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年末に近所のショッピングセンターで買い込んだ食料品が意外と減らず、年明け初の買い出しは今日でした。
仕事が始まると閉店時間を過ぎてしまったり、疲れて寄れなかったりするし・・・と、あれこれ買ってカートを押しながら出口に向かっていたら、前方から歩いてきた乳腺外科のO先生と目が合いました。
お互いに「あっ」と言ったあと、「あけましておめでとうございます」
昨年11月に読み返していたアーサー・W・フランク『傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理』(ゆみる出版)では、何らかのがんを患った人や慢性疾患患者などで、「実質的にはほぼよくなっているけれども、決して完治したとは見なされない人々」を総称して、「寛解者の社会」と呼んでいます。
近代的な考え方の中では、人々は健康であるか、さもなければ病気である。病気と健康は、ある時点でどちらが前景にありどちらが背景に退くのかに応じて、決定的な形で移行する。寛解者の社会においては、病気と健康との前景・背景の関係は、相互浸透しながら徐々に移行していく。(27頁)
パーソンズの「病人役割」やソンタグの「健康の王国と病気の王国」に対して、フランクがいう「寛解者の社会」は、20代以降の私の実感に合うものですが、病院で白衣の先生と会うとき(病気が前景化している)とショッピングセンターで普段着の先生と会ったとき(病気はほぼ背景のまま)の違いをおもしろく感じました。
年末年始は、たまった仕事を片付けながら、心身休養を第一にしていました。
明日から通常勤務ですが、年末に起こった問題の対応の続きや来年度事業計画・予算申請など、疲れないことを第一にしていきたいと思っています。
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