『ミカドの淑女』
『ミカドと女官』を読んだ流れで、林真理子『ミカドの淑女(おんな)』(1990年9月、新潮社)を読みました。持ってるのは初版本なのに、積読期間(本棚の奥に鎮座)が長かったです。
さっさと読んでたら、1992年元旦に放送された2時間ドラマ『ミカドの淑女』も見てたかも・・・。下田歌子は十朱幸代、明治天皇と飯野吉三郎は鹿賀丈史(二役)、皇后はいしだあゆみ、伊藤博文は平幹二郎、乃木希典は地井武男だったそう。いまさらですが、見てみたかった気がします。
巻末に約50点の参考文献が挙げられてますが、その中心は、『平民新聞』(明治40年2月23日~4月16日)連載の「妖婦 下田歌子」。美濃の士族の娘から、皇后お気に入りの女官、華族女学校教授・学監、学習院教授・女学部長に“立身出世”した歌子をめぐるスキャンダルを軸に、彼女と接した男たちの困惑や震撼、彼女を知る女たちの憧憬や嫉妬を通して、男と女のダブルスタンダードが描かれてました。
「男の方はずるうございます」
不意に歌子は言った。
「女に何ひとつ分けてくださろうとはしない。たまたま、なにか与えてくださると、それをすぐに取り上げようとするのですね」
(略)
「女はいつまでたっても会津でございますよ。ただそれに生まれたというだけで、寒い遠いところに追い払われるのです」
末尾は、乃木将軍(学習院院長)が、「学習院の重職には、女より男の方がふさわしいから、彼女を辞職させる。こう考えると何とすっきりすることであろうか」と歌子の更迭を決心し、妻から「下田先生はどうなるのでしょう。あなたの力でどうにかならないものでしょうか」と言われたことを思い出し、「全く女は馬鹿だ」とつぶやきながら安眠する・・・というもの。
物語の現在時は、全13章のタイトルと同じ「明治四十年二月二十三日」~「十一月八日」。各章で視点人物が変えられ、1)天皇、2)小池道子(柳の掌侍)、3)猿橋睦子(歌子の私塾の元生徒)、4)伊藤博文、5)大山捨松、6)三島通良(医学博士)、7)飯野吉三郎(日本のラスプーチン)、8)佐々木高行伯爵(常宮・周宮の養育主任)、9)園祥子(小菊の権典侍)、10)乃木希典、11)飯野、12)伊藤、13)乃木という具合。
各視点人物の周辺の人物をあわせると、結構な数の人物が登場します。それらの人々の歌子の回想、『平民新聞』の連載に対する思惑を積み重ねながら、明治の後宮や社会が描かれてるので、連ドラにしたら、『大奥』みたいなところもあるし、女の進出の限界やスキャンダルに対する推理もあって、おもしろいかも・・・。
皇道主義の下田歌子ですが、これも一種のバックラッシュですよね? ということで、『妖婦 下田歌子-「平民新聞」より』(1999年2月)という本をユーズドで買ったので、歌子がなぜこれほど攻撃されたのか、読んでみたいと思います。
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