鼓舞と定着
2005年3月に乳がんで死去した歌人・宮田美乃里(享年34歳)を描いた小説を読みました。
70歳の小説家・山吉雅樹は、友人の写真家・荒木経彦(荒木経惟がモデル)から贈られた写真歌集『乳房、花なり。』を開き、左乳房がなく、余命短い宮田美乃里の写真と歌に衝撃を受けます。
それを契機に、病床の彼女を取材して書く・・・というだけのものなら、森村氏ではない山吉という作中人物の設定は不要で、通常のノンフィクションになる作品。
では、山吉を設定した意味は?
山吉が「美乃里の最後の存在証明と称して組み立てた虚構の作品世界のヒロイン」として彼女を描くのは、忠臣蔵の吉良家の付け人を遠祖とする彼の家に、「散る花の行方を追うて迷へども めぐりぞ逢はむ運命(さだめ)の枝に」という歌が伝えられているから。
引き裂かれた恋人たちが後の世での再会を誓ったその歌は、10代の頃から山吉の「運命の恋人」探しの原動力になっています。
そして、作品進行上も、山吉が美乃里を取材する〈現在〉と、彼がこれまでに「運命の恋人」かと思った数人の女性、亡くなった妻との〈過去〉が交互に出てきますが、それは結局、「運命の恋人」たちに通底する「永遠の恋人」像として美乃里を描くため。
〈事実〉に関心のある読者には、作中人物の山吉の家に伝わる歌や彼の過去は余計な部分のようですが、ある〈事実〉をどのように語ろうと〈事実〉そのものではない以上、男性作家の森村氏が女性歌人の生と性を鼓舞し、彼女(あるいは森村氏)の死後もその姿を作品に定着させるために、山吉を設定し、「運命の恋人」の帰着点である「永遠の恋人」像を用いたのだろう・・・と思いました。
ところで、私が宮田美乃里を知ったのは、彼女が左乳房にしこりを発見した02年5月から6年後の今年5月。
彼女とは病期が違う病理結果を聞いた後、あれこれ読んだサイトのひとつが「花と悲しみ~魂の軌跡 宮田美乃里 特別室」(毎日新聞の「女の気持ち」への本人の投稿とその反響のまとめ)でした。
治療をしないと公言した彼女は、がんが皮膚に浸潤して膿みはじめ、翌03年10月に左乳房を切除しましたが、周囲の理解を拒むような彼女の文面と盛り上がった賛否両論とのズレが痛々しく、彼女がすでに故人であることもあって、やりきれない印象が残りました。
その後、彼女の歌をネットで読める範囲で読みましたが、内容・表現のあまさが目について(中城ふみ子の歌と比べてしまうから?)、その意味でのナルシシズムが好きになれませんでした。
だから、森村氏の『魂の切影』は、ジャンルやキャリアは違っても、同じ表現者として彼女が表現できなかった部分を表現した作品だとも思いましたが、そんな「永遠の恋人」を得た彼女の最期は、「女の気持ち」に投稿した頃とはどう変わっていただろう・・・と想像していました。
※森村誠一公式サイトに、「宮田美乃里特集」のページがあります。
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