ソンタグと中城ふみ子
スーザン・ソンタグ(1933-2004)の「隠喩としての病い」は、結核とがんをめぐる隠喩の政治学といった文化批評。
1975年に乳がんサバイバーとなったソンタグが、3年後に発表したもの(邦訳は1982年)ですが、まだまだ古典になりきらない・・・と思うのは、今年5月の入院前、私がまた乳がんで入院するとだけ聞いたらしい前の職場の人から、
「死なないでよ」
と真顔で言われたから
この人にとって、「がん」は病期に関係になく、「死」の隠喩なんだろうなあ・・・と思いながら、
「大丈夫ですよー」
と答えましたが、今後、誰かががんになっても、同じことは言わないように釘を刺しとけばよかったかも・・・。
仰々しくも隠喩に飾りたてられた病気が二つある―結核と癌と。
前世紀の結核と今世紀の癌と、この二つのものが掻立てる空想といえば、すべての病気は治療できるということが医学の大前提になっている時代にも、手におえぬ気紛れな病気―つまり、正体不明な病気―とされるものへの反応の典型として挙げられるものである。
こう述べるソンタグは、隠喩がらみの病気観でなく、病気を病気として捉えるために、結核と癌の隠喩使用の歴史をたどっていますが、これと『中城ふみ子歌集』を続けて読んだら、以前、別々に読んだときは気づかなかったことがありました。
中城ふみ子(1922-1954)は、1947年から北海道内の同人誌に参加、52年に左乳房切除、53年に右乳房切除、54年に『短歌研究』の新人五十首詠に特選入選し、第1歌集『乳房喪失』刊行の翌月に永眠した歌人(翌年、第2歌集『花の原型』刊行)。
上の『中城ふみ子歌集』は、『短歌研究』に送られた「冬の花火―ある乳癌患者のうた」50首を最初に置き、2冊の歌集の部立てを主題に着目して組み替え、『乳房喪失』の「深層」252首を最後に置いています。
手術室に消毒薬のにほひ強くわが上の悲惨はや紛れなし
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる
メスのもとあばかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ
担はれて手術室出づその時よりみづみづ尖る乳首を妬む
われに似たる一人の女不倫にて乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に
「冬の花火」は、この5首から始まっていて、3首目以外は、「今日、ノックもせずに入り込んでくる病気といえば癌であって、ひそかに侵入する非情の病気ということになっている」というソンタグの言葉を思い出すまでもない歌。
3首目は、「『過去』の『闇』の中で蹴り合う不安の『胎児ら』」という編者の解説を見ても、なぜ「胎児ら」という隠喩が出てくるのか、よくわからなかったのが、
一八九二年に他界したアリス・ジェイムズは、その一年前の日記に、「私の胸の中にあるこの汚れた御影石のようなもの」と書きつけた。だが、この塊りは生きている。自分の意志をもつ胎児だ。ノヴァーリスは百科全書計画のための一七八九年頃の書き込みの中で、壊疽とならべて癌を定義し、「立派に一人前の寄生体である―成長し、産まれ、産み、みずからの構造を持ち、分泌し、食する」とした。癌は魔性の懐胎をも意味する。
とソンタグが書いているのを読んで、こういう発想だったのか・・・と
前に『中城ふみ子歌集』を読んだのは、2008年に部分切除を受ける前で、退院後に「短歌・小説の乳がん」という記事を書きましたが、今回、皮下乳腺全摘を経験したことで、ありありと思い浮かぶ1首もありました。
癌のかたちに似るてふ蟹が皿にあり仇のごとくわれは刃をあつ(「深層」)
ふみ子は、切除したものを見た誰かから聞いたんだろうけど、私が主治医とPCの画面で見たり、印刷された報告書で見たものも、蟹のような形状。
私の場合、自分の一部だったものへの愛おしさのようなものが勝って、「仇のごとく」とは感じなかったけど・・・。
違うといえば、「○○がん撲滅」と言われるときの「撲滅」という言葉も、ずっと前から気になってます。
ソンタグによれば、がんを記述する際の中心的な隠喩は、戦争用語からの借用だそうですが、治療でなく暴力の対象とされるようで、「撲滅」はやっぱり嫌な言葉。
癌の記述および治療に軍事とつながる誇張表現がつきまとうかぎり、平和を愛する人々にとってこれほど不適切な隠喩はまたとないのである。
勿論、癌をめぐる言葉に将来変化が生ずることもありえよう。この病気の正体がついに判り、治癒率が今よりずっと高くなれば、その言葉も決定的に変るに違いない。
ふみ子の時代、ソンタグの時代から、治療の面では年々進歩を遂げていて、むしろ言葉や感覚のほうが遅滞してるのかもしれないけど、同盟国とはいえ、1945年以降も何度も戦争しているアメリカと、こんなことまで歩調を合わせないでね・・・と思った8月です。
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