戦時下の広告
昨夜、七夕にちなんで、野上弥生子の初期の短編「七夕さま」(1907年)を読もうと思ったら、収録した本が見つからず。青空文庫で検索してから、著作権存続中だったことに気づきました。
諦めてテレビを見ていたら、盧溝橋事件(1937年)から70年というニュースをやってたので、この年の暮から言論統制が強まったんだったと思って、前にも取り上げたことがある『婦人朝日』(1940年10月号)を引っぱり出しました。
その中の広告をネタに書いた「1940年の雑誌広告」(2006年5月17日)には、毎月何度か「ムッソリーニペン」等の検索ワードでアクセスがありますが、時代を感じるコピーが面白くて書いたので、写真は不掲載。
100年前に公表された「七夕さま」は、著作者の死後50年を経過していないので、青空文庫にもアップされてませんが、無名の著作物や団体名義の著作物は、公表後50年で著作権が切れるらしいので、この機会に撮ってみました。
* * * * *
国策順応
国を挙げて
ムッソリーニペン
流線型 書きよく 体裁優美 構造堅牢
スラスラ書けて 錆びず値の廉い 国産の逸品
クラウン万年筆」
(株式会社澤井商店)
ほとんどが国策順応の広告ですが、前に取り上げなかったもので、商品名が不思議なのは・・・。
外米も
混合食も
戦時体制の今日
大に歓迎しませう
その時こそカレーの本領が
本当に判つて頂ける時です」
(新與からし本舗 合名会社黒川與兵衛商店)
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67年前の婦人雑誌の広告です。
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コメント
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こんにちは!!
ビックリしました。
「月美人カレー」を検索していて、こちらに辿り着きました。
私は71歳になります。
私の母が生前、良く話していたのに
「おじさんがドイツ人にカレーの作り方を教えてもらって、「月美人カレー」を
作っていた。
おじさんは、会社から、恩があると言われていたので定年退職がなかった。」
母から母の思い込みか何かかも知れませんが
そう言った話を聞いており、
20年前からインターネットで、「月美人」で探していましたが、見つからず
きょう、久しぶりに検索したところ、あなた様のこのページに辿りつきました。
などというものです。
勿論母の叔父さん、おばさんも既に他界していますが、
工場のあった尼崎潮江近くには、
今も、母の叔父さんの子・・私の叔父さんおばさんが住んでいます。
また、
「新與からし本舗 」でも探した結果
http://www.ama-net.ed.jp/school/e43/docs/tireki74.pdf#search=%27%E6%96%B0%E8%88%87%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%97%E6%9C%AC%E8%88%97%27
が見つかりました。
20年来、30年来の???が解決したようで、うれしく思います
有難うございました。
投稿: karakara_ko | 2019年7月15日 (月) 10:47
karakara_koさん
こちらこそ、ありがとうございます!
なんと、20年前から「月美人」で検索されていたのですね。
「月美人カレー」の広告は、『婦人朝日』1940年10月号に掲載されていました。
日中戦争中の昭和15年、太平洋戦争開戦前年の雑誌ですが、陸軍省情報部少佐と女性作家との座談会が掲載されているのを知り、古書サイトで探して購入。
グラビアや記事はもちろん、化粧品・洗剤・食品等の広告のコピーも戦時色が濃く、むしろ生活と密着した商品の広告に「当時」を感じました。
リンクをはってくださったページで「新與からし本舗」の概要を知り、karakara_koさんのお母様の叔父様がドイツの方から教わって作ったカレー粉だったと知って、戦後の「月美人カレー」の広告もいつか見られたら・・・と思いました^^
投稿: まちこ | 2019年7月15日 (月) 23:19