『ミカドと女官』
昨日・今日、小田部雄次『ミカドと女官-菊のカーテンの向う側』を読みました。数年前に買って読んでなかった本ですが、近代の女官の制度・言動など、「へぇ~」ということがいろいろありました。
なにしろ、元女官で知っていたのは、女官としては異色の下田歌子と岸田俊子くらい。大正天皇の生母・柳原愛子(なるこ)が、歌人・柳原白蓮の伯母なのも知りませんでした。
柳原白蓮こと燁子(あきこ)は、華族女学校を中退し、北小路某との結婚・離婚後、25歳年上の九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門と再婚して「筑紫の女王」と呼ばれながら、大正10年に、7歳年下の社会運動家・宮崎龍介と恋愛事件を起こした“情熱の歌人”。
「私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます」という「公開絶縁状」を新聞に掲載して世間を騒がせ、一時引き離されながら、震災後の大正12年に宮崎と結婚して運動を支援したり、愛児を戦死させたことから、平和団体「国際悲母の会」を結成したりしたことは知ってました。
皇太子明仁と正田美智子(現在の天皇・皇后)の結婚に、久邇宮家出身の皇后良子(ながこ)は「平民からとは怪しからん」と周囲に訴えていたそう。それはわからなくもありませんが、かつて“自由恋愛”を敢行した燁子が、「御婚儀反対を叫び愛国団体を動かしたりした由」(入江相政侍従の日記)というのは、人間、どこにアイデンティティを置いているか、若い頃の言動だけじゃわかんないなーと思ったりしました。
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