散策

2018年10月 7日 (日)

たけふ菊人形

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招待券をいただいたので、昨日、越前市の武生中央公園に「たけふ菊人形」を見に行きました。

越前市出身の絵本作家かこさとし氏の監修で、昨年整備された「だるまちゃん広場」や「パピプペポー広場」には、連休初日ということもあり、子ども連れが大勢。

園内の庭球場では、福井国体のソフトテニスが開催中で、ときおり大きな歓声が聞こえてきました。

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五層の屋根に菊をあしらった菊花五重塔の傍を通って、菊人形館へ。

1952年に始まった「たけふ菊人形」が、NHK大河ドラマの人物をテーマとするようになったのは、第18回からだとか。

第67回の今年のテーマは、「西郷隆盛と幕末明治菊花伝 with 越前からニッポンを拓いた男たち」がテーマ。

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第一景 敬天愛人と利他の精神で時代を切り拓いた西郷隆盛

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第二景 生き方を定めた苦難・自殺未遂と大島潜居・島妻との愛
第三景 「禁門の変」 隆盛長州を退ける

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第四景 恩讐を超えた同盟締結 倒幕から日本の近代化実現を促した「薩長同盟」
第五景 戦火をまぬがれた偉業「江戸無血開城」

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第六景 越前からニッポンを拓いた男たち

第四景をバックに写真を撮ってカードにしてくれる無料サービスがあったので、初観覧の記念に撮ってもらいました。

台風接近前、秋の真夏日に「暑い、暑い」と言いながら園内を歩き、今日は一日休養して明日の祝日は通常勤務。

武生中央公園のあとに寄った「ちひろの生まれた家」については、また改めて書きたいと思います。

2018年9月 2日 (日)

イタリアンと武家屋敷

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昨日、大正時代に建てられた女学校の校舎を改修したイタリアンレストラン「サルトリア ダ 水本」(大野市本町)に行ってきました。

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「水本学園高等女学校」の表札が残る門を入ると、左の建物の1階がレストラン。

オープンを知ったのは6月上旬の新聞でしたが、私のほうは6~8月と土日出勤や余力のない日が続き、同行者のほうは7月中旬から2週間入院していたので、ようやく。

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水本ランチセット(前菜・パスタ・ドルチェ・ドリンクで2,000円)をおいしくいただきました。

奥越の勝山や大野は、自宅から車で片道50分ほどですが、ちょっとした旅行気分が味わえます。

食後に見学したのは、「武家屋敷旧内山家」(大野市城町)。

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天保13年(1842)、大野藩主・土井利忠が行き詰った藩財政を立て直すため「更始の令」という改革令を出した際、殖産興業、人材育成に成果を上げたのが、内山七郎右衛門良休と隆佐良隆の兄弟。

七郎右衛門は藩営商店「大野屋」や銅山経営で藩財政を立て直し、隆佐は蝦夷地開拓の推進や洋式帆船「大野丸」の建造、蘭学振興、軍備刷新などを行ったそう。

武家屋敷旧内山家は、その偉業を偲ぶため、のちの内山家屋敷を解体復元したもの。

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七郎右衛門が亡くなったのは明治14年(1881)、上の母屋は明治15年(1882)頃の建築だそうですが、部屋から部屋へ歩きながら、

「今も暮らせそう」
「人の暮らしって、基本的なところはあんまり変わっていないのかもね」

と話していました。

2018年5月 6日 (日)

称念寺

2020年のNHK大河ドラマが、明智光秀を主人公とした「麒麟がくる」(主演:長谷川博己)に決まったそう。

4日の地方紙に、その光秀が前半生を過ごした地として、称念寺(坂井市)や一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)が紹介されていたのを見て、称念寺に出かけました

新田義貞墓所や芭蕉句碑があることは知っていましたが、行くのは初めて。

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左には「時宗 長林山 称念寺」、右には「史跡 新田義貞公墓所」の文字。

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本堂の手前にある大きな碑。

「左近衛中将新田義貞公贈位碑」の上2字が欠けているのは、上部が割れ落ちたからのよう(後ろに置かれていました)。

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本堂前の案内板を読み、石段を上ると、住職が書かれた小冊子が置かれていました。

『明智光秀公と時衆・称念寺』、『松尾芭蕉翁と時衆・称念寺―黒髪伝説を通して―』の2冊を各300円で購入。

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新田義貞の墓所。

墓石は義貞公五百回忌に福井藩主松平宗矩が建立した五輪石塔で、旧墓石はその下に埋められているそう。

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「月さびよ明智が妻のはなしせむ」の新旧の芭蕉句碑と、その案内板。

案内板には、光秀が弘治2年(1556)に斎藤義龍の大軍に敗れ、家族とともに称念寺に逃れてからのことが書かれていますが、小冊子にはそれ以前のことも書かれていました。

  • 光秀は、享禄元年(1528)、美濃国明智城主明智光綱の子として生まれた。
  • 父光綱の死後、姑と仲が悪かった母小牧は離縁され、腰元の竹川が小浜の西福庵の庵主である叔母を頼り、小牧と生後まもない光秀も身を寄せた。
  • 西福庵には、本寺である称念寺から薗阿(えんな)上人が行き来しており、光秀も薗阿上人から学問を授けられることがあった。
  • 天文9年(1540)に京に上り、足利義晴の側人細川藤孝に仕えた。
  • 天文12年(1543)に元服した光秀は、ようやく明智城に帰ることができ、やがて妻木城主の娘熙子(ひろこ)と結婚した。

また、称念寺に逃れた理由、称念寺時代についても、

  • 称念寺は、幼い頃に世話になった薗阿上人のもとであり、「無縁所」と言われる武力や権力の及ばない安全地帯だった。
  • 薗阿上人の勧めで、門前で寺子屋を開き、浪人生活を始めた。娘のお玉(のちの細川ガラシャ)は、この称念寺時代に生まれた。
  • 当時の称念寺は北国街道に面し、遊行する時宗の僧、日本海交易に携わる者から、居ながらにして全国の情報を得ることができた。
  • 時宗の僧には、連歌や茶道など室町文化を支えた者が多く、光秀もここで基礎を習得することができた。
  • 薗阿上人の推挙で、一乗谷の朝倉義景に仕官の口を得ることができた。
  • 朝倉家重臣との連歌の会を催す際、妻の熙子が黒髪を売って資金を得たことが、「黒髪伝説」として近辺に語り伝えられ、『奥の細道』の旅で芭蕉の知るところとなった。

と解説(典拠は、『明智軍記』と称念寺の言い伝え、『遊行三十一祖京畿御修行記』とのこと)。

ドラマでは、朝倉義景、足利義昭、織田信長に仕え、本能寺の変を起こす後半生もですが、不明な点が多いと言われる前半生がどう描かれるのかも楽しみです。

     *

称念寺のホームページは、こちら

2018年3月22日 (木)

今日のランチ

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年度末、会議日以外は出勤が不定期な人もいるため、職場の食堂が休業。

時間がなくてコンビニ弁当や自販機のパンの日もありますが、今日は車で寿司カフェへ。

仕事の合間、ちょっと散策気分でした

2016年9月 5日 (月)

越前の小京都

3日(土)、「越前の小京都」こと大野市に散策相手と行ってきました

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まずは、大野市のシンボル、越前大野城へ。

大野盆地が一望できる標高249mの亀山の頂上にあり、階段続きの西登り口、遊歩道の南登り口か北登り口から徒歩で登ります。

1524年に美濃に生まれ、織田家に仕えた金森長近は、1555年に今川義元との戦いで信長から「長」の字を、1575年に越前一向一揆の鎮圧で大野を与えられ、翌1576年に大野城と城下町の建設に着手。

現在の天守閣は1968年に再建されたものですが、数年前から「天空の城」として観光PRされています。

今回は、車から先に目に入ったのが西登り口の駐車場だったので、階段で。

20160903_124233_2 こんな階段を上って

20160903_124403_2 上って

20160903_124441_2 少し歩き、

20160903_124510_2 また上って

20160903_124625_2 少し歩き、

20160903_125330_2 上って

20160903_125441 上って

20160903_125614 ぐるっと回ると

20160903_134023 石段と門の先に

20160903_125822 お城が現れます

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野面積みの石垣を半周したところにある石段を上り、受付で入館料(大人200円)を払うと、入館券の裏がこんな登城証明書に。

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大野市の「天空の城 越前大野城」によれば、雲海に浮かぶ「天空の城」になるのは10月~4月の気象条件が揃った朝(年10回前後)で、撮影スポットは大野城から西に1km、標高324mの犬山(戌山城址の南出丸下)。

登ったときは「天空の城」でなくても、ちょっとうれしい登城証明書でした

天守閣の最上階の回廊からは、

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東に経ヶ岳(1,625m)とその手前の六呂師高原が、

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西に日本百名山の荒島岳(1,523m)が見えましたが、空を見上げて想うのは、マロウとパセリ、ミントのこと・・・。

その後、駐車場に戻って、散策相手が行きたいと言ったそば処へ向かいましたが、本日終了の看板が出ていたので、私が行ってみたかった寺町通りへ。

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浄土真宗、浄土宗、時宗、臨済宗、真言宗、日蓮宗、本門法華宗、天台真盛宗、曹洞宗の9宗派16寺が軒を並べる寺町通り。

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城下町は、南北にはしる本町通り・二番通り・三番通り・四番通り、五番通り・寺町通り、東西にはしる六間通り、七間通り、八間通り、石灯籠通り、正善通りで碁盤の目になっています。

その最も外側(大野城の反対側)に各宗派の寺を配置したのは、敵の信仰心を利用して城下町への侵入を防御するため。

外敵に備えた440年前の城づくり・町づくりも、人口減少が進む今はまちおこしの貴重な資源です。

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その後、食事を取ろうと七間通りに戻りましたが、そば処はどこも14時までだったらしく、

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和菓子や醤油・味噌のお店を覗いたり、お土産・軽食のお店で里芋コロッケを食べたりしながら、観光拠点として整備されている結ステーションへ。

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お土産・特産品のお店がある結楽座には、後で寄ることにして、

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平成大野屋のはいから茶屋で、甘めのつゆが美味しいおろしそばを

その後、結楽座で買い物をして、かつて城主の御用水として使われた名水百選の御清水(おしょうず)に立ち寄り、帰路につきました

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仕事では何度か行ったことがある大野でしたが、散策目的ででかけたのは今回が初めて。

大野城には汗びっしょりになって登ったし、次に行くときは、七間朝市や湧水の多い大野の名水めぐりなど、まち歩きをメインにしよう・・・と思いました

2016年6月12日 (日)

三国ラベンダーファーム~竹の浦館

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11日(土)、散策相手と三国ラベンダーファームに行ってきました

昨年6月にも訪れたところです。

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今年も書かれていた手書きのメッセージ。

富良野といえばラベンダー、その基礎を築いた富田忠雄さんが亡くなったことは、昨年7月の地元紙で知りましたが、祖父母の出身地が福井であることも書かれていたのを思い出しました。

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昨年も書きましたが、海に近い三国の丘陵地にある畑は、日当たり、風通しともよし。

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でも、今年は5月の強風で、畑が砂に覆われる被害があったよう。

わが家のラベンダーも、なるべく日当たり、風通しのよい場所に置き、数年に一度は土を入れ替えますが、5月の強風では鉢が倒れたり枝が折れたり。

そんなこととは比較にならない畑の土のやり直しに、来年もまた見にきたい・・・と思いました。

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収穫し、切り戻したエリアには、こんなメッセージが。

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畑の目印の看板と、ラベンダーの苗、精油、蒸留水、サシェなどを販売している小屋。

昨年ここで買った苗は健在で、挿し木でも増やしているので、今年は精油と蒸留水を買いました。

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その後、蕎麦や果樹の畑を車中から眺めながら、県境を越えて加賀市の竹の浦館へ。

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初めて来たのは、パセリが19歳だった2013年5月

その2年前から毎日薬を飲み、1年前からは毎週皮下輸液に通っていましたが、まだまだ元気で、その年の12月上旬までは、そう心配することなく出勤や外出ができたのを思い出しました。

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昭和42年まで小学校の校舎だった建物には、スリッパに履き替えて上がり、1、2階とも見学自由。

元工作室の竹の浦食堂では、直前のお客さんで手打ちそばが品切れとなったため、冷やしうどんを食べました。

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食後、食堂から中庭のデッキと元講堂の多目的ホールを眺めたところ。

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前回、撮影し忘れた小学校当時の正門。

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「歩きスマホ」ならぬ「歩き読書」姿の二宮尊徳像もありました。

元職員室の物産館で野菜やお菓子を買って車に戻り、近くの塩谷海岸に寄り道。

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素足にサンダルを履いていましたが、歩きにくかったのでサンダルは脱ぎ、足の裏に砂を感じながら波打ち際へ。

ジーンズの裾を上げて足だけ海水浴してきましたが、帰宅すると、クロエとクレアが「なんのにおい?」とくんくんしていました。

2016年5月 8日 (日)

敦賀赤レンガ倉庫~金崎宮

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GWも終わりに近づいた7日(土)、昨年10月のオープン後、まだ行ったことがなかった敦賀赤レンガ倉庫に散策相手と出かけました

1905年に外国人技師の設計で建設された石油貯蔵用の赤レンガ倉庫(国登録有形文化財)が観光施設としてリニューアルされ、北棟はレストラン館、南棟はジオラマ館に。

お昼には間があったので、まずはジオラマを見に。

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昭和20年(敦賀空襲被災前)の復元地図をもとに、全長約27mのサイズで再現された敦賀のまちなみと港のジオラマ。

背後のスクリーン(空の部分)で上映される幼い姉弟の物語と連動して、鉄道では蒸気機関車やディーゼル機関車などが、道路ではボンネットバスや人々が、港では船が動き、列車の運転体験もできますが、見ているだけでも楽しめました

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昼食は、レストラン館のソニョーポリで、パスタランチを。

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「本日のパスタ」(3種類)から選んだのは、「ゴルゴンゾーラチーズとタレッジオチーズのパッケリ 春の豆を添えて」。

ゴルゴンゾーラの風味とタレッジオのクリーミーさ、松の実の香ばしさが、もちもちとしたショートパスタとよくあって、残ったソースもパンにつけていただきました

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食後は赤レンガを出て、敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)へ。

敦賀港駅は、明治15年に長浜-金ヶ崎に鉄道が開通(明治17年全通)したとき、金ヶ崎駅として開業し、大正2年に鉄道桟橋に新築移転され、大正8年に敦賀港駅と改称。

明治45年からは新橋-金ヶ崎(敦賀港)を欧亜国際連絡列車が運行、敦賀-ウラジオストクの定期航路とシベリア鉄道経由で、ヨーロッパとの間を約半月で結んでいました。

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鉄道資料館の傍にあった「杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹」の案内板。

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敦賀港開港100周年を記念して整備されたボードウォークを歩きながら、人道の港 敦賀ムゼウムへ。

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1階には「東洋の波止場-大陸への玄関・敦賀港」、「大陸横断-欧亜国際連絡列車」、「来館者のメッセージ・交流-交流コーナー」、2階には「博愛精神第一-杉原千畝コーナー」、「自由と平和-ユダヤ人難民」、「感謝-ポーランド孤児」の展示。

1940年、杉原千畝の「命のビザ」を手にユダヤ人難民約6千人が敦賀に上陸したことは、ドキュメンタリー番組等でも見ていますが、多くの展示とともに、ここでも。

これまで知らなかったのは、ロシア革命の動乱と1918年のポーランド独立で、シベリアで家族を失ったポーランド孤児763人が、1920年と22年の2次にわたる日本赤十字社の救助で敦賀に上陸したこと。

ユダヤ人難民にもポーランドから逃れてきた人が多く、彼らの20年前にはポーランド孤児が上陸していて、施設名にポーランド語の「ムゼウム(資料館)」を使った理由も納得。

その後、車に戻って、旧敦賀港駅ランプ小屋(金ヶ崎停車場ランプ小舎)と芭蕉句碑を見に少し移動しました。

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金ヶ崎公園駐車場の隣にあるランプ小屋は、小さいので見過ごしそうですが、明治15年建設の旧長浜駅舎(7年ほど前に行った長浜鉄道スクエア)と並ぶ国内最古の鉄道建築物のひとつ。

「写真撮影、SNSへの投稿はご自由に」という展示から、建設当時は横浜、京都のランプ小屋に次ぐ3番目の大きさだったこと、赤と緑のランプの組み合わせで列車の種類を示したことなどを知りました。

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ランプ小屋の向かい、金前寺にある芭蕉句碑(右)。

左の碑はその解説で、

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 月いつこ鐘は沈(しずめ)るうみのそこ

 この句は、元禄二年八月十五日の雨月に 翁 南北朝時代(一三三六)
 金ヶ崎落城の悲史にまつわる陣鐘の事を聞き詠んだものである
 この塚は翁の歿後六十八年に白崎琴路らが建立し その翌年より
 墨直しの行事が行われ 古例となった

芭蕉が気比の浜で十五夜の月を見ようとして、雨に降られたことは、北陸だからね・・・という感じですが、この句でも「月いつこ(いづこ)」。

ここまで来たらと、南北朝の戦いで金ヶ崎に籠城し、非業の死を遂げた後醍醐天皇の尊良親王、恒良親王を祀る金崎宮(かねがさきぐう)に参拝。

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金ヶ崎城跡の最高地(86m)・月見御殿跡など古戦場を回る元気は残っていませんでしたが、金崎宮の境内から、この日歩いた範囲を眺めました。

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2016年4月 2日 (土)

味真野小学校・毫摂寺・御誕生寺

更新が滞っているうちに、新年度を迎えてしまいました

昨日は辞令交付のあと、会議や打ち合わせ、職場のサイトの確認で21時近くまで。

今日は一度見たいと思っていた桜を見に、散策相手を誘って越前市へ。

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これまで地方紙の記事やネットで見るだけだった味真野(あじまの)小学校の桜。

品種はエドヒガン、樹齢は150年、校庭のほぼ中央に立っています。

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近づいたり離れたりして木を見ていたとき、そういえば大学の体育は体育館でダンスだったし、校庭を歩くのは高校卒業以来? 何年ぶり? と口には出さず計算していました

味真野小学校に行く途中、毫摂(ごうしょう)寺の案内があったので、帰りに寄ってみました。

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昨年5月の記事に書きましたが、越前市の蔵の辻に与謝野晶子の歌碑があり、それが昭和8年11月に毫摂寺を訪れた際の歌ということで、名前だけ知っていたお寺。

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お寺のサイトにある「与謝野夫妻と豪摂寺」のページで、夫妻が短冊等に歌を書き残したことも知っていたので、歌碑があれば・・・と思って境内を歩きましたが、見当たりませんでした。

ところで、味真野小学校の「味真野」は、このあたりの地区名で、古くは『万葉集』にも登場しています。

味真野ゆかりの歌は、「越前の里 味真野苑資料館 万葉館」で紹介されていて、以前行ったことがありますが、毫摂寺へ向かう角にも、万葉仮名のこんな歌碑がありました。

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平城の都から味真野に流された中臣宅守、都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の贈答歌より2首。

 わが背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな 狭野弟上娘子

 逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで吾恋ひ居らむ 中臣朝臣宅守

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16時半を回っていましたが、近いので御誕生寺にも。

駐車場には他県ナンバーを含めて車がいっぱい・・・でしたが、猫たちは15時半の食事を終えてお気に入りの場所に寝に行ったのか、猫より人のほうが多かったので、先に寺務所に寄りました。

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カウンターの手前に黒モフさんが。

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プリンターの上にはゴンちゃんが。

「私の分とお友達の分」と猫募金し、1枚ごとに猫の写真と言葉、1~31の数字があって、月に関係なく使える日めくり「猫は悩まない」を2部いただきました。

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寺務所を出ると、2月5日から迷子になり、24日に鯖江市河和田町で保護されて帰ってきたレオちゃんが、ひとりゆっくりと食事中。

御誕生寺のFacebookブログで行方不明と知ったときは、雪の降る時期、高齢なのに・・・と心配でしたが、食べる姿を見て安心しました。

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ここにも、みんなに遅れて食べる子が。

みんなで並んで食べる姿は壮観だろうけど、ひとりゆっくり食べたい子もいるよね。

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4月2日、3日は、就労継続支援A型事業所Ipppo!が、御誕生寺オリジナルメニューで出店。

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私もお腹が空いたので、肉球バーガーとコーヒーのセットをいただきました

2015年11月29日 (日)

病院(形成外科)と平等院

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24日は、形成外科受診のため大阪へ

一次二期再建(乳がん手術と同時にエキスパンダーを挿入、後にインプラントに入れ替える再建法)の入替手術を受けたのは、4年前の2011年12月1日。

年2回の経過観察は、はじめ6月と12月でしたが、12月は県内で大雪になると予約日時に来られない・・・という理由で、今年から少し前倒ししてもらいました。

片道約3時間かけて受診した結果は、

「柔らかく入ってますね」

ということで、異常なし。

インプラントの耐用年数については明確な指標がなく、破損や合併症が起こった場合は入替手術が必要になりますが、今のところは大丈夫なのを確認し、病院をあとにしました。

この日、遠征ついでに散策したのは、宇治の平等院

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表門から入り、寺務所で拝観料を払ったとき、

「本日はもう鳳凰堂には入れません。鳳翔館には入れます」

と言われたので、鳳凰堂は阿字池越しに見ただけ。

平等院には25年くらい前に一度来たことがありますが、すっかり記憶が風化していて、

「えー、こんなに小さかったかなあ? 池ももっと広かった気がする」

と言ったら、同行の散策相手も、

「あの出っ張り、埋めたんじゃないかなあ?」

と言い、傍でパンフの写真とカメラの画面を見比べていた観光客も、

「どうやったらこう映るんだ? 池が違う」

と半ば憤慨のご様子。

上の写真は、そのままだと逆光で真っ暗に写るので、露出を上げて撮り、「出っ張り」が入らないようトリミングしました。

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右に写っているのが、その「出っ張り」。

鳳凰堂をバックに集合写真を撮る場所としては、よさそうです

鳳翔館(平等院の宝物類を保存・展示する博物館)では、国宝の梵鐘、鳳凰1対、平等院の雲中供養菩薩52体のうち26体を鑑賞。

愛嬌のある鳳凰と雲中供養菩薩を観ていると、手塚治虫「火の鳥」と山岸凉子「日出処の天子」が思い浮かび、鳳凰堂の雲中供養菩薩26体も見たかったなあ・・・と思いました。

この日、散策相手が行きたがっていた宇治市源氏物語ミュージアムは、残念ながら休館日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)。

次回5月の受診日には、また宇治に行ってもいいよね・・・と思いました。

2015年10月14日 (水)

北前船主の館 右近家

10日前の4日(日)、散策相手と越前海岸へ出かけました

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越前町の道の駅「越前」で昼食をとったあと、近くの長須浜海水浴場で空と海と眺め、南越前町の北前船主の館 右近家へ。

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車を降りると改修中の蔵が目に入り、「休館?」と思いましたが、開館していました。

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北前船は、江戸中期から明治中期にかけて日本海廻りで大阪~北海道を結び、各地に寄港しながら買い積みの商いを行った船。

天保年間の構えをもとに明治34年に建て替えられた主屋では、船模型、幟、航海道具、文書など右近家廻船の資料のほか、蒸気船への切り替えや海上保険業への進出など近代化の資料も展示されています。

明治29年に10代目右近権左衛門が他の北前船主とともに創立した日本海上保険は、昭和19年の合併で日本火災海上保険となり、平成13年の合併で日本興亜損害保険に、さらに平成26年の合併で損保ジャパン日本興亜に。

「へぇ~」と言いながら主屋を出て、昭和10年に背後の山腹に建てられた西洋館へ。

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登ろうとしたとき、管理の人が下りてきて、「上まで行くといいでの。気ぃつけて」と言われました。

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途中、主屋の背後から見えた河野浦。

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西洋館の外観は、1階がスパニッシュ、2階がスイスのシャレー風。

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テラスからは日本海を一望、敦賀半島も見えました。

20151004_155125_450x800 タイル貼りの玄関ホール~階段。

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露出させた梁と根太を含め、茶系で統一された1階。

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小さな暖炉とタイル貼りのイングルヌック。

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階段踊り場の窓には、船のステンドグラスが。

あと1週間遅く来たら、期間限定(11日、12日、18日、24日、25日)で高台カフェが開かれていましたが、代わりにいまコーヒーを飲みながら書いています

西洋館を出たあとは、遊歩道で結ばれた山荘展示館と展望台(四阿)へ。

山荘展示館に入ろうとしたときも、別の管理の人が出てきて、

「広瀬中佐の展示あるよ。『坂の上の雲』に出てきなるやろ。下が4時で閉まるで、それまでに下りてきての」

日露戦争の旅順港閉塞作戦で、広瀬武夫が乗り組んで指揮を執り、魚雷で沈んだ福井丸は、軍用に供された右近家所有の汽船でした。

右近家を出たあとは、観覧案内と一緒にもらったプリントをもとに「北前船主通り」を散策。

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狭い通りの山側には、右近家のほかにも、中村家、中村家分家、刀禰家といった北前船主の大きな家が残っています。

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各家の門や蔵は、通り挟んだ海側に。潮風から主屋を守るためだとか。

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3階部分に望楼がある「中村家住宅」は、今年、国重要文化財(建造物)に指定されたばかり。

5月17日に特別公開され、その後の一般公開は未定のようですが、機会があったら観覧したいなあ・・・と思いました。

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