「また会えるよ」
17日(木)は、午後だけ仕事に行き、パセリが最後に乗るのだからと、ほこりだらけの車を洗車し、お花を買って帰りました。
葬儀場に持参する写真を選ぶのに、昨年からの写真を見ていて、
大好きなベランダで日向ぼっこしていた2013年5月4日の写真。
お気に入りのソファに座っている2013年6月9日の写真。
タンクに上って水が飲みたいので、「トイレに入ろう」と誘っている2013年9月5日の写真。
この3点をUSBメモリに入れましたが、ご長寿ペットフォトコンテスト2013にエントリーした3点目の写真を使うことに。
昨日、自宅を出る前の、穏やかに寝ているだけのようなパセリ
お花と好きなフード2点を添えられるので、最後に食べた療法食キドニーキープと薬を混ぜても好きだったモンプチクリーミースープ15歳以上用を入れました。
夜明け前までの雨も止み、散策相手に運転してもらって葬儀場へ。
到着後、斎場長にパセリを預け、セレモニーの準備が整うのを待つ間、スタッフの方から説明を受けました。
9年前のミントのときは、四十九日まで無料の個別霊座に安置(○○寺ご住職が供養)し、その後に返骨ということでしたが、今は葬儀当日の返骨も可能なのを知り、
「ミントも待っているので、今日、連れて帰ります」
収骨は、人間でも関東は全骨、関西は部分収骨が一般的で、こちらは関西圏だけれど、希望により全骨も可能と言われ、
「パセリは関東生まれなので、全骨で。ミントもそうさせていただいたので」
その後、部分収骨よりも柄の種類が少ない骨袋から、パセリにあった色を選びました。
「ミントのときは、部分収骨用が二つだったんです」
と言ったら、説明してくれた若い方はご存じなかったけれど、あとで斎場長から、
「9年前は、大きい骨壺は置いていなかったかもしれません」
ほかに、パセリたちが生まれた神奈川は、猫の保護活動が盛んだというお話を聞いたり、
「関東から湿気の多い北陸に来ると、季候の変化に対応できないコもいるようですが、パセリちゃんたちはどうでしたか?」
と聞かれ、
「大丈夫でした。飲み水は、関東でもこちらに来てからも水道水でしたけど、こちらに来てからよく飲むようになりました。まだ腎臓も悪くなる前なので、こちらの水がおいしかったんだと思います」
「今年は関東でも大雪が降りましたけど、ミントもパセリもこちらに来るまで雪らしい雪は知らなくて、ベランダに雪が積もったとき、換気のために窓を開けたらベランダに出ちゃって、初めて踏んだ雪に驚いて、その場でピョーンと飛び上がりました」
「前回は、ペットシッターゆうさんのご紹介で来てくださったんですね」
ということから、
「ミントは亡くなる1ヵ月から、何度も入院を繰り返したので、退院して自宅にいるとき、私の仕事中に様子を見に行っていただきました。亡くなってこちらに伺うときも、同行をお願いして」
「パセリは、2008年に私が乳がんと、そのあと扁桃周囲膿瘍で入院したとき、2011年にまた乳がんで入院したときにも、長いときは18日間、1日2回お世話していただきました」
そのほか、昨年11月末に肥満細胞腫が発覚し、12月末に以前からの腎不全が末期となり、ステロイドで肥満細胞腫や口内炎を抑えたり、皮下輸液が自宅で毎日となり、シリンジで給餌したりもしたけれど、最後まで少量でも自分からごはんを口にし、トイレに立つのがつらくなっても、好きなベランダには出たことなども。
スタッフの方々からも、
「お年に見えない、きれいな毛並ですね」
「かわいいお顔されてますね」
「パセリちゃんてお名前、かわいいですね」
他のご家族にも言われることでしょうけど、やはりうれしかったです。
セレモニー会場でのパセリ
合掌、焼香のあと、斎場長が退室して、家族だけのお別れの時間。
そのあと、立ち会い個別火葬の準備が整うのを待ち、火葬場に呼ばれ、また合掌して、家族の責務として火葬炉の点火ボタンを押しました。
ミントのときは、このボタンを自分で押せたのか、押せなくて「お願いします」と言ったのか・・・覚えているのは、点火の「ボッ」という音を聞いた瞬間、体がふわっとして倒れそうになり、ゆうさんに支えられたことだけ。
火葬炉の前に立つことも、このあとの収骨も、ミントのときは、人間・動物を通して初めての経験でした。
今回は、ボタンを押し、点火の音を聞きながら、
「ミンちゃんが教えてくれたから、今日は大丈夫だったよ。パーちゃんをよろしくね。パーちゃん、ミンちゃんがいるから大丈夫だよ」
と心の中で呼びかけ、外に出て空を見たり、散策相手や斎場長と話したり。
葬儀場に着いたとき、まだ曇っていた空は、きれいに晴れていました。
収骨は、斎場長から説明を受けながら、しっぽから順番に骨壺へ。
ミントはまだ若くて大きかった(亡くなったときも、6kgあった)ので、2.2kgのパセリのお骨はずいぶん小さく見えましたが、色も白く、ちゃんと残っているということで、
「強い猫ちゃんだったんでしょうね」
と言われ、大腿骨もしっかりしていると聞いたときは、
「パセリは、具合が悪くなるまで健脚自慢で、冷蔵庫にもよく上りましたし、一度、爪がドアに挟まったのか、ギャッと言いながら下りて爪を剥がしましたけど、その後も懲りずに上ってました」
背骨や肋骨を拾うときは、毎日背中をなでたり、便秘に効くというツボを押したことを。
爪を拾うときは、爪切りを嫌がったことを。
肩甲骨を拾うときは、その後ろに皮下輸液の針を刺していたことを。
頭蓋骨を拾うときは、出会ってからこれまで、どれだけこの頭をなでただろうと思い、最後に喉仏を拾って、骨袋に納めていただき、膝に抱いて帰りました。
パセリが座っていた場所に、いつも仲よしだったミントのお骨と。
フォトスタンドには、こちらに転居する3年半前、まだ子猫といっていい頃のパセリとミントのお昼寝中の写真。
9年前、ミントをひとり納骨するのがつらくて、ずっと自宅で安置していましたが、こうしてみると、また写真のように寄り添っているみたいです。
ミントの骨袋には、
「愛猫 ミント之霊位 ○○家 平成十七年二月二十二日没 享年十一才」
とあり、「誕生日」前なので10歳9ヵ月だったのに、動揺していた私が「11歳」と言ったのか、生年からの数え年だったのか、気づいたのも帰宅後で曖昧でしたが、今回、聞かれたのは生年と年齢で、
「誕生日がはっきりしないので、5月5日にしてましたけど、もしかしたらぎりぎり20歳になってたかもしれないし、ミントが11歳となってるので、9年違いのパセリは20歳にしていただいてもいいですか?」
と聞いたら、
「いいですよ」
と。
それで、パセリの骨袋には、
「愛猫 パセリ之霊位 ○○家 平成二十六年四月十六日没 享年二十才」
自宅に帰り、上の写真のようにパセリとミントのお骨を並べて手を合わせ、夕方に再度寄ってくれた散策相手も帰り、
「パーちゃん、お疲れさま。ミンちゃん、パーちゃんをよろしくね。パーちゃんもミンちゃんもありがとう」
と言ったら、急に眠気に襲われ、昨夜は早寝しました。
今日は、午後の診療開始時間を待って、お礼のお菓子、使用済の点滴セット、未使用の点滴セットを持って、動物病院へ。
駐車場は満車、待合室も予防注射の元気なワンちゃんとご家族で満席で、3日前の電話で用件を了解されていた看護師さんに、
「いろいろとお世話になり、ありがとうございました。お忙しいようですし、なんでしたら日を改めますけど」
と言うと、
「いま診察中のコが長引きそうですが、その後でよろしかったら」
と言われ、立ったまま30分待ち、お礼と先週(土)に来てからの経緯を伝えました。
気になっていたことについては、
「誤嚥であればむせますし、飲み切ることはありませんから、その可能性はないですよ。お薬も、ごはんも、お家での輸液も、パセリちゃんのためにできることは、してくださったと思います。虚血性の心不全が起こったのかもしれませんが、お家にいらっしゃるときに看取ってあげられてよかったです。パセリちゃんは幸せです」
葬儀についても、
「実は、お骨袋の享年を、20歳ってサバ読んじゃったんですけど」
「サバじゃないです。20歳です」
と言っていただき、
「さびしくなりますけど、長い間、お疲れさまでした」
「ありがとうございます。また、パセリたちのような里親募集のコを育てられたら・・・とは思いますけど」
最後に改めてお礼を言い、2006年3月から通い始め、2012年3月からは毎週(ときには週3回)通った病院をあとにしました。
自分が見守り、愛し、育てたという点では、「子ども」のような猫から、見守られ、愛され、元気づけられていた20年近い日々。
パセリたちが大きくなってからは、どちらが「親」か「子」か、互いにそのどちらでもあるような関係でした。
とくに、ミントが逝ってからのパセリは、寝坊な私を起こし、送り出し、出迎え、トイレやシャワー、入浴中も声がけし、早く寝かせることに使命感さえ持っていたよう。
そのパセリが、病んだ体から自由になったとたん、水曜も、木曜も、元気な姿で夢に現れ、夢でも人間の言葉は話さないのに、さみしくないよ、また会えるよ、と言っているようでした。
パセリと私に、心のこもったコメントをありがとうございます。
先に、葬儀と病院への報告について書きましたが、お返事も徐々に書かせていただきます。
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コメント
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「パセリちゃん」の最後の写真を有難うございました。
もうブログに何も記して頂けないかと思ってました。
昨夜も以前のように「パセリちゃん」の今までの写真を「まちこさん」の事を思いながら、ずっと見てました・・・涙が止まりませんでした(3時過就寝)
先生の「パセリちゃん」のためにできることは、したのですよ・・・その通りだと思いますよ「まちこさん」
これからは「ミントちゃん」と一緒に「まちこさん」を見守ってくれると思います・・・また夢であえるといいですね。
投稿: さみどり | 2014年4月20日 (日) 14:07
>さみどりさん
かわいくてかわいくてたまらないパセリへの感謝のかげに、まだ後悔や「どうして・・・」という気持ちもありますが、当面はミントもパセリも「しかたないねー」「ねー」と許してくれるかしら…と思ったりしています。
4月22日、ミントの月命日が、パセリの初七日。
かわいいかわいいミントとパセリに、夢で会いたいです。
投稿: まちこ | 2014年4月21日 (月) 05:24
ご無沙汰して申し訳ありません。泣いてしまって言葉が見つかりません。ごめんなさい。
パーちゃん、お疲れ様でした。本当によく頑張ったね。お空に行っても、まちこママのそばに居てあげてね。
投稿: やよいちゃん | 2014年4月22日 (火) 00:16
>やよいちゃん
ありがとうございます。
やよいちゃんも経験されましたものね・・・。
しょう君、パセリもミントも同じ年生まれだから、虹の橋のたもとの野原で遊んであげてね。
投稿: まちこ | 2014年4月22日 (火) 02:49
まちこさん、大丈夫ですか?と言っても、この悲しみは味わった者でないと分からないですよね。今でも、しょう君の事を思い出しては、私はしょう君にもっとやれる事が有ったのではないかと、また、しょう君は私に対してどう思っていたのか?未だにモヤモヤしています。パーちゃんにまちこさんに感謝して、天に召されたのだと思いました。
投稿: やよいちゃん | 2014年4月22日 (火) 18:57
パーちゃん、安らかに眠って下さい。しょう君と一緒に遊んでね。
投稿: やよいちゃん | 2014年4月22日 (火) 19:13
>やよいちゃん
ありがとうございます。
(木)(月)はたまった仕事の消化、(火)は夕方からの長い会議でふらふら・・・。
乳がんの入院前後もそうでしたが、何も知らない人たちの間での仕事に、少し救われ、より多く疲れています。
もう少しで連休、ゆっくりできます。
投稿: まちこ | 2014年4月24日 (木) 00:01