北前船主の館 右近家
10日前の4日(日)、散策相手と越前海岸へ出かけました
越前町の道の駅「越前」で昼食をとったあと、近くの長須浜海水浴場で空と海と眺め、南越前町の北前船主の館 右近家へ。
車を降りると改修中の蔵が目に入り、「休館?」と思いましたが、開館していました。
北前船は、江戸中期から明治中期にかけて日本海廻りで大阪~北海道を結び、各地に寄港しながら買い積みの商いを行った船。
天保年間の構えをもとに明治34年に建て替えられた主屋では、船模型、幟、航海道具、文書など右近家廻船の資料のほか、蒸気船への切り替えや海上保険業への進出など近代化の資料も展示されています。
明治29年に10代目右近権左衛門が他の北前船主とともに創立した日本海上保険は、昭和19年の合併で日本火災海上保険となり、平成13年の合併で日本興亜損害保険に、さらに平成26年の合併で損保ジャパン日本興亜に。
「へぇ~」と言いながら主屋を出て、昭和10年に背後の山腹に建てられた西洋館へ。
登ろうとしたとき、管理の人が下りてきて、「上まで行くといいでの。気ぃつけて」と言われました。
途中、主屋の背後から見えた河野浦。
西洋館の外観は、1階がスパニッシュ、2階がスイスのシャレー風。
テラスからは日本海を一望、敦賀半島も見えました。
露出させた梁と根太を含め、茶系で統一された1階。
あと1週間遅く来たら、期間限定(11日、12日、18日、24日、25日)で高台カフェが開かれていましたが、代わりにいまコーヒーを飲みながら書いています
西洋館を出たあとは、遊歩道で結ばれた山荘展示館と展望台(四阿)へ。
山荘展示館に入ろうとしたときも、別の管理の人が出てきて、
「広瀬中佐の展示あるよ。『坂の上の雲』に出てきなるやろ。下が4時で閉まるで、それまでに下りてきての」
日露戦争の旅順港閉塞作戦で、広瀬武夫が乗り組んで指揮を執り、魚雷で沈んだ福井丸は、軍用に供された右近家所有の汽船でした。
右近家を出たあとは、観覧案内と一緒にもらったプリントをもとに「北前船主通り」を散策。
狭い通りの山側には、右近家のほかにも、中村家、中村家分家、刀禰家といった北前船主の大きな家が残っています。
各家の門や蔵は、通り挟んだ海側に。潮風から主屋を守るためだとか。
3階部分に望楼がある「中村家住宅」は、今年、国重要文化財(建造物)に指定されたばかり。
5月17日に特別公開され、その後の一般公開は未定のようですが、機会があったら観覧したいなあ・・・と思いました。
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