救済と格差
共同通信の「未履修問題」の各ニュースをざっと読んでみました。最新ニュースは、「『週内にも救済策出す』 未履修問題で伊吹文科相」。一度は「救済」を否定されてましたが、履修漏れの中には、4科目350時間の補習が必要なケースもあり、卒業までに指導要領通りの時間数をこなすのは困難という現状を踏まえて・・・。
350時間ともなると、1日6時間不足する授業ばかり行っても、350÷6=58.3日かかるわけで、どなたかのブログで読んだように、「卒業見込」のままで暫定的に入学を許可する特例を作ったとしても、遠方の大学に進学した人は、大学の授業期間中に高校に通うのは無理。大学の学則や教育にも影響を来たすし、就職する人にも職場の寛大な配慮が必要で、やっぱり年度内に何とかするしかありません。
で、どの程度の不足に対して「救済」が適用されるかを見込んでか、「様子見」「指示待ち」の高校もあるみたい。というのは、履修漏れ校の高3生の保護者でもある「赤ペン先生」(注) がコメントくださったように、生徒・保護者にまだ何の説明もしてない学校もあるんですね。「救済策」の内容次第で校内での対策も変わるとはいえ、謝罪も現状報告もしていないというのは、情けないし、いけませんよね・・・。
(注)以前、私の仕事上の「お目付」役だった人で、Z会や進研ゼミ等の
添削先生ではありません。念のため(^_^;)
ところで、私も、まずは生徒に対する対応が最優先だけど、この問題の責任は誰がどう取るの? 教育長と学校長は全員更迭?・・・とか思ってましたが、赤ペン先生もそのことに触れてらっしゃいました。
周知のとおり、教育委員会のメンバーは実態としては教員の出向状態。なれあいもいいけども誰かこの問題で責任取るのかな。いさぎよくみんな辞職するってのはいかが、校長や教育委員会の皆さん。ビール1本飲んで車運転したら懲戒免職の時代なんだからさ。この問題はそれより重いでしょ。
公立学校教諭の飲酒運転は懲戒免職。あと、私の住んでる県でも頻発してる教諭のノゾキやセクハラは、停職(結局、辞職)だったかな。こういう「課外活動」が処分されて、職務上の不正(学習指導要領への違反、教委への虚偽報告、指導要録の偽造や調査書の偽造・発行)が処分されないとしたら、それこそ教育上よくありませんよね。
なので、禿げた頭を丸めるなんてワザとらしいことはしなくても、「今は、君たちが卒業できるよう全力で対応する。それから、今回の問題への責任を取って辞職する」って、先頭切って公言する校長先生、どこかにいらっしゃないかしら・・・と思ってるんですけど。定年間近なお年頃だし、ご本人にとっても、少しでも気持ちのいい辞め方をしていただきたいものです。
広がる履修漏れ 教員、校長の本音は
(asahi.com 2006年10月28日22時52分)
履修漏れ、世界史必修化が契機か
(asahi.com 2006年10月28日16時45分)
これらを読むと、履修漏れは、世界史必修化と学校週5日制の導入が大きな契機で、特に予備校等の受験産業が発達していない地方の高校では、受験に対応するためにやむなく・・・という状況が吐露されてます。私が生まれてこのかた暮らした7都県の中で、トップ2の田舎である今住んでる県は、26日にも書いたけど、まさにそんな感じ。
その前にいた都県では、学生時代から予備校で学習・進学相談のバイトをしてましたが、有名進学校の生徒もそうじゃない生徒も、「ウチの学校、受験に力入れてくれない」、「先生の教え方も予備校よりヘタ」、「併願プランを組む知識がない」なんてことを言ってました。
「だってねー、高校と予備校は、存在意義も目的も違うんだから。予備校の先生は、学校の先生が教えないことを教えて、高い時給もらってるんだからねー」と答えてましたが、思えば、彼ら彼女らは、高校の受験対策が不満なら、浪人生の急減によって各予備校の経営を支え始めていた現役生コースがある都会に住み、保護者から高い授業料を払ってもらえる生徒でした。
だから、とくに地方の未履修高校については、同情する部分もありますが、一方では国・文科省が定めた学習指導要領があり、一方では県・教委からの進学実績向上の叱咤激励、生徒獲得競争があり・・・という高校に課せられたミッションの矛盾を、生徒・保護者の要望や大学入試の内容も含めて見直さないと、現高3生は「救済」されても、その後の地方の受験生は? 経済的余裕のない受験生は? 昨今話題の「格差」がこれでまた拡大するのでは?・・・と思うんですけど。
「補習出ない」「学校ふざけるな」 履修漏れ、受験生ら
(asahi.com 2006年10月28日13時47分)
お怒り、ごもっとも。「世界史を必修にしていることに問題があるのではないか」というのは、「国際性」の涵養を理由に前・学習指導要領でそうしてしまったわけですが、小学校からの英語導入案と同じで、ちょっと安直ですよね。
個人的には、歴史は文理系を問わず、教養として必要な教科だと思うし、両方履修するのが無理なら、日本史でも世界史でも選択でいいのでは?・・・と思います。昔、両方習った経験からいえば、世界史は「国際性」に、日本史は「愛国心」の涵養に資するなんてこと、全然なかったし。
むしろ、世界史・日本史どっちかでも、近・現代史までちゃんとやったほうが、これまで/これからの対米・対アジア関係の理解に資するかもしれないだけ、マシかなあ。それを抜きにして、「国際性」も「愛国心」もないんじゃないの・・・と思うので。
ただ、同じ記事の「進学校には時間がなく、受験に必要ない科目はやるべきではない」という声は、現在の心境としてはわかりますが、アソビのない学びや人生はつまらないし、疲れるし、大学に進んでも専門以外の科目はあるし、受験が無事終わったら、アソビのある学問や人生も味わってほしいな・・・と思ったりしました。
でないと、私のようにアソビの比重が高い、非効率的な人間は、居心地悪いというか、居場所のない社会になっちゃいそうなので。
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