母音にする。
  4. 「や」「ゆ」「よ」は拗音にして、「つ」は促音にして、用いてもよい。
  5. 「きょう」→「けふ」、「しょう」→「せう」など、歴史的仮名遣いの使用も認める(現代仮名遣いと混用してもよい)。

ここでは、「ゑ・ゐ」を加えた48字バージョン、五七調で pencil

  こんしきの かみなるをとめ (金色の 髪なる乙女) 
  ほいすらも つたへぬうちに (本意すらも 伝えへぬうちに) 
  やまゐゆゑ よろひあはせね (山藍ゆゑ 鎧合わせね)
  さりてえむ われけふおそく(去りて笑む 我今日遅く)

「笑む」は、歴史的仮名遣いでは「ゑむ」なんだけど、これしか・・・。またそのうち、やってみたいと思いますcoldsweats01

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2008年5月17日 (土)

ことば遊び

4月以降の通院や入院とバッティングした仕事、11件中2件を今日しました。

通常業務に加えて休んだ間の仕事を入れるのは、体力的に楽じゃないし、まだ日程調整がつかないものもありますが、終わった分だけ気が楽にsun

帰宅後、昨日届いた『ことば遊びの日本語表現』(おうふう)をめくってみました。ことば遊びを通して表現力を養おうというもので、ちょっと脳トレな感じの15×2のユニットが掲載されてます。

例えば、ユニット1-1の「アクロスティック」は、和歌の「折句」や「沓冠」、大喜利の「あいうえお作文」のように、お題となる語句を規則的に折り込むもの。

【例題1】 行の始めの文字に自分の氏名を一つずつ折り込んだアクロスティックで、自己紹介文を作りなさい。

あ、いいか」
かづいたら」
れも給料のうち」と言いながら仕事しています

「氏」は折り込んでませんが・・・。以下同様。

【例題2】 各行の2字目に自分の氏名を折り込んだアクロスティックで、自己紹介文を作りなさい。

えんぼうのパセリと
たりるまで眠るのが
ちよくてたまりません

【例題3】 行の始めの文字に自分の氏名を折り込んだうえで、各行の字数を揃え、自己紹介文を作りなさい。

んもぐらふぃをうけたら(マンモグラフィを受けたら)
いさなびょうへんがあり(小さな病変があり) 
のたびせつじょしました(このたび切除しました)
 ※12字

だほんちょうしではありませんが(まだ本調子ではありませんが)
ょっとずつふくちょうしますので(ちょっとずつ復調しますので)
んごともよろしくおねがいします(今後ともよろしくお願いします)
 ※16字

どうもおそまつさまでしたcoldsweats01 関心がおありの方はぜひ・・・。

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2008年5月 3日 (土)

短歌・小説の中の乳がん

先日の入院中に読もうかと思って買いましたが、入院前に読んでしまいました。

菱川善夫編『新編 中城ふみ子歌集』(2004年)

全体の2/3は、1952年に左、53年に右の乳房を切除したふみ子が、入院中の54年7月、死の1ヵ月前に刊行した『乳房喪失』と翌55年に刊行された『花の原型』を編みなおしたもの。

残りの1/3は、54年3~8月に『短歌研究』編集長・中井英夫とふみ子との間で交わされた書簡。

短歌は門外漢の私には、戦後歌壇や女性短歌史上の位置づけはわかりませんが、乳がんという病を通して、女性の身体、セクシュアリティを表象している点、感情語を用いても、次の瞬間には客観的に捉え返す姿勢、その元にあるプライドにひかれました。

葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せのわれの背中はまだ無瑕なり

中井との往復書簡は、中央歌壇に批評を持つ野心的な編集者と乳がん患者である一地方歌人(このとき2人とも32歳)として始まったやりとりが、1通ごとに濃密なものになっていく過程が小説みたい。

入院中は、外出して帰るときに買った『銀河英雄伝説 8』を読んでましたが、今は、世界で初めて全身麻酔で乳がん手術を行った華岡青洲の<家>を、ハストリアン(his storyではなく、her storyとして歴史を見る)・有吉佐和子が描いた『華岡青洲の妻』を再読中。

和歌山県立医科大学附属病院紀北分院のサイトに、詳しい華岡青洲の紹介がありますが、その「乳がん手術」のページを見ると、彼の手術は現在でいう部分切除だったそう。

青洲の偉業の陰にいた母と妻、2人の妹という女たちを描いた有吉が、「乳房は女の急所」と考えられ、患者の多くが進行してから医者にかかった当時、部分切除だった限界(?)や配慮(?)について書いていないのは、残念といえば残念です。

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2008年3月31日 (月)

灰色の世界

「どうしてた?」
「えっと、PCで『銀河英雄伝説』見てた」
「アニメ?」
「うん!」

で始まった昨日の電話で話したこと。

「こないだ言ってたセカンドオピニオンどうするの?」
「17日に行ったときに確認してから。私が言われた異型乳管増殖症って異型乳管過形成(ADH)らしくて、前がん病変っていうけど、経過観察の病院もあるみたい。非浸潤性乳管がんと判別が難しい、微小な低悪性度のがんって書いてるのもあるし。切るときはマージンつけるから、3cmとかになるのかな」

「それで?」
「ブログとか見ると、セカンドでシロ(良性病変)になってる人もいるし、グレーならグレーでどういうグレーか、ちゃんと聞こうと思って。で、無料で読める病理の論文をサイニイ(CiNii)で拾い読みしてる」

「うん」
「こないだ聞ければよかったんだけど、患者は多いし、もう一回聞こうと思ったら、カンファレンスに行っちゃったし。だから、ちゃんと聞いてみて、セカンドしたほうがいいと思ったらする。もしクロでも、ちょっとくらい手術が延びるのは怖くないし」

「そっか」
「患者といえば、外来でも夫とか付き添ってる人も多いけど、バカな男がいてさ。中待合で足投げ出して、『どうせ切るんだろう?』とか大声で言って、『まだ決まってないのに・・・』って泣かせてんの。皆に聞こえてるのに、すごい迷惑!ムカついたー!」

     *     *     *     *     *

入院中の楽しみにするつもりだった『銀英伝』は、一昨日の夜から見始めて、もう第27話/全110話なので、入院前に余裕で見終わりそうcoldsweats01 

で、中城ふみ子の本を読もうかなあ・・・と思ってます。

菱川善夫編『新編・中城ふみ子歌集』(2004年)

まだ買ってませんが、『乳房喪失』(『短歌研究』編集長だった中井英夫が付けた題名)と『花の原型』の2歌集と中井との往復書簡を収めたもの。

読もうと思ったきっかけは、今月上旬に読んだこの本。

中島美千代『夭折の歌人 中城ふみ子』(2004年)

若月彰『乳房よ永遠なれ』やその映画化でスキャンダラスに取り沙汰され、渡辺淳一『冬の花火』のモデルにもなったふみ子の、歌人・女性としての「誇り高さ」を丁寧に描いた評伝でした。

「誇り高さ」が「愛らしさ」と同義に感じられたのは、ふみ子をいとおしむ年上の同性の眼のためだと思いましたが、上の『歌集』の編者は違ってそう。

『夭折の歌人』によれば、編者は、ふみ子が「病室に監禁されながら、ひそかに美しい悪意を育んだ。悪意とは何か。彼女の棲む灰色の世界に男たちを招き寄せ、たぶらかし、狂わせ、徹底的献身を誓わせることである」(「憎しみの花・中城ふみ子」)と書いている人。

この引用を読む限り、「どこが悪意? いいじゃない?」と思いましたが、ふみ子の歌も往復書簡も、自分で読み直してみたいので、買っておこうかな・・・と思います。

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2008年3月 7日 (金)

兵法は意味深い

5日に起こった問題の対応は、どうなることかと思いましたが、いったん元に戻して、来年度前半に練り直すことになりました。つまり、残り少ない今年度中の練り直しはなし。

何度も論議して、押さえるところは押さえてたので、いろいろ思うことはありますが、無駄なケンカや体当たりをして、出るべきときに出られないと困るので、一時撤退。陣形をたて直すことにしました。

という書き方をするのは、(1)昨日、ようやく『銀河英雄伝説 7』を手に入れ、(2)今日、Friedrich Wiihelm Hackländer “Zwei Nächte” の森鴎外訳「ふた夜」を重訳し始めたから。

昨夜も電話をくれた遠くの親友と、
「『軒もる月』より『そめちがへ』のほうが面白かった」
「ちょっと長いし、訳の訳になるからやってなかったけど、鴎外の『ふた夜』も面白いかなあ」
と話したので、早速実行。

最初はミラノのホテルで、六人の少壮士官の会話が続きますが、今回の訳では「余」は「俺」、「汝」は「卿」に。

ユサールの一人は言う。「にとって不運なことに、の地位ほど嫉ましいものはない。二ヵ月の休暇を前にして、ドアの外にはトランクを載せた馬車があり、ポケットには高価な為替がある。この愉快な会食を終えて、あの車に乗り移り、腹をこなしつつ、景色を眺めつつ、この春の夜に馬を駆けさせる。これを羨まずして何を羨もうか」

伯がこれを聞いて、その手中のシャンパンのグラスを高く掲げると、最後の夕陽の光がグラスの縁を金色に染めた。「もちろんだ。しかし、このナポリ行きはずいぶん前から知られていたことで、らにしても、心がけさえあれば、ともに来られたではないか」

と、こんな感じ。上の部分は、わが遠くの親友には、また別の意味をもって読まれることでしょう。

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2008年1月24日 (木)

祖父たちの記憶=記録

080125_01050001 先日、故・高杉一郎氏の『極光のかげに』(1950年)を読んだ後、同じ著者の『スターリン体験』(1990年)と『シベリアに眠る日本人』(1992年)を読んでました。

途中、世間ではセンター試験があり、54万人という受験者数に「シベリアに抑留された人は、まだ10万人も多かったんだ」と思いながら。

『スターリン体験』は、改造社で雑誌『文芸』の編集者だった頃の、高杉氏のソ連観やエスペラントとの出会い、40年前の『極光のかげに』では控えめに書かれていた部分を補足。

『シベリアに眠る日本人』は、元抑留者のシベリア墓参の新聞記事に、ブラーツク収容所の元所長の名が出ているのを見た高杉氏が、妻と娘さんと一緒にイルクーツクに行き、45年ぶりに再会する話など。

続けて読むと、個人史的な深まりや家族史的な広がりがあって、宮本百合子が名づけたという娘さんが、長じてロシア文学の研究者になり、彼女の息子さんも・・・と知り、社会が変化しても読みつがれている文学が、不思議な、不思議でないような感じがしました。

この本は、私自身の個人的な「メモリアル」運動である。(略)もっと生きつづけるために、みずからの浄化(カタルシス)をはかろうとする試みである。(『スターリン体験』最終章)

私が生まれたときは母方の祖父はなく、父方の祖父も私が幼稚園の頃に亡くなったので、何か話したという記憶はありません。

でも、高杉氏の記憶=記録は、出征・抑留の有無にかかわらず、祖父たちの時代の記憶=記録だと思いました。

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2008年1月22日 (火)

オヤあの方はHじゃアないの

プルさんの「頭文字 H」という記事を読んで、便乗。

まず、うちの『日本国語大辞典』(小学館、1981年)から抜粋します。

エッチ
[名](英H,h) ①英語のアルファベットの第八字。 ②(H)化学で、水素の元素番号。 ③ビタミンの一つ。「ビタミンH」 ④(英hardの頭文字。「硬い」の意)鉛筆の芯の硬さを表す記号。 ⑤(英husbandの頭文字)夫をいう、女学生仲間の隠語。 ⑥男色をいう、不良仲間の隠語。 ⑦機関車の記号で、動輪軸が八軸の機関車を指す。
[形動](「変態」をローマ字書きにしたhentaiの頭文字からか。この場合は「エイチ」とはいわない) ①グロテスクなもの、変なものに興味をもつさま。 ②性的な事柄をあえて人前などで口にしたり、行為に現したりするさま。

さて、[名]③は、現在のビオチン。「ビタミンH」とはいわないようです。⑤は、中島歌子の歌塾「萩の舎」で樋口一葉の先輩だった、三宅花圃の『藪の鶯』の用例が出てました。

宮「オヤあの方はH(エッチ)じゃアないの。
服「Hですけれどエンゲイジばかりですから。はま子さんも兄様とおっしゃっていらっしゃいますヨ。

完全に死語ですね。⑥も見たことがありません。いつ頃の話かなあ。

[形動]②は、今も通じると思いますが、これが形容動詞なら、現在の用例「もうエッチしたん?」(明石家さんまが「あれを言い始めたのは僕ですからね」とテレビで言ってたのを聞いたことがある)は、サ変動詞ですか・・・?

『広辞苑』の新版、まだ見てませんが、今度図書館で見てみようと思いました^_^;

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2008年1月15日 (火)

『極光のかげに』から

12~14日の連休中、先日亡くなった高杉一郎氏の『極光のかげに―シベリア俘虜記』を、同じ著者の『征きて還りし兵の記憶 』に出てくる「傍線」を意識しながら読んでました。

彼女は私の『極光のかげに』をとりだしてきて、そこに書かれているシベリアのことを次々と訊きはじめた。彼女が手にしている私の本に目をやると、ところどころに傍線がひいてあって、そこのところを質問するらしい。

「彼女」とあるのは、宮本百合子。高杉氏が1944年8月に出征してから6年半ぶりの訪問で、百合子の急逝の1ヵ月前らしいので、1950年12月下旬のこと。

このとき、百合子は「やっぱり、こういうことがあるのねえ」とつぶやき、2階から降りてきた顕治が「あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ」、「こんどだけは見のがしてやるが」と言ったというのは、「なるほどねえ」と思いました。

なので、私の本にはない「傍線」を想像しながら読んでましたが、1950年は、この夫妻が属する党内で前年からのごたごたが極まった年で、12月は、百合子の『道標』が完結した月で・・・と思ったら、別の想像がふくらんできました。

  • いったい、どんなに愛してる夫でも/愛していればこそ、同じ党内にいて、高杉氏が書いているような食い違いがある場合、それが夫婦関係に影響しないなんてことがあるかしら?
  • 予定されていた『道標』の続編(1930年11月にモスクワから帰国した後の自伝的小説)は、運動の中で出会い、塀に隔てられた12年を通して、自分たち夫妻を賛美するものというより、上のような顕治や党の分裂状態を、土台から矯めなおそうという意図を持ったかも?

ないものに対する「もし」だけど、高杉氏が百合子に寄せた信頼と『極光のかげに』を読んで、そんな想像もしてみたくなりました。

きょうも明日も地球はまわっている
そして歴史は進みつつある
抑えがたい事実の上に。
     一九五〇年三月 百合子

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2008年1月11日 (金)

高杉一郎氏の訃報

いま住んでるところは夕刊というものがないので、今朝の新聞で高杉一郎氏(99歳)が亡くなったことを知りました。

昨年7月に宮本顕治氏が亡くなったときの記事(「百合子文学館の夢」)で、高杉氏の本に触れましたが、また改めて読みたいなあ・・・と思いました。

仏教的な慣用語の「ご冥福を・・・」という言葉は、高杉氏に似合わないように思うので、その代わりに。

手元にあるのは、『極光のかげに―シベリア俘虜記 』(岩波文庫)、『スターリン体験』(岩波同時代ライブラリー)、『征きて還りし兵の記憶 』(岩波現代文庫)の3冊。

やっぱり、『極光のかげに』から・・・。

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2007年12月31日 (月)

2007年後半に取り上げた本

半年に1度のまとめ。2007年7~12月に取り上げた本です。

  1. 江種満子『大庭みな子の世界-アラスカ・ヒロシマ・新潟』
  2. 大庭みな子『ふなくい虫』など
    →死んだ番頭の遺伝子
  3. 『宮本百合子全集』(「獄中への手紙」、「風知草」)
  4. 高杉一郎『往きて還りし兵の記憶』
    →百合子文学館の夢
  5. 「銀河鉄道の夜」初期形(『宮沢賢治全集 7』)
    →ジョバンニと「琴の星」
  6. 大原富枝『今日ある命-小説・歌人三ヶ島葭子の生涯』
    →生還した人と逝った歌人と
  7. 大原富枝『原阿佐緒』
    →妖婦でも童女でもなく
  8. 田中芳樹『銀河英雄伝説 4』
    →『銀英伝』のカバーイラスト
  9. 中野重治『甲乙丙丁』(上・下)
    →読みづらいーっ!
  10. 絲山秋子『海の仙人』
    →『海の仙人』のファンタジー
  11. 小川洋子『博士の愛した数式』
    →『博士の愛した数式』の「29歳」
  12. 奥谷俊介『小説 宗像教授伝奇考-縄文の磐音』
    →『小説 宗像教授伝奇考』
  13. 大庭みな子『七里湖』
    →『七里湖』
  14. 石渡嶺司『最高学府はバカだらけ-全入時代の大学「崖っぷち」事情』
    →デスパレートな大学たち
  15. 絲山秋子『逃亡くそたわけ』
    →『逃亡くそたわけ』
  16. 絲山秋子『袋小路の男』
  17. 小川洋子『夜明けの縁をさ迷う人々』
    →袋小路と夜明けの縁
  18. 河野多恵子『臍の緒は妙薬』
    →『臍の緒は妙薬』
  19. 水月昭道『高学歴ワーキングプア-「フリーター生産工場」としての大学院』
    →高学歴ワーキングプアの視座
  20. 大田堯『教育とは何かを問いつづけて』
  21. 大田堯『自分を生きる教育を求めて』
    →大学の精神
  22. 森鴎外「うたかたの記」 
    →まちこ訳「うたかたの記・上」
    →まちこ訳「うたかたの記・中」
    →まちこ訳「うたかたの記・下」
    ※ 別ファイルにまとめたものはこちら
  23. 安藤健二『封印作品の謎』
    →『封印作品の謎』
  24. 安藤健二『封印作品の闇』
    →『封印作品の闇』
  25. 森鴎外「文づかひ」
    →まちこ訳「文づかひ・上」
    →まちこ訳「文づかひ・中」
    →まちこ訳「文づかひ・下」

    ※ 別ファイルにまとめたものはこちら
  26. 平山廉『カメのきた道-甲羅に秘められた2億年の生命進化』
    →カメのあゆみ
  27. 田中芳樹『銀河英雄伝説』
    →けい【卿】
  28. 筒井康隆『パプリカ』
    →血判状と夢探偵
  29. 森鴎外「舞姫」
  30. 森鴎外「うたかたの記」
  31. 森鴎外「文づかひ」
    →ドイツ三部作の現代語訳
    ※ 「舞姫」の現代語訳はこちら
  32. 星野之宣『宗像教授伝奇考』(小学館特製版)
    →星野先生の本2冊

ちなみに、今日また鴎外の現代語訳に手を入れました。『銀河英雄伝説 6』を読んでいたら、何となく気になり始めて・・・。どうも私の頭の中では、ゲルマン系の物語ということで繋がってるようです。

今年も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

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2007年12月22日 (土)

末の松山なみこさじとは

星野之宣『コドク・エクスペリメント3』(21日発売)と田中芳樹『銀河英雄伝説6』(22日発売)を読みたいのに、近所の書店は1~2日遅れの入荷。なので、先日買った『国文学』12月臨時増刊号「百人一首のなぞ」を読みました。

その中の河野幸夫「歌枕『末の松山』と海底考古学」。稗田礼二郎(諸星大二郎『妖怪ハンター』シリーズの考古学者)や宗像伝奇(星野之宣『宗像教授』シリーズの民俗学者)が好きな私には、ちょっと興味深かったです。

  契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは

この清原元輔の歌にある「末の松山」は、『古今集』(905年)の東歌「君をおきてあだし心をわがもたば末のまつ山浪もこえなむ」を踏まえたもので、「末の松山」は、宮城県多賀城市八幡の宝国寺の裏にあったそう。

河野氏は水理学が専門で、『日本三代実録』の陸奥国の大地震・大津波(869年)の記述等から、沖合いの海底調査を行い、「末の松山」の歌は、そのとき国府・多賀城を襲った大津波を〈記憶〉しているのではないか、と述べていました。

「末の松山」を越した大津波が、なぜ男女の破綻を喩えるようになったのか、河野氏は触れてませんが、「末」永くと誓ったのに、「松」=「待つ」と言ったのに、破るなんてあり得ないということ?

とすれば、『古今集』の歌は、「末の松山を越す大津波がありえないように、私も心変わりしないよ」、『百人一首』の歌は、「ありえない大津波が起こったように、あなたに心変わりされて」というもの?

オトナの端くれの私としては、立てた誓いは破れることもあるし、「末の松山」を越すほどの大津波なら抗いようがなく、流されたり、泳いだりも、またよし・・・と思いますが^_^;

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2007年12月18日 (火)

今日の収獲

先日、テレビでサバンナの野生猫サーバルの親子を見て、パセリたちの子猫の頃を思い出しましたが、子猫を連れて引越ししたり、巣に子猫を残して狩りに行ったりする親猫を見て、私とパセリの関係と同じだなあ・・・とも思いました。

私の場合は、狩り=仕事+買い物。

今日は、書店で雑誌3冊と文庫本1冊、来年の手帳のリフィルを、パン屋で6枚切りの田園食パンとアップルパイを、スーパーでその他いろいろを買って帰りましたが、買い物袋を覗きこむパセリに「ニャーオ」(私のは?)と言われると、なおさら親猫の気分・・・。

さて、今日買った雑誌は、

『PLUS1 LIVING』12月号

年に数回買いますが、12月号はカレンダー付きなので毎年。ベッドやお風呂で眺めるように読みます。こんな部屋にしたいと思っても、物理的・経済的に無理ですが・・・。

『現代思想』12月臨時増刊「総特集=戦後民衆精神史」

戦後の労働者文化についての特集で、まず、坪井秀人「初期サークル誌運動の評価に向けて」を読みました。

「敗戦後、宮本百合子は・・・」と始まる内容は、政党-組合-サークルのありがちな関係、徳永直が「勤労者文学」をめぐって小田切秀雄や平野謙、平林たい子と論争していたこと、石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃ゆる火と」登場の意義など。

もう1冊は、amazonのリンク先がない『国文学』12月臨時増刊号「百人一首のなぞ」。昔覚えた数学の公式と同じく、百人一首もほとんど忘れてしまったので、年末年始に読もうと思って。

それから、文庫本は、本棚を探してなかったこの1冊。

筒井康隆『日本以外全部沈没-パニック短編集』

表題作は、小松左京『日本沈没』の公式パロディで、昨年秋に映画が公開されてますが、私は来年1月24日にWOWOWで録画して見る予定。

煮干やモンプチスープと違って、雑誌や本はパセリのために買ったわけではないのに、袋から出して置いておくと、頬擦りしたり、上に座わったり。匂いをつけたらパセリのものなので、付箋を貼った本を見つけると、くわえて剥がすのは困ります(-_-;)

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2007年12月17日 (月)

血判状と夢探偵

今日も夕方から09年度案の会議でしたが、前回までの内容を整理した表をコピーして配布するとき、紙に赤い染みが付いてたので、「あれ?」と思ったら、右手中指が切れてました。

原稿はモノクロプリンタで印刷したのに、カラーコピー機の白黒ボタンを押し忘れたので、すべて染み付き。コピーし直すほどでもないと思って、「私、指が切れてたみたいで、済みません」と言って配ると、

「血が滲むような案やなあ」
「血判状かと思った」

というオヤジっぽい反応が返ってきたので、「じゃあ、皆さんも押します?」とか言いながら始まった会議が1時間半。

帰宅後は、本棚の奥から引っ張り出した筒井康隆『パプリカ』を読んで、WOWOWで録画した今敏監督の『パプリカ』を見ましたが、久々の筒井康隆が面白くて(後半のドタバタが)、また本棚の奥から引っ張り出しそう。

←新潮文庫   ←DVD

それにしても、最近、夢を見ないというか、起きたとき夢を見たという記憶もありません・・・。

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2007年12月 4日 (火)

けい【卿】

日曜の夜に遠くの親友と話したとき、「鴎外の『文づかひ』って、『銀英伝外伝』みたい。ドイツの軍人とか王宮が出てくるし、二人称の“おん身”を訳すときなんか、よっぽど“卿”にしようかと思ったよ」と話したら、「そうすれば(笑)」と言われました。

そのとき、「そもそも、“卿”って、いつどこで使ってたの?」という話になり、「初代衆議院議長の中島信行と妻の俊子(湘煙)が、“卿”とか“郎”とか呼び合ってたらしいけど、漢文由来かな?」、「田中芳樹だから、そうだよ」、「そうだね」ということに。

で、今日になって、『日本国語大辞典』を引いてみました。

けい【卿】
[名]①古代中国における世襲的身分の一つ。天子や諸侯の有力家臣を卿・太夫・士の三等に分けるそのもっとも上位の身分。爵。②「きょう(卿)」に同じ。
[代名]対称。改まった文章などで、軽い敬意をこめて用いる。①君主が臣下に対して用いる。②男子が同輩や目下の者、妻に対して用いる。

田中芳樹『銀河英雄伝説』の場合は、[代名]①と②の用法ですが、「卿」を連発する銀河帝国の貴族や軍人も、妻には用いてなかった気がします(まだ5巻までしか読んでないけど)。

載っていた用例は、①が「庶幾くは、皇祖皇宗の遺徳に倚り、等と倶に、前を継ぎ後を啓き」(開院式の勅語、明治23年11月29日)、②が「が如き当世の佳人、郎豈に敢て之を調弄せん乎」(服部誠一『東京新繁昌記』初・貸座舗)、「が朱唇を一嘗するを得ば」(織田純一郎訳『花柳春話』一)。

①の「開院式の勅語」は、「第一帝国議会開院式ノ勅語」。この帝国議会で衆議院議長に選ばれたのが中島信行で、天皇が「卿等」と呼んだうちの一人である彼が、家に帰ると、かつての女権運動家を「卿」って呼んでたわけね・・・と思いました。

『新潮日本文学辞典』等によれば、②の『東京新繁昌記』は、文明開化の新風俗を取り上げたもので、明治7~9年刊。『花柳春話』は、イギリスのロード・リットンの『アーネスト・マルトラヴァース』と『アリス』の漢文訓読体の翻訳小説で、明治11~12年刊。

中島湘煙も、リットンの『ユージン・アラム』の翻案小説『善悪の岐』(明治20年)を書いていて、昔読んだことがありますが、「卿」は出てきたかなあ?

「青空文庫」で、「卿」をサイト内検索したら、

などが出てきました。

「楚囚の詩」や「空家」では、「卿」に「おんみ」のルビがあるし、「象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きに傲る者なりと非議する評家よ、卿等の神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや」という「海潮音」には、「遙に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず」という献辞がありました。

というわけで、先日のまちこ訳「文づかい」でも、「おん身」は「卿」にしたってよかったんじゃん!・・・と思いましたが、面倒なので直してません^_^;

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2007年12月 1日 (土)

カメのあゆみ

平山 廉『カメのきた道』(NHKブックス、2007年10月)

サブタイトルは、「甲羅に秘められた2億年の生命進化」。図書館で借りるとき、「いつもと違いますねー」と言われたので、「私、恐竜とか好きだし・・・」と言い訳したのは、カメの化石の本だから。

ちなみに、表紙カバーの折り返しには、次のコピー(amazonの「出版社からのコメント」と同文)が載っています。

地球生命の、明日はどっちだ!?
中生代の地球で、恐竜は巨大化の道を選び地球上を制覇したかに見えた。
一方、哺乳類は一日食物をとらないと生死にかかわるという高代謝を選択し、餌獲得のために知能を発達させ、次の主役となった。
しかしカメは第三の道である低代謝を選択し、餌がなければ1ヶ月でも待つことができる体を獲得した。
その結果、ガラパゴスゾウガメは200歳を超える寿命の固体も確認されている。
あわただしく攻撃的に生きる40年(自然状態でのサルの寿命)とゆっくり打たれ強く生きる200年のどちらに価値があるかはだれにも決められない。
地球生命を相対化する視点から語る、意欲的なカメの進化学入門。

「~の、明日はどっちだ!?」は、アニメ『あしたのジョー』の予告編を意識してるんですよね? 「固体」は「個体」の校正ミスかな?

勉強になったのは、次のようなこと。

  • 最古のカメは、中生代の三畳紀中頃(約2億3千万年前)の地層で、2005年に甲羅の一部が発見されたプリスコケリス。
  • 三畳紀後期(約2億1千万年前)のプロガノケリスなどは、首は引っ込められなかったが、甲羅は後のカメと大差ないほど完成されていた。
  • カメについては、羽毛が生えた恐竜の発見で、鳥類が恐竜の子孫だとわかったような中間型の化石がまだ見つからず、ミッシングリンクとなっている。
  • 最近のDNA研究では、双弓類と呼ばれる爬虫類の中でも、ワニや恐竜など主竜類の近縁という結果が出ている。
  • 超大陸パンゲアの分裂が始まったジュラ紀の中頃(約1億8千万年前)には、現在とほぼ同様の耳を備え、不完全ながら首を引っ込められるシンチャンケリス類が、孤立したアジア地域に現れた。
  • 白亜紀(約1億4600万年前~6550万年前)には、首関節が柔軟で甲羅に引っ込められる現代型カメ類が出現し、大陸の分裂につれて多様化していった。
  • 白亜紀末に恐竜を絶滅させた原因の影響は、カメ類についてはほとんど見られず、白亜紀末の17科のうち15科が新生代まで生き延びた。
  • 哺乳類が爆発的に進化した新生代には、カメ類の科の分化も進み、分布が拡大し、甲羅の可動性を発達させたカメ類が進化した。

というように、2億年以上にわたって甲羅とともに存続してきたカメが、約200万年に石器を用いる人類が登場してからは・・・という話。

子どもの頃に飼ってたカメの名前は「みどり」でしたが、今後もし飼うことがあったら、カメ類が歩んできた長い道のりにちなんで、「あゆみ」にしようかなあ・・・と思いました。

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2007年11月 4日 (日)

大学の精神

先日、水月昭道『高学歴ワーキングプア』を読んで、「もし、学校が『利他の精神』を十分に発揮したならば、教育の成果が出るといわれる二五年後の世界は、少なくとも今より期待が持てるものとなるだろう」という論に、それはそうだろうけど・・・と思ってました。

で、ふと思いついて、大田堯『教育とは何かを問いつづけて』(岩波新書、1983年)と『自分を生きる教育を求めて』(一ツ橋書房、1989年)という本を読んでみました。

Photo1918年生まれの著者は、1942年に徴兵され、敗戦後1年間の抑留生活を経て帰還し、東大教員(~1977)、都留文科大学長(~1983)として、「民衆」の「子ども・若もの」にとっての教育研究をしてこられた方。

戦後の著者の教育学探求、高度経済成長期の後半に生まれ、共通一次世代Photo_4となった'80年代の学生の状況、高校・大学教育や入試改革についてさまざまな実践が語られ、初出から20~30年経つ今も、興味深く読めました。

なかでも、『自分を生きる・・・』の学長就任挨拶、新入生・卒業生へのメッセージ、さよなら記念講演の記録は、ルーティン化した式辞とはまったく違う内容。

「東大紛争」に警察を介入させた責任から辞職を決め、周囲の慰留で「おめおめと」踏みとどまったものの、「定年を待たずして、明らかに私自身の選択によって」、山の中の小さな公立大に来た著者は、「明治以来おおむね国家の要求の下うけとして発達」した国立大とは違う、「民衆の心根に立つ」大学や学問のあり方を力説していて魅力的でした。

水月氏の本に、「学校運営上における経済の問題や教育の問題は、『精神』に従属することなくして、その健全性を保つことは不可能である」とありましたが、「大田学長」のような学長は、今どれほどいらっしゃるかしら?

少子化が進む今後、目先の経営に走る大学がますます増えそうですが、誰のために、どのような教育・研究を行うかという理念を忘れた大学は、学生数とは関係なく、すでに大学であることを放棄してるようなものかも・・・と思いました。

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2007年11月 1日 (木)

高学歴ワーキングプアの視座

おとといの夜、発売日なのに気がついて、まだ開いてる近所の書店に『銀河英雄伝説 5』(創元SF文庫)を買いに行ったらなかったので、水月昭道『高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書、2007年10月)という本を買いました。

 本論部分は、以下の7章。

 第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程
 第2章 なぜか帳尻が合った学生数
 第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか
 第4章 大学とそこで働くセンセの実態
 第5章 どうする? ノラ博士
 第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院
 第7章 学校法人に期待すること

本書でいう「高学歴ワーキングプア」とは、博士課程に3年以上在籍もしくは修了しながら定職に就けず、非正規雇用者として働いている人々のこと(博士号非取得者を含む)。

著者は1967年生まれの博士で、立命館大研究員および同志社大非常勤講師。前者の任期が切れる「'08年春以降の身分は未定」というポジションから、高学歴ワーキングプアが大量生産された事情と実態、生産した/された側への期待を述べた本でした。

本書によると、20年前は7万人だった大学院生は、昨年には26万人を超えて戦後最多に。これは、文科省主導の「大学院重点化計画」(1991年)に各大学が我も我も・・・と乗った結果で、急減している短大・大学の学生に大学院生を足すと、総数ではまだ増えている(!)とのこと。

常勤の大学教員などの就職口が希少なことを知りながら、自らの延命策として、大学院生を増やし続けた大学の利己的姿勢が浮かび上がるわけですが、著者は、そんな加害者=学校法人と被害者=高学歴ワーキングプアの双方に「利他の精神」を提起しています。

そこに、「'06年、得度(浄土真宗本願寺派)」というプロフィールを感じたりもしましたが、そうでないと救われないなあ・・・と思ったのも確か。大学も、ノラ博士も、納税者も、世の中も。

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2007年10月28日 (日)

読書マラソン

職場でも自宅でもPCを使ってばっかりなので、ニュースを目にするのは、PC→テレビ→新聞の順ですが、27日の地方紙にこんな記事がありました。

▼ところで学校の読書事情は最近改善されつつある。小学生は年間十冊の本を読み十年ほど前の二倍に。むしろ問題は大人になるにつれ減っていること。その背景にあるのが「朝の読書」である▼この活動は一九八八年、千葉県の女子高で始まったというのが通説。

『朝日』でいえば、「天声人語」のような部分で、藤原正彦『祖国とは国語』と「朝の読書」に触れた後、27日から始まった「読書週間」には、「子供たちを見習って書を手にしよう」という結論。

「年間十冊」が小1~6までの平均なら、そんなものかしら? とも思いましたが、そういえば、私が小6のときのクラスでは、「読書マラソン」というのをやってたっけ・・・と思い出しました。

ルールは、読んだ本の合計ページ数6,000ページを目標に、1冊読むたびにB5判の「読書記録」を提出し、達成する日数(達成後はページ数)を競うというもの。マンガ以外ならジャンルは問わず、ページ数の加算は先生がしてくれました。

卒業時に綴じて返却されたので、今も手元にありますが、「読書記録」の記入用紙はこんな書式。

  • 書名または作品名/著者名
  • 読み終わった日/書いた日
  • ページ数/No.(通算の冊数)
  • 感想

ちなみに、私の記録は・・・。

続きを読む "読書マラソン"

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2007年10月15日 (月)

2007年前半に取り上げた本

2006年に取り上げた本」の続きで、2007年1~6月に取り上げた本です(雑誌、マンガ、実用書を除く)。

  1. 林真理子『白蓮れんれん』
    →『白蓮れんれん』
  2. 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
    →盲目の無線技師
  3. 菅原千恵子『宮沢賢治の青春』
  4. 大庭みな子『津田梅子』
  5. 瀬戸内寂聴『孤高の人』
    →独身者三様
  6. 湯浅芳子『狼いまだ老いず』
  7. 沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ-湯浅芳子の青春』
    →休日
  8. 田中芳樹『銀河英雄伝説 1』
    →『銀英伝』のカバーイラスト進路指導と『銀英伝』
  9. 岩波文庫『古事記』
    →『古事記』読み始め初めに女性恐怖ありき老いに対する自覚の違い
  10. 中山千夏『姫たちの伝説-古事記にひらいた女心』
    →美夜受比売の月経
  11. 有吉佐和子『有吉佐和子選集 11』(「華岡青洲の妻」、「赤猪子物語」、「美っつい庵主さん」、「三婆」、「亀遊の死」、「うるし」)
    →エイジズムとフェミニズム
  12. 有吉佐和子『香華』
    →『香華』の朋子
  13. 有吉佐和子『紀ノ川』
  14. 吉野裕子『蛇-日本の蛇信仰』
    →『紀ノ川』の花地図を貼ってみました
  15. 森鷗外『舞姫』
  16. 田中芳樹『銀河英雄伝説 2』
    →ああ、何らの悪因ぞ。
  17. 有吉佐和子『助左衛門四代記』
    →『助左衛門四代記』と理研
  18. 吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』
    →いつか誰かにもらった本
  19. 駒尺喜美『魔女的文学論』など
    →駒尺喜美さんの訃報
  20. 大庭みな子『浦島草』など
    →大庭みな子さんの訃報
  21. 吉行淳之介『闇のなかの祝祭』
  22. 吉行文枝『淳之介の背中』
  23. 宮城まり子『淳之介さんのこと』
    →背中と薔薇とあじさいと
  24. 関川夏央『女流-林芙美子と有吉佐和子』
    →有吉佐和子的人生
  25. 石牟礼道子・伊藤比呂美『死を想う-われらも終に仏なり』
    →儚きこの世を過すとて
  26. 岩波文庫『梁塵秘抄』
    →『梁塵秘抄』の恋

初めて読んだ『古事記』関連の記事が4つ。その流れで、有吉佐和子の「赤猪子物語」を読み、別の作品も読み直して有吉関連の記事が6つ。女性と老いに関するものが多くなってたところへ、駒尺さんや大庭さんが亡くなった2007年前半でした。

2007年後半の分は、年末にまとめたいと思います。

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2007年10月14日 (日)

2006年に取り上げた本

このブログを始めたのは2006年5月なので、もうすぐ1年半。書名や登場人物の検索でアクセスしてくださる方も多いので、これまで取り上げた本をピックアップしてみよう・・・と思ったのが下の一覧(雑誌・マンガ・実用書を除く)。

まず、昨年2006年5月~12月の分は・・・。

  1. 石牟礼道子『苦海浄土』
    →三度のメシよりネコ命?
  2. 藤原正彦『国家の品格』
    →コメントの品格
  3. 有吉佐和子『ぷえるとりこ日記』
  4. 有吉佐和子『海暗』
    →また読みたい本
  5. 『石牟礼道子全集 2』(「苦海浄土」、「神々の村」)
  6. 『石牟礼道子全集 3』(「天の魚」)
  7. 鶴見和子『〈対話まんだら〉言葉果つるところ 石牟礼道子の巻』
    →『苦海浄土』の「くに」よからかまんちんおどまかんじん
  8. 額田光昌『浄土へ-法然』
    →美声の僧
  9. 井上ひさし『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』
  10. ベアテ・シロタ・ゴードン『ベアテさんのしあわせのつかみかた』
  11. 佐藤卓己『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』
  12. 宮本百合子『播州平野』
    →「終戦記念日」前後の読書
  13. 有吉佐和子『不信のとき』
    →「不信のとき」は薮の中続・「不信のとき」「不信のとき」の弟「不信のとき」の行方黒と赤
  14. 宮本百合子「私の覚え書」
    →防災の日の読書
  15. 坂東眞砂子『天唄歌い』
    →「母」の回避
  16. 石牟礼道子『水はみどろの宮』
    →『水はみどろの宮』
  17. 林真理子『anego』
  18. ロビン・ノーウッド『愛しすぎる女たち』
    →『anego』の恐怖
  19. 有吉佐和子『複合汚染』
    →せっけんライフ
  20. 河合隼雄『猫だましい』
    →『猫だましい』
  21. アーシュラ・K・ル・グウィン『空飛び猫』
    →『空飛び猫』の親子
  22. 小田部雄次『ミカドと女官-菊のカーテンの向う側』
    →『ミカドと女官』
  23. 林真理子『ミカドの淑女』
    →『ミカドの淑女』
  24. 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
    →「銀河鉄道の夜」の色「銀河鉄道の夜」のルート
  25. 学習研究社編集部『玉音放送が流れた日』
    →玉音放送CDを聞いた日
  26. ますむら・ひろし『イーハトーブ乱入記-僕の宮沢賢治体験』
    →ミントの夢

13.の『不信のとき』は、放送中だったドラマと比較して5回も書いてますが、あとはその時々の関心で初読、再読したもの。

私の中では芋づる式に繋がってるので、26.の『イーハトーブ乱入記』で、ますむら・ひろしが「猫」でマンガを描いたきっかけが、水俣病で苦しむ猫をテレビで見たことだと知ったときは、妙に納得したのを思い出しました。

続きは、「2007年前半に取り上げた本」で・・・。

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2007年10月10日 (水)

『臍の緒は妙薬』

こんな箱↓に入った綺麗な白い本で、4篇収録。久しぶりに河野多恵子を読みました。

 『臍の緒は妙薬』(新潮社)

「月光の曲」は、日中戦争が始まった頃の尋常小学校の日常を描いたもの。題名の由来は、6年生が国語の教科書で習った「月光の曲」(作曲の経緯)。校長先生の発意で、お昼休みにベートーベンの「月光の曲」が校内放送されるシーンも出てきます。

教科書の文章が“創作”だったことは触れられてませんが、子どもたちの周囲でも出征や戦死が身近になリ始めるなか、教科書を通して与えられた美談を読んで、「戦争」も「教科書」も、誰かが決め、誰かが行い、誰か信じたところは一緒よね・・・と思いました。

「臍の緒は妙薬」は、昭和10年前後の小学生の頃、霊柩車が止まっている家の前で故人の茶碗を割っていた音、戦死した従兄のお骨に臍の緒を合わせて納骨した伯母の記憶から、大病の妙薬であるという臍の緒を見ようと、あちこち問い合わせる話。

あとの2編は現代もので、「蟹」とか「幼児狩り」みたいな強烈さはないけど、河野多恵子らしい短編。妊娠・出産したことがない40代半ばの女性が、再婚した夫の海外出張の間に、自分たちの子どもの顔をコーンスターチで秘かに創る「魔」なんて、とくに。

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2007年10月 8日 (月)

袋小路と夜明けの縁

連休中に読んだ本。

 絲山秋子『袋小路の男』(講談社)

「袋小路の男」と「小田切孝の言い分」は、指一本触れない男女の12年の関係を描いた短編で、“女から見た男”、“男から見た女”という対の関係にある作品。

「アーリオ オーリオ」は、中学生の姪と40歳近い独身の叔父さんの交流。姪の美由が、「リアルタイム」や「ほんとのこと」とは別の価値観、世界に目を開いていくところは、『海の仙人』に通じる文学観がストレートに露出。

教科書に載りそうな作品だと思ったら、どこかのセンター模試か問題集に使われたそう。てことは、センター試験には出ませんね、受験生の皆さん?

 小川洋子『夜明けの縁をさ迷う人々』(角川書店)

最初の「曲芸と野球」は、3塁側ファールグランドで、死んでからも「僕」のプレーを見守る女性曲芸師の話。「教授宅の留守番」は、バラバラ殺人をした大学食堂のおばさんの話。

「イービーのかなわぬ望み」は、エレベーターで生まれ、エレベーターで暮らした小さい男の一生。「涙売り」、「ラ・ヴェール嬢」もフリークもの。「お探しの物件」は、物件の都合に合う住人を探す不動産屋の話。

「パラソルチョコレート」は、生者の「裏側」の世界(学校に行っている間は家とか)にいる死者と遭っちゃう話。「銀色の狩猟小屋」は、サンバカツギという獣と間違って仲間を撃ち殺した社長の狩猟小屋で、サンバカツギのように死ぬ老女性作家の話。

で、最後の「再試合」は、夏の甲子園の永遠に終わらない決勝戦で、レフトを応援し続ける女子高生の幽霊の話。帯にある「もしあなたが世界からこぼれ落ちても、私が両手をのばして、受け止めよう」は、「再試合」の一節です。

9編とも日常世界と隣り合う非日常世界の話なので、そういう世界の人々に受け止められたい人にはいいかも?

連休中にやろうと思ってた仕事ははかどらず、上の2冊の他にも、河野多恵子の『臍の緒は妙薬』(新潮社)を途中まで。明日は朝から、ちょっと面倒な案件が1つ。お風呂で続きを読んで、早めに寝なければ・・・。

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2007年10月 1日 (月)

『逃亡くそたわけ』

月が変わって、通常の仕事の他に、11日までに仕上げないといけない仕事が1つ。でも、気が乗らないというか、次の週末になんとかしましょ・・・という感じで、絲山秋子の本を2冊読みました。

そのうちの1冊は・・・。

 『逃亡くそたわけ』(講談社文庫、2007年8月)

このブログを見てくださってるプルさんも、たぶん読んでらっしゃると思います。というか、読もうと思ったきっかけはプルさんのブログ。なので、先に書くのは・・・とも思いましたが、他に書くことがないので、ちょっとお先に失礼します。

     *     *     *     *     *

1人は、博多生まれで博多育ち、博多弁を喋る21歳の大学生「あたし」。もう1人は、名古屋生まれで名古屋育ち、大学も就職先も東京だったのに、転勤で福岡に来た標準語を喋る24歳の会社員「なごやん」。

福岡の精神病院に入院していた2人の逃走劇をロード・ムービーふうに描いたこの作品は、逃走ルートとか薬の種類とか、読者によって楽しみどころがあると思いますが、私が面白かったのは、おんぼろ車で逃げる2人のセリフの掛け合いでした。

2人とも博多弁とか標準語では、このパワーは生まれないし、2人を乗せたおんぼろ車が、名古屋ナンバーのマツダのルーチェ(「これでも『広島のメルセデス』って呼ばれてたんだぜ」)で、生まれと看板が違うのは所有者の「なごやん」と同じ。

そんな「なごやん」と、生まれ育った博多が好きで博多弁を喋る「あたし」という異質な2人が、ひたすら国道を南下し、疲れ果てた後、「帰ろう」と言えるパワーの源は、標準語と違うことで際立つ方言の質感、存在感かなあ・・・と思いました。

だから、末尾で「なごやん」が、富士山に向かって「ばかやろうっ」ではなく、薩摩富士に向かって「くそたわけ」っと叫ぶのは、「『脱=標準語』宣言にいたった」(解説)というより、彼の中での標準語の差異化という感じ。

復路にあるのは、“博多弁VS名古屋弁”ではなく、“標準語(均一性)VS博多弁+名古屋弁(多様性)”のパワーだと思うし、往路にあった「ねえなごやん、悲しかね、頭のおかしかちうことは」という思い(非=均一性の悲しみ)も、だいぶ吹き飛んでるかなあ?・・・と想像してました。

あと、博多弁と名古屋弁は、私が0~5歳まで住んでた場所の言葉で、まったく記憶に残ってませんが、そのままそこで育っていたら、ぜんぜん違う人間になってたかも・・・と思ったり、その後、関西の1県を経て、関東の1都2県で上書きされた標準語しか使えない自分が、今は関西でも関東でもない別の方言に取り囲まれてるのを面白く思ったり。

というわけで、前に貼ってたブログパーツ「方言変換Proxy」を復活させようかと思いましたが、なんだか上手くいかない(本文が変換されない)のと、あんまり人格変わるので、やっぱり止めときます^_^;

     *     *     *     *     *

貼る場所を変えたら、上手くいきました。
期間限定で左サイドの一番下に貼っときます。
変換ミスや文字化けはご愛嬌。どれもコテコテです・・・。

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2007年9月24日 (月)

デスパレートな大学たち

一昨日、買い物の前に寄った本屋で、石渡嶺司『最高学府はバカだらけ-全入時代の大学「崖っぷち」事情』(光文社新書、2007年9月)を買いました。

「デスパレートな妻たち」でなくて「大学たち」 ^_^;

大学教員が同じテーマで書くと、どこか自己弁護や自画自賛が混じりそうな気がしますが、250校以上の大学を回ったという著者は、30代の「ライター・大学ジャーナリスト」。ネット上のレビューでも、好意的に受け取られてるようです。

この本が取り上げているのは、著者によれば、以下の3点。

  1. 最新のバカ学生像とその発生理由
  2. 大学業界のアホっぽいところとその裏事情
  3. バカ学生が変わる“化学反応”の瞬間

1.の「バカ学生」は、就活中には自分勝手な解釈や言動で企業を困らせ、授業中にはPCやケータイを見るネットカフェ状態で教員を悩ませ、なんでもかんでもネットにカキコで、悪事がバレることもある・・・というものですが、まあ想定の範囲内。

その発生理由に挙げられてるのは、大学外の「高校教育劣化」説、「文科省理念先行」説、「両親ヘリコプター化」説、「就職活動不健全」説と、大学内の「入試激化」説、「推薦・AO入試激増」説、「大学乱立」説、「大学教職員不能」説、「広報機能未発達」説、「珍名・奇名大学急増」説、「情報隠蔽」説の計11個。

近年の大学事情の要点整理という感じで、それぞれ「なるほどねー」と思いましたが、大学内の理由を読み進むうち、2.の「大学業界のアホっぽいところ」が見えてきたり、大学の情報公開をめぐる2つの架空の講演が入ってたり、構成面でも楽しめました。

なかでも面白かったのは、「珍名・奇名大学急増」説の部分。読んでる途中で電話してきた友人にも聞いてみましたが、こんなふうに遊べます。

「ノースアジア大って聞いたことある?」
「旧・秋田経法大? 秋田って北アジア? ってとこ」
「当たり! ローカル脱出を図りすぎて、北日本も東アジアもはみ出したとこ。じゃあ、もう1つ、環太平洋大があるのは?」
「環太平洋? 宮崎?」
「東国原知事の? 違うよ」
「静岡?」
「違う。太平洋には直接面してない」
「わかるわけないじゃん」

それから、受験生増進委員会(JJC)委員長の「受験生集めに効果的な情報の隠し方」と「大学被害者友の会(DHT)」代表の「大学にだまされない大学の選び方」という、2つの架空の講演内容の対比。

JJCの源光冨地(げんこう ふち)氏は、他の業界の情報隠蔽は批判しても、自分の業界は見て見ぬふりの“言行不一致”な大学教職員、DHTの物木有三(ものき ゆうぞう)氏は、大学に“文句言うぞー!”という消費者(受験生・保護者)のデフォルメ。

税金を投入されてるのに、「負の広報はできない」という理由で、入試・就職データも公表しない大学(定員割れ大学の増加に伴って拡大中)の裏側は、当たらずとも遠からずという気がしました。

そして、3.「バカ学生が変わる“化学反応”」を取り上げた終章。何かをきっかけに「バカ学生」が脱皮し、急成長する事例として、推薦・AO入試合格者への入学前教育、中学レベルにさかのぼる補習システム、留学や就活を通しての異文化・異世代交流・・・などが列挙されてますが、「“化学反応”の瞬間」自体は、そう具体的には書かれてません。

そこに焦点を当てると、全体のスタイルが崩れるし、著者よりも大学教職員が具体化すべきことだと思いましたが、前に書いた『宗像教授異考禄 第6集』の「テキスト天空の神話」を思い出し、宗像教授の授業に出る夢を見てみたい・・・と思いました(*^_^*)

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2007年9月20日 (木)

『七里湖』

 大庭みな子『七里湖』(講談社、2007年9月)

今年5月に亡くなった大庭みな子の『ふなくい虫』(1970年)、『浦島草』(1977年)、『王女の涙』(1988年)は、それぞれ単独でも読める3連作。4作めの「七里湖」(『群像』1995年1~12月、96年7~9月)は、1996年7月の脳梗塞で中断したまま未完だし、掲載誌を借りにいくのも・・・と思ってたら、本が出ました。

『浦島草』の後日譚として、『王女の涙』が支流なら、『七里湖』は本流という感じ。その流れは、第Ⅰ部の169頁分と第Ⅱ部の43頁分で途絶えてますが、不慮の中断がなかったら、最後には幻の「七里湖」に流れ込み、これまでの物語と混じり合ったんだろうなあ・・・と思いました。

「千葉市の南の丘陵地帯にその昔七里湖という沼があったという伝説」があり、「七里とはその深さか周辺の長さか、そこに着くまでの距離か、伝説でも曖昧なその幻の湖」。『浦島草』以来の登場人物・泠子が、「人の心の中にある計れない湖」になぞらえたその湖を覗くのは、死を迎えるときなのかも。

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2007年9月 9日 (日)

『博士の愛した数式』の「29歳」

土曜にWOWOWで、小泉堯史監督の映画『博士の愛した数式』(2006年)をやってたので録画。4年前に読んだ小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社、2003年)を再読した後、映画を見ました。

←新潮文庫   ←DVD

以下、まちこAとまちこBの一問一答。

A:映画、どうだった?
B:原作にある静謐な美しさを信州・上田の風景でバックアップしてるのは、ちょっと禁則。語り手は、家政婦の「私」から数学教師をしている29歳のルートに変更。原作では、「私」が高3で妊娠したルートが10歳だから、語り手の年齢は同じ。嫂と義弟の関係は、原作より踏み込んでたよ。

A:原作の舞台は?
B:瀬戸内海に面した小さな町。博士が記憶障害になった国道2号線の交通事故が、新聞の地域版に載るところ。町の球場の対広島戦で、博士やルートと同じ阪神ファンの方が多いから、たぶん岡山。最後に博士が入所した施設も、町の中心からバスで40分の距離。

A:映画の舞台が違うのは?
B:岡山の瀬戸内海沿いって、他の監督が使ってるからかなあ? 映画の舞台は、語りの現在時が窓から海が見える学校、ルートの少年時代は山に囲まれた町。大人になったルートが博士と海辺でキャッチボールする場面はモノクロで、博士と最後に会ったときだろうけど、説明がなくてわかりにくいかも。

A:映画の博士も、海が見える施設に入所した?
B:終盤、嫂が家政婦に、博士との過去(義弟の子を産む勇気がなくて中絶した。自分が誘った薪能の帰りの事故だった)を告白し、今後の博士の世話は「あなたにすべてお任せします」と言うのは、原作と違うところ。だから、入所したかどうかははっきりしないけど、嫂が心を開いた後だから、解放感のある海辺を背景に。

A:原作には、嫂の中絶や薪能は出てこないよね?
B:野球カードが入った缶の底から、一緒に撮った若い頃の写真と、表紙に「永遠に愛するNへ捧ぐ あなたが忘れてはならない者より」と書かれた博士が29歳のときの論文が出てくる。それと、博士が施設に入るとき、「義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません」ってだけ。

A:小説で、嫂と義弟といえば・・・。
B:漱石を代表として、綿々と。だから、小説では、主題がそっちにぶれないように踏み込んでないんだと思う。浅丘ルリ子の嫂は、記憶が止まった義弟に対して薪能の面や炎のように妖しい感じがあって、ルートを慈しんでるときの博士を凝視する目が怖かったー。

A:寺尾聰の博士は?
B:いい感じで枯れてたのに、投球フォームが色っぽい(^_^;) 昔、博士も野球をしてたという原作と違う設定で、ルートの少年野球チームの練習を手伝ってたのは違和感があった。背広のメモは数が足りなかった。

A:深津絵里の家政婦さんは?
B:かわいくて、いい感じ。野田秀樹演出の舞台をいくつか見たけど、若い頃からうまかった。

A:ルートは?
B:29歳のルートが吉岡秀隆なら、少年時代のルートは齋藤隆成くんしかいない。ルートに対して博士がそうだったように、いい先生になってるし、孤島に行ってもやれる。

A:小説と映画、どっちが好き?
B:映画は、嫂と博士の過去を具体的にして、「わたくしは罪深い女ですから」と語らせた点で俗っぽくなった気がする。対象・作り手・表現方法も違う別物だけど、どっちかといえば、小説。

A:面白かった点は?
B:原作の家政婦の登場時の年齢、博士が缶の底に隠した論文を書いた年齢が29歳で、映画の語り手のルートも29歳というところ。

A:どうして?
B:完全数28に1を足すと素数29。29歳の博士にとって、1は嫂で、世間的には不義な関係。家政婦にとって、1はルートで、世間的には未婚の母。でも、完全数28より素数29の方が、彼らの自然な生き方だった。29歳の数学教師が生徒に素数を説明するとき、黒板に『素直』って書いてたし・・って変?

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2007年9月 7日 (金)

『海の仙人』のファンタジー

先日、本屋で立ち読みした絲山秋子『海の仙人』を買いました。

 ←新潮文庫(2007年1月)

主人公・河野勝男は、4年前に宝くじに当たって東京のデパートを辞め、東北、北陸、山陰、九州を車で旅した後、敦賀で古い空家を買ったという人物。

アパート2軒の家賃収入はフォスター・プランに寄付し、釣りをしたり、野菜を作ったりして暮らす彼の前に、「ファンタジー」が現れるところからこの小説は始まります。

「その気配、その存在感はもっと前から感じていた」というファンタジーは、「白いローブを着た、四十がらみの男の姿」で、水晶浜に足跡も付けず、「色の褪せた金髪といい、灰色の目といい、とても日本人には見えなかったがふつうに日本語を操った」というもの。

実は、立ち読みしながら思い出したのは、オバケのQ太郎。Q太郎も白い服を着てるし、姿を消せるし、日本語を喋るし、よく食べるし、他のオバケよりデキが悪いし、正(しょう)ちゃんの一番の友達だったなあ・・・と(^_^;)

ファンタジーが寝るとき、どこからともなく取り出した白いテントの中でタマゴになる部分からも、Q太郎がタマゴから生まれたことを思い出しましたが、オバケの世界から来たQ太郎のように、異世界から来た客人(まれびと)かと思ったファンタジー。読み直してみると、ちょっと違ってました。

「神さん?」
河野が聞き返すとファンタジーは憮然とした面持ちで言った。
親戚のようなものだ、中でも俺様は一番できが悪い」(略)
「俺様はそんな都合のいい神ではないぞ。奇跡だってあまり上手くない。せいぜいが、孤独な者と語り合うくらいだ。(略)」(9頁)

ファンタジー自身によると、「神」の「親戚のようなもの」で、「孤独な者と語り合う」もの。直後には、「俺様は見えない人間には見えないのだが」、「幻想的だ、俺様が休むにふさわしい」というセリフがあって、名前のとおり現実の存在ではないみたい。

とはいえ、河野の恋人になる中村かりん、東京から遊びに来た元同僚の片桐妙子、金沢の片桐の友達の石原、新潟に転勤している澤田にもファンタジーが見えること、片桐以外は「前から知ってる」「前に会った」気がしていることが、↓の片桐(と読者)の疑問を考えるポイントかなあ?

30代の彼らの「表側」の違いは、住宅メーカー勤務のかりん、デパート勤務の片桐と澤田、エリート官僚を辞めて医学部に入った石原に対して、「海の仙人」みたいな暮らしぶりの河野だけが異質。

でも、「裏側」では、本が好きな河野とかりん、バレエが趣味の石原、「芸術家っぽいとこ」がある澤田に対して、片桐だけが異質。

「(略)大体ファンタジーってどういう意味なのさ」
「うむ。『裏側』だな」とファンタジーは答えた。
「そう……バレエをやってるときに会った気がするんです。多分、芸術とか、ほかのことでも自分を裏側まで突き詰めてたらファンタジーに会えるかもしれない……そんな気がするだけかもしれないけれど」
「そうか私は商売人だし、すれっからしで夢もないから会ったことがないのか」(63~64頁)

金沢での片桐、ファンタジー、石原の会話(↑)では、人の「裏側」(孤独を含む内面世界)や「芸術」との関係に触れてますが、新潟で別れるときの片桐とファンタジーの会話(↓)では、異質だと思われた片桐にも、ファンタジーが無縁でないことを示唆しています。

「だってあたしはもうファンタジーに会うことはないんだろ?」
「わからん、俺様にはそういうことはわからん。ただ、人間が生きていくためには俺様が必要なのだ。お前さんのこれからもそうだ
「そ?」
「ああ、だから、お前さんが生きている限りファンタジーは終わらない。俺様のことなんか忘れてもいいのだ。それは致し方ないのだ。だが、お前さんの中には残るのだ」(105頁)

人間が生きていくのに必要なもの。生きている限り終わらないもの。忘れてもいいけど残るもの。このあたりで、一人ひとりの中の「物語」よね?・・・と思って読み進みます。

と、手術した乳がんが転移し、知多半島のホスピスで死を迎えようとするかりんの病室で、河野とファンタジーが交わす会話にも、「物語」の語が・・・。

「なんやったっけ、知ってるわ、その話」
「妙なことを言うな。貴様とは会わなかったぞ」
「思い出した。志賀直哉の『城の崎にて』や」
「或いはそうかもしれん。俺様には現実と非現実の区別がない」(略)往生際の悪いファンタジーは、
「そうか、作り話だとしたら、俺様はその物語の中に棲んでいたことになるな」と言った。(135頁)

山手線にはねられて重症を負った志賀は、3年後の「城の崎にて」(1917年)で復帰。ファンタジーがその話に触れたのは、かりんの回復への願望かもしれないし、「小説の神様」を「物語」といってるところに、絲山秋子の「小説」観も感じました。

河野が生きている限り、セックスレスで終わった(申し訳なさを含む)かりんとの物語も残るし、そこには、小6から7歳違いの姉にレイプされた過去の物語だけでなく、雷に打たれて失明し、気比の浜でチェロを弾く現在の物語、8年ぶりに再会する片桐との未来の物語も繋がってきそう。

「でもなあ、僕がする話って、みんな過去のことやねん。会社やめてから、時間がたてばたつ程な、ほんまに自分が生きてるんか、て思うことあるわ
「経験だけが生きている証拠ではなかろう。お前さんが過去にしか生きていないと言うのなら、それは未来に対する冒瀆というものだ」(19頁)

水晶浜で出会った日、上のように語っていた河野とファンタジーは、8年後、気比の浜でこんな会話をしています。

僕はあんたの顔を忘れてしまったんや。思い出せへん
それが正しいのだ」ファンタジーは言った。(160頁)

「おっと、来客だぞ。俺はこれで失礼する。元気で」
何言うてんのや、もう僕はいつでもあんたと話ができるんやで
(162頁)

このときの河野は、「白いローブ」ならぬ白い杖を持ち、四十がらみの男の姿をしてるはず。その顔は、もしかしたら、見ることができないファンタジーの顔に似てるかも。

いずれにせよ、彼の中には生きていくのに必要な新たな物語(ファンタジー)が棲んでいるし、ファンタジーには「顔なんて無意味」らしいけど・・・。

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2007年9月 3日 (月)

読みづらいーっ!

 やっと上巻、読みました。603ページ。

 気が重いけど、乗りかかった船。641ページ(T_T)

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2007年8月29日 (水)

『銀英伝』のカバーイラスト

偶数月の24日発売の創元SF文庫版『銀河英雄伝説』。先日、第4巻を買って読みましたが、底本の徳間デュアル文庫版が古本で買えるのに、なぜこっちを買ってるかというと、カバーイラストが星野之宣センセイだから(*^_^*)

第1巻の発売前から、どんなイラストになるのか楽しみでしたが、過去の文庫やマンガ、アニメとはまったく違うデザインで、今のところはこんな感じ。イラストのキャッチがないので、帝国と同盟どちらの側か、いろいろ想像してしまいます。

 1 黎明篇

宇宙歴8世紀末という遠未来を感じさせる円盤型の戦艦が登場。薄オレンジ色の戦闘機は、帝国側ならワルキューレ、同盟側ならスパルタニアン。宇宙歴1年=西暦2801年です。

 2 野望篇

第1巻とは一転して、戦場を泳ぐ人魚のような曲線的フォルムの戦闘機。星野式ワルキューレ?

 3 雌伏篇

「要塞対要塞」が出てくる巻。右半分にかかった巨大要塞はヤン不在のイゼルローン?

 4 策謀篇

帝国軍がフェザーンへ侵攻。下がフェザーン中央宇宙港ビルなら、上はミッターマイヤーの艦隊。

この先も人物は出てこなさそうですが、男性漫画家のなかで星野センセイの描く女性はダントツなので、アンネローゼだけは見てみたい気が・・・。2ヵ月に1回の楽しみ、次は10月下旬です。

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2007年8月20日 (月)

妖婦でも童女でもなく

これも古本市で買った本。先週読んだ『今日ある命-小説・歌人三ヶ島葭子の生涯』と同じ著者の『原阿佐緒』(講談社、1996年)を読みました。

 ←amazonで買った方が安かった(^_^;)

こちらは、大正10年の東北帝大教授・石原純との恋愛事件が有名な歌人・原阿佐緒について、阿佐緒の自伝的手記や現存する資料をもとに書かれたもの。

右サイドバーの『日本女性文学大事典』には、「昭和3年、石原純のもとを去ってのち、歌から離れる」とありますが、昭和5年には石原が資金を出したバー「瀟々園 阿佐緒の家」に勤め、そこを飛び出して舞台や映画に出演し、大阪でバーのママになってからも、昭和9年の室戸台風で流失するまで、短歌ノートは手放さなかったとのこと。

  歌よみの阿佐緒は遂に忘られむか
  酒場女とのみ知らるるはかなし(『原阿佐緒全歌集』)

その後、阿佐緒は、宮城県宮床の生家に戻って戦時下を生き、昭和26年に原家が破産した後は、次男夫婦のもとに身を寄せて、昭和44年に82歳で死去。晩年は句作を始め、水原秋桜子に添削を受けていたそうです。

それにしても、この本を読む限り、学生時代の英語教師(長男・千秋の父)、無名の洋画家(次男・保美の父)、物理学者で歌人の石原、石原の教え子の新聞記者など、阿佐緒が付き合った男たちは自己チューばかり。

無思慮に、軽率に、私のペンが応接に疲れ果てるほど軽挙妄動した原阿佐緒は、石原純の妄執に押切られ、七年間の石原との同棲生活に疲れ果て、ノイローゼにはなったが、しかし回復して見ると、阿佐緒の本質的な部分は、全く損なわれていないのであった。阿佐緒はもとのままの童女であった。(エピローグ)

相手の社会的地位や年齢は様々ですが、阿佐緒のほうにも同じタイプの失敗を繰り返す癖があったようで、その阿佐緒の本質を「童女」とした結論には頷けず。

  あさましや今日泣く吾はうつろなり
  身より心のはやく亡べば(『涙痕』)

  あらはにもわが世にたちてそしらるる
  時来にしかもかなしといはずや(『死をみつめて』)

当時言われた「妖婦」でも、それを反転させた「童女」でもなく・・・という気がして、私も読んでて疲れました。

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2007年8月18日 (土)

生還した人と逝った歌人と

6年半前にくも膜下出血の手術をした人から電話。昨日、数年ぶりでMRI検査を受けに行ったら、「次は5年後でいい」と言われたとか。

「よかったね」
「でも、蓄膿ですねって言われた。額が痛くても、くも膜下じゃないですよって」
「副鼻腔炎? 副鼻腔って眉の奥の方にもあるもんねー」
「蓄膿って言ってたよ」
「うん、副鼻腔炎でしょ。黄色い鼻水とか出る?」
「いや」
「痰は出る?」
「よく出る。・・・ほんと、病気のことはよく知ってるなあ」

その電話の前後に読んでたのが、先日の古本市で買った大原富枝『今日ある命-小説・歌人三ヶ島葭子の生涯』(講談社、1994年)。

買ったのは、『青鞜』にも寄稿していた三ヶ島葭子の小説だったからですが、第2部の前半までと後半からの、木に竹を接いだようなところが気になりました。

日記の残されている間はそれによって一人称で書きつづけて来たこの小説はここから死までの間を、三人称によって書くことになる。

こんな断り書きが「第二部」の4つ目の章の末尾にありますが、5つ目の章以降は、葭子の病状と生活の略述、かなり多めの歌の引用、「私」(作者)の批評・感想が混じったもので、あれ?・・・という感じ。

とはいえ、葭子の若い頃からの病苦、結婚後の夫の豹変、原阿佐緒との友情、大阪に単身赴任した夫が帰京した後の2年にわたる妻妾同居の苦悩など、知らないことだらけでした。

葭子は、大正13年に脳出血で倒れ、昭和2年に再発して41歳で死去。冒頭の電話があったときは、まだ最後まで読んでませんでしたが、改めてMRIの結果が異常なしでよかったね・・・と思いました。

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2007年8月13日 (月)

セミのカタチ

070813_15140003_2連日の猛暑で、ベランダは朝夕の水やりが必須に。 夕方の水やりの途中、今日もセミ(アブラゼミ)が仰向けになってもがいてたので、ハンギングの上にうつ伏せにしました。

高村光太郎の「蝉の美と造型」という短文で、「子供は皆この生きた風琴を好む」とある「風琴」も、距離が近かったり、数が多かったりすると、かなりの騒音。

私は虫好きだった子どもの頃も、セミは捕りませんでしたが、光太郎のエッセイを読んで、夏休みの図画工作のモデルにすればよかったかも・・・と思いました。

アブラは大きくて、精悍で、野蛮で、がんばり強く、その声の止め度もなく連続するフォルチシモの物凄い通りに、姿も剛健一点張である。私は好んでこのセミを作る。翅まで厚くて不透明で茶褐色である事、胴体が割に長くて頭の小さい事などが彫刻にいい。

ともあれ、うつ伏せにした「風琴」は、水やりで濡れた羽が乾いた後、どこかに飛んでいきました。

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2007年8月10日 (金)

文学者たちの立秋

昨年、「暑くなると」という記事で、昔の広告に登場する「ゼム」を「青空文庫」内で検索して、石川啄木と夏目漱石に触れましたが、今度は「立秋」。わが家では、今年初めて冷房つけっぱなしで寝た日でしたが、昔の作品でも「暑い」って書いてるかなあ・・・と思って。

●正岡子規「墨汁一滴」(明治34)

立春(二月四日頃)後半月位は寒気強くして冬の感去らず。立秋(八月八日頃)後半月位は暑気強くして秋の感起らず。また菊と紅葉とは古来秋に定めたれど実際は立冬(十一月八日頃)後半月位の間に盛なり。故に東京の気候を以ていはんには立春も立夏も立秋も立冬も十五日宛繰り下げてかへつて善きかと思はるるなり。されば西洋の規定と実際は大差なき訳となる。

35歳で亡くなった子規が病床で書いた三大随筆のひとつ。引用部分は3月9日執筆で、雑誌『日本人』の「西洋流に三四五の三箇月を春とせんとの事なれども我邦には二千年来の習慣ありてその習慣上定まりたる四季の限界を今日に至り忽ち変更せられては気候の感厚き詩人文人に取りて迷惑少からず」という主張への反論。

子規が太陽暦を支持していたのがわかりますが、明治30年代も暑かったよう。2年にわたる「病床六尺」ではさぞ・・・と想像されました。

●夏目漱石「思い出す事など」(明治43~44)

山を分けて谷一面の百合を飽くまで眺めようと心にきめた翌日から床の上に仆(たお)れた。(略) 余が想像に描いた幽かな花は、一輪も見る機会のないうちに立秋に入った。百合は露と共に摧(くだ)けた。

東京・大阪の『朝日新聞』連載。生来胃弱だった漱石が、明治43年8月に転地先の修善寺で大吐血し、危篤状態に陥ったときのことを書いた随筆。その間に、関東地方を襲った豪雨のことも書かれてます。

『江戸東京年表』(小学館)によれば、8月8日の豪雨による東京府内の浸水家屋は、18万5千戸に達したとか。生死の間をさまよった漱石は暑いどころじゃなかったと思いますが、やっぱり暑い夏だったのでは?

●与謝野晶子「台風」(大正3頃)

台風と云ふ新語が面白い。立秋の日も数日前に過ぎたのであるから、従来の慣用語で云へば此吹降(ふきぶり)は野分である。野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味がない。勿論「野分の又の日こそ甚(いみ)じう哀れなれ」と清少納言が書いた様な平安朝の奥ゆかしい趣味は今の人にも伝はつて居るから、野分と云ふ雅びた語の面白味を感じないことは無いが、それでは此吹降に就ての自分達の実感の全部を表はすことが不足である。

暑いかどうかは別にして、「科学の味」を挙げて、「台風」という「新語」を支持する晶子が面白い随筆。子規の太陽暦支持といい、優れた俳人・歌人は意外と新しいもの好きなのかも。

●薄田泣菫「艸木虫魚」(昭和4)

糸瓜棚の上に、一、二尺も長い首を持ち上げて、お盆のように大きな花を咲かせていた向日葵は、いつの間にか金の花びらをふるい落して、その跡にざらざらの実を粒立たせているのが見える。立秋からもう十日も経っているのに、相変らず暑い。

花びらも落ち、もう結実している向日葵。開花していた頃の生気が失せた様子を想像すると、ますます暑くなりそう。

●岡本綺堂「西瓜」(昭和7)

暦の上では、きょうが立秋というのであるが、三日ほど降りつづいて晴れた後は、さらにカンカン天気が毎日つづいて、日向へ出たらば焦げてしまいそうな暑さである。

風呂敷の中の西瓜が女の生首に化ける話、西瓜を食べると死ぬという言い伝えのある家の話が登場。初めて読みましたが、立秋過ぎの暑さにぴったりの怪談でした。おすすめ。

●宮本百合子「獄中への手紙」(昭和18)

八月十二日、今夜は何と涼しく、体が楽でしょう。七十八度よ。雨にぬれた屋根の瓦に、月がさして居ります。もうこんな夜も折々はあるようになったのね。立秋ということにはやはりたしかな季節のしらせがあります、朝顔の花の色が美しく目についてそれも微妙な二つの季節のしるしのようです。

巣鴨拘置所の顕治宛。雨上がりの12日夜は涼しかったとありますが、「七十八度」は華氏(F)で、C=5/9(F-32) で計算すると、25.6℃の熱帯夜。前日の手紙には、「ひる一寸前、八十八度 ゆうべの夜なかは涼しかったのに、きょうはやはり相当の暑さになりました」とあって、31.1℃の真夏日。

昭和16年12月に検挙され、翌年3月に巣鴨拘置所に送られた百合子は、7月末に熱射病による人事不省で執行停止となって、ほぼ1年。この手紙の前月、顕治が腸チフスの疑いで病舎に移ったこともあり、暑さのなかに秋を待ち望む思いはひとしおだったのだろうなあ・・・と思いました。

地球温暖化が叫ばれる前から、やっぱり立秋は暑かったようですが、華氏度は考案者の名からファーレンハイト度ともいうそう。ファーレンハイトで思い出すのは、田中芳樹の『銀河英雄伝説』。今月末刊行の創元SF文庫版第4巻、早く読みたくなりました。

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2007年7月28日 (土)

ジョバンニと「琴の星」

最近、お風呂の中やベッドの上で、星野之宣『宗像教授異考録』を読み返してます。

 ←第5集まで既刊

昨日は、第2集の第3話「織女と牽牛」。最後のコマに描かれた、織女星のある「こと座」と牽牛星のある「わし座」を見て、宗像教授なら「ジョバンニとカムパネルラには、織女と牽牛が投影され、削除されておる」って言うかなあ・・・と思ってました。

 ←1月に読んだ本

旧七夕+旧盆→ケンタウル祭というイメージの借用は定説のようだし、菅原千恵子『宮沢賢治の青春』は、盛岡高等農林時代の友・保阪嘉内に対する賢治の精神的同性愛を指摘し、嘉内との別離の産物として『銀河鉄道の夜』を論じてます。

そして、七夕伝説と同じ「別離」のモチーフを持つジョバンニとカムパネルラの物語。

賢治と嘉内+織女と牽牛→ジョバンニとカムパネルラという線を仮定したくなりますが、未完の遺稿だった『銀河鉄道の夜』には、初期形(第1~3次稿)と最終形(第4次稿)があり、最終形で「こと座」が登場するのは、「五、天気輪の柱」の次の部分だけ。

ジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうとう蕈(きのこ)のやうに長く延びるのを見ました。

この後、ジョバンニの後ろの「天気輪の柱」(地蔵車のことといわれる)が三角標になって空の野原に立ち、「銀河ステーション」の声がするので、最終形の「琴の星」の瞬きは、ジョバンニが丘の上で寝てしまい、銀河鉄道の夢を見る予兆でしかありません。

 ←初期形も読めるちくま文庫版全集

でも、初期形では、「琴の星」が三角標になってるし(第3次稿)、夢から覚めた後の結びの一文にも「琴の星」が登場していて(第1~3次稿)、賢治の思い入れもジョバンニの夢との関係も深かったことがわかります。かおるの「あの森琴(ライラ)の宿でせう」(第1、2次稿)というセリフもあるし。

琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。

この一文が最終形で削除されたのは、カムパネルラが川で溺れていた部分を書き加えた際、彼の父に「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と語らせたため、「ずうっと西の方へ移って」という部分に、時間的矛盾が生じたからと言われますが、その説明が有効なのは、この一文に対してだけ。

「天気輪の柱」を三角標にしたり、かおるのセリフを変更したり・・・を含めると、七夕(恋人との別離と再会)→お盆(生者と死者の魂の交流)にイメージ・シフトするために、「琴の星」の存在を薄めようとしたのでは?・・・と。

ちなみに、「わし座」については、カムパネルラの「もうじき鷲の停車場だよ」というセリフが第2~4次稿にあり、第2次稿には「鷲の停車場もう過ぎたの」「過ぎた。さっきあの人が船のはなししてゐた時だ」というジョバンニとカムパネルラの応答があって、カムパネルラの守備範囲。

でも、その沈没船に乗っていた女の子(かおる)がカムパネルラの隣に座ったことで、「わし座」を通過する間のジョバンニは、「何とも云へずかなしい」「つらい」気持ちになっています。

(あゝほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろさうに談(はな)してゐるし僕はほんたうにつらいなあ。)

その「つらさ」がどう解消されたのかはよくわからない部分で、杉井ギサブロー監督のアニメ映画では、「汽車が小さな小屋の前を通ってその前にしょんぼりひとりの子供が」という部分を幼時のジョバンニの姿で表し、かおるの「私、あの子を知ってるわ」というセリフで、他生の縁な処理をしてましたけど。

いずれにせよ機嫌は直り、最後には「僕たち一緒に行こう」と約束して、此岸と彼岸に別離するジョバンニとカムパネルラ。夢から覚めたジョバンニの頭上で、異性愛の七夕伝説を想起させる「琴の星」が瞬かないのは当然かもしれませんが、削除された「また蕈のやうに足をのばしてゐました」という生々しいイメージが気になります。

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2007年7月22日 (日)

百合子文学館の夢

18日(水)に宮本顕治氏が亡くなりました。

 訃報:宮本顕治・日本共産党元議長が死去 98歳
 (MSN毎日インタラクティブ)

翌日、電話してきた友人とこんな話をしました。

「そういえば、宮本顕治、亡くなったね」
「これで、百合子の夫は2人とも。百合子が亡くなったのは1951年だから、56年も長生きしたのね。9歳年下の夫だったけど」
「ああ、『宮本百合子と結婚』って載ってたね」
「でも、百合子が死んだ後、大森寿恵子さんと再婚したとは書いてないのね。百合子の秘書をしてた人で、百合子研究の本も出してる」
「宮本顕治についての未公開資料とか証言とか出るかなあ?」
「うーん、どうだろ?」

私が思ったのは、宮本家が所有している百合子の資料(著作権は切れてる)が、相続を機にもっと世に出るといいなあ・・・とか、同じ共産党の松本善明氏の最初の妻だった画家・いわさきちひろの美術館のように、一般市民も抵抗なく行ける文学館を作ってくれたらなあ・・・ということ。

一般市民も抵抗なく・・・というのは、小林多喜二と双璧をなす「共産党員作家」というイメージ、「宮本顕治の妻」というイメージが強いからですが、百合子の1916年~51年の作家活動のうち、「宮本」姓での発表は37年から。

今でいう夫婦別姓論者だった百合子は、荒木茂との結婚(19年~24年、戸籍上は20年~25年)中も、顕治との結婚(32年、戸籍上は34年)後も、37年の秋まではデビュー以来の「中條」姓でした。

百合子が持論を曲げたのは、『全集』所収の「獄中への手紙」によると、以前からの顕治の希望に加えて、この年7月の盧溝橋事件による情勢悪化、腸結核を患った顕治の衰弱があったから。

獄中の夫も、前年までに4回検挙されている自分も、いつ死ぬかわからないという日々のなかで、8月に顕治宛の遺書を書き、10月の顕治の誕生日を前に改名するまでの流れは、弾圧に抵抗する夫婦の間にもある「亭主関白」の記録として印象に残ってます。

「亭主関白」といえば、戦後の『風知草』で、ひろ子(百合子)が、やっと一緒に暮らせるようになった重吉(顕治)から、「なんだか後家のがんばりみたいなところが出来ているじゃないか」と言われて涙ぐむ部分も。頑張ってきた妻にも、世の戦争未亡人にも、配慮に欠けるセリフだと思いました。

戦後の宮本夫妻が、最終的には百合子が譲る形をとりながら、違いもあったらしいことは、編集者時代に百合子と交流があった高杉一郎氏の『往きて還りし兵の記憶』(1996年)にも出てきます。

 ←岩波現代文庫(2002年)

最初の著書『極光のかげに-シベリア俘虜記』(1950年)の出版後に百合子を訪ね、「やっぱり、こういうことはあるのねえ」と百合子が話しているところに、いきなり顕治が顔を出し、「あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ」、「こんどだけは見のがしてやるが」と言ったという部分。

高杉氏の妻の妹が大森寿恵子さんで、彼女が百合子の秘書になったのは、高杉氏の紹介によるものだとか。だから、上の部分は、当時の顕治からは、妻の秘書の義兄に対する恫喝で、執筆時点の高杉氏からは、義妹の夫に対する批判ですが、冒頭の友人の話のように、こういう点も検証されるべきなんだろうなあ・・・と思いました。

いろいろあっても、中條/宮本百合子の足跡は、文学的・歴史的に残す価値があるものだし、顕治氏のご遺族には、どこかの図書館への寄贈という形でもいいので、いつか実現してほしい・・・と思います。

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2007年7月 4日 (水)

死んだ番頭の遺伝子

070702_23350001_1 今年5月に亡くなった大庭みな子さんの長編連作のような小説、『ふなくい虫』(1970年)、『浦島草』(1977年)、『王女の涙』(1988年)を読みました。

・・・というのは先月末のことで、感想を書いてるうちに、長くなってきたというか、感想らしからぬものになってきたというか、更新まで停滞する始末(^_^;)

いいかげん煮詰まってきたので、別の場所にコピーをとって削除しましたが、「死んだ番頭の遺伝子」に沿って、文体もテーマも違うといわれる3作を読むとどうなるか・・・。気が向いたら、また書くかもしれません。

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2007年6月11日 (月)

儚きこの世を過すとて

石牟礼道子と伊藤比呂美の対談を読みました。

 『死を想う-われらも終に仏なり』(2007年5月)

「親が年老いて、死というものについて考えはじめた」伊藤比呂美が、「石牟礼さんになら、あけすけに聞けるし」「あけすけに語ってくださるのではないか」と持ちかけた対談。

前半は石牟礼道子が見てきた死の話、後半は宗教的古典文学の話が中心です。

 二十代の初めで戦後を迎えて、戦争ですごいトラウマを負って、なんにも信じられなくなって。高度成長期で、物を消費して捨てることを覚えて、今までの価値観は何も信じられなくなって。
 老いてみたら、本当になんにもない。あの、あんまりの何もなさに、見てて恐ろしくなるぐらい。

伊藤比呂美が、要介護1で独り暮らしの父と要介護5で入院中の母について語り、『梁塵秘抄』に惹かれるようになったと言うと、石牟礼道子は、「心の飢餓を抱いて、人はあの時代からこういうふうに生きてきたのか」という発見があると語ります。

  • 仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、仄かに夢に見え給ふ(26)
  • 儚き此の世を過(すぐ)すとて、海山稼ぐとせし程に、万(よろず)の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん(240)

それぞれの孤独や絶望から「仏」を歌った白拍子たちの願い。そこに、「人は非常に精神的な深い所に、あるいは高い所へ行きたいという望みがある」(石牟礼)、「千年も昔の人々の気持ちというんじゃなくて」(伊藤)という言葉が、じわっと重なってきました。

  • 仏も昔は人なりき、我等も終には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざりけるこそあわれなれ(232)
  • 暁静かに寝覚めして、思へば涙ぞ抑え敢へぬ、儚く此の世を過しては、何時かは浄土へ参るべき(238)

上の歌は、この対談のサブタイトル「われらも終には仏なり」の典拠。下の歌からは、石牟礼道子の『苦海浄土』を思い出しますが、二人が語る『梁塵秘抄』が面白かったので、伊藤比呂美の新刊『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』と一緒に注文しました。

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2007年6月 3日 (日)

有吉佐和子的人生

関川夏央『女流-林芙美子と有吉佐和子』(2006年)

前半は「林芙美子の旅」、後半は「有吉佐和子的人生」という構成で、帯のコピーは「〈早熟の女流〉という宿命を生きたふたりの作家、林芙美子と有吉佐和子をとおして見えてくる、それぞれの昭和と昭和」。

今日読んだのは、その後半。1984年に53歳で急逝した有吉の「中年期」を描くのに、『有吉佐和子の中国レポート』(1978年)と『女二人のニューギニア』(1968年)を主な題材とした点は、研究者ではない作家の慧眼を感じました。

20~30代で代表作といわれる「物語」的小説を次々と書きながら、業界内での評価に恵まれず、40代以降は「社会」的小説に手を広げるいっぽう、短気や奇行(「笑っていいとも!」の番組ジャックが有名)が目立った有吉の「中年期」。

途中、「加齢」という説明=コンセプトに頼りすぎ(^_^;)・・・とは思いましたが、結論部分には賛成でした。

有吉佐和子は「女流」という言葉を生み出すシステムとよく戦った。みずからの早熟さという宿命と善戦した。しかし五十三歳の晩夏の一夜、ついに燃え尽きた。

生前刊行された『有吉佐和子選集』はとうに絶版で、販売中の文庫本も減ってますが、有吉の作品について何度かブログに書いていると、「助左衛門四代記の論文」なんてワード検索で訪問される方もいて(卒論で?)、そろそろ『全集』が出ないかなあ・・・と思ったりしています。

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2007年5月30日 (水)

背中と薔薇とあじさいと

先週は、『娼婦の部屋・不意の出来事』に続いて、吉行関連の本ばかり読んでました。

  1. 吉行淳之介『闇のなかの祝祭』(1961年)
  2. 吉行文枝『淳之介の背中』(2004年)
  3. 宮城まり子『淳之介さんのこと』(2001年)

1.『闇のなかの祝祭』は、発表当時、モデル問題で騒がれたという小説。

 はっきりした目的をもって出かけてゆく充実した線が自分の背中に現れていることを感じ、その背中に貼り付いてくる妻の視線を感じ、彼はうしろめたい心持になった。(一)

 真赤な花の塊が、たしかにまだ生きている湿った三十の黒い薔薇の上に落下して重なり合った。
 空になり軽くなった両腕に眼を落した瞬間、どさりと置かれた新しい大きな花束を、彼は両腕のあいだに生々しく感じた。(十三)

主人公・沼田沼一郎が、泣いている赤ん坊と妻の草子に背中を向け、恋人の都奈々子の映画を見にいく「一」から、アパートを借りて家を出た沼田が、妻から届いた2度目の赤い薔薇の花束を物置に隠す「十三」まで。

その間にあるのは、名前に「沼」が2つもある主人公と2人の女性の泥沼状態ですが、続いて、2.『淳之介の背中』を手に取ると・・・。

Senaka_2 ←表紙カバー(全体)

青く囲んだ部分(表)を見て「空と風?」と思ったカバーは、広げてみると吉行の背中。1959年の別居後も「妻」であり続けた文枝夫人は、19~35歳の吉行を「主人は」「主人の」「主人に」と語り、赤い薔薇にも触れていました。

 主人は、私の誕生日には、必ず赤い薔薇の花を買ってきてくれました(略)離れて暮らすようになった後でも、その習慣は変わりませんでした。(「闇のなかの祝祭」)

この本から感じたのは、年月に洗われた感情というより、感情に対する距離のようなもの。多く挿入された吉行との写真も浮いてしまい、「貴女」に語るという体裁なのに、声は聞こえず・・・という感じ。

いっぽうの 3.『淳之介さんのこと』は、ねむの木学園で知られる宮城まり子が、33~70歳の「淳之介さん」「淳」「淳ちゃん」を語ったもの。こちらは、その時々の彼女の行動や感情が前面に出ていて、彼女自身の半生記としても読める本でした。

昨日、NHK「スタジオパークからこんにちは」(を録画したもの)で、吉行やねむの木学園について話す彼女を見て、読んだばかりの本の一節を思い出しました。

 自分も仕事を持つ女として、きちんとしていようと決心した。ずっと前から考えていた障害児の問題も、ボランティアだけではなく、本気でやり出そうと決心した。だから、海外旅行から後、私は、「私をえらんで・・・」は、やめた。(「はじめての監督」)

ヨーロッパ旅行中、「四十歳と三十七歳の二人がいた。夫と妻がいた」(「闘牛」)と喜んだのも、「私をえらんで・・・」を「やめた」のも、同じ彼女。文枝夫人が「あじさいの女性」と書いたその人は、さらに色濃く咲きつづけていました。

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2007年5月25日 (金)

大庭みな子さんの訃報

朝、まだ眠い目で新聞を開いたら、大庭みな子さんの訃報。1996年に脳出血で倒れてからも、夫・利雄さんの介護と口述筆記で作家活動を続けていることは、NHKの番組などで知ってましたが・・・。

 「三匹の蟹」で芥川賞、作家の大庭みな子さんが死去
 (YOMIURI ONLINE)

帰宅後、『ふなくい虫』(1970年)、『寂兮寥兮(かたちもなく)』(1982年)、『啼く鳥の』(1985年)などを本棚から出してみましたが、何か読んでないものを買おうと、『浦島草』(1977年)を注文しました。

←講談社文芸文庫。高いけど、解説がいい(はず)

『王女の涙』(1988年)のあとがきに、「何人かの登場人物は、『浦島草』以来のものである。更にその前の『ふなくい虫』から続いているとも言える」とあって、気になりながら、読んでいなかった長編。

親(60代)の介護もまだ経験してない私には、『楽しみの日々』(1999年)や『浦安うた日記』(2002年)、利雄さんの『終わりの蜜月-大庭みな子の介護日誌』(2002年)は、他に読むときもあるかもしれないので。

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2007年5月22日 (火)

駒尺喜美さんの訃報

22日は2005年2月に亡くなったミントの月命日ですが、夜になって、日本文学研究者・駒尺喜美さんの訃報を目にしました。

 高齢者共同住宅「友だち村」の駒尺喜美さん、82歳で逝く
 (YOMIURI ONLINE)

本棚を探したら、『芥川龍之介の世界』(1972年)、『魔女の論理』(1984年)、『女を装う』(編著、1985年)、『漱石という人-吾輩は吾輩である』(1987年)、『紫式部のメッセージ』(1991年)、『吉屋信子-隠れフェミニスト』(1994年)が出てきました。

070523_0325000170~80年代の本は古書店で購入。90年代の本は、書店で「あっ、駒尺さんの新刊!」と思って買ったものです。

並べて写真を撮りながら、日本のフェミニズム批評で一時代を画した駒尺さんの本が、ただの「古書」でなく、意味ある「古典」になる時代はまだ来ていない・・・と改めて思ったりしていました。

ところで、『魔女的文学論』(1982年)と『高村光太郎のフェミニズム』(1992年)は、どこにいったのか見つかりません。前者は、駒尺さんの直截な表現・内容の批評に初めて触れた本なのに。探さなくちゃ・・・。

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2007年5月20日 (日)

いつか誰かにもらった本

文庫本ばかり押し込んだ本棚の前で、週末に読むものを物色していたら、吉行淳之介の短編集『娼婦の部屋・不意の出来事』(新潮文庫)が出てきました。

古本屋の貼り紙や書き込み、自分で買った記憶もない本。昭和47年の第10刷で¥160という定価を見て、「いつ、誰にもらったんだろう?」と思いつつ読んでみると、主人公たちの倦怠感、居場所のなさ、現実と幻想の交雑したショットが、妙にしっくりと馴染みました(最近の気分に)。

読み終わってから宮城まり子とのことを思い出し、次は『闇のなかの祝祭』を読んでみようと思いましたが、ついでに下の2冊も注文。

 宮城まり子『淳之介さんのこと』

 吉行文枝『淳之介の背中』

この3冊は、次の週末の読書になりそうです。

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2007年5月 5日 (土)

『助左衛門四代記』と理研

有吉佐和子『助左衛門四代記』は、有吉の母の実家があった和歌山県海草郡木本村(現・和歌山市木ノ本)を舞台に、宝永~昭和まで2世紀半にわたる正福院(しょうくい)垣内家の歴史を語ったもの。

「紀ノ川沿いの嫁入りは、流れに逆ろうてはならんのやえ」というのは、『紀ノ川』の豊乃の言葉ですが、『助左衛門四代記』は、垣内文右衛門の妻・妙が投げた柄杓で白犬を殺された巡礼の「この家に七代まで祟ってやる」という言葉から、物語が動き出します。

で、どうなるかというと・・・。

  1. 文右衛門の長男・助右衛門は、白犬が死んだ当日、庭の焚火に転倒して焼死(5歳)。次男・助左衛門が家を継ぐ。
  2. 助左衛門の長男・助一郎は、女衆(おなごし)との結婚を望んで廃嫡(20歳)。次男・勘次郎が二代目助左衛門に。
  3. 二代目の長男・助市は、睡眠中に窒息死(生後1ヵ月)。次男・捨吉が三代目助左衛門に。
  4. 三代目の長男・捨一郎は、若山城の警備中、百姓一揆の投石に当たって転落死(15歳)。次男・嘉膳が四代目助左衛門に。
  5. 四代目の長男・亀吉は、雷雨の日に行方不明(16歳)。後妻が産んだ次男・信吾は、明治3年~16年まで東京で勉学し、父の死後に呼び戻される。
  6. 信吾の長男・克己は、理化学研究所でビタミンAを発見した翌年、妻子を残して病死(34歳)。終戦後、満州から妻と引き揚げてきた次男・二郎が生家に住む。
  7. 克己の長女・摩利は終戦前に他家に嫁ぎ、次女・恵美も昭和30年代に結婚。二郎には子がなく、垣内家に終焉が近づく。

代々の長男は夭逝して次男が継ぐ家になりますが、初代助左衛門から七代目の次女・恵美の代には、農地解放で継ぐほどの田地もなく、民法や戸籍法の改正で家を継ぐために婿養子をとる必要もなくなった・・・というお話。

ところで、助左衛門を襲名しない五代目の信吾が、長男・克己の死後に発売された「理研ビタミンA」の瓶を振って、「しょうくいはもう実ィが成ったわい」と笑う場面は、先の四代で栄えた正福院が、ビタミンAの粒を「実」として衰えていく予兆になっています。

克己のモデルは木本村出身の高橋克己で、「理研を救った“ビタミンA”-高橋克己と理研ビタミン」を参考に両者のプロフィール違いをまとめると・・・。

2_1
どの項目も細かく変更されていますが、正福院の長男に降りかかる不幸を強調するためか、博士号授与は死後に、同じく死後の発売とされた「理研ビタミンA」の製造・販売元は他社に、死因は「ふとした風邪がもとで」と変更されているのがわかります。

作中の垣内克己と実在した高橋克己が違うのは当然ですが、同時に「大河内正敏の理化学研究所」「鈴木梅太郎と共に研究」「理研ビタミンA」と実在の団体・個人・製品名が使われているので、「発見者はマッカラム」「大木製薬じゃない」と憤慨した人もいたかも・・・と気になりました(^_^;)

そんなところも含めて、物語そのもの、老人の言葉を契機として展開する手法、最後はきっちり現代(当時の)まで持ってくるところは、『紀ノ川』『香華』の後続作らしい作品で楽しめました。

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2007年5月 1日 (火)

地図を貼ってみました

「ALPSLAB myBase」というブログパーツをサイドバーに貼ってみました。地図をスクロールしてボタンで拡大/縮小できるし、記事中にこんな地図も貼れます。

たとえば、有吉佐和子『紀ノ川』に登場する場所は・・・。

花の実家・紀本家と慈尊院がある九度山町(1/25万)

北岸に背山、南岸に妹山がある笠田(1/25万)

花の婚家・真谷家がある和歌山市六十谷(1/25万)

真谷家の真砂町の邸と和歌山城がある市街(1/25万)

有吉の祖母と母の実家があった和歌山市木ノ本(1/25万)

紀ノ川からは距離があります。木ノ本に生まれ、木ノ本に嫁ぐのでは、女たちの物語『紀ノ川』は成立しません。だから、木ノ本は、男たちの物語『助左衛門四代記』の舞台。といっても、実質は歴代助左衛門の妻たちの物語。

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2007年4月30日 (月)

ああ、何らの悪因ぞ。

偶数月の下旬は、創元SF文庫版『銀河英雄伝説』の発売日(^_^)

 ←田中芳樹『銀河英雄伝説2 野望篇』

オーベルシュタインの進言を容れたラインハルトが、キルヒアイスを他の提督たちと同列に扱い、非武装時でも彼だけには銃の携行を許可していた特例を廃したことで、素手でラインハルトを護ろうとしてアンスバッハに殺されてしまう巻です。

「ああ、何らの悪因ぞ。」

というのは、森鴎外『舞姫』の太田豊太郎の言葉。でも、教会の前で泣いていた美少女エリスに親切な行いをし、親しくなったことから誤解や嫉妬を受け、免職になった豊太郎以上に、ラインハルトにふさわしい言葉かも・・・と思いました。

妊娠中のエリスを発狂させ、捨てさせた相沢謙吉への憎しみを表白する豊太郎と違い、ラインハルトは、当のオーベルシュタインも「ご自分をお責めになるだけで、私に責任をおしつけようとならさないのはごりっぱです」と言うように、豊太郎のような責任転嫁はしません。

彼を参謀長にしたのも、その進言を聞いたのも自分となれば、「悪因」は自分の中にあり、無二の友を失ったのも、姉上をこれ以上なく悲しませたのも、自分の弱さゆえ。続きは、6月下旬刊行の第3巻を買って読みますが、それまではキルヒアイスの喪中の気分(命日は9月9日ですが)・・・。

ところで、第2巻の解説で知ったこと。

1996年に台湾で中国語版(繁体字)が出版され、中国にもその海賊版が流入していたそうですが、2006年には初の正規版(簡体字)が出版されたとのこと。やはり一番人気はヤン・ウェンリーで、6月1日の命日「楊威利記念日」には、ファンが在りし日のヤン提督を偲ぶのだそうです。

ヤンは「楊」かと思ってましたが、ウェンリーが「威利」とは・・・。あのヤンの人柄からは想像しにくい字ですが、親の意向に沿わなかった息子(儲けにならない歴史好き)、戦争嫌いな戦争名人には、実体と矛盾した「威利」が意外と合ってるのかも・・・と思い直しました。

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2007年4月29日 (日)

『紀ノ川』の花

久しぶりに有吉佐和子『紀ノ川』を読んだので、主人公・花の年譜を作ってみました。

     *     *     *     *     *

1877年(明治10)0歳
 和歌山県伊都郡九度山村(現・九度山町)に生まれる。父・紀本信貴。母・水尾は産後まもなく死去し、祖母・豊乃の手で育つ。
1891年(明治24)14歳 ※たぶん 
 県立和歌山中学に通う兄・雅貴、豊乃と和歌山市福町に住み、市立和歌山高等女学校に通う。 ※市立和高女は、この年に開校。のち県立に移管。
1897年(明治30)20歳
 隅田家と真谷家から縁談が来る。信貴は隅田家を推すが、豊乃と花の意向で、海草郡有功村字六十谷(現・和歌山市六十谷)の真谷家を選ぶ。
1899年(明治32)22歳
 3月、豊乃と慈尊院に参る。紀ノ川を舟で下り、敬策(26歳)と結婚。敬策は、長福院の院号をもつ真谷家の長男、東京専門学校(現・早稲田大学)卒、2年前より有功村の村長。
1900年(明治33)23歳
 5月、皇太子嘉仁・九条節子成婚。豊乃と慈尊院に参り、乳房形を奉納。8月、伊藤博文が政友会創立。10月、長男・政一郎が誕生。豪雨で紀ノ川が氾濫、分家の娘が嫁ぎ先の岩出で死去。
1902年(明治35)25歳
 舅・太兵衛、病死。
1903年(明治36)26歳
 春、義弟・浩策の分家が決まる。秋、豊乃と慈尊院に参り、乳房形を奉納。幸徳秋水、内村鑑三が『萬朝報』を去る。
1904年(明治37)27歳
 2月、日露戦争起こる。真谷家、第61聯隊の分宿となる。浩策、家を建て分家。5月、豊乃が死去し、長女・文緒が誕生。浩策、中学時代の友人の従妹・ウメを女中に雇う。
1905年(明治38)28歳
 1月、旅順開城。秋、浩策、妊娠したウメと結婚。姫蔦の女紋を使い始める。兄・雅貴、県会議員となる。ウメ、長男・栄介を出産。
1906年(明治39)29歳
 敬策、県会議員となる。次女・和美が誕生。
1907年(明治40)30歳
 ウメ、長女・美園を出産。
1908年(明治41)31歳
 三女・歌絵が誕生。
1911年(明治44)34歳
 敬策、県会議長となる。
1912年(明治45・大正元)35歳
 次男・友一誕生。
1917年(大正6)40歳
 文緒、県立和歌山高等女学校に入学、国語教師・田村の影響を受ける。
1918年(大正7)41歳
 政一郎、東京の第一高等学校に入学。文緒、田村の免職に反対し、ストライキを策動。教師らに謝罪してまわる。
1920年(大正9)43歳
 敬策、ひそかに芸者を落籍し、和歌山市真砂町に囲う。
1921年(大正10)44歳
 文緒、東京女子大学英文科に入学。
1923年(大正12)46歳
 和歌山市真砂町の旧・唐木男爵邸を購入、転居。
1924年(大正13)47歳
 1月、皇太子裕仁・久邇宮良子成婚。夏、文緒の見合写真を撮る。文緒、地元選出の衆議院議員・田崎祐輔夫人の企図で、正金銀行勤務の晴海英二を知る。
1925年(大正14)48歳
 文緒の紋付を姫蔦で整える。2月、文緒、英二と結婚。分家の美園、鳴滝川で水死。六十谷の家で白蛇を見る。初夏、友一と慈尊院に参り、文緒に黙って乳房形を奉納。12月、文緒、東京で長男・和彦を出産。姑・ヤス、死去。
1927年(昭和2)50歳
 英二、上海赴任に妻子を同伴。春、次女・和美、奈良の楠見家に嫁ぐ。
1928年(昭和3)51歳
 2月、敬策、第1回普通選挙で衆議院議員当選。5月、文緒、次男・晋を出産。
1929年(昭和4)52歳
 秋、和美に続き、晋が死去。
1930年(昭和5)53歳
 夏、英二、ニューヨークに単身赴任。文緒、和彦と帰省、慈尊院に参り、自ら乳房形を奉納。
1931年(昭和6)54歳
 1月、文緒、長女・華子を出産。
1935年(昭和10)58歳
 英二、バダビヤ(現・ジャカルタ)に転任。文緒、和彦を実家に預け、華子と同行。
1939年(昭和14)62歳
 文緒、華子と帰省し、三男・昭彦を出産。春、華子と和歌山城に登る。敬策、東京逗留中に急死し、真砂町で葬儀。喪主・政一郎は、住友銀行大阪本店勤務、妻・八重子と大阪に住む。文緒、華子と再度バダビヤに渡る。
1940年(昭和15)63歳
 真砂町の家を始末し、六十谷の家で女中の市と暮らす。9月、日独伊三国同盟調印。10月、大政翼賛会発足。
1941年(昭和16)64歳
 英二の本店転任に伴い、文緒、華子と東京に戻り、家を買う。12月、太平洋戦争起こる。
1942年(昭和17)65歳
 春、友一、軍服姿で京都出身の代議士の娘と東京で結婚。
1943年(昭和18)66歳
 秋、大阪の歌絵が悟郎、洋子、悦子を、文緒が華子と昭彦を実家に疎開させる。華子、県立和歌山高等女学校に転校、学徒報国隊として軍服の縫製に従事。
1945年(昭和20)68歳
 3月、東京大空襲。文緒、英二の叔母宅に避難し、和彦の出征後、実家に疎開。7月、和歌山大空襲で和歌山城炎上。8月、終戦。悟郎、洋子、悦子が大阪に帰る。12月、第1次農地改革。
1946年(昭和21)69歳
 春、文緒、華子、昭彦が東京に帰る。和彦、復員。10月、第2次農地改革。政一郎と歌絵、六十谷に米の買出しに来る。
1947年(昭和22)70歳
 ウメ、死去。
1950年(昭和25)73歳 ※たぶん
 夏、英二、急死。華子、奨学金とアルバイトで東京女子大学に通う。 ※有吉の父がこの年急逝。
1952年(昭和27)75歳
 政一郎、妻を亡くし、銀行を辞めて実家に住む。
1955年(昭和30)78歳
 1度目の脳溢血。文緒、歌絵、友一らが見舞いに来る。
1956年(昭和31)79歳
 浩策、死去。
1958年(昭和33)81歳
 夏、2度目の脳溢血。歌絵、友一、華子らが見舞いに来る。老いた白蛇を友一の長男・秀雄(初の内孫)が棒で殴る。華子、文緒と交代で東京に帰る前、再建された和歌山城に登り、紀ノ川が注ぐ海を眺める。

     *     *     *     *     *

花は有吉の祖母・ミヨノ、文緒は母・秋津、華子は有吉自身がモデルですが、ミヨノの実家・垣内家があったのは、伊都郡九度山村ではなく、海草郡木本村だったよう。婚家・木本家は同じ村なので、『紀ノ川』にある舟で下った嫁入りはフィクション。

テーマの関係から、紀ノ川の上流の九度山村と下流の海草郡でも川沿いにある六十谷(むそた)を舞台にしたんだと思いますが、「紀ノ川沿いの嫁入りは、流れに逆ろうてはならんのやえ」という豊乃の言葉も、それでこそ成り立つというもの。

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九度山村を選んだのは、たぶん女人高野・慈尊院がある村だからで、作中何度も登場する安産祈願の乳房形(ちちがた)は本物。写真は、ずいぶん前に撮ったものですが、境内には『紀ノ川』の一節を書いた看板もしっかり立ってました。

そういう虚実入り混じった小説ですが、「真谷家の主」といわれる白蛇については、1度目の登場後にヤスが死に、2度目の登場後にたぶん花が死ぬことから、真谷家の当主ではなく、主婦の象徴であることがわかります。

その白蛇も、紀ノ川も、花が女紋に選んだ姫蔦も、長く這うイメージの女性性を帯びたモチーフ。長くないモチーフとして一目瞭然なのが乳房形ですが、もし有吉が吉野裕子の『蛇―日本の蛇信仰』(1979年)を読んでいたら、こう言って自慢したかも・・・。

「神話の時代から、女の正体は蛇体でしょ? 乳房形は、蛇がとぐろを巻いた姿に通じるし、和歌山城だってそう。蛇を意識して書いたのよ」って、想像ですけど(^_^.)

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2007年4月23日 (月)

『香華』の朋子

4月の第1週に、「今週より来週、来週より再来週には、自分のペースで仕事できるはず」なんて書きましたが、やっと仕事関係以外の本を読む余裕が出てきました。

 ←私のは旧版でもっと地味なカバー。

最初と最後の舞台が和歌山で、同じ有吉の『紀ノ川』を思い出しますが、『紀ノ川』が結婚した女の一生を描いたものなら、『香華』は結婚しなかった女の半生を描いたもの・・・というように対照的。

時代背景が明治の後半~昭和の前半なのは同じでも、家庭環境に恵まれた『紀ノ川』の母娘にはとうてい織り成せないドラマで、作りすぎだよーという部分も含めて楽しめました。

主人公・須永朋子の生年は、関東大震災が起こる1923年に「私も二十一になったのだ」(第十章)とあるので1902年。そこで、波乱万丈の朋子の年譜を作ってみると・・・。

     *     *     *     *     *    

1902年(明治35)0歳
 和歌山県海草郡西ノ庄村(現・和歌山市西ノ庄)に生まれる。父・田沢成吉、母・郁代は、郁代の実家・須永家に住み、朋子は須永の戸籍を継ぐ。
1905年(明治38)3歳
 父、死去。
1906年(明治39)4歳
 祖父、死去。
1908年(明治41)6歳
 母、高坂敬助と再婚し、村内の高坂家に住む。朋子、祖母・つなと二人暮らしとなる。
1910年(明治43)8歳
 12月、異父妹・安子誕生。
1911年(明治44)9歳
 母、義父と安子の3人で東京へ出奔。祖母、死去。迎えに来た義父と上京し、吉原の郭外に住む。待乳山小学校に転校。
1912年(明治45・大正元)10歳
 静岡・二丁町の遊女屋兼芸者屋の叶楼に売られる。半玉・おゝ(ちょぼ)として三味線・唄を仕込まれる。新通小学校に転校。
1913年(大正2)11歳
 離婚した母、叶楼の花魁・九重となる。11月、楼内で異父弟が生まれ、旅役者に渡される。
1916年(大正5)14歳
 叶楼の芸者屋廃業のため、東京・赤坂の津川家に鞍替えし、田舎の芸風を叩き落す。七三の雛妓・丸弥となる。
1917年(大正6)15歳
 神波英公伯爵に水揚げされる。叶楼から母を引き取り、田町の素人家の2階に住まわせる。
1918年(大正7)16歳
 春、神波が旦那となり、五五(わけ)の小牡丹として一本になる。陸軍士官学校の生徒・江崎文武を知り、互いに惹かれる。
1919年(大正8)17歳
 江崎との交際が始まる。
1921年(大正10)19歳
 津川家の主人・太郎丸と母から江崎少尉との交際を反対され、芸者廃業と結婚を願う。「船頭小唄」が流行。神波の力で、自前になる話がつく。田町に家を建て、芸者屋・花津川を開く。母と同居。 
1923年(大正12)21歳
 9月、関東大震災で家が倒壊。母の従兄夫婦が住む和歌山の須永家に避難。病床の高坂敬助を見舞う。昔の須永家の男衆・桑田八郎が大阪から見舞いに来る。安子と再会。芸者廃業に同意した神波、築地に朋子名義の土地千坪を買う。
1925年(大正14)23歳
 築地に旅館・波奈家を開く。
1927年(昭和2)25歳
 12月、母の女郎勤めの過去のため、江崎と破局。
1928年(昭和3)26歳
 1月、神波が死去。野沢宗市の配慮で、夫婦を装って葬儀に行く。2月、八郎から郁代に妻死去の手紙が来る。夏、泊り客から江崎の結婚を聞く。
1930年(昭和5)28歳
 野沢、波奈家に1ヵ月余の長逗留。母、八郎と再婚して大阪に住む。野沢が再度逗留し、懐妊を願って二人で京都旅行。
1935年(昭和10)33歳
 父を亡くした安子、波奈家の女中となる。
1937年(昭和12)35歳
 安子、父親不明の男児を死産。
1941年(昭和16)39歳
 野沢、死去。安子が家を出る。母が上京し、八郎が迎えに来る。板場の男が徴兵され、女手ばかりになる。前島と暮らす安子に送金。12月、太平洋戦争突入。
1944年(昭和19)42歳
 母、上京。
1945年(昭和20)43歳
 3月、東京大空襲で家が全焼。防空壕で母と暮らす。8月、終戦。安子に母を一時預けようするが、前島に断られる。八郎が迎えに来る。
1946年(昭和21)44歳
 波奈家の跡地に、料亭・花ノ家を開く。
1948年(昭和23)46歳
 5月、ドレーパー使節団報告が掲載された新聞で、江崎大佐絞首刑の判決を知る。面会の機会を得るため、市ヶ谷台に通う。11月、巣鴨に収監中の江崎と妻子に混じって面会し、帰宅後に倒れる。上京した母を迎えに来た八郎、花ノ家の下足番となる。
1949年(昭和24)47歳
 江崎の処刑を知る。
1953年(昭和28)51歳
 花ノ家、何度目かの拡張工事。道具屋から神波伯爵家由来の観音像を買う。仏具屋に神波、野沢、江崎の位牌と仏壇を依頼。11月、工事の指図中に倒れ、聖路加病院に入院、手術。母、病院に向かう途中で交通事故死。前島と別れた安子、7歳の常治(じょうじ)を連れて、花ノ家の女中になる。
1954年(昭和29)52歳
 2月、退院。八郎、分骨した母の遺骨を持って大阪に帰る。入院中に届いた戦争受刑者世話会の手紙に気づき、江崎の遺骨が混じった受刑者の骨の分骨を頼む。
 数年後、安子が若い板前と再婚し、常治(つねはる)と改めた甥を朋子の養子にする。
1960年(昭和35)58歳
 母の遺言で和歌山の田沢家を訪ねるが、父の墓参りも母の納骨も拒まれる。和歌浦の旅館・岡本楼の女将から、養子にした甥を元の籍に戻した話を聞く。

     *     *     *     *     *

はっきり何年と書かれているところは少ないのですが、関東大震災、太平洋戦争、ドレーパー調査団報告が出てくる部分や、何歳、何年前と書かれている部分から推すと、だいたいこんな感じ。

背が高く美しい母・郁代、母に似た異父妹・安子が、男好きで生活力のないまま何度も結婚して姓を変え、朋子を頼ってくるのに対して、小柄で彼女たちほど美しくない朋子は、戸籍の姓はそのままに、家と芸名、屋号を変えながらたくましさを増していきます。

独立後の屋号には「ハナ」の音が継承されてますが、同じ音でも職業人として朋子が花開いていく契機と過程が窺えて、なるほどねーと思いました。

  • 芸者屋「花津川」は、「津川家」から分かれた「花」=小牡丹の家。
  • 旅館「波奈家」は、「津川」を取って芸者廃業を表明。万葉仮名の「波奈」は「物事のし始め」に、「波」は神波伯爵にも通じる。
  • 料亭「花ノ家」は、神波と野沢の死後、誰の援助もなしに戦時下を切り抜けた朋子が、焼け跡に独力で開いた家。

「ハナ」で思い出すのが、明治生まれの花を主人公とした『紀ノ川』。家庭人に徹した花は文緒を産み、文緒は華子を産み、華子もまた男系の「家の絆」とは別の女系の「血の絆」を継承するだろう・・・という示唆が、花の一生を肯定的に提示した作品でした。

いっぽうの朋子は、野沢との間に「女の子が生まれるといい」と思いながら産めず、実母の安子より朋子になついている甥の常治を養子にしますが、その絆には不確かな「香華」のイメージが付与されています。

「おかあさんには孫なのだし、私にも子供があるわけなんだから、お墓はどこに作ったって、私が死んでからも常治がお花やお線香は手向けてくれますよ。あの子は優しい子ですからねえ」
 朋子は郁代に向って呟いていた。(略) 自分の骨と郁代の骨と、そして江崎の骨とが、仲良く肩を寄せ合っているところへ、常治が香華を手向ける絵は、しかしどう描いてみようと努力しても実感として迫らなかった。(第25章)

この後、やはり甥を養子にして「煮え湯を呑まされましてん」、「やっぱり自分で腹痛めて産んだ子ォやなけりゃ頼りにはなりまへん」という岡本楼の女将の話がありますが、最終章で中学生の常治は、将来、朋子たちに香華を手向けるのかどうか・・・。

第24章で終わらせていれば、こういう不確定要素もなく、数々の逆境に打ち克って「押しも推されもしない大料亭の女将となった朋子」の立志伝になるのに、有吉はあえて、次の世代による祭祀継承の可能/不可能という視点を持ち込みます。

岡本楼の女将がいうように、実の子なら頼りになるかといえば、つなに対する郁代、郁代に対する安子の例もあって不確か。その不確かさを高度経済成長下の家族が変化している時代に投げ込む・・・という終わり方。

それが、『香華』(『婦人公論』1961年1月~1962年12月)に、当時の現代小説としての性格も与えているし、最後に届く「寄せる波はあっても返す波が無い」という片男波(かたおなみ)の音に、1931年生まれの有吉の戦後世代に対する、ある予感も窺える気がしました。

だから、題名に採られた「香華」は、朋子が郁代や神波、野沢、江崎に手向けたものでもあるけど、朋子の世代に対しては、この小説自体が、常治の世代に代わって有吉が手向けた「香華」なのだろう・・・というのが私の結論。

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2007年3月31日 (土)

エイジズムとフェミニズム

「赤猪子物語」が読みたくて、他の収録作5作は文庫で読んでましたが、『有吉佐和子選集第11巻』を買いました。発表順でもテーマ別でもないのに、なんとなくまとまりがあったので、そのことを・・・。

婚外の女の視点を活かした作品

1.「華岡青洲の妻」(『新潮』1966年11月)
母や嫂とともに兄・青洲の医業に協力した小陸。瀕死の床で、「私の一生では嫁に行かなんだのが何に代え難い仕合せやったのやしてよし。嫁にも姑にもならいですんだのやもの」と嫂の加恵に言う。

2.「赤猪子物語」(『新女苑』1957年4月)
80年も前に、帝から「召さむぞ」と言われた老女・赤猪子。帝の気紛れだったと気づいてからも、あの言葉があったからこそ、情や体でほだされて嫁ぐ過ちを犯さずに済んだと考え、彼女を哀れむ帝を笑う。

老いを背景として活かした作品

3.「美っつい庵主さん」(『文学界』1957年10月)
中高年の尼僧4人と幼少の頃から暮らしていた大学1年の尼僧・昌妙。庵主の跡継ぎである彼女は、夏休みに大学4年の男女が寺に滞在したことから、自らの「獣の目」を意識する。

4.「三婆」(『新潮』1961年2月)
戦争末期に金融成金の男に死なれた3人の老女。空襲や接収で家を失い、広い庭園に点在する茶室に移り住み、いがみ合いながら暮らしていたが、世間が復興した10年後、かつて茶室を借りていた若夫婦が訪ねると、妾は脳を、妹は足を病み、妻と同居していた。

老人の語りを活かした作品

5.「亀遊の死」(『別冊文芸春秋』1961年6月)
戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の小説版。江戸末期に異人の身請けを拒んで自刃した花魁・亀遊が「攘夷女郎」として虚像化された様子を、彼女を知る元芸者のお園が語る。

6.「うるし」(『小説新潮』1962年2月)
輪島塗の親方・椀屋喜兵衛が、金沢の芸妓10人を連れて輪島の山で遊び、うるしにかぶれて面容変わったお染を松の内の間買い切るが、逃げてきた新橋に連れ戻されたというお染とは再び会えなかったと昔話を語る。

有吉が26~35歳の作品ですが、若い頃から老人を多く登場させ、男との関係の違いによる女の差異と共通性、女と男の視点の差異を捉えるなど、セリフや語りの面白さのなかに、しっかりエイジズムとフェミニズムしてたんだなあ・・・と改めて思いました。

「三婆」は、妻、妾、独身という立場の3人の老女を描いてますが、これで思い出したのが、近藤ようこの『ルームメイツ』というマンガ。

   ←小学館文庫で全3巻

小学校の同級生だった還暦の女性3人(専業主婦、芸者上がりの元二号、独身の元教師)が、郊外の分譲マンションで同居する話で、こちらは最後までそれぞれの個性が花ひらくところが、「三婆」とは逆。

『ビッグコミック』1991年3月~96年10月に不定期連載とあるのを見て、青年誌なのによく載せてたなあ・・・と思いますが、最近好きなマンガは、なぜか『ビッグコミック』掲載のものが多いです(^_^;) 

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2007年3月24日 (土)

美夜受比売の月経

昔買って読んでなかった本を読みました。

Photo 中山千夏『姫たちの伝説―古事記にひらいた女心

『古事記』に出てくる女神や姫77人を取り上げた本。雑誌『歴史と旅』に1992年1月から13回にわたって連載されたものの単行本化ですが、80年代フェミニズムより70年代ウーマンリブの雰囲気かなあ・・・と思いました。

第1~13話のタイトルは、「~のこころ」で統一されてますが、面白かったのは、第12話「産のこころ」。サブタイトルに「月経ちて火なかに命かけて産む姫あり」とあるように、『古事記』の中の月経と出産を扱った章で、倭健命と美夜受比売(みやずひめ)の話が「本邦最古の月経の記録」として取り上げられてます。

天皇の命で「東伐」に出かけた倭健命は、尾張の国で美夜受比売の家に寄り、すぐに寝たいと思いますが、戻ったときにと約束し、東国を平らげて戻ってきます。美夜受比売は、ご馳走とお酒で歓待しますが、そのときに・・・という話。

岩波文庫で読んだとき、「この頃から月経って字を使ってたのかー」と思った部分ですが、中山氏は、この漢語に「つきのさはり」とルビが振られてることについて、

「経」にサハリの意味はまったく無い。当て読みの多い古事記のなかでも、これはかなり大胆な当て読みの例だ。この読み方は間違いじゃなかろうか、と私は思った。

と書いてました。たしかに、当の歌にも、その後の行為にも「障り」の感覚はないようだし、後代の「当て読み」ではない、当時の読みが知りたい・・・。

ちなみに、岩波文庫の訓み下し文から、その部分を引用すると、

ここに美夜受比賈、それ襲(おすひ)の襴(すそ)に、月經(つきのさはり)(つ)きたりき。故、その月經を見て御歌読みしたまひしく、

 ひさかたの 天の香具山 利鎌(とかま)に さ渡る鵠(くび)
 弱細(ひわぼそ) 手弱腕(たわやがひな)
 枕(ま)かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど
 汝(な)が著(け)せる 襲の裾に 月立ちにけり

とうたひたまひき。ここに美夜受比賈、御歌に答へて曰ひしく、

 高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 
 あらたまの 年が來(きれば 
 あらたまの 月は來(き往く 
 諾(うべ)な諾な諾な 君待ち難(がた)
 我が著せる 襲の裾に 月立たなむよ

といひき。故ここに御合(みあひ)したまひて、その御刀(みはかし)の草薙剱を、その美夜受比賈の許に置きて、伊吹の山の神を取りに幸行(い)でましき。

1つめの歌は、倭健命が「鋭い鎌のように空を渡る白鳥。その鳥のように、か弱くて細い、たおやかな腕を枕にしようとするけれど、寝たいと思うけれど、あなたが着ている襲の裾に月が立ってしまったなあ」と詠んだもの。

2つめの歌は、美夜受比売が「太陽のように光る皇子、私の大君。年が来て経てば、月も来て経っていくもの。本当にもうあなたを待ちかねて、私が着ている襲の裾に月が立つのも当然でしょう」と返したもの。

岩波文庫の「月立ちにけり」の注には、「新月が現れたことだ。月経がはじまって裾に血がついているのをたとえた」とあるし、「月立(つきたち)」は「朔日(ついたち)」の語源なのだそう。なので、中山氏は、「月経は女のツイタチ」、「時がタツと言い『経つ』と書く」、「その生理をツキタチと呼んだのは、大いにありうることではないか?」と推理。

原文の表記は、「月經」は「月經」、「月立ちにけり」は「都紀多知邇祁理」、「月立たなむよ」は「都紀多多那牟余」。中山氏の「月経=ツキタチ」説は、当時、「経」を「フ」以外に「タツ」と読んだかどうかがネックになりそう。

でも、個人的に呼ぶ分には何の障りもないので、お気に召した方がいらっしゃったら、いかが?

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2007年3月22日 (木)

老いに対する自覚の違い

『古事記』の「下つ巻」で面白かったのは、雄略天皇の章にある「赤猪子(あかゐこ)」の一節。こんな感じの話でした。

                 * * *

ある日、天皇が遊びに出かけて三輪山のあたりに来たとき、川で衣を洗っている童女がいた。その容姿はたいへん可愛らしかった。天皇がその童女に「お前は誰の子だ」と聞くと、「私の名は引田部の赤猪子といいます」と答えた。天皇は「お前は結婚するな。今に私が召そう」と言って宮に帰った。

赤猪子が天皇に召されるのを待って80年が過ぎた。そこで、赤猪子は「お召しを待つ間に長い年月が経ち、容姿も痩せ衰えて、今さら期待もしていない。けれでも、待っていた心を知ってもらわなくては、気がふさいで仕方がない」と思って、たくさんの贈り物を持たせて、天皇のもとへ出かけて献上した。

けれども、既に天皇は自分が言ったことを忘れていて、赤猪子に「お前はどこの老女だ。何をしに参った」と聞いた。そこで、赤猪子は「某年某月、天皇の命を被り、お召しを待って80年が経ちました。今は容姿も老いてしまい、何の期待もしておりません。けれども、私の志をお知りいただきたいと思って参ったのです」と言った。

天皇は驚いて「私はすっかり忘れていた。しかし、お前が志を守って召されるのを待ち、徒に年を取ってしまったのは不憫なことだ」と言って、心の中で寝てみようと思ったけれども、彼女があまり老いているのを憚って寝ることができず、歌を贈った。

 御諸の 嚴白檮がもと 白檮がもと
 ゆゆしきかも 白檮原童女
 (三輪山の神聖な樫の木の下のように、
 忌み憚られるよ。橿原乙女は)

 引田の 若栗栖原 若くへに
 率寝てましもの 老いにけるかも
 (引田の若い栗林のように、若い頃に
 寝ればよかったのに、老いてしまったなあ)

赤猪子の涙が、着ていた丹摺の赤い衣の袖を濡らした。その歌に答えて、

 御諸に つくや玉垣 つき餘し
 誰にかも依らむ 神の宮人
 (神社に築く玉垣、その築き残しのように取り残されて、
 誰に頼ろう。神の宮の女は)

 日下江の 入江の蓮 花蓮
 身の盛り人 羨しきろかも
 (河内の国の日下、その入江に咲く睡蓮のように、
 身の盛りの人が羨ましいことです)

と歌った。そこで、たくさんの物をその老女に与えて帰した。この4つの歌は、静かにうたう歌である。

                 * * *

何が面白いって、赤猪子より年長の天皇(124歳まで生きたことになっている)が、自分の老いは棚に上げて、せっかくだから寝てみようと思ったけど、相手が老女なのを憚って寝なかったというところ。

たまに、50~60代のおじさんが、どう見てもその人より若い女性を「あのおばさんが・・・」と言ってるのを聞いておかしく思うことがありますが、自分の老いは重々自覚してやってきた赤猪子のこと。袖を濡らした涙が、笑いをこらえた涙だったとしても、納得できます。

有吉佐和子が、この話をもとに「笑う赤猪子」「赤猪子物語」という作品を書いてますが、まだ読んでいないので、そのうちに・・・。

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初めに女性恐怖ありき

一昨日、『古事記』を読み終えました。以下は、「上つ巻」で面白かったこと。

「獨神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき」

「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時」や「國稚(わか)く浮きし脂の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時」に現れた別天(ことあま)つ神5柱と、次の2柱の神について、ホントにいちいち「獨神と成りまして、身を隠したまひき」(独身のままでお隠れになった)と語ってること。

で、計7柱の独身の神が登場した後に5組10柱の男女の神が現れますが、お隠れになる前の別天つ神5柱が「この漂へる國を修め理(つく)り固め成せ」と命じたのが、5組目の伊邪那岐命と伊邪那美命。

他にも男女の神はいたのに、互いに誘い合う男女の神(「伊邪」は、「いざ」「誘う」に通じる)を選んだわけは、伊邪那岐命・伊邪那美命のその後を見れば、わかる仕掛けになってます。

岐「汝(な)が身は如何か成れる。」
美「吾(あ)が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」
岐「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處をさし塞(ふた)ぎて、國土(くに)を生み成さむと所爲(おも)ふ。生むこと奈何。」
美「然(しか)善けむ。」
岐「然らば吾(あれ)と汝(いまし)とこの天の御柱を行き廻り(めぐ)逢ひて、みとのまぐはい爲(せ)む。」「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」
美「あなにやし、えをとこを。
岐「あなにやし、えをとめを。」「女人(をみな)先に言へるは良からず。

こうしてできた最初の子が満足な子でなかったので、天つ神に意見を求めると、伊邪那岐命が言ったのと同様、「女先に言へるによりて良からず。また還り下りて改めて言へ。」と言われたのでやり直し。

「女人先に言へるは良からず」

伊邪那美命は、女が先に「あら、いい男ね!」と言ってはいけないという男性優先思想と出会ったわけですが、ここでは彼らの意見に従って国と神を生んでいき、火の神である迦具土(かぐつちの)神を生んだのが元で亡くなってしまいます。

嘆き悲しんだ伊邪那岐命は、迦具土神を剣で斬り殺し、死んだ妻を追って黄泉国へ。伊邪那美命も夫のもとに帰りたいと思いますが、すでに黄泉国で煮炊きしたものを食べてしまったので、黄泉神に相談する間「我をな観たまひそ。」と言って奥へ。

待ちきれずに覗いた伊邪那岐命は、蛆がたかり、頭、胸、腹、陰(ほと)、左手、右手、左足、右足に雷神をなした妻を見て逃げ出しますが、伊邪那美命は黄泉醜女、雷神、黄泉軍に追わせ、最後に自らも追ってきます(このへんは、ちょっと逃走劇っぽい)。

生死の世界の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)を千引の石(ちびきのいは)で塞ぎ、岩越しに交わす夫婦の最後の言葉は、強烈な売り言葉に買い言葉(人の生死の起源を語る部分)。で、これも伊邪那美命が先(懲りてない)。

美「愛しき我が汝夫(なせ)の命、かく爲ば、汝の國の人草、一日に千頭(ちがしら)(くび)り殺さむ。」
岐「愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然爲ば、吾一日に千五百の産屋立てむ。」

この後、伊邪那美命は死を司る黄泉津大神になり、伊邪那岐命は単独で子を生みます(身につけた衣服、体や目鼻を洗った水から生まれる)。母系を封じ込めて「産」の役目を奪うことで、父系を優位に立たせた話ですが、そもそもなぜ天つ神は伊邪那岐命・伊邪那美命のペアを選んだのかと考えると・・・。

岩波文庫の注によれば、「古事記では神と命を区別し、神は宗教的、命は人格的意義において用いられている」そうですが、伊邪那美命が伊邪那岐命と対等の「人格」を持つからこそ、上のような結婚~離別になったわけで、その彼女の封じ込めは、そのまま女性の力に対する恐怖を表してる(強かったんだろうなあ)・・・と思ったりしました。

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2007年3月19日 (月)

『古事記』読み始め

岩波文庫『古事記』を読んでます。今日は「上つ巻」まで。

「序」を除いた「上つ巻」の構成は、

 別天つ神五柱
 神世七代
 伊邪那岐命と伊邪那美命(9節)
 天照大神と須佐之男命(6節)
 大国主神(8節)
 葦原中国平定(6節)
 邇邇芸命(5節)
 火遠理命(4節)

の8章(38節)ですが、3章以降の各節のエピソードは、熱雷草作※1や宗像教授※2、忌部神奈※3のフィールドワークと考察を思い出さずに読むのは難しい・・・というくらい。
 ※1 『ヤマタイカ』に登場する古代史研究家。
 ※2 『宗像教授伝奇考』『宗像教授異考録』の主人公。民俗学の教授。
 ※3 『神南火』の主人公。女性史研究家。

『古事記』を読んでるというより、星野之宣の伝奇SFワールドのおもしろさを再確認してる感じですが、「中つ巻」でもそうなりそうです。

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2007年3月 5日 (月)

『銀英伝』のカバーイラスト

前回書いた2つの問題は、3日(土)にほぼ解決。どちらも先方の都合で1日延びましたが、帰宅後は予定通り『宗像教授異考録 5』と『銀河英雄伝説 1』を読んで、久しぶりに落ち着いた気分になりました。

普段はコーヒー党の私も、『銀英伝』を読むときは、ヤンにならって紅茶を・・・。星野之宣カバーイラストの創元SF文庫で揃えるつもりなので、続きは第2巻が出る4月までお預け。本伝だけでも10巻あるので、隔月でなく毎月刊行なら、もっとうれしいんだけど・・・。

←『銀河英雄伝説 1』

第1巻は、ラインハルトでもヤンでもなく、こういうイラスト。説明はありませんが、たぶんイゼルローン要塞で、星野之宣のメカニックっていいなあ・・・と何度も眺めてました。80年代の名作『2001夜物語』のカバーを髣髴とさせながら、さらにハードな感じが『銀英伝』=本格SF小説という位置づけに改めて貢献してます。

  ←『2001夜物語 1~3』

第2巻以降のカバーも楽しみですが、特に人物についてはアニメ等で視覚イメージができ上がってる作品だけに、このままメカニックで押していくのか、星野流ラインハルト、ヤン、キルヒアイス、ユリアンが登場するのか・・・も気になるところ。

小説については、昨年アニメを見たときもそうでしたが、今の年齢で接すると、たぶん学生の頃なら思わなかった「そうだよねー」というところが多く、たとえば、

「……私は前面の有能な敵、後背の無能な味方、この両者と同時に闘わなくてはならなかった。しかも私自身ですら全面的にはあてにならなかった」(「序章 銀河系史概略」)

という「ウッド提督の回顧録の一節」に、うなずくオトナの皆様も多いのでは・・・と思います。

というわけで、本伝・外伝をすべて読み終えるのは、まだまだ先になりそうですが、“銀河の歴史”に見られる戦略や戦術、登場人物の名言の数々をゆっくり味わっていきたいと思います(^-^)

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2007年1月28日 (日)

休日

今日は午後、入院中の弟と電話で話し、母の話ではわからなかったこと(心臓の冠状動脈にステントを留置したこと、現在の状況や今後の見通しなど)も聞けたので、夕方まで洗濯・掃除など、たまっていた家事に専念できました。

少し前、クローゼットのポールの留め具が重量過多で壊れたのも交換したし、ポリポットのまま素焼きの鉢に入れていたアンドロメダ(バラ)の定植、ベランダのハーブや室内の観葉植物の手入れもして、なんとなく気分が落ち着いたので、夜は読書に専念。

チェーホフやゴーリキーの訳者・湯浅芳子のエッセイ集『狼いまだ老いず』(筑摩書房、昭和48年)を読了しましたが、中條百合子(のちの宮本百合子)と遊学したソ連を40年ぶりに旅した話、老人ホームに入る年下の友人から子猫の貰い手探しを託され、ひと月も奔走した話には、ちょっとほろりとしました。

湯浅芳子は、百合子の自伝的長編『伸子』・『二つの庭』・『道標』に登場する吉見素子のモデルで、戦後の2作品での素子の描き方がひどすぎると言われてますが、私にとってはその素子も十分に魅力的で、芳子の文章に表れた人となりは、それ以上に魅力的。

沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ-湯浅芳子の青春』の年譜には、このエッセイ集刊行の前年から「自伝小説の草稿・取材を始めたが完成せず」とあり、惜しまれる気もしますが、繊細で優しい内面とシニカルでダンディな外面を持つ彼女の資質を考えると、小説を残さなかったぶん、却って魅力的なのかも・・・と思ったりしました。

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2007年1月19日 (金)

独身者三様

この1週間に読んだ本について。

 菅原千恵子『宮沢賢治の青春』

サブタイトルは、「“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって」。盛岡高等農林で出会った保阪嘉内との関係から、賢治の生涯と作品を読み解いたもの。「銀河鉄道の夜」が、嘉内との訣別と未練の産物だったという論には、賛同するところ大でした。

Studaumeko_3 大庭みな子『津田梅子』

津田塾卒の作家による津田梅子像。林真理子が描いたら、絶対こうはならないという抑制されたスタイル。敬愛する創立者を描いてるのに、執筆時の著者と作中の梅子の年齢差からか、娘に対するかのような穏やかなまなざしが特徴的。

 瀬戸内寂聴『孤高の人』

カミングアウトしなかった賢治と違い、カミングアウトしていたロシア文学者・湯浅芳子の思い出を綴ったエッセイ集。著者が知るのは晩年の芳子ですが、1932年に宮本顕治のもとへ去った“恋人”百合子の名から「リリー」と名づけたプードルを可愛がってたなんて話は、ちょっと泣けます。

ということで、来週は、その湯浅芳子が70歳のとき刊行したエッセイ集『いっぴき狼』、同じく77歳のとき刊行した『狼いまだ老いず』を読みたいと思います。

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2007年1月 7日 (日)

『白蓮れんれん』

昨年11月に『ミカドと女官』と『ミカドの淑女(おんな)』を読んで、そのうち読みたいと思っていた『白蓮れんれん』(中央公論社、1994年)。単行本初版をずいぶん長く積読してましたが、ようやく読みました。

 ←これは文庫本

主人公は、歌人・柳原白蓮として知られる燁子(あきこ)。題材的には、明治の皇室周辺を扱った『ミカドの淑女』の延長上にある作品で、炭鉱王・伊藤伝右衛門と再婚するため九州に下った燁子が、大正10年に起こした「白蓮事件」を取り上げた小説です。
 ※燁子は、明治天皇の側室・柳原愛子(なるこ)の姪で、大正天皇の従妹。

内容は―。

「第一話 花嫁御寮」~「第九話 醜聞の後」は、馴染みのない土地、妾腹の妹や娘、甥の少年が同居し、夫の手のついた女中頭が仕切る家で満たされない燁子が、短歌と地元インテリ層との交際を支えとした日々。歌集の出版に続き、友人夫妻や夫に嫌疑がかかった八幡製鉄所事件の証人台に立ったことから世間の関心を呼び、『大阪朝日』が「筑紫の女王」を連載するまで。

「第十話 待ち人来たる」~「第十九話 決行」は、燁子が書いた戯曲を舞台化したいといって訪れた東京帝大の学生・宮崎龍介との恋愛の進行。一度彼の子を堕胎した燁子は、弁護士になった彼が肺病を再発したことを知り、家を出る決心をした頃に再び妊娠。龍介の友人らから、姦通罪への抗議を兼ねた夫への公開絶縁状の執筆を提案され、家出と掲載(『大阪朝日』)を行うまで。

「第二十話 最終章」は、事件後の概略。世間が大騒ぎするなか、伝右衛門は燁子を離縁。龍介と同居した燁子に憤った右翼が、柳原家に押しかけて貴族院議員の兄に辞職を迫り、兄嫁と姉に実家に連れていかれた燁子は、軟禁状態のまま男児を出産。しばらく京都の大本教本部に匿われ、震災後の東京でやっと隆介と暮らせるように。華族を除籍されて結婚し、7歳年上の燁子が82歳(正確には81歳)で亡くなるまで、幸せに暮らした・・・というもの。

『ミカドの淑女』は明治期の下田歌子、『白蓮れんれん』は大正期の柳原白蓮を扱っていて、共通するのは、時代を代表するスキャンダルな女性を描いている点。

違うのは方法で、章ごとに視点人物を変え、歌子に奥行きを持たせるのに成功したのが『ミカドの淑女』なら、伝右衛門の異母妹・初枝に燁子を客観視する役目を与えようとして、失敗したのが『白蓮れんれん』・・・と最初は思いましたが、違うみたい(^_^;) 

続きを読む "『白蓮れんれん』"

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2006年12月26日 (火)

「銀河鉄道の夜」のルート

「銀河鉄道の夜」に出てくる「白鳥の停車場」、「鷲の停車場」、新世界交響楽が流れる「小さな停車場」、真っ赤な「蠍の火」、「ケンタウルの村」、「サウザンクロス」、「石炭袋」。このルートを天文シュミレーションソフト「星空はかせ」で見てみました。

←私は「星座早見」と呼んでます(^_^;) 

「サウザンクロス」=南十字座は、日本では沖縄以北は見えませんが、それ以外の星座が見やすい年月日を私が住んでる場所で探すボタンを押すと、2007年5月3日22:54の画面が出て、

 〈北東〉 はくちょう座 
     ↓
 〈 東 〉 わし座 
     ↓
 〈南東〉 さそり座 
     ↓
 〈 南 〉 ケンタウルス座(上半身)
 

と、地平線よりの夜空を北東~南に約150度グルっとめぐる感じ。

そこから先、ケンタウルスの脚の間にある「サウザンクロス」(かおるやタダシが下車)と「石炭袋」(この近くでカムパネルラが下車)は、星座早見の円外(地平線下)にあって見えませんが、その見えない部分に、ブルカニロ博士が夢から覚めたジョバンニに言う「あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ」という言葉が重なるようでした。
 ※初期形で書かれ、最終形では削除。
   文庫本では、最終形に初期形を混ぜた岩波文庫に登場。

いま、上の星座は夜明け後に出ていて見えませんが、5月3日といえばGWの最中。くもりや雨でなければ、マンションの屋上で見てみたいと思いますが、来年のことだし、その頃になると忘れてるかも・・・。でも、覚えていたら、見てみたいと思います。 

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2006年12月22日 (金)

玉音放送CDを聞いた日

こんな表紙の本を購入。昨年9月に学研が「終戦60周年記念出版」として刊行したもので、「玉音放送CD」付き。あの「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び」という「終戦の詔書」を初めて通しで聞きました。

ポツダム宣言受諾と同日の昭和20年8月14日の日付がある「終戦の詔書」。翌15日正午からの玉音放送は、前日に録音したものを流したわけですが、もしこれがなかったら、今ある「終戦記念日」も、8月14日か戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した9月2日になってたのかしら・・・。

前にも取り上げた佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書)には、こんなことが書かれてます。

占領終了の一九五二年まで八月一五日の新聞紙面で「終戦記念日」が言及されることは稀であり、「玉音」という言葉さえ紙面に見いだすことができない。

占領下の規制のためか敗戦国の遠慮のためか、「終戦」を8月15日に特化した表現は稀だったみたい。佐藤氏は、特化への転換点を1955年に見ていますが、占領終了だけでなく、高度経済成長(「もはや戦後ではない」)とのかかわりも述べていて、興味深かったです。

「終戦記念日」の法的根拠が戦後一八年も経過した一九六三年五月一四日に第二次池田勇人内閣で閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要項」であることを知ったとき、何とも奇妙な感慨を覚えた。(略)さらに、終戦記念日の正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は一九八二年四月一三日、鈴木善幸内閣によって閣議決定された。

自分が生まれる前の1963年の閣議決定はともかく、1982年の閣議決定が記憶にないのは、すでにテレビ(ニュース、ドラマ、高校野球・・・)などを通して、8月15日=「終戦記念日」という刷り込みができていて、「終戦」じゃなくて「敗戦」じゃないの? とは思っても、その日付までは疑わなかったからか・・・と思ったり。

佐藤氏の指摘でおもしろかったのは、「放送された玉音」と「放送されなかったミズーリ調印」の違いが、放送の日(8月15日)によって文書の日(8月14日や9月2日)を覆い隠す「国民体験の記憶」を構成しているということ。

それなら、その放送を全部聞いてみたい、文書も読んでみたい・・・と思いながら、何ヵ月も経って買ったのが冒頭のCD付の本。白地にタイトルのみの表紙には赤い帯(上の画像にはない)が巻かれ、扉ページにはこんなプロローグがありました。

昭和二十年八月十五日

この日は
終着駅の記念日

そして
再出発の記念日

つまりは、この本も、8月15日=「終戦」という「記憶」を再生産するメディアのひとつ。「終戦の詔書」のほか、「ポツダム宣言」「サンフランシスコ平和条約」も収録されてますが、CDが付いてると、順序の点でもインパクトの点でも、たぶん多くの人が「読む」より「聞く」を優位に置くだろう・・・ということまで「体験」でき、本体価格1,429円は安かったです。

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2006年12月18日 (月)

「銀河鉄道の夜」の色

14日(木)の夜に、遠くの親友から電話。性格も職種も違うのに、同じ職種の人より話が通じる、文字どおりの有り難い友。仕事のことや「銀河英雄伝説」の話をしてましたが、彼女はOVAの頃からの「銀英伝」ファンなので、今年になってWOWOWで見始めた私が、「この間、ラインハルトの『准将とは、なんと中途半端な地位か』ってセリフに噴き出しちゃった。10年前に見てたら、こんなところでウケてないよ」と言っても、ちゃんと通じるのがうれしかったです。

その「銀英伝」と同じ「銀河」が付くとはいえ、ぜんぜん違う宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。前から色彩表現(というか、その意味)が気になってたので、ざっと読み返してみました。

 黒:宇宙、死、川、冷、唯物

 白:銀河、生、牛乳、熱、唯心 

ジョバンニが理科の授業で見た星座図でも、カムパネルラの家で見た宇宙の本でも、時計店で見た星座早見でも、宇宙は黒。届かなかった牛乳をもらいに行く牛乳屋の「黒い門」、ザネリたちにいじめられて向かう「黒い丘」「黒い平らな頂上」の「黒」は、宇宙の旅(夢)への誘導標という感じ。

いつの間にか乗っている銀河鉄道で、目の前に現れる「ぬれたようにまっ黒な上着をきた」カムパネルラは、死の世界に旅立つ者。「つやつやとした黒い髪」をしたタダシと「黒い外套」を着たかおる、「黒い洋服をきちんと着た」彼らの家庭教師もそう。

ジョバンニの切符は「四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙」なのに、カムパネルラの切符が「小さなねずみいろ」なのは、白(生)→黒(死)の世界へ向かうものだから。

目が覚めたジョバンニは町に下り、カムパネルラがザネリを助けるため川で溺れたことを知りますが、「黒い服」を着たカムパネルラの父博士は、「もうだめです。落ちてから四十五分たちましたから」と冷静な判断を下します。

銀河(ミルキーウェイ)を旅した後にもらった、まだ熱い牛乳の瓶を持つジョバンニの胸にあるのは、「銀河のはずれに」いるカムパネルラに語った「みんなの幸いのためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」という思い。父博士は息子が消えた川を見つめ、ジョバンニは友のいる銀河を思っているのが対照的です。

「白」は、かおるやタダシ、家庭教師が南十字で下り、「神々しい白いきものの人」に迎えられる部分、ジョバンニには「ぼんやり白くけむっているばかり」に見える場所を、カムパネルラが「みんな集まってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ」という部分にも出てきます。ここでの死の捉え方は、彼の父博士のように黒=唯物的ではなく、白=唯心的。だから、同じ景色を見られなくなっても、「どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう」という約束は、消えないんだよね・・・という感じ。

ホントは青、緑、赤などの使い方に興味があって読み直したんだけど、長くなるので、またそのうち。ちなみに、私は亡き愛猫ミントに「いつまでも一緒だよ」という気持ちでいます。

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2006年11月26日 (日)

『ミカドの淑女』

Mikadonoonna_1 『ミカドと女官』を読んだ流れで、林真理子『ミカドの淑女(おんな)』(1990年9月、新潮社)を読みました。持ってるのは初版本なのに、積読期間(本棚の奥に鎮座)が長かったです。

さっさと読んでたら、1992年元旦に放送された2時間ドラマ『ミカドの淑女』も見てたかも・・・。下田歌子は十朱幸代、明治天皇と飯野吉三郎は鹿賀丈史(二役)、皇后はいしだあゆみ、伊藤博文は平幹二郎、乃木希典は地井武男だったそう。いまさらですが、見てみたかった気がします。

巻末に約50点の参考文献が挙げられてますが、その中心は、『平民新聞』(明治40年2月23日~4月16日)連載の「妖婦 下田歌子」。美濃の士族の娘から、皇后お気に入りの女官、華族女学校教授・学監、学習院教授・女学部長に“立身出世”した歌子をめぐるスキャンダルを軸に、彼女と接した男たちの困惑や震撼、彼女を知る女たちの憧憬や嫉妬を通して、男と女のダブルスタンダードが描かれてました。

「男の方はずるうございます」
不意に歌子は言った。
「女に何ひとつ分けてくださろうとはしない。たまたま、なにか与えてくださると、それをすぐに取り上げようとするのですね」
 (略)
「女はいつまでたっても会津でございますよ。ただそれに生まれたというだけで、寒い遠いところに追い払われるのです」

末尾は、乃木将軍(学習院院長)が、「学習院の重職には、女より男の方がふさわしいから、彼女を辞職させる。こう考えると何とすっきりすることであろうか」と歌子の更迭を決心し、妻から「下田先生はどうなるのでしょう。あなたの力でどうにかならないものでしょうか」と言われたことを思い出し、「全く女は馬鹿だ」とつぶやきながら安眠する・・・というもの。

物語の現在時は、全13章のタイトルと同じ「明治四十年二月二十三日」~「十一月八日」。各章で視点人物が変えられ、1)天皇、2)小池道子(柳の掌侍)、3)猿橋睦子(歌子の私塾の元生徒)、4)伊藤博文、5)大山捨松、6)三島通良(医学博士)、7)飯野吉三郎(日本のラスプーチン)、8)佐々木高行伯爵(常宮・周宮の養育主任)、9)園祥子(小菊の権典侍)、10)乃木希典、11)飯野、12)伊藤、13)乃木という具合。

各視点人物の周辺の人物をあわせると、結構な数の人物が登場します。それらの人々の歌子の回想、『平民新聞』の連載に対する思惑を積み重ねながら、明治の後宮や社会が描かれてるので、連ドラにしたら、『大奥』みたいなところもあるし、女の進出の限界やスキャンダルに対する推理もあって、おもしろいかも・・・。

皇道主義の下田歌子ですが、これも一種のバックラッシュですよね? ということで、『妖婦 下田歌子-「平民新聞」より』(1999年2月)という本をユーズドで買ったので、歌子がなぜこれほど攻撃されたのか、読んでみたいと思います。

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