虹
虹といえば、亡くなった家族動物への想いがテーマの英語詩「虹の橋」を思い出しますが、結核で夭逝した森田愛子を詠んだ高浜虚子の句も。
1943年11月、三国の愛子宅を訪ねた虚子は、敦賀まで送るという愛子たちと汽車に乗り、三国の方角に虹が立っているのを見ます。
そのとき、「あの虹の橋を渡って鎌倉(虚子宅)へ行くことにしましょう。今度、虹がたったときに」と言った愛子を、虚子は虹を見ると思い出し、その後、疎開先の小諸から書き送ったのが、
虹立ちて忽ち君の在る如し
虹消えて忽ち君の無き如し
虚子はこの三国行きを「虹」(『苦楽』1947年1月)に書き、愛子は何十回も読んだそう。でも、3月には病状が悪化し、
虹消えてすでに無けれどある如し
という愛子の句が電報で送られ、インフルエンザの後でまだ病臥していた74歳の虚子は、
虹の橋渡り交して相見舞ひ
と書いて、三国に寄って豊岡へ帰るという京極杞陽に託しますが、間に合わず。
そして、29歳で亡くなった愛子の霊前に届けたのが、
虹の橋渡り遊ぶも意のまゝに
来月22日で愛猫ミントが亡くなって5年になりますが、虹を見ると、元気に食べて寝て遊んでいたときのミントを思い出します。
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