四七日と月命日
13日はパセリの四七日(よなのか)、16日は初めての月命日でした。
三七日(みなのか)あたりから読んでいたのは、「ペットロス」に関するサイト。
私にとって、ミントとパセリは「ペット」ではなく、自分と同じ命、家族だと思っているので、「ペットロス」という言葉には抵抗があるけれど・・・。
一つは、ミントとパセリを送った葬儀社のホームページに、「女性の目線から話されるペットロスの解説」と紹介されていた「ペット葬儀のラブフォーペッツBlog」の記事。
もう一つは、アマゾンで本を探していたときに知った「ペット霊園ソウルメイト」の、お坊さん目線からの記事。
「ペット」を「コンパニオンアニマル」「伴侶動物」と呼び換える向きはあるのに(それもしっくりしませんが)、亡くした体験は一般に「ペットロス」と呼ばれていて、何かよい言葉があればいいのに・・・とも思いながら、読むたびに泣いていました(これは、よいこと)。
あと、仕事の行き帰りなど車の中で聴く音楽も、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」が聞きたくて、20年ほど前に買ったCD「アンプラグド」に。
クラプトンが幼い息子を事故で失ったあとに作った曲で、歌っていると涙が出ますが、行きは普段からサングラス、帰りは暗いので大丈夫。
そうして毎日毎日泣いたからか、「記念日反応」を懸念していた一昨日も、普段以上に湿っぽくなることはなく、仕事帰りに美容室にも寄って、
「似合う? また、シャンプーの途中で寝ちゃったよ」
とパセリたちに話しかけていました。
昨日は、市内の猫の保護団体のチャリティーバザーに散策相手と出かけ、羊のぬいぐるみカバーが付いた首巻きカイロと手作りアクセサリーを購入。
同時開催の譲渡会は、写真とプロフィールがボードに貼られ、関心があればお見合いできるシステムでしたが、もともと「行ってみるだけ」のつもりだった今回は、写真を見てもビビッと感じることもなく。
少し前から、全国規模の里親募集サイト、県内の保護団体や保健所等のサイトも見ていますが、保護団体の中には、一人暮らしや転居の可能性のある人、65歳以上の高齢者は不可のところも多く、もしビビッと来ても、私の場合は一人暮らしで不可ということもありそう。
でも、20年前の6月5日のように、縁があれば出会うだろうし、そのときはパセリたちも、
「かわいいねー。しっかり面倒見てあげてね」
と見守ってくれる気がします。
実際には、もし子猫を迎えれば、あと20年ほどは世話ができる状態でなければならず、それは人間の子どもが成人するのと同じくらいの年月で、お互いに元気に過ごせたとしても、その子の年齢と同じだけ年を重ねた自分が、また看病や介護をする覚悟も必要。
途中で自分が病気になる可能性、失業する可能性など、不安要素を挙げればきりがなく、私の場合は、持病の悪化やがんの再再発の懸念もあるけれど、いつか新たな「家族」を迎えたいという気持ちは大事にしたいと思っています。
チャリティーバザー会場を出たあとは、「アンプラグド」を聴きながら、奥越高原牧場までドライブ
牧場内の牛たちが渡る橋。
赤い屋根の牛舎。
「こんにちは、気持ちいい?」
近づいてきた牛と話していたら、自転車では大変なくねくねとした坂道を上ってきたお兄さんが、私たちに挨拶して先に上っていきました。
右に小さく写っている建物はランチを食べた「高原の時計台」、左の高い頂は日本百名山の荒島岳。
白樺の間にハンモックが吊ってあったので、しばらく横になって空を見上げていました。
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コメント
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手の調子が悪く、ブログでパセリちゃんの訃報を知ったものの、コメントすら書けない状態でした。
やっと仕事も慣れ、手の調子も少しは良くなったので今日書かせてもらいます。
本当に長い間病院へ通い大変でしたね。
お疲れ様でした。
パセリちゃんのご冥福をお祈りします。
実は東京からわが町(北海道の片田舎)に越してきた男性。
去年一緒に農家で仕事して、近くで家を買って越してきたいと言い、昨年末に越してきました。
一人暮らし。
猫でもどう?なんて話をしていたら、やっと家の片付けも終わったので保健所に出向いて出会いがあって、1歳くらいの女の子の猫ちゃん2ニャンをいただいてきました。
同じ家から出された猫で、他の子達は速攻貰い手があったものの2にゃんが残って時間の問題だったのですよ。
私が「それは2にゃんにしてね」って言ったら、きっちり2にゃんもらってきました。
どういう事情で手放されたかはわからないけれど、ひとり暮らしの方で病気等で飼えなくなったのかも?
飼うと言う言葉は私は嫌いだけど・・・
まちこさんにも素敵な出会いがあると良いですね。
まちこさんの身体も心配ですが・・・
無理せずに
投稿: のらデジ | 2014年5月18日 (日) 18:49
>のらデジさん
手の調子がまだ万全でないのに、ありがとうございます。
保健所で期限が迫っていた猫ちゃんたちに、お家ができて本当によかったですね。
東京から越してきた男性にも、道産子の「家族」ができてよかったです。
一人暮らしの場合、リスクが高いと思われがちですが、求めれば助力は得られるもので、私も自分の入院のときはそうして乗り切ってきました。
その男性も、猫育てベテランののらデジさんが近くにいて、心強いことと思います。
4~5月は、猫の出産が多い季節。
いろいろなところで、ステキな出会いがあるとよいですね。
投稿: まちこ | 2014年5月18日 (日) 23:05
まちこさん こんばんは。
私達もペットという言葉は抵抗があり、えさじゃなくご飯とよく言っていました。家族ですものね。
ペットメモリアルの方から子供にも読めるようにと絵本を頂きました。その絵本にもペットロスや尼さんのお話が書いてありました。
頭では分かっていても心が中々付いていけずでした。
今は時が少しずつ和らげてくれています。
まちこさんのブログを読んで共感しています。
言葉の贈り物・・・(╥ω╥`)ボロボロ泣けてしまいました。
私達家族も、ご縁があれば天使が舞い降りてくれると信じて焦らないで行きたいと思います。
投稿: のりっち | 2014年5月19日 (月) 21:52
>のりっちさん
「ペット」じゃなく「家族」、「えさ」じゃなく「ごはん」ですよね。
今日も帰宅してから、上のサイトのコラム15~21を読んで、やっぱり泣きました。
職場にいる間は社会人の顔をして泣きませんが、家では毎日泣きながら、20年ずっと寄り添っていてくれたことに感謝しています。
メモリアルでお子さん向けの絵本をくださったのですね。
大昔の話ですが、私が小1のとき、下校途中についてきた雑種の子犬を家の子にしてもらい、中1のときに亡くしました。
今も覚えています。
一緒に走って遊んだこと、賢くて優しかったこと、車で病院に連れていったこと、雑種だから獣医の先生がよく診てくれないんじゃないかと疑ったこと、家で看取った朝のこと、埋めたときのこと、これからはずっと私を見守ってくれると言われたこと。
のりっちさんのお子さんたちも、きぃちゃんをずっと覚えているし、ずっと見守られていると思います。
もしご縁があって新しい家族を迎えることがあったら、その子も。
投稿: まちこ | 2014年5月20日 (火) 22:49