海と水仙
思い立ったが吉日なので、海と水仙を見に行ってきました
越前水仙の見頃は2月上旬まで・・・ということで、国道305号線から見える範囲にはもうほとんど咲いてませんが、越前水仙の里公園と越前岬水仙ランドでは、まだ咲いてる場所がありました
越前水仙の里公園の水仙ミュージアムでは、越前水仙発祥伝説のビデオを鑑賞。
モニタの後ろにあったパネルの解説を引用させてもらうと・・・。
今から800年ほど昔、時代は源平相争う平安時代末期のこと、越廼地区の刀上海岸に流れ着いた美しい娘を助けた兄弟の話です。
純粋に娘を愛する二郎太と、家を守るため自分の妻にしようとする一郎太の兄弟がその娘をめぐって争う姿を見て、「二人の仲を悪くしたのは私が原因」と娘は荒れ狂う海に身を投げてしまいました。
そこはくしくも助けられたときと同じ刀上海岸で、翌年水仙の花がその海岸に流れ着いたという伝説です。
越前水仙の花言葉は、この伝説にちなんで「純愛」「敬愛」です。
ビデオでは、娘を助けて看病したのは二郎太で、二人が親しくなったところに、戦で心身ともに傷ついた一郎太が帰郷して横恋慕。
二郎太を海岸に呼び出し、「俺の妻にする。譲れ」と刃物沙汰になった間に、娘は崖から身を投げます
翌年、球根のついた水仙が流れ着き、村人は「これはあの娘の化身に違いない」と思い、二郎太は「あの娘は水仙の化身だったのだ」と思い、海岸の丘に植えたところ、次第に増え広がった・・・という内容でした。
美しい娘が複数の男に想われて入水する点は、『万葉集』に詠まれた菟原処女(うないおとめ)や真間手児奈(ままのてこな)の伝説みたい。
時代はずっと下るので、こうした伝説を知っている人が、水仙の可憐な姿に結びつけたのかしら?・・・と思って、パネルの解説を見ると、
今のところ、「越前水仙発祥伝説」の信憑性を裏づける資料はありませんが、この物語が作られた平安時代末期、スイセンが中国から対馬暖流に運ばれて越前海岸に流れ着いた可能性を想起させる話です。
面白いデータとして、スイセンの耐塩性試験では、一ヵ月くらい鱗形を20℃前後の海水にひたしておいても、充分に生存することが確かめられています。各地に伝わる伝説や伝承が、時として意外な事実を教えてくれたりすることは良く知られるところです。
菟原処女や真間手児奈と違うのは、娘が海から漂着したことと、その娘の入水と引き換えに水仙が漂着したこと。
娘の悲劇を語りながら、海を通じてもたらされた恵みを語っている点は、やっぱり日本海側だなあ・・・と思いました。
可愛くていい香り
来年は寒さに負けず、もっと咲いてる頃に行ってみたいと思います。
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