宗像教授の中の恵達
一昨日、星野之宣『宗像教授異考禄 7』を再読して、第3話「吉備津の釜」に出てくる吉備児島の法師・恵達の話が気になりました。
どこかで読んだ気がするのに、思い出せなくて
で、昨夜、もしかしたら・・・と思って、上田秋成『春雨物語』の「二世の縁」を踏まえた円地文子「二世の縁 拾遺」を開いてみました。
博学の先生は秋成のこの物語の原話らしい、『老媼茶話』の中の「入定の執念」という話をしてくれた。それは承応元年に大和郡山妙通山清閑寺の恵達という僧が入定の際、参詣の美女にふと執心して成仏しかね、五十五年の後の宝永三年になっても未だ魂魄散ぜず鉦鼓を叩いていたという話である。
「『老媼茶話』という本は寛保のはじめの序がついているから秋成の子供の頃に書かれたのだろう。しかし何ぶんあの時分のことだから秋成のよんだのは何十年も経ったあとのことかも知れない。『雨月』を書いたころの秋成なら、この物語の美女に執心の残る件をもっと丁寧に描いたろうと思う……」
この恵達というのがわかって、スッキリしましたが、ネットでちょっと調べたところ、恵達は備前児島の生まれだそう。
「二世の縁 拾遺」は、子持ちの戦争未亡人の「私」が、寝たきりの恩師の口述筆記をした後、帰り道で亡夫の抱擁を思い出し、「二世の縁」の定助や恩師に押し倒される幻覚を見て、駅の改札口から押し出される男たちを眺めるところで終わります。
入定の定助がこの男たちの中に生きているのを私はたしかめた。それはさっきのくらい道での恥かしい幻覚以上に、私の血を湧き立たせ、心を暖ためる不安なざわめきであった。
いっぽう、星野先生の「吉備津の釜」の最終ページには、「わしはこの話(恵達の話)が好きでね…」と語る男やもめの宗像教授に、「そう……」と応える忌部神奈が、それぞれアップで描かれてます。
その教授の顔も、教授の中の恵達を知った神奈の憂いを分かつような優しい顔も、2人が並んで歩くコマも、最後の吉備津の釜のコマも、すごく素敵!
「吉備津の釜」のタイトルは、『雨月物語』の同名の話から採られてますが、教授の好きな話が、同じ秋成の『春雨物語』の「二世の縁」ではなく、恵達の話だというところ。
教授の中に「二世の縁」の定助が生きていたら、神奈はとっくに押し倒されてるなあ・・・と大いに納得しました。
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