まちこ訳「猫の草子」 1
室町時代を中心に作られ、江戸中期の享保年間に、大坂の渋川清右衛門が23篇を収めて刊行したという『御伽草子』。
そのうち、江戸初期に成ったとされる「猫の草子」を、誤訳御免で現代語訳してみます。
古くは『源氏物語』にも、屋内で綱をつけて飼われていた猫(柏木が女三宮を垣間見てしまう場面)が登場しますが、「猫の草子」に出てくるご沙汰は実際にあったようです。
* * *
天下泰平、国土安穏、このようなめでたい御代にめぐりあうことは、人間は申すまでもなく、動物に至るまで、ありがたいご禁制のおかげである。
まことに古代中国の尭と舜の御代にも優ることである。
まず、慶長七年(1602年)八月中旬に、京の市中で猫の綱を解いてお放しになるようにご沙汰があった。
同じくお奉行から、一条の辻に高札をお立てになり、その文面にいうには、
一 京の市中で、猫の綱を解き、放し飼いにすべきこと
一 同じく猫の売買を停止すること
この旨に違反する場合は、厳しく罪科に処せられるべき
ものである。よって、以上のように布告する。
このようにご禁制がなされるうえは、各々秘蔵していた猫たちに札を付けてお放ししたので、猫はおおいに喜んで、あちらこちらに飛び回ることは、気晴らしにも鼠を捕るにも便宜がある。
ほどなく、鼠は怖がり恐れて逃げ隠れるようになり、桁や梁の上も走らず、歩くとしても、小さな鳴き声も立てず、忍び歩きの様子である。
このように気分のよいことはない、このご禁制がつつがなく維持されるようにと、誰もがこのように願った。
ここに上京の辺りの人であったが、まことに尊いご出家者がいた。
悪を捨てて善に進み、朝にはこの世が天地のように長久に続くように、夕方には現世が安穏で、後世では極楽に生まれてくるように、すべての世界の生物が平等にご利益を受けるようにと願った、その宗門の理論も実践も明らかである。
僧も俗も男も女も、その格別なさまに感謝の涙を流す。
まことに大日如来ともいうことができよう。
このような格別な道理を動物までも存じているのか、ある夜、不思議な夢を見た。
(つづく)
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