『プラナリア』
読もうか読むまいか・・・と思って、やっぱり読んじゃいました
表題作の主人公が乳がんでなければ、普段は読まない作家ですが、収録作5篇のうち、いちばん気持ち悪かったのが表題作。
なので、その気持ち悪さを考えてたんだけど・・・。
主人公の春香は、24歳になる直前に「がんの進行がステージ4だかになっていて、一日も早く切除するしかない」と言われ、右乳房を切除。
翌年、背中の肉を使って再建手術をした(乳首の再建はまだ)という25歳、無職。
「ステージ4」といえば、遠隔転移していて・・・と思って読み進むと、
- 「直径5センチにも育ったがん」は、術後の病理検査では「ステージ1」で、抗がん剤もせずに済み?
- 「生理が来なくなる」としか聞かされなかった「ホルモン注射」で、めまいや吐き気を訴えると、「そういうこともあるかもね」、「この薬は乳がんはおさえられるけど、子宮がんになりやすい」と初めて言われ?
- 婦人科に行けば行ったで、「普通半年しか打たない薬なのに、一年半も打ってるなんておかしい」と言われ?
と、真面目なドクターがお読みになったら、困った顔になりそうな部分がいろいろあって、春香のディスコミュニケーションを強調するため(?)とは思うけど、ちょっとひどい・・・。
春香のディスコミュニケーションは、「あんたが私に食うだけ食わせて肥満にしたから、がんにもなったんだ」という母親への八つ当たりのほか、他の入院患者や看護師、彼氏の豹介、入院中に知り合った永瀬さんとの間にも出てきます。
酒の席で「私、乳がんでしょ」と言っては皆をうつむかせ、「もう終わったことだろう。治ったんだからもうルンちゃんはがん患者じゃないんだよ」と豹介から言われると、内心とは裏腹に「ごめんね。もう言わない」と媚びた声で謝る春香。
表題の「プラナリア」は、「次に生まれてくる時はプラナリアに」という、春香が乳がんを語るときのネタであり、現実とは違う夢に由来するもの。
豹介たちとの酒の席では、「そういうもんに生まれてたら、取った乳も勝手に盛り上がってきて、再建手術の手間とお金が省けたなーと思ってさ」と言い、永瀬さんにもこう言ってます。
「きれいな小川の石の下にいて、別に可愛くないから注目もされないで、何にも考えずに生きていられるんですよ。しかも切られても再生しちゃうなんて、死ぬ恐怖がないってことですよね。セックスなんかしなくても、放っておくと育って二匹に分かれるっていうのも簡単でいいし」
デパ地下で、「出口はどこかしら」とおばあさんに腕をつかまれ、吐き気とめまいに襲われていたのを助けた永瀬さんは、春香をバイトに雇い、春香が見たくなかった乳がんの専門書6冊とプラナリアの資料を宅配便で送ってきます。
その後、バイトを無断欠席し、豹介たちと飲んでいるところへかかってきた永瀬さんからの電話を放棄して席に戻ると、「春香さんは何でプーなんすか?」と聞かれ、また「私、乳がんだから」と言って豹介から睨まれ・・・。
最後は、一度下した腰を上げ、デパ地下のおばあさんのように、「出口はどっちですか?」と通りかかった店員の腕をつかみ、「遥か遠くの方を指差」されて終わる一篇。
自分自身と折り合いがつかず、周囲とも通じ合わず、現在(それに連なる過去や未来)をどう捉えればいいのかわからない不安な状態。
これは、乳がんの場合に限らないし、他の収録作の主人公や登場人物もそうなんだけど、「出口」が見えない気持ち悪さで、一番なのが「プラナリア」
乳がんとプラナリアは、テーマを支える題材と表象として選択されてるようですが、「自分も乳がんになったら・・・」なんてレビューを読むと、ある病気をそういうふうに使うことは、自由でもあるし、難しくもある・・・と思いました。
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