ぐるっと坂井・あわら
今日の散策は、坂井市丸岡町の中華飯店九龍から
同行者が前から行きたがり、交差点を曲がっては、「このへんだと思ったのに・・・」ということが何度かありましたが、やっと行き着けました。
テーブル席で、九龍麺+水餃子のセット(1,000円)をいただいていたら、
「○番も○○も通り過ぎて、よくいらっしゃいました」
なんて、気さくなご主人が出てきて、単品メニューもいっぱいなので、また行きたいお店に
碑は、中野重治記念文庫の中庭にあり、閲覧しないのに鍵を開けてもらうのも悪いので、廊下の窓から撮影。
のし なかの・しげはる
蕾めるものは
花さかむ
花さきたらバ
實とならむ
友人の画家・内田巖の娘が結婚する際に送った言葉だそうです。
このあと、昨年も行った中野重治生家跡と、道を挟んだ田んぼの中にある墓所(中野累代墓)に向かいました。
ここでの目当ては、墓所で毎年咲き乱れるという彼岸花でしたが、猛暑のためか、今年はまだ芽が出たばかり。
墓所から見た丸岡町の中心部(丸岡城が小さく見える)と生家跡。
彼岸花は後日また・・・ということで、あわら市金津町の千束一里塚に向かいました。
江戸時代、北陸街道に設けられていた一里塚のうち、県内で現存するのはここだけ・・・と教わったのは、7月に知り合った女将さんから。
現存するのは西側だけですが、両側そろって遠くからもこんもり見えるところや、そんな場所が一里おきにあるところを想像しました
高い枝の間を電線が通っているので、強風のときが心配ですが、長く残していただきたいものです。
その後、北潟湖に出て、アイリスブリッジを見ながら一休み。
四方をさえぎる山がなく、石川県との県境付近では海につながっていて、開けた感じがする湖です。
でも、やっぱり山の中の湖(富士五湖など)と比べてしまうのは、同行者がどこでおそばを食べても「越前そばのほうがおいしい」と言うのと同じみたい
その後、ここまで来たらと、あわら市舟津の藤野厳九郎記念館に向かいました。
中学・高校の国語教科書で、魯迅の「藤野先生」(1926年)を習った人も多いようですが、私が読んだのは、こちらに来てから。
留学中の周君(のちの魯迅)を同級生だった老医師の手記のかたちで描き、藤野先生が登場する太宰治の「惜別」(1943年)も、最近になって。
閉館時間ぎりぎりだったので、資料室は見ず、移築された藤野厳九郎旧居だけ撮影。
1915年に仙台医専の教授を辞して、郷里の本荘村(現・あわら市)に戻って開業医となった厳九郎は、1933年から1945年8月に亡くなるまで、妻の実家がある三国町で、この家に住んでいたそうです。
このあと、今は花期が過ぎて畑の株は切り戻されてますが、三国ラベンダーファームに寄って、ここのラベンダーで作られたエッセンシャルオイルと蒸留水、苗を購入。
ここも花が咲いてる時期に、また来なくちゃ・・・と思いながら帰ってきました
この記事へのコメントは終了しました。
コメント