芭蕉の館
午後、いつもの散策相手と山中温泉の「芭蕉の館」に行ってきました
白壁・鉄扉の建物は築100年以上で、『おくのほそ道』の旅で芭蕉が8泊した泉屋に隣接していた扇屋の別荘(明治中期の建築)を平成16年に整備したもの。
館の左にあるのは「奥の細道三百年祭記念碑」(平成元年)で、芭蕉が泉屋に書き残した俳文が刻まれ、蕪村が絵を入れて筆写した『おくのほそ道』の陶板がはめ込まれていました。
「温泉頌」と呼ばれる俳文は、
北海の磯つたひして加州やまなかの湧湯に浴す
里人の曰、このところは芙桑三の名湯のその一なりと
まことに浴することしばしばなれば
皮肉うるほひ筋肉に通りて
心神ゆるく偏に顔色をとどむるここちす
彼桃源も船をうしなひ
慈童が菊の枝折もしらず
はせを
やまなかや菊はたおらじ湯のにほひ
元禄二仲秋日
と山中の湯をたたえ、周の菊慈童の逸話をもとに句にしたものですが、接写し忘れ
九谷焼の陶板は、
曽良は腹を病て いせのくに長島
といふところにゆかりあれば 先立て行に
行き行きてたふれふすとも萩の原 曽良
と書置たり 行もののかなしみ のこるもののうらみ
双鳥のわかれて雲に
まよふがごとし 予も又
けふよりや書付消さむ笠の露
という山中の段に、上のような絵が。
館の前には、この絵をもとにした像もありました。
曽良「師匠、腹を病みましたので、伊勢国長島の親戚のもとへ行かせてください」
芭蕉「病とあっては致し方ないな。笠の同行二人の書付も心細さで消えてしまうだろうが」
というシーンのわりに、芭蕉が笑顔
宿屋建築の館内は、漆塗りの天井や廊下、床の間や建具、お庭も見どころ。
1階には、山中漆器の展示のほか、ライティングデスク大の電話機があり、2階には、明治期の名所絵葉書、商店のポスターなどのほか、芭蕉と桃妖(泉屋の若主人)の資料室、古俳書展示室が。
江戸期各版の『おくのほそ道』、芭蕉の真蹟も展示され、もっとじっくり見たいなあ・・・という内容でした
« 今年最初の腎臓内科 | トップページ | 山中温泉 句碑めぐり »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント