『あの戦争から遠く離れて』
悪夢の元にもなった本、今週やっと読み終わりました。
「第1部 家族への道 [父の時代]」、「第2部 戦後の果て [私の時代]」の構成で、「中国残留孤児」という言葉も使われていない頃に帰国した父、中国に留学した著者、満州国軍人だった祖父のことが書かれてます。
子どもの頃、同級生に「久枝ちゃんのお父さんは中国人?」と言われたという著者。でも、両親とも日本人で、日本で生まれた著者は、中国残留孤児2世の中では、ごく稀な存在だそう。
第1部を読んでいたときは、1941年生まれの父が、家族とはぐれて中国人の養子になり、文革の時代を生き抜いて、国交正常化前の1970年に帰国を果たすまでの困難を想像し、帰国後の部分では、中国帰国孤児定着促進センター※もないし・・・と思ってました。
※ 1984年開設。現・中国帰国者定着促進センター。
というのは、学生時代、専門外の日本語教育をかじり、日本語教育能力検定試験を受けたりして、のちに国費で帰国する人はセンターに入り、日本語と日本の生活習慣について教育支援を受けるのは知っていたから。
でも、第2部の中ばに書かれていたのは、著者も中国残留日本人訴訟にかかわるなかで知ったという、40~50代で帰国した人の大半が日本語を十分に習得できず、職に就けず、生活保護を受けているという状況。学習者のレディネスと就学経験、年齢などの関係は想像以上でした。
第2部の前半は、著者の中国留学の体験。「反日」のスイッチが入ったときの周囲の学生の反応は、私のゼミでも韓国人留学生との間で似たようなことがあったのを思い出しました。
そして、著者がゼミの教授に自分の父が残留孤児だと話し、「日本の開拓移民も中国に残された子供たちも日本の侵略戦争の被害者だ」と言われて、「私の祖父は、軍人だったそうです」と告げたとたん、教授の目の色が変わったという部分。
それまで、祖父がどんな軍隊のどんな立場かを知らなかったという著者は、第2部の後半で、日本軍から満州軍に移り、シベリア抑留を経験した祖父を取り上げることになります。
当時若かった祖父はなぜ満州に渡ったか。帰国後、戦争のことはほとんど語らなかったという祖父は何を考えていたか。この部分は、元満州軍の人の回想文、生存している関係者の話によるため、父の部分と比べると読み足りない気も・・・。
目の色を変えた中国人の教授ではない、日本人の孫として、その時代のその場所を生きた日本人をどう捉えるか。これは著者に限った課題ではないし、著者がまた取り組んだときには読みたいと思いました。
という意味で、サブタイトル「私につながる歴史をたどる旅」の「私」は、「日本生まれの中国残留孤児2世」という著者だけではないよね・・・と思って読み終えた本でした。
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