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2009年6月25日 (木)

『あの戦争から遠く離れて』

悪夢の元にもなった本、今週やっと読み終わりました。

「第1部 家族への道 [父の時代]」、「第2部 戦後の果て [私の時代]」の構成で、「中国残留孤児」という言葉も使われていない頃に帰国した父、中国に留学した著者、満州国軍人だった祖父のことが書かれてます。

 城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』

子どもの頃、同級生に「久枝ちゃんのお父さんは中国人?」と言われたという著者。でも、両親とも日本人で、日本で生まれた著者は、中国残留孤児2世の中では、ごく稀な存在だそう。

第1部を読んでいたときは、1941年生まれの父が、家族とはぐれて中国人の養子になり、文革の時代を生き抜いて、国交正常化前の1970年に帰国を果たすまでの困難を想像し、帰国後の部分では、中国帰国孤児定着促進センターもないし・・・と思ってました。

※ 1984年開設。現・中国帰国者定着促進センター。

というのは、学生時代、専門外の日本語教育をかじり、日本語教育能力検定試験を受けたりして、のちに国費で帰国する人はセンターに入り、日本語と日本の生活習慣について教育支援を受けるのは知っていたから。

でも、第2部の中ばに書かれていたのは、著者も中国残留日本人訴訟にかかわるなかで知ったという、40~50代で帰国した人の大半が日本語を十分に習得できず、職に就けず、生活保護を受けているという状況。学習者のレディネスと就学経験、年齢などの関係は想像以上でした。

第2部の前半は、著者の中国留学の体験。「反日」のスイッチが入ったときの周囲の学生の反応は、私のゼミでも韓国人留学生との間で似たようなことがあったのを思い出しました。

そして、著者がゼミの教授に自分の父が残留孤児だと話し、「日本の開拓移民も中国に残された子供たちも日本の侵略戦争の被害者だ」と言われて、「私の祖父は、軍人だったそうです」と告げたとたん、教授の目の色が変わったという部分。

それまで、祖父がどんな軍隊のどんな立場かを知らなかったという著者は、第2部の後半で、日本軍から満州軍に移り、シベリア抑留を経験した祖父を取り上げることになります。

当時若かった祖父はなぜ満州に渡ったか。帰国後、戦争のことはほとんど語らなかったという祖父は何を考えていたか。この部分は、元満州軍の人の回想文、生存している関係者の話によるため、父の部分と比べると読み足りない気も・・・。

目の色を変えた中国人の教授ではない、日本人の孫として、その時代のその場所を生きた日本人をどう捉えるか。これは著者に限った課題ではないし、著者がまた取り組んだときには読みたいと思いました。

という意味で、サブタイトル「私につながる歴史をたどる旅」の「私」は、「日本生まれの中国残留孤児2世」という著者だけではないよね・・・と思って読み終えた本でした。

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2009年6月21日 (日)

車のエアコン、水漏れ。

家でも準備しないと仕事に穴があく・・・というスリリングな状態が続いてますweep

おまけに暑くなってきたので、自分やパセリcatの体調不良は極力ご免こうむりたいと思っていたら、車のエアコンのトラブル。

気づいたのは18日(木)。アナログなエアコンの温度設定(左が冷房、右が暖房)を左に回しきって走ってたら、「ポタ、ポタポタ、ポタポタポタ・・・」という音がして、信号で止まったときに音のするほうを覗くと、助手席のフロアマットが濡れてましたsweat02

駐車してエンジンを切っても漏れ続けるので、拭けるだけは拭き、水受けになる容器を置いて応急処置coldsweats01

(金)(土)はそのままで、今日も容器に溜まった水を捨てて出勤しましたが、さすがにこのままでは・・・と気になって、帰宅後にディーラーの営業さんmobilephoneに電話。

「今どこです?」
「家に帰ってきたとこ」
「そこで直るんじゃないかと思うから、よかったら今から行きますよ」

エアコンの排水パイプに粉塵(外の空気を取り入れるとき入ってくる)が詰まって、水が抜けなくなってたのを無料で直してもらい、汚れた手は家で洗ってもらいました。

「取れます?」
「うん。でも、たまに爪を黒くして帰ると、懐かしがられるんですよ」
「あの車買ったときは、整備のほうだったもんねえ」

11年も買い替えず、車検、定期点検、保険でもお世話になってるとはいえ、今のマンションに引っ越してからは、お店が遠くなったので来てもらってばかりの横着な私。

でも、いつも気持ちよく対応してもらって感謝してます。

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2009年6月15日 (月)

怖かった~

明日やあさっての仕事の段取りをしたあと、入浴中や就寝前に本を読むのが、ONとOFFの切り替え&ささやかな楽しみなんだけど・・・。

4月末に出た田中芳樹『銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮』(創元SF文庫)を週末にやっと読み、5月末に届いた城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局、2007年)を読みはじめたら、今朝、国共内戦~文化大革命の頃の中国にいる夢を見てしまいましたwobbly

 NHK土曜ドラマ「遥かなる絆」の原作本

先月、旧・満州国の日本人副県長と満州人通訳を描いた牛島春子「祝といふ男」も読んでるし、文化大革命については、学生の頃、年上の中国人留学生に話を聞いたこともあるので、ドラマは見てなかったけど、それなりにリアルな夢。

2日続けてうなされることもないと思うので、今夜も続きを読みたいと思いますcoldsweats02

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2009年6月14日 (日)

猫が2匹いると

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4月に大怪我してたところを父に保護され、左後足切断の手術、入院のあと、実家の一員になったみよちゃん。

母がときどき上のような写メを送ってきますが、日に日にふっくらとして、今や先住猫のクロンより重い体重4kgに。

買ってもらった専用のケージも、もう扉は開放していて、階下でクロンと遊びまわったり、黙って向き合っていたり、「housecatが2匹いると賑やか、楽しみも2倍ね」だそうです。

そんなメールを読んでは、ミントがいた頃を思い出し、今月は私がミントとパセリの里親になった月でもあるので、

「パーちゃん、15年経ったねえ」
「いつもミンちゃんに甘えてたねえ」

とパセリに話しかけてますが、私が「ミンちゃん」というのを聞くと、いつもの「ニャー」ではなく、目を閉じて「ンー」という返事。

「ミンちゃん、大好きだったよねえ」
「ンー」
「元気で長生きしようね」
「ニャー」

今は亡き太っちょで優しいミント、ミントの思い出を共有できるパセリに感謝しながら、4月の異動以来たまってきたもろもろを癒されてます。

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2009年6月 9日 (火)

「火垂るの墓」など

1週間以上、空いてしまいましたcoldsweats01

 先週読んだのは、野坂昭如「火垂るの墓」。

高畑勲監督のアニメは、昭和20年9月21日、三宮駅構内で死んだ清太の霊が、6月5日の神戸大空襲から8月22日の妹・節子の死、翌日の荼毘までを回想し、現代の(1988年公開なので、震災前の)神戸を節子の霊と一緒に見ている・・・という構成。

アニメもよいけど、原作のどこか対象(清太の行為)を突き放した饒舌な語りが、個人的には好きかなあ。

アニメのほうは、子どもを使った反戦映画・・・と思って、実は今まで見てませんでしたが、高畑勲が「じつは私は反戦のメッセージを伝えようということでこの映画を作ったわけではないのです」(『映画を作りながら考えたこと』)と述べていたことも、遅ればせながら知りました。

それから、やはり野坂の『赫奕(かくやく)たる逆光 』(文春文庫)を読んで、「ぼくは、空襲で、家族すべてを、一時に失った如く、これまで書いてきたが、実は、養母とこと(養父の養母の名)は、しばらく生きていた」ことや、「二十一日の夕刻、ぼくの二番目の妹、恵子が疎開というより、生命からがら落ちのびた福井県の、戦争のほとんどかげのささぬ、静かな村で餓死した」ことも。

「火垂るの墓」の清太と節子は、空襲で大火傷を負った母の死後、西宮の「父の従弟の嫁の実家」という「遠い親戚」に身を寄せ、1ヵ月後に満池谷の横穴の壕に移りますが、野坂がともに養子である妹・恵子と避難したのは、現在の福井県坂井市春江町。

7月31日の夜、野荒しの途中で警報が鳴って傍の壕に待避した農夫に捕まり、清太が交番へ連れて行かれる場面で、いきり立つ農夫をなだめるおまわりさんが「今夜の空襲福井らしいなあ」と言ってますが、福井の空襲は7月19日で、「らしい」がみそ。

・・・と書いて、春江町を舞台にした津村節子の『絹扇』、3月に読んだのにいろいろ取り紛れて、ブログに書きそびれたのを思い出しました。

 私のは著者サイン入りhappy01

近代日本の絹織物業を背景にした作品ですが、女工哀史ではなく、有職女性のたくましさが描かれていて、しょっちゅう仕事(というより職場)が嫌になる私など、主人公の爪の垢を煎じて飲むべきかも・・・という内容でした。

話を戻して、神戸大空襲については、神戸市の「神戸の戦災」というサイトや神戸市文書館の「米軍資料にみる神戸大空襲」というサイトも見ましたが、ちょうど電話で話した遠くの親友に「URL、教えてよ」と言われたので、リンクを貼っておきます。

先々週からの多形日光疹は、手の甲はほとんど治りましたが、額(髪の生え際とか眉の上)がなかなかしつこいので、新しい薬を買ってきました。「火垂るの墓」に、「湿疹」「疥癬」「虱」と出てくるたび、痒くなって困りました・・・。

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