生還した人と逝った歌人と
6年半前にくも膜下出血の手術をした人から電話。昨日、数年ぶりでMRI検査を受けに行ったら、「次は5年後でいい」と言われたとか。
「よかったね」
「でも、蓄膿ですねって言われた。額が痛くても、くも膜下じゃないですよって」
「副鼻腔炎? 副鼻腔って眉の奥の方にもあるもんねー」
「蓄膿って言ってたよ」
「うん、副鼻腔炎でしょ。黄色い鼻水とか出る?」
「いや」
「痰は出る?」
「よく出る。・・・ほんと、病気のことはよく知ってるなあ」
買ったのは、『青鞜』にも寄稿していた三ヶ島葭子の小説だったからですが、第2部の前半までと後半からの、木に竹を接いだようなところが気になりました。
日記の残されている間はそれによって一人称で書きつづけて来たこの小説はここから死までの間を、三人称によって書くことになる。
こんな断り書きが「第二部」の4つ目の章の末尾にありますが、5つ目の章以降は、葭子の病状と生活の略述、かなり多めの歌の引用、「私」(作者)の批評・感想が混じったもので、あれ?・・・という感じ。
とはいえ、葭子の若い頃からの病苦、結婚後の夫の豹変、原阿佐緒との友情、大阪に単身赴任した夫が帰京した後の2年にわたる妻妾同居の苦悩など、知らないことだらけでした。
葭子は、大正13年に脳出血で倒れ、昭和2年に再発して41歳で死去。冒頭の電話があったときは、まだ最後まで読んでませんでしたが、改めてMRIの結果が異常なしでよかったね・・・と思いました。
« 愛国婦人会のチラシ | トップページ | 妖婦でも童女でもなく »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント