センター試験が行われた1月20、21日から、まもなく2ヵ月。この間、私大入試のほとんどが終わり、国公立大の前期日程が終わりましたが、知人の保護者氏のお悩みは続いています。
保護者氏は、私に進路指導(予備校)のバイト歴があるのを知っているので、最近の話題は専らそのこと。
センター試験後は、
「国語、やってみたら満点だったよ」
「えっ、平均点上るかなあ?」
「現代文が嫌な問題だから下がるんじゃない? それにしても、あれだけ問題が長いと冊子をめくるのが面倒だから、そろそろ本文と設問を別冊子にしたらどうかと思う」
という会話。
私大入試前は、
「教科の先生の影響で『○大を受ける』って言い始めてさ。○大、どう思う?」
「私は嫌い。知ってる出身者がたまたまそうなのかもしれないけど、プライドばっかり高くて役に立たない人が多くて・・・そういう環境なんだろうなあと思っちゃう」
「だよなあ」
「その先生は、何て?」
「出身者で、○大がいいって」
「ふーん。高校にとっても“実績”になるしね」
「おかげで、△大を勧めても見向きもしない」
「偏差値とは別の選択だってあるのにね」
という会話。
私大入試後は、
「国語は、本文と設問が別だったって」
「そのほうがいいよね」
「でも、日本史が、“何でこんなこと聞くんだ”っていう問題が多かったらしい」
「予備校でも、“○大の日本史”って特化してるくらいだし・・・」
「送っていったとき、キャンパスや学生も見たけど、やっぱり嫌な感じだったなあ」
「でも、ご本人はそう思ってないんだから」
という会話。
その後、国立大の前期日程があり、○大2学部と前期日程の発表があり、後期日程は保護者氏が勧めた大学ですが、ご本人は受験に非積極的で、かといって浪人したいとも言わないとのこと。
「何か言うと、『お父さんにはわからない!』って言うしさ」
「今の気持ちとしては、わからなくもないけど・・・」
「××(=私)が言ってたように、行くかどうかは別にして、受かるところも受けさせとけばよかったなあ」
「行くつもりはなくても、受かればうれしいし、努力した結果も確認できるし。それがないのは、精神的にキツイよ」
「入学手続の締切が気になって、積極的には勧めなかったからなあ」
「でも、これから出願できる私大も受けないんでしょう? なら、当面は、“私大を○大しか受けなかったからだ”と思って、必要以上に落ち込まない。で、後期の対策もして受験する。入るかどうかは、合格してから決めればいいし」
「いい大学だし、今まで受けたところと違って実力相応だと思うのに、なんで嫌がるんだろう?」
「恥ずかしいんじゃない? プライドの高い子は、受かるかどうかは別にして、“地元一番”や“地方一番”を嫌がってたよ」
私の受験関連のバイト歴は90年代(首都圏)のことですが、個人面談をしながら受験プランを組むときは、就きたい職業、志望学科、偏差値、通学距離や大学の雰囲気、入試日程などを考え、目標校・相応校・安全校の各レベル2、3校、計7、8校で提案してました。
多めに提案する理由の1つは、順調にいけば、プラン後半の相応校・安全校は受験や出願をせずに4、5校で終了するし、そうでない場合も、「まだここが受けられる」という予定がはっきりしているので、慌てずに済むから。
理由の2つめは、本人と保護者で大学のイメージや実力の把握が違う場合があり、予め各レベル2、3校の提案をしておけば、相応校・安全校がゼロになることは少ないし、最終的に本人と保護者が合意し、目標校に絞る場合も、その意向を了解する過程になるから。
戦術(勉強法)はあっても、戦略が悪ければ苦戦し、戦略(進路指導)はあっても、戦術が悪ければ苦戦する。― 最近、『銀英伝』にハマってるからではなく、当時からそう思ってましたが、耳に入る範囲の当地の進路指導は、高校が目標とする大学(いわゆる難関校)に向かって「全艦前進!」と号令をかけてる感じ・・・。
それに疑問を持つ保護者氏が「□□を学ぶなら、△大も考えたら」と勧めても、「お父さんにはわからない!」となり、結局いま悩んでるのは、号令をかけた指揮官ではないことを考えると、高校側の硬直した戦略のマズさや無責任ぶりが思いやられます(○大を喧伝しながら、対策法を指南してないところは、戦術面でも不十分)。
一歩退いて考えると、90年代までと違って、受験するご本人にその気があれば、ネットで指揮官の言葉を客観視するための情報も入手できたとは思いますが、進学校の生徒としてのプライドを涵養され、「全艦前進!」と言われ続けていれば無理からぬことと思うし、そういう高校が、近隣の高校と受験科目の授業時数を比較して、「我が艦隊も、最短航路で前進!」と未履修を蔓延させたんだろうなあ・・・とも思いました。
『銀英伝』のヤン・ウェンリーは、ハイネセン記念大学歴史学科を受験することに決めた直後に父を亡くしたため、「ただで歴史学を修めることの可能な学校」=士官学校戦史研究科に入学(2年次末の科廃止により、戦略研究科に転科)し、のちに“不敗の魔術師”と呼ばれるようになります。
その彼と、やはりのちに“常勝の天才”と呼ばれることになるラインハルト・フォン・ローエングラムが、揃って非凡な才幹を表したのが戦略面でした。
“勇将のもとに弱兵なし”とか、“1頭のライオンにひきいられた100頭の羊の群は、1頭の羊にひきいられた100頭のライオンの群に勝つ”とか、古来、指揮官の重要性を強調した格言は多いのだ。(第1章 永遠の夜の中で)
高校という艦隊の、クラスという小隊の“指揮官”の皆さまには、艦隊司令官の戦略が無謀な場合でも、麾下の生徒がそれぞれ個性や脚力も違い、家族や将来がある人間であることを忘れずに、全員生存を目標にリードしてほしいもの。
難関校のみを目標として、突破できない生徒を実質的に見捨てる(生徒自身がそういう価値観を内面化し、自己否定する)ような指導は、“進路指導”とは呼べないのでは? と思います。
後期日程を控えた昨日は、
「高校から嫌な電話がかかってきた」
「どんな?」
「『後期を受けるんですか?』って。こっちは受けるように説得してるのに、必要ないだろうと言わんばかり。頑張ってくださいでもない」
「前期の結果、連絡してなかったの?」
「してたよ」
「じゃあ、受けたっていいじゃないね。クラスの受験結果を集計してるんだろうけど、配慮がないね。また、発表後にかかってくるよ」
「県や高校がやろうとしてるのは優秀な人材の県外流出で、地元や地方の大学なんてどうでもいいんだな」
「でも、県立高校の先生って、その地元や地方の大学出身者が多いんでしょ?」
「その担任もそうだけど。・・・にしても、指導がここまで高度化すると、僕には理解不能!」
「高度化って?」
「偏差値の輪切り。『△大? 何それ、ふんっ』っていうような」
「進路指導を偏差値だけに一元化するのがおかしいんで、生徒が学びたいこととか家庭環境とかも考慮して、うまくマッチさせればいいんだと思うけど」
「前期は、総崩れらしいよ」
「でしょうね。でも、高校は何の責任も取らないでしょう?」
「今年の結果が悪かった分、もっとエスカレートするだろうね。そういう指導を歓迎する親もいるだろうし」
「自分も出てない難関校の名前ばかり聞いてる間は、たしかに心地いいでしょうけど、それも結果が出るまでだよね」
個人的には、“プライドの高い子”や“親の言うことを聞かない子”は嫌いではありませんが、一本筋が通っている場合は・・・という条件付き。
その筋が、別のオトナ(高校の教員など)の受け売りであるような場合は、そこを解体して自分自身の筋を立て直さない限り、私の嫌いな○大出身者に多い、自分で考えて行動することがないのに、人を見下すことでプライドを保っているようなオトナ(学閥があるような大企業はともかく、中小企業では役立たず)になっちゃうんじゃないか・・・という気がします。
後期日程の入試は今日ですが、保護者氏の説得が功を奏して受験したかどうかは不明。受験してない/不合格の場合は、保護者氏のお悩みも長期戦になりますが、合格の場合は、教員の研究分野を見てみるなど、偏差値とは別の観点から入学を検討してほしいものです(保護者氏のことなので、そのへんは抜かりないはずですが)。
大学は、偏差値の輪切りで入学してきた学生であっても、学問の楽しさや難しさを通じて、増長した/傷ついたプライドを再構築する場として機能してほしい・・・と以前から思ってますが、保護者氏宅の受験生が、そういう(専攻分野のおもしろさや大変さ、学生生活の楽しさ、ここに入ってよかったなどの)会話を“わかる”お父さんと交わせる日が来れば・・・と思います。
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