最近読んだもの
近頃、さっぱり読書ネタを書いていないのは自覚してましたが、前に書いたのいつだっけ?・・・と「読書」のカテゴリーをクリックしたら、昨年3月18日の記事が最終。
しかも、正確には読書ネタじゃなく、津村節子さんの対談を聞いて『遍路みち』を読もうと思ったというものでした
で、その後のほぼ1年分を思い出すのは無理なので、最近読んだものを挙げてみると・・・。
外村繁『澪標・落日の光景』(講談社文芸文庫)
小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫)
この2冊を読んだきっかけは、鳥取大学の山崎賢二氏の事例報告「闘病を描いた小説詩歌」(『医学図書館』2004;Vol.51 No.2)と「ケアのナラティブ:ケアを描いた手記小説詩歌と感情表現のデータベース化」(『医学図書館』2006;Vol.53 No.2)を目にしたこと。
こういう取り組みをしている方がいらっしゃるのね・・・と思いながら、データベースの病気別分類を見て、前者は初めて、後者は久しぶりに読みました。
どちらも主人公の妻が乳がんですが、後者はいわゆる闘病小説じゃなく、データベースを見て、ああ、そういえば・・・と。
「澪標」「落日の光景」(1960年)の主人公が上顎がん、妻が乳がんなのは、外村繁と妻がそうだったから。
「抱擁家族」(1965年)の主人公の妻が乳がんなのは、敗戦から20年経ち、変容する日本の家庭の悲喜劇を描くのに、若い米兵と妻の浮気や不具合だらけの新築の家と並んで、表象として必要だったから。
小島信夫の妻も乳がんでしたが、作中の中年夫婦のジェンダー・トラブルの表象としては、男女ともに多い胃がんや大腸がんでは具合が悪かっただろうし・・・と思いました。
それで、次に読んだのが、
山崎明子ほか『ひとはなぜ乳房を求めるのか-危機の時代のジェンダー表象』(青弓社)
視覚文化史、美術史、ジェンダー史などが専門の、著者5人の論文が収録されています。
その乳房表象の分析対象は、西欧の古典的医学言説、現代日本のピンクリボンキャンペーン、戦時下の日本映画、近世イタリアの視覚表象、戦後日本のポルノ映画と、各人各様。
山崎明子「美の威嚇装置」は、東京のピンクリボンフェスティバルが2005年に始めたデザイン大賞のポスターの分析を通して、既存の意味に回収されない新たな乳房イメージの創出の困難さを論じていて興味深かったです。
学生の頃から定期的に通院している私は、病気=悪、醜、他者 / 健康=善、美、自己という二項対立の価値観になじめず、乳がんになったときも「まさか自分が・・・」とは思わなかったぶん、精神的に救われた気がします。
その種の価値観は巷にあふれているし、乳がんになる可能性は誰にでもあることを訴えるピンクリボンキャンペーンも、まだ乳がんになっていない人を啓発対象とすることで、すでに乳がんになった人を他者化していて、上の二項対立を変えにくいことを改めて考えました。
岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(光文社新書)
同じ著者の『母という病』を検索したとき、こちらのレビューも気もなったのがきっかけ。
子ども時代に母親(やその代わりとなる特別な一人)と愛着関係を築けず、「安全地帯」を持たないまま大人になって、生きづらさを抱えている/いた人々の話で、オバマ大統領やクリントン元大統領、S・ジョブズ、A・ヘミングウェイ、M・エンデ、夏目漱石、谷崎潤一郎、太宰治、種田山頭火など、有名人がズラリと登場。
父母や自分の親との関係を考え合わせ、なるほどという部分も多くありましたが、小説や詩歌を患者のナラティブのように読むのはどうなんだろ・・・と思うところも。
西成彦『世界文学のなかの「舞姫」』(みすず書房)
森鴎外「舞姫」は、妊娠し、精神を患ったエリスをベルリンに残し、再びエリートとして日本へ帰ることになった太田豊太郎が、サイゴンに停泊中の船で書いた「手記」という形をとった小説。
帰国した鴎外のイメージもあって、豊太郎も帰国したという前提で読みがちだけど・・・という内容で、です・ます体で書かれている「理想の教室」シリーズの1冊。
昔、「舞姫」を習った人には面白いかも。
夢野久作『少女地獄』(Kindle版)
少し前に購入したKindle Fire HD 16GBで、無料本をダウンロードして読んだうちの1冊。
青空文庫の本文はPCでも読めますが、Kindleだと机を離れて読めるのが便利です。
長くなったので、とりあえずこのへんで
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