平泉寺白山神社
くもりの予報は外れて晴れ 留守番のパセリ
にエアコンをつけて、平泉寺白山神社(正式名称は「白山神社」)にでかけました
無料駐車場に車をとめて歩き始めると、境内案内図があったので、どこまで行くかをチェック。
三之宮は山の上らしいので、本社まで上ることにしました。
「白山神社」の上の文字、1字は崩れ、2字は削られた跡が・・・。
一の鳥居をくぐって、杉の老木の間の苔むした参道を歩きます。
歩くと汗をかきますが、立ち止まるとひんやり、ほっとします。
開祖・泰澄大師が白山登拝の途中で発見した林泉・御手洗池。
この池で白山の神の宣託を受け、社を建てたのが、「白山神社」の始まり(717年)だとか。
以来、白山登拝の拠点である三馬場の一つとして隆盛し、中世の最盛期には、48社36堂6,000坊が建ち並び、多くの僧兵を擁したそう。
戦国時代には、一乗谷の朝倉氏とともに越前の一大勢力となり、加賀の一向一揆の乱入で、1574年に全山が焼失するも再興され、明治の神仏分離によって寺号を捨てた・・・というのは、境内の説明の受け売り
苔でふかふかの池の畔から参道に戻ると、二の鳥居があります。
正面に見えるのは拝殿。
行き止まりのように見えますが、この奥に・・・。
本社(現在のものは1795年造営)があります。
祭神は伊奘冊尊(イザナミノミコト)。
本社の前を右に出て、開山社の横を通って下りました。
これは、社務所の脇の木戸を開けて入る旧玄成院庭園。
そして、締めは・・・。
平泉寺白山神社の駐車場といえば、神社には行かずに、このお店のソフトクリームが目的に行く人もいるほど
私の愛読マンガ『宗像教授』シリーズには、各地の神社が登場しますが、ここ平泉寺白山神社は、源義経が奥州・平泉に落ち延びる途中で詣でた神社として登場していました。
苔むす境内で、つわものどもが夢の跡を感じたくなったら、また行ってみたいです。
コメント
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白山神社へは行った事がありませんが苔で知られていますね。
朝夕にはヒンヤリとした空気が感じられそうです。
「白山神社」の上の二文字は削られたかセメントで塗りつぶされたようですね。たしか旧社格は「縣社(けんしゃ)」だったと思いますのでその文字が削除されたのでしょう。戦後社格は廃止されたので塗りつぶされた社標をみかけることもあります。もちろん堂々と書いている神社もありますが。
投稿: プル | 2009年8月10日 (月) 22:22
頭の崩れた部分に1字あったのかと思いましたが、その下の2字がつぶされたのですね。
無造作なつぶしかたで逆に目立ってたので、「戦後、具合が悪くなったのかなあ」と思ってましたが、「懸社」ですか・・・。
勉強になりました
投稿: まちこ | 2009年8月10日 (月) 23:47